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PKKの解散でトルコとアメリカの関係修復が進む可能性
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2025.05.14 櫻井ジャーナル
PKK(クルディスタン労働者党)は5月12日、組織の解散とトルコに対する武装闘争の終結を発表した。2015年9月30日にロシア軍がシリアのバシャール・アル・アサド政権の要請で軍事介入し、アメリカをはじめとする反アサド勢力が傭兵として使っていたアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)を敗走させた後、クルドの武装勢力が新たな傭兵になった。
クルドはトルコ、シリア、イラク、イランにまたがる地域で生活しているが、言語や文化が違う。イラクを拠点にするKDPはムラー・ムスタファ・バルザニとマスード・バルザニの親子が率いてきたが、ふたりともイスラエルの情報機関モサドのオフィサーだったと言われ、イスラエルの手先としてイラク政府と戦ってきた。シリアへの侵略戦争が始まってから、そうした関係がほかのクルドへも波及していったようだ。
ロシア軍に粉砕されたダーイッシュの一部をトルコ政府はハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)として再編成、この武装勢力はRCA(革命コマンド軍)と連携して昨年12月8日にダマスカスを制圧、バシャール・アル・アサド政権を倒した。こうした武装勢力は占領地でアラウィー派やキリスト教徒を虐殺し始め、ドゥルーズ派が民族浄化の対象になりつつある。その一方、HTSやRCAはイスラエルを攻撃しないと表明している。
バラク・オバマ政権は2010年8月にPSD-11を承認、ムスリム同胞団を利用し、地中海の南部や東部の沿岸で体制転覆工作を仕掛けたる工作を始めた。そして引き起こされたのが「アラブの春」だ。
ロラン・デュマ元仏外相によると、2009年にイギリスを訪問した際に彼はイギリス政府の高官からシリアで工作の準備をしていると告げられたというが、ネオコンは1980年代からイラク、シリア、イランを制圧する計画を立てていた。
2011年2月になるとリビアで、また3月にはシリアでムスリム同胞団やサラフィ主義者を主力とする傭兵部隊による侵略作戦が始まり、その年の10月にアメリカなど侵略の黒幕国はムアンマル・アル・カダフィ体制が倒され、カダフィ本人は惨殺された。その際にNATO軍とアル・カイダ系武装集団、LIFG(リビア・イスラム戦闘団)の連携が明白になる。
しかしながら、シリアではNATOを軍事介入させることができない。そこでリビアから兵器や戦闘員をシリアへ移動させたものの、バシャール・アル・アサド政権を倒せなかった。そこでオバマ政権は反シリア政府軍に対する支援を強化する。
そうしたオバマ政権の方針を危険だとアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)は2012年に報告書を提出した。外部勢力が編成した反シリア政府軍の主力はAQIであり、その集団の中心はサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘、さらにオバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになると警告している。その時にDIAを率いていた軍人がマイケル・フリン中将にほかならない。
この警告通り2014年には新たな武装集団ダーイッシュが登場した。この武装集団はこの年の1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にはモスルを制圧。その際にトヨタ製の真新しい小型トラック、ハイラックスを連ねてパレードし、その後、残虐さをアピールする。
オバマ大統領は政府の陣容を好戦派へ変えていく。例えば2015年2月に国防長官をチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ、同年9月には統合参謀本部議長をマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代させている。
ところが、デンプシーが統合参謀本部議長の座を降りてから5日後の9月30日、ロシア軍がシリア政府の要請で介入し、ジハード傭兵を攻撃して占領地域を急速に縮小させていった。そこでアメリカはクルドを新たな傭兵として使い始めるが、それによってトルコはアメリカを中心とする侵略同盟から離脱した。PKKの解散によってトルコはアメリカへ再接近するかもしれない。
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