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「写ってるのはほぼ全員白人だね」…深刻化する高齢者の貧困とノマドでいられる「特権性」/現代ビジネス
伊藤 将人
この世界には「移動できる人」と「移動できない人」がいる。
日本人は移動しなくなったのか? 人生は移動距離で決まるのか? なぜ「移動格差」が生まれているのか?
発売即重版が決まった話題書『 移動と階級 』では、通勤・通学、買い物、旅行といった日常生活から、移民・難民や気候危機など地球規模の大問題まで、誰もが関係する「移動」から見えてくる〈分断・格差・不平等〉の実態に迫っている。
(本記事は、伊藤将人『 移動と階級 』の一部を抜粋・編集しています)
悠々自適な老後という幻想
『ノマド』が関心を向けるのは主に中高年層の人々である。アメリカをはじめとする一部の先進諸国では、定年後は年金生活で悠々自適、好きなことをして過ごせる人生の休息がやってくるという時代は終わりを告げ、高齢者の貧困化が進んでいる。アメリカは高齢者の貧困率が高い国の一つであり、高齢者の約4人に1人(23・1%)が貧困状態にあるという調査結果もある。
日本でも、高齢者の貧困状況は楽観視できない状況にある。OECD databaseで比較すると、66歳以上に限定した相対的貧困率は38ヵ国中11位となっている。また、長寿化が進む中で、老後資金の不足により、老後の生活が困窮するかもしれないという懸念も高まっている。厚生労働省「国民生活基礎調査」で高齢者世帯の生活意識をみてみると、近年になるにつれて「大変苦しい」「やや苦しい」といった「苦しい」という回答の割合が増加しており、今では半数以上の世帯が生活に苦しんでいる(萩原:2020)。
人種の多様性に欠けたワーキャンパーの写真
さまざまな属性のワーキャンパーが登場し、たくさんの物語が紡がれる『ノマド』だが、ここであえて注目したいのはワーキャンパーの「人種」である。
書籍でも映画でも、人種はメイントピックではない。そればかりか、約350ページにのぼる日本語版で人種の話はたった数ページ分しか出てこない。しかし人種に着目することで、ワーキャンパー=「下層ノマド」という単純な図式では見えない、複雑な移動と貧困の実態が浮かび上がる。
著者のブルーダーはある日、ラバートランプ集会と呼ばれる車上生活者の相互扶助の集まりに参加したが、翌日以降も“あること”が気になっていた。アフリカ系アメリカ人の写真家で、人種と植民地主義をテーマに活動する友人にラバートランプ集会の写真を見せたところ、こう言われた。「写ってるのはほぼ全員白人だね。どうしてだろう」と。
このときまでにブルーダーは、アメリカ全土でワーキャンパーやラバートランプ集会、キャンピングカーで暮らす何百人もの車上生活者に会っていた。しかし、実は非白人はほんの一握りしかいなかったのである。
車上生活者が人種の多様性に欠けていることは、キャンプに魅力を感じる人には圧倒的に白人が多いという事実と、なにか関係があるのだろうか。……おそらく戸外での「不自由な生活」を楽しむには、ある種の特権的地位が必要なのだろう。
ブルーダーは言う。白人であっても、アメリカにおいてノマドでいるのは並大抵のことではない。白人であるという“特権的”な切り札をもってしても、警察官や通行人、近隣住民とのいざこざを避けられない場合もある。ならば、丸腰の黒人が赤信号で止まっていただけで警官に撃たれるような地域だと特に、人種差別的な取り締まりの犠牲になりかねない人が車上生活をするのは危険すぎる、と。
移動をめぐる格差や不平等性を考える際には、特定の属性に着目するだけでは不十分であり、重層的なカテゴリーを前提に、移動に関する問題を捉える視点が求められる。
このように考えていくと、アタリの「ハイパーノマド」「バーチャルノマド」「下層ノマド」といった分類も、現代のノマドをめぐる見通しをよくする一方で、移動の有り様を単純化するカテゴライズであり、移動の複雑性を見えなくする作用もあることに注意しなければならないことがわかる。
本記事の引用元『 移動と階級 』では、意外と知らない「移動」をめぐる格差や不平等について、独自調査や人文社会科学の研究蓄積から実態に迫っている。
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