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人びとを戦乱で破壊の世界へ引き摺り込んだディック・チェイニーが死亡
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2025.11.06 櫻井ジャーナル
リチャード・チェイニー元米副大統領が11月3日に死亡した。ジェラルド・フォード政権(1974年8月から77年1月)の時に表舞台へ登場してきたネオコンの大物だ。
フォードはリチャード・ニクソン大統領がウォーターゲート事件で失脚したことを受け、副大統領から昇格したのだが、元々の副大統領はスピロ・アグニュー。そのアグニューが1973年10月にスキャンダルで辞任に追い込まれ、選挙を経ずに副大統領、そして大統領になった。
ニクソン大統領はデタント(緊張緩和)政策を打ち出していたが、フォード政権はデタント派を粛清していく。その中でも重要な意味を持つと考えられているのは、国防長官とCIA長官の交代だ。
国防長官は1975年11月にジェームズ・シュレシンジャーからドナルド・ラムズフェルドへ交代、CIA長官は76年1月にウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ交代している。一連の粛正は「ハロウィーンの虐殺」と呼ばれている。チェニーはラムズフェルドの後任として1975年11月から大統領首席補佐官を務めた。
この粛正を主導したのは大統領首席補佐官だったラムズフェルドと大統領副補佐官だったチェイニーだとされているが、その背後にはポール・ニッツェやアルバート・ウールステッターを中心とするグループが存在した。この人脈は後にネオコンと呼ばれるようになる。ラムズフェルドとチェイニーはロナルド・レーガン政権で地下政府プロジェクトのCOGに参加。レーガン大統領は1982年にNSDD55を出してCOGプロジェクトを承認、NPO(国家計画局)が創設された。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007)
ジョージ・H・W・ブッシュが大統領だった1991年にソ連が消滅、その翌年の2月に世界制覇を打ち出したDPG草案(ウォルフォウィッツ・ドクトリン)が作成された。作成の中心になったのはネオコンのポール・ウォルフォウィッツ国防次官だが、その時の国防長官はチェイニーにほかならない。
2001年1月にジョージ・W・ブッシュが大統領に就任、その年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、人びとはショックで茫然自失、それを利用してブッシュ・ジュニア政権はCOGを始動させ、軍事侵略を開始する。
ブッシュ政権は統合参謀本部の反対意見を押し切り、2003年3月にイラクを攻撃するが、計画通りには進まなかった。そこで同政権は2007年に方針を変更、ズビグネフ・ブレジンスキーのように、スンニ派の傭兵を利用することにする。
調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌の2007年3月5日号に書いた記事によると、ブッシュ・ジュニア政権は中東における最優先課題をイランの体制転覆におき、レバノンで活動しているイラン系のヒズボラ、イランの同盟国であるシリアを殲滅、そしてイランを倒すという計画を立てる。その手先としてスンニ派を使おうということだ。その中にはフセイン政権の軍人も含まれた。
この工作で中心的な役割を果たしたのは副大統領だったチェイニー、副国家安全保障補佐官のエリオット・エイブラムズ、2007年4月までイラク駐在米大使を務め、国連大使に内定していたザルメイ・ハリルザドで、ウォルフォウィッツ・ドクトリンの人脈と重なる。(Seymour M. Hersh, “The Redirection,” The New Yorker, March 5, 2007)
この新しい工作にはイスラエルとサウジアラビアが参加するのだが、記事の中でジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院のバリ・ナスルはサウジアラビアが動員するサラフィ主義者やムスリム同胞団は最悪の集団だと警告している。(Seymour M. Hersh, “The Redirection,” The New Yorker, March 5, 2007)
その後も状況が好転しないまま2009年1月からバラク・オバマ政権が始まる。オバマは師にあたるズビグネフ・ブレジンスキーの戦法を採用し、CIAの訓練を受けた戦闘員で武装集団を編成、その集団に戦わせようというのだ。
その戦闘員の登録リストが「アル・カイダ」にほかならないとイギリスの外相を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックが05年7月に書いている。CIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リスト、あるいはデータベースが「アル・カイダ」だというのだ。
オバマ大統領は2010年8月にPSD-11を承認、ムスリム同胞団を使った体制転覆作戦を始動させる。そして引き起こされたのが「アラブの春」。その流れの中でアメリカ、イギリス、フランスを含む国々がリビアやシリアに対する軍事侵略を始めた。
2011年2月に侵略戦争が始まったリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は同年10月に倒され、カダフィ本人はその際に惨殺された。その際にアル・カイダ系武装集団のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)とNATO軍の連携が明らかになる。反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられていた。
ジャーナリストのロン・サスキンドによると、例えばパキスタンの科学者がアル・カイダの核兵器製造開発を支援している可能性が1%あれば、それを前提に対応するべきだと主張した。いわゆる「1パーセント・ドクトリン」だ。(Ron Ruskind, “The One Percent Doctrine,” Simon & Schuster, 2006)
気に入らない相手は捻り潰せということだが、1991年12月にソ連が消滅した段階でアメリカが唯一の超大国になったとネオコンは認識、好き勝手に振る舞える時代になったと考えたのだ。
ところが、21世紀に入り、ウラジミル・プーチンがロシアの大統領に就任した後、ロシアが急速に経済力や軍事力を回復させ、新たなアメリカのライバルとして登場してきた。アメリカは軌道修正しなければならなかったのだが、ネオコンはそのまま突っ走ろうとする。そこでロシアを再属国化させようとするのだが、全て裏目に出た。ロシアは成長し、アメリカを含む西側諸国は衰退している。そうした道を切り開いたのはチェイニーだ。
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