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ケンガンアシュラという格闘アニメの作中で、主人公の格闘家と対戦したプロレスラーが主人公に対して「お前達格闘家は技を避けることを“権利”としている。だが、俺達プロレスラーは技を受けることを“義務”としている。」と言う場面があるのですが、それを聞いたときはかっこいいじゃねぇかと感じたものです。まあ結局は主人公に負けてしまいましたが。しかし、この台詞が今も印象に残っているのは、それが権利と義務とは何であるかについて鋭く示唆しているからでしょう。
人は義務を果たすとき何かに対して責任を負います。負うべき責任は人によって違いますが、それは社会的地位が上がるにつれて大きく重くなっていくでしょう。それに対して権利は個人の欲求を追うことを正当化する観念でしかありません。権利を追うことには何の責任も伴わないのです。このことを踏まえて歴史を紐解いていけば、先の大戦で謎とされてきたことがなるほどそういうことだったのかと分かってくるのです。
先の大戦で陸軍は何故、インパール作戦に代表される無謀な作戦を実行していったのか。それは当時、日本人が背負っていたものと関係があります。日本は大東亜戦争で欧米の植民地支配の打倒を明言したことによってアジアを白人支配から解放する義務を背負いました。
大東亜戦争-Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E6%88%A6%E4%BA%89
同日内閣情報局は「今次の對米英戰は、支那事變をも含め大東亞戰爭と呼稱す。大東亞戰爭と呼稱するは、大東亞新秩序建設を目的とする戰爭なることを意味するものにして、戰爭地域を主として大東亞のみに限定する意味に非ず」と発表され、戦争目的はアジア諸国における欧米の植民地支配の打倒を目指すものであると規定した[9]。
正直に言えば力不足だった感は否めません。共産主義者の謀略によって支那事変が泥沼化している内に、経済封鎖を仕掛けられて生存圏を東アジアに求めざるをえなくなりました。東アジアに大東亜共栄圏を造るという目的も共産主義者が案出したものです。
国民のための大東亜戦争史10〜15日支全面和平を打ち砕いた者
https://touarenmeilv.blog.fc2.com/blog-entry-3.html
国民のための大東亜戦争史1〜9南京陥落
https://touarenmeilv.blog.fc2.com/blog-entry-2.html
世界の大勢と支那の実力、日本の国力の限度を知り尽くしていた石原等のあらゆる不拡大早期和平努力にも拘わらず、支那事変が統制派の希望する如く拡大長期化した理由として、田中隆吉が挙げた軍部の内情は、統制派が、事変の発展と永続は必然の結果として国防兵力の増強を来し、これに伴う軍用資材需要の増加はまた国内の経済機構に計画性をもたらすものであるから、手に唾せずして彼等の理念である国防国家建設と国内経済機構の変革を行い得る、と確信し、戦争の不拡大とその急速なる解決に反対したということであった。田中は、
「日中戦争の中途、武藤章氏が軍務局長となるや、左翼の転向者(これを私は転向右翼と名付けた)が、彼の周囲にブレーンとして参加した。陸軍省の部局に転向共産主義者が招集将校として起用されたのはこの頃である。統制派政治軍人の理念はこれがためにさらに飛躍した。すなわち大東亜共栄圏の理念である。この理念はコミンテルンの被圧迫民族解放の理念と表裏一体のものである。転向右翼との握手により、統制派の国防国家建設の理念から大東亜共栄圏建設の理念へと発展したことは、やがて三国同盟の締結となり、大政翼賛会の創設となり更に翼政会の出現となり、我日本を完全なる全体主義国家に変貌せしめた。しかも太平洋戦争の勃発は、憲法を無視する推薦選挙の暴挙を生み、国民から言論結社の自由を奪い、ここに世界史に稀にみる軍部独裁の政治体制を確立したのである。
この政治体制は全く陸軍が転向右翼の戦術に乗じられたものでなくて何であろう。統制派の政治軍人が軍人の本分を忘れ、濫りに政治に関与し、国民に号令しつつあるとき、私のいわゆる転向右翼はすでに統制派の内部に巣喰い、彼ら転向右翼が目指す祖国敗戦の方途を画策しつつあった。政治にも思想にもまた経済にもほとんど無知な軍人が、サーベルの威力により、その付け焼刃的理念を政治行動に移して強行し、自己陶酔に耽りつつあったとき、巧妙にして精緻なるこの種の策謀に乗ぜられたのは当然の帰結である。(中略)
私の見るところでは、この転向右翼が軍人に及ぼす害毒は観念右翼よりさらにひどかった。なんとなれば前者は頭脳が緻密であり、その理念は巧妙で、国家革新を叫ぶもその具体的方案に無知なる軍人に対しては異常なる影響と感激を与えるからである。
転向右翼は日本革命の手段として戦争を是認し、これをアジアの弱小民族解放の線に沿わしめ、日本と英米との衝突を激発せしめる戦術を考えていた。この戦術をとっていたことは、鍋山貞親氏の言明も裏付けている」
と回顧し、陸軍統制派の背後に転向右翼−左翼の転向者の暗躍があったことを指摘した(4)。
しかしそれに乗せられて戦争に邁進していった当時の日本人を、人種間の平等が守るべき道徳となった今日の世界の感覚で愚かだと評価するべきではありません。日本は、自分たちを神に選ばれた世界を支配すべき人種だと考え、学問・科学を高度に発展させ、現在進行形で世界を征服していた人々から戦いを挑まれたのです。
アングロ・イスラエリズム-Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
「古代イスラエルの十部族の神話に支えられて、聖書のイスラエル伝説は依然として有効であり続けている。失われた十部族は、かつてイスラエルで暮らしていたが、一度は消滅し、英帝国のアングロ・イスラエル神話の中に再登場したとされる。英国が本当のイスラエルであるという発想は、十九世紀半ばに、英国の帝国主義を正当化する手段として、ケンブリッジとオックスフォードにある英国諜報機関の創造力豊かな研究活動によって発明された。聖書の十部族の物語は、「アングロ・イスラエル神話」を正当化するために盗用され、大成功をおさめた。今やイギリス人こそが本物のユダヤ人であるという神話は、旧大英帝国地域の全領域の活動を支え、イギリス人こそが「選ばれた民」の本当の子孫であり、それ故に旧約聖書の正統の血筋であることを示す根拠になっている。
この思想は、米国でも多くの宗教集会で教宣されており、アングロサクソン系アメリカ人が特別な存在であることを強調するために利用されている。一時有名になったカリフォルニアの「パサディーナ神の世界教会」の故ハーバート・W・アームストロング牧師は、「失われた十部族」、つまり正真正銘のユダヤ人としてのアングロサクソン概念を米国で流布した中心人物であった。アームストロング牧師は、旧約聖書のイスラエルは実は現代の大英帝国であると説いた。そして彼は、一九八三年二月六日のテレビ放送で、米国の最高裁判所は米国の公立学校から意図的に神を排除したと述べた。「失われた十部族」の本物のユダヤ人(つまり大英帝国)は、アメリカ人をアメリカ独立革命の神意から精神的に切り離し、イスラエル国家に表された俗世の神への服従に置き換えたかったようである。今日の現実世界に存在するイスラエル国は、真のユダヤ人(英国のアングロサクソン)が本当のイスラエルであるという最終的な認知を達成するまでの中間段階に過ぎないという複合暗示だと思えば、身がすくむような気がする。アメリカのマスコミが、「無口で犠牲と忍耐の精神をもっていた」アメリカのヒーロー人物像を、「不平不満ばかりで泣き言をいう」逆の意味のヒーローに置き換えたのも、アームストロング牧師がアングロサクソンこそが本物のユダヤ人だと説いていた一九六〇年代初頭のこの頃である。かつては美徳の象徴であったアメリカの小さな町が、病めるアメリカ文化の象徴として位置づけられ編集され、印刷物や映像に描かれるようになった。
ベストセラーになった『聖なる血と聖杯』は、「アングロ・イスラエル」の神話を、宣伝・普及し、実現する活動の一例である。この話は、英国王室のチャールズ皇太子は新約聖書のイエスの血を継いだ子孫であると言っている。その他の野心的なヨーロッパの王たちも同様にこの本から恩恵を得た。このアングロ・イスラエルの物語は、経済霊とモロクによって衝き動かされる地球規模の中央銀行による金融帝国主義とも大いに関係している。エルサレムに再建される「第三神殿」は、「新しいマネー」とともに中央銀行として使用され、十部族の「真のユダヤ人」であるアングロサクソンによって世界を支配することになり、モロクの「横暴な腕」となることは間違いない。」(R・D・ウィリング『マネー/金融システム闇の超起源』徳間書店 175-177頁)
他人種を支配し搾取することを“権利”とした英米、そこからの解放を“義務”とした日本。第二次大戦で戦った両者が背負っていたのは全く別のものでした。海軍は役不足でこの義務を背負えず、敵に手心を加えて日本軍を敗走させる利敵行為ばかり行っていましたが、陸軍は違います。戦争は国力を消耗するのだから犠牲は少ない方がいいに決まってますが、皮肉にも陸軍が無謀な作戦を実行し玉砕していったのは、あの戦争が日本の侵略戦争ではなかった何よりの証明なのです。日本はアジアを白人支配から解放する責任を負ったからには生半可なところでは手は引けなかったのです。しかし敗戦によって大東亜戦争が太平洋戦争に言い換えられたことによって、アジアを欧米の植民地支配から解放するという義務が忘却され、あの戦争が太平洋上とその沿岸で行われた通常の戦争だったということにされてしまいました。
「ここで、日本の不平等条約の歴史をふりかえりたい。なぜなら、幕末に締結された「安政条約」が、長い改正運動の後、やっと撤廃されたのは、朝鮮併合後の明治四十三年であったからだ。
不平等条約の撤廃については、明治維新政府はその成立の当初から苦心し、民間の志士有志もこれに呼応して戦ったが、イギリスを先頭とする欧米列国は、頑として日本の要求を認めず、日清・日露の役を経て、朝鮮併合を敢行した後に、列国は初めて日本の改正要求に応じたのである。しかも、条約の尻っぽとしての外国人による永代借地権は昭和十七年まで残った。
日本敗戦はその三年後である。連合国の占領は、七年間つづき、その後十三年を経た今日でもなお、戦勝国アメリカによって強制された「安保条約」という新不平等条約は、再び日本をしばりつづけて、半身不随にしている。
安政元年の「神奈川条約」はペルリの黒船艦隊の脅迫によって締結された。もとより日本の利益をまったく無視した不平等条約であった。この不平等をさらに完全にしたのが、ハリスによる「安政条約」(安政五年ー一八五六年)である。ハリスは清国と交戦中の英仏東洋艦隊五十隻が日本を攻めるであろうと幕府をおどして、「日米修好通商条約」という美名の下に、
(1) 開港場に外人居住地(租界)をつくること
(2) 日本側に自主権のない関税制度
(3) 治外法権(外国人の犯罪には日本側に裁判権なし)
などを重要項目とする一方的条約をおしつけた。これは日本の領土の一部の占領に等しく、貿易通商の利益は主として外国人のみに帰し、裁判においては外国人は常に無罪と極言してもいい条約であった。世界状勢にも国際法にも暗い幕府の当局者には、これが後に日本の独立と自由と産業の発展に破壊的な影響を与えることに気づかず、アメリカにつづいてオランダ、イギリス、ロシア、フランスさらにポルトガル、ドイツ、スエーデン、ベルギー、イタリア、デンマークとも同じ条約を結んでしまった。
居留地の整地、道路、水道、兵営、火薬庫、病院などの建設費はすべて日本側の負担であり、行政権も警察権も彼らにあり、無料同様の地代による借地権と土地所有権は、【永久の権利】であった。公園、競馬場もまた外人専用で、日本人の立入りが禁止されていたことは、例えば『横浜市史』(第三巻下)を読めばわかる。
維新政府は幕府を打倒したが、「安政条約」は受けつがざるを得なかった。横浜のみをとってみても、欧米列強の駐留軍は時に万を超え、港は彼らの鋼鉄艦によって制圧されていた。
右大臣岩倉具視は、「外国の兵隊を我が港内に上陸せしめ、また居留西洋人の我が国法を犯すものあるも我が皇国の恥辱甚だしきものというべし」(明治二年)と痛憤し、外国判事山口範蔵、中井弘らも同じ怒りをこめた上申書を出したが、さてこの屈辱からどうして脱出するかについては、当時の「洋書読み」新知識の一人、外国官副知事の大隈重信でさえ、「余はかつて堂々幕府の政策を非難せしにもかかわらず、いまだ安政条約の如何をも深く研究する所あらざりし」と告白している。問題がおこるたびに、外国公使、特に強硬剛腹なイギリス公使パークスから威圧され翻弄されるばかりであった。
岩倉全権公使団の失望
右にのべたように、「安政条約」は徳川幕府から明治政府に残された厄介きわまる遺産であった。現在の読者はこれを簡単な問題として考えているかもしれぬが、日本は実に五十六年間――厳密に言えば、八十七年間不平等条約の支配下にあった。
「アジアは一つ」と叫んだ明治中期の思想家岡倉天心は、西洋人に読ませるための英文の著書の中で、「西洋が日本を真に理解するのは、日本艦隊がシンガポール沖においてイギリス東洋艦隊を撃滅した時であろう」と慷慨したが、この怒りと嘆きはすべての明治人に共通のものであった。」(林 房雄『大東亜戦争肯定論』中公文庫 289-291頁)
「此の会議が成功であつたか否か、私にはまだよく分からない。ただこれが開戦一年の間の知的戦慄のうちに作られたものであることは、覆うべくもない事実である。確かに我々知識人は、従来とても我我の知的活動の真の原動力として働いてゐた日本人の血と、それを今まで不様に体系づけていた西欧知性の相剋のために、個人的にも割り切れないでゐる。会議全体を支配する異様な混沌や決裂はそのためである。さういう血みどろな戦ひの忠実な記録であるといふことも、識者は認めてくださるであらう。しかも戦ひはなほ継続中である。確かな戦果は。戦塵が全く拭ひ去られた後でなければ分からぬであらう。」(河上徹太郎 他『近代の超克』冨山房百科文庫 166頁)
「キリスト教初期のカルトにチャンスを与えた環境と、国際共産主義に発展したカルトを取り巻いていた環境の類似性も特筆すべきである。双方とも、人々の経済認識や経済状況が「変革」への大きな原動力となっていた。共産主義のカルトは、外交官であり政治学者であるかの有名なヘンリー・キッシンジャーが「一つの宗教」であると呼ぶに至った地球規模の信仰体系へと発展していった。既成の秩序と新興カルトの戦いが二十世紀の歴史そのものであるかのようである。ドイツの民族社会主義とイタリアのファシズムは二つのカルトじみた勢力であったが、両者とも利子稼ぎのマネーの経済霊とモロク神にとって直接的な脅威となった。
(中略)
ドイツの大衆運動の他にも、第二次大戦中の日本も、既存の経済秩序を脅かす一種のカルト観念のようなものとして考えられていたと言えるかもしれない。第二次大戦の政治的な事例からは、ヒトラー崇拝のドイツと、天皇崇拝の日本は、地球上で特別なカルトであったことと、神の概念において独特であったという意味で、旧約聖書の預言者たちによく似た状態であったと言える。」(R・D・ウィリング『マネー/金融システム闇の超起源』徳間書店 126・130頁)
翻って今日の世界はどうでしょうか。第二次大戦後は義務よりも権利が善いものとされ、各国・各人の権利を尊重しそれを認めることが世界平和につながると信じられています。しかしそれならその目的のために建設された国連は何故、現状なような機能不全に陥っているのでしょうか。前にも述べたように権利とは観念でしかなく、それには何の責任も伴いません。国連が機能不全に陥っているのは、人々が権利の名の下に自己の欲求を追い求めてばかりいるからではないか、本来なら主導的地位にある常任理事国は国際社会全体に奉仕する義務を背負うべきであるのに、彼らは自国の利益を追求しているだけです。そんな常任理事国が主導する無責任支配体制が、国連を機能不全に陥らせ、現代世界に力がものをいうだけの実質的な無秩序状態を招いている要因になっているのではないでしょうか。
保守派がマスコミや左翼の掲げる平和主義を何かがおかしいと感じるのも、そのことと関連があるでしょう。彼らは大抵、個人の体験を通して戦争は悲惨だと訴えそこから反戦平和を説きます。しかし、個人の体験からだけでは大東亜戦争で日本人全体が背負った、アジアを欧米の植民地支配から解放するために戦ったという義務はうかがい知ることはできません。あれだけの大災禍に見舞われた戦争ですからそれを体験した人々が、その戦争に国民を突入させた政治家や軍部を恨んだのは仕方のないことです。でもマスコミがその体験を抜き出して流すだけで、あの戦争の全体像を伝えようとしないのは彼らの職務怠慢です。もし個人が全体から切り離されて何にも責任も負うことがないのを善しとしたら、人間はただ自己の欲望を追い求めるだけの堕落した存在に成り下がってしまいます。マスコミや左翼の掲げる平和主義が何かがおかしいと感じるのは、その内に義務よりも権利を善しとする信仰に便乗して、何にも責任を負うことのない安楽な道を通って正義を装おうとする浅ましい根性が透けて見えるからです。マスコミは真に平和を求めるのなら、まずは個人の権利を認めることが幸福につながると信じた欧米人が、何故、実際には(特に非西洋圏で)彼らが掲げた理念と正反対のことをしてきたのかを検証する責任があるのです。
「一九六〇年代以降の西洋思想の歴史は、懲罰と賠償の物語を付けて第二次世界大戦のホロコースト報道が蔓延するのに圧倒され、人類本来の神との契約に基づく責務がマネー信仰によって見えなくなっている事実を忘れることが出来た。あらゆる宗教・慣習において母なる自然の尊重こそが生命に不可欠であると書かれ、語られているにもかかわらず、第二次世界大戦はホロコーストだけの時代であったと解釈させるような心理的な思考操作によって、人々は、「戦争に基底に経済思想と観念の戦いがある」ことに気付かない仕組みになっている。「現代の市場と金融の慣習」は第二次世界大戦で普及したものであるが、「自然と調和しながら繁栄する」という人類本来の契約の義務と矛盾している。生物圏に与えている害悪の大半は、聖書のルール、特に高利貸しの禁止命令を無視したマネーの義務がもたらした結果である。「カルト273」は「イスラエル」という言葉を故意に詐称し、聖書の物語は歪曲され、エルサレムのモロク神が操る中央銀行の高利貸しが世界を支配することを正当化している。これは、宇宙を怒らせる攻撃である。「聖杯の秘密」を得て可能となったマネー計算の「呪詛の火焔」は、既存の聖書を利用して、優勢にある中央銀行国家が、「モロク神、経済霊、カルト273」にとって不可欠な「高利貸し構造」を守る仕組みを隠している。
国の債務と株式市場という「カルト273」の神話と、創造以来の要請である自然と調和した繁栄との矛盾は、矛盾のまま放置されるべきではない。慢性的な政府債務・利子(割引)マネー・資本利益率の株式市場として出現した高利貸しパワーは、生物圏に暴行を加えている。心霊次元の戦いは続いている。
我々の勝利に向けた第一歩は、聖書の宗教と聖杯の神話のヴェールの向こうに、モロク神、そして、経済霊のマネーが動いていることに、目覚めることである。」(R・D・ウィリング『マネー/金融システム闇の超起源』徳間書店 352-353頁)
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