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元CIA高官:公開されないJFKファイル1万件はイスラエルに関するもの
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2026.03.28 櫻井ジャーナル
アメリカ軍はキューバのグアンタナモを占領、そこに収容所を建設している。そこでは刑法にも戦争法にも縛られないとアメリカ政府は主張し、拷問も行われてきた。
CIAの対テロセンターで情報分析官を、またアメリカ上院外交委員会で主任調査官も務めた経験のあるジョン・キリアクーは2007年12月、CIAがウォーターボーディング(水責め)と呼ばれる拷問を行っているとCIAの同僚から聞いたと発言し、CIAの怒りを買う。そして2013年1月、彼は懲役30カ月の判決を受け、刑務所へ入れられた。
そのキリアクーが3月24日、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関するファイルのうち約1万件を未だに非公開していないと指摘、そこにはイスラエルに関する記述が含まれていると述べた。ケネディ大統領暗殺に関するファイルを全て公開することを義務付ける連邦法が存在するのだが、守られていないわけだ。
約1万件が未公開だということは、ケネディ大統領暗殺に関するファイルからイスラエルの情報機関に関する資料を全て削除しろというCIAの要求が拒否されたということでもある。本ブログでは書いてきたことで繰り返しになるが、イスラエルはイギリスの帝国主義者が中東を支配するために作り上げた国であり、シオニズムもその帝国主義者が作り上げたのである。「ユダヤ人」はカモフラージュのための幻影だ。
ケネディ大統領には敵が多かった。ソ連に対する先制核攻撃を目論んでいた軍や情報機関の好戦派、経済政策をめぐって対立していた大手鉄鋼会社、大統領令11110号を出して大統領が銀証券を発行する権限を財務長官に委任したことから巨大金融資本とそれぞれ対立していた。西側世界では、イスラエル、資本主義、貧困格差に批判的な人が権力を握ることは許されない。
またケネディ大統領はイスラエルの核兵器開発にも厳しい姿勢で臨み、1948年の「イスラエル建国」によって難民になったパレスチナ人の帰還権も認めていた。大統領はCIA(中央情報局)の解体を目論み、その代わりにDIA(国防情報局)を設置している。
テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、統合参謀本部のライマン・レムニッツァー議長やSACの司令官だったカーティス・ルメイなどは1963年の後半にソ連を奇襲攻撃る予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていた。楽勝できると思っていたのである。
ケネディ大統領はアメリカ軍をベトナムから撤退させることを決断、1963年10月にはNSAM(国家安全保障行動覚書)263を出した。アメリカ軍の準機関紙であるパシフィック・スターズ・アンド・ストライプス紙は「米軍、65年末までにベトナムから撤退か」という記事を掲載している。
しかし、この決定はケネディ大統領の暗殺で実行されていない。新大統領のリンドン・ジョンソンは1963年11月26日付け、つまり前任者が殺されて4日後にNSAM273を、また翌年3月26日付けでNSAM288を出し、ケネディのNSAM263を取り消してしまったのだ。(L. Fletcher Prouty, "JFK," Carol Publishing Group, 1996)
ジョンソンのスポンサーはシオニストの富豪、アブラハム・フェインバーグだった。この人物はシオニストの富豪で、彼が経営していたアメリカン・バンク・アンド・トラストはスイス・イスラエル銀行の子会社である。(Whitney Webb, “One Nation Under Blackmail Vol. 1,” Trine Day, 2022)
イスラエルの核兵器開発は欧米の富豪が資金を提供していた。そのひとりがハリー・トルーマン大統領のスポンサーでもあったフェインバーグである。ケネディ大統領はイスラエルのダビッド・ベングリオン首相と後任のレビ・エシュコル首相に対し、半年ごとの査察を要求する手紙を送りつけ、核兵器開発疑惑が解消されない場合、アメリカ政府のイスラエル支援は危機的な状況になると警告している。(John J. Mearsheimer & Stephen M. Walt, “The Israel Lobby”, Farrar, Straus And Giroux, 2007)
ケネディ大統領暗殺の1カ月後にイスラエルのディモナにある原子炉は臨界状態に達し、その後、順調に核兵器の開発は進んだ。1986年10月5日付けのサンデー・タイムズ紙に掲載された内部告発者のモルデカイ・バヌヌの話よると、イスラエルが保有する核弾頭の数は生産のペースから推計して150から200発で、水爆の製造に必要なリチウム6やトリチウム(三重水素)の製造もバヌヌは担当、別の建物にあった水爆の写真を撮影している。さらにイスラエルは中性子爆弾の製造も始めていたという。(The Sunday Times, 5 October 1986)なお、ジミー・カーター元米大統領の推測によると、イスラエルの保有する核弾頭の数は150発以上、最も多い推計値は400発だ。
ケネディ大統領の弟であるロバート・F・ケネディ司法長官が率いる司法省は1962年、AIPACの前身であるアメリカ・シオニスト評議会がイスラエル・ユダヤ人機関から資金提供を受けていると主張し、同評議会に外国代理人として登録するよう命令したが、これは66年にジョンソン政権がひそかに撤回、67年にはアメリカ・シオニスト評議会のフロント組織が、外国代理人として登録することなく、AIPAC(アメリカ・イスラエル公共問題委員会)となった。
1963年11月22日のケネディ大統領暗殺で中心グループのひとりと言われている人物がジェームズ・ジーザス・アングルトン。父親のヒュー・アングルトンと同じようにアレン・ダレスの側近として活動、CIAの秘密工作に深く関与している。
ジェームズ・アングルトンはイスラエルの情報機関とも緊密な関係にあり、オペレーション・レッドキャップを通じてリー・ハーヴェイ・オズワルドと直接つながっていたことが明らかになっている。ケネディ大統領を暗殺したとして逮捕され、警察署の地下駐車場で殺害されたオズワルドだ。アングルトンはイスラエルの核兵器開発にも協力していた。
この作戦はソ連国外にあるソ連政府施設を標的とした浸透および亡命勧誘作戦。若い軍人を募集し、ソ連の情報機関の餌としてソ連に送り込んでいた。オズワルドもそのひとりだったという。ソ連滞在中にアメリカの市民権を放棄したオズワルドは1962年6月にアメリカへ戻ったが、その際に拘留も逮捕もされなかった理由もそこにあるとされている。
ところで、ドナルド・トランプ政権は司法省が保有するジェフリー・エプスタインに関する約600万件の文書や映像、いわゆる「エプスタイン・ファイル」のうち約300万件を公開していない。しかも公開されたファイルは黒塗りだらけだ。それだけでなく財務省関係のファイルも公開していない。しかもエプスタインがライリー・キラリー私立探偵事務所を使い、自宅から6つの保管庫へ運び込んだコンピュータ、映像、写真、文書などを捜査当局は調べていないという。
エプスタインはロスチャイルド家をはじめとする世界の富豪と親しくしていたが、その裏ではイスラエルの情報機関の仕事をし、世界の要人の弱みを握って脅していた。
1970年代にイスラエル軍の情報機関ERD(対外関係局)に所属、87年から89年にかけてイツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めたアリ・ベン-メナシェによると、エプスタインはギレーヌ・マクスウェルや彼女の父親でミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルと同じようにイスラエル軍の情報機関、つまりアマンのために働いていた。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019)
エプスタインやギレーヌは幼児を含む未成年の女性を世界の要人に提供、さらに拷問、殺害、そして人肉を食べるというようなことも行われていた。彼らはその様子を撮影などで記録し、用人を脅すために使っていた。すでに世界的な著名人の名前が出ているが、隠されたファイルの中にはそれ以上の重要人物がいるのだろう。
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【櫻井ジャーナル(note)】
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