<■261行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> >>19山本太郎を、即刻、逮捕すべき 全文 「反原発ヒーロー「山本太郎」に私は無理矢理乱暴された! 」 『週刊新潮』 8/15・22号 2013年、pp. 24-28. 匿名の被害者「安西」さんは、たぶん、安室奈美恵 -----本文------ ご本人にすれば、様々な代償を払った末の快挙であろう。 五百円玉大にまでなった円形脱毛症に悩まされながら、 ようやく掴んだバッジの付け心地は格別なも のだったにちがいない。 「何かやらかしそう、と興味を持ってもらいたい。 くじかれないように、焦る気持ちを抑えながら、足を踏みしめたい」。 先の参院選で66万票余を獲得し、 東京都選挙区の4位で当選を果たした山本太郎。 8月2日に初登院し、国会前で100人もの支援者に囲まれた 彼はこう抱負を語っていた。 これまでの経歴に「国会議員」という肩書きが加わり、 今後の反原発運動は新たなステージに突入すると宣言している。 しかし、その彼の履歴には、 ひた隠しにしたい女性スキャンダルがあった。 「山本太郎は16年前、僕の知り合いの子をレイプしたんです。 当時彼女は17歳だった。 今回、その子から"あんな男が政治家になるのは許せない" と連絡がありました。 しかもあの時、山本はヤクザの組名を出し、 スキャンダルを揉み消したのです」。 そう語るのは、さる芸能プロダクションの幹部である。 俄かには信じ難い話だが、 彼を仲立ちにして被害女性と面談し、 聞き取った証言は真に迫り、思わず眉を顰めてしまう内容だ。 その告白は“反原発のヒーロ"とはかけ離れた 山本の実像を浮かび上がらせるものだったのである。 安西百合子さん(仮名) は横浜市出身の33歳。 現在は都内の飲食店に勤めている。 身長153センチの小柄な体格と、タレントの前田敦子似の童顔から、 実年齢よりずっと若く見える。 「当時、私はフリーターだったんですが、 バイトで知り合った友達と、 東京の青山通り沿いにあった「MUSE(ミューズ)」 というクラブによく遊びに行っていました。 山本さんと会ったのもそこです。時期は1997年9月の初め頃。 その日はベルベット地で豹柄のスカートを穿いていた記憶があるので、 夏の盛りが過ぎていたのは間違いありません」 と、安西さんは語る。 夕暮れに次の季節が混じり始めていたその日、 同じ横浜に住む短大生の高橋智美さん(仮名、当時19歳) と連れ立って、彼女はミューズへ出かけた。 すると隣のテーブルにいたのが山本だった。 彼は友達数人と来店しており、程なく話しかけてきたという。 山本はこの時22歳。 NHK朝の連続テレビ小説「ふ たりっ子」(98~99年)にヒロインの相手役で出演してブレイク、 俳優としての知名度は既に高かった。 彼女らも「あの人、山本太郎だよね」と囁き合っていたという。 「太郎さんが "いくつ?" と聞いてきたので、 "17です" って正直に答えました。 彼も豹柄の上着を着ていて、 "豹柄、お揃いだよね"とか話していたのを覚えています。 そのクラブには当時、 タレントや俳優さんはもちろん、 芸能プロの社長さんたちもよく来ていたので、 「芸能人」といっても特に珍しいわけでもなく、 また彼にさほど興味もなかったので、 適当にあしらっていました。 それで夜中の1時ごろになってお腹もすいてきたので、 智美ちゃんと“何か食べに行こうか" とお店を出ました。 すると、彼と、一緒にいた友達のうちの1人が 店の外まで追いかけてきて、"飲みに行こうよ"って誘ってきたんです」 店の前にクルマが横づけにされ、2人は強引に車内へ。 4ドアセダンの外車で、ステアリングは山本が握り、 助手席にその友人、後部座席に彼女ら2人が座った。 山本は運転中、 「ドラマの撮影で、クルマを運転するシーンがあって、 慌てて合宿に参加して運転免許を取ったんだけど、 結局、それはカットになっちゃった」などと話していたそうだ。 およそ10分後、どこかの飲食店を目指していたはずのクルマは、 広い公園の側道に停まった。 「そこで太郎さんが突然、 "鬼ごっこしようよ。ペアに分かれてさ" と言い出しました。 私たちは "こんな時 間に鬼ごっこ?" と思ったんですけど······。 すぐに彼の友達が智美ちゃんの腕を掴んで、 "さ、早く逃げよう" と強引に連れていっちゃったんです」 安西さんと2人きりになった山本は運転席を降り、 彼女の隣に乗り込んできた。 “事件”が起こったのは、その後である。 「しばらくは2人で話をしてたんですが、 会話が途切れた瞬間、彼が後ろから両腕をガッと掴んできて。 そのまま私の体を持ち上げて、 自分の膝の上に向こう向きのまま、乗せたんです。 もちろん私も必死で抵抗したんですが、 とにかくすごい力で・・・・・。 "え?何?" と思っているうちにパンツを下ろされて、 いきなり挿入してきました。 キスも前戯 もなしに.......。 ヤバいと思って、"イヤだ、止めて!" 痛い!痛い!”って 大声出して暴れたんですが、 彼は後ろから“大丈夫、大丈夫”と言うだけで、 止めてくれませんでした。しばらく彼が勝手に動いて、 5分くらいで果てちゃいました。 後で分かったことですが、 いつの間にか、 彼、しっかりコンドームをつけていたんです。 無理矢理乱暴され、 私、もう、呆然としちゃって......」 それから十数分後、 高橋さんが山本の友人に連れられて車に戻ってきた。 そこで安西さんはようやく我に返った。 「太郎さんの友達が助手席に乗り込むと、 "さっきの 店の辺りで降ろせばいいかな?" って聞いてきたんです。 ヤルことヤったら用済み、という感じでした。 クラブの前で降ろされて、 彼らはそのままどっかに行っちゃいました。 彼女に“大丈夫だった?" と聞いたら案の定、首を振り、 “公園のトイレでヤられちゃった” と。 彼の友達に男子便所の個室に連れ込まれ、 パンツだけずり下げられて、ヤられちゃった。 ただコンドームだけはつけてた"と。 全く同じ手口です。あまりにもショックで、 2人で電車 の始発を待つ間、 ほとんど会話もありませんでした」 計画的と思われる手馴れた手口、 "17歳" という被害 者の年齢---。 それだけでも到底許される話ではないが、 問題はさらにここからなのだ。 「いくらなんでも、あのやり方はひどいと思いました。 ただ、こんなことが親にバレるのは嫌だったし、 警察に行くのも怖かった。 智美ちゃんは大きな化粧品会社に就職が決まっていた時期で、 「これがバレて内定が取り消されるのはやだ」と話していました」 安西さんは迷った挙句、冒頭の芸能プロ幹部に 相談することにしたのだった。 その幹部が語る。 「安西さんからその話を聞いた瞬間、頭に血が上りました。 山本太郎にけじめをつけさせようと思ったんですけど、 さすがに僕自身が表に出て行くのはまずいと思い、友人に頼んだんです。 友人は電話で "この野郎、ただじゃおかねえぞ" と、 激しい言葉で詰ったらしい。 それで、太郎はすっかり怯えてしまった」 ここから話は急展開する。 「その翌日、“太郎は怖くなって、 知り合いの山口組系の二次団体の組に相談した" という話が聞こえてきました。驚きましたよ」(同) 再び安西さんが証言する。 「そのことを教えてくれた方に、 私も会って話を伺いました。 "もう太郎は、このレイプ事件の話を山口組傘下の 「怖い組』に持っていっている。 これ以上、関わると危ないから、よしなさい。 あとはこちらで何とかするから" と言われたんです。 私もヤクザと聞いて怖くなりました。 それに知り合いに迷惑かけるのも嫌だったので、 言われた通り我慢しました。 ただその間も、そしてその後も、 太郎さんからは一切謝罪の言葉はありませんでした」 こうして、諭された安西さんは矛を収めた。 だが、その山本が震災直後から “反原発のカリスマ”など持て囃され、 結果、参院議員にまでなるに至り、 長い間封印してきた忌まわしい記憶とともに、 沸々と怒りが蘇ってきたのだ。 「結局は泣き寝入りしたわけですが、 彼がやったことはあまりに卑劣です。 この16年間、親はもちろん、親しい友達にも 言わずに黙ってきましたが、 やっぱりあんな人が国会議員になるなんて許せない」 16年前のこととはいえ、 被害感情の強さは峻烈を極める。 彼女の告発に、今や「良識の府」の一員となった山本はどう答えるか。 これも国家の陰謀と宣うか。 しかし、初登院日に取材を申し入れたものの、答えずじまい。 そこで8月4日、東京・竹橋にあるBS放送のスタジオに現れた 彼を直撃した。すると、 「乱暴なんて、ないですよ。新潮さんにコメントしても、 メチャクチャにしか載せられないから」 被害女性が告発しているので、 きちんと答えて欲しいと告げたところ、 後日、彼はこう答えた。 「22歳で俳優をやっていて、 正直、 モテなかったわけじゃないです。 確かにやんちやはしていましたけど、 これまでの人生の中で、嫌がる女性に乱暴した上で 無理矢理、関係を結んだことは一度もなかったんです」 しかし、安西さんは、 「私が告発したことは真実です。どうしてそんな嘘がつけるんでしょうか」 と、憤りは増すばかりだ。 17歳の少女に性的暴行を働いたという山本。 そんな男の持論が「放射能から子供を守れ!」なのだから、 もはや何をか言わんやである。 しかも、彼には昨年結婚したばかりの夫人を巡って、 メディアを通じ、有権者に虚偽の情報を発信していた 疑いも浮上しているのだ。 ホステス転身の謎 ほの暗い店内に、時折響く女たちの笑い声。 カランと音を立て、水割りのグラスの中で氷が溶けた。 「お名前は何ですか。あ〜、 私の弟と同じ名前だぁ〜。 私、去年、人生が変わってしまうようなことがあって〜。 ちょっと、それは言えないんですけど」 男の膝の上に手を置き、 顔を覗き込むように見つめてくる女性。 その細い手が 左腕にからみついたかと思うと、 なまめかしい声が男の耳にまとわりつく。 「お願い。私、あのワインが飲みたい」 日本有数の歓楽街、大阪 ・北新地のとあるキャバクラ。 この店のナンバーワンを張っている女性の接客に、 下心のある客も少し気おされ気味に見える。 夜の世界ではよく見られる光景だが、 問題はこのホステスの素性である。 驚くなかれ、 実は 彼女、今や時の人となった山本議員の妻で、 夫と共に メディアに頻繁に登場して きた朱璃さん(20)なのだ。 「僕は国家権力と戦っている。 いつ狙われたり、足を掬われるか分からない」 「妻は、僕の母と一緒にフィリピンに行っています。 選挙は僕の戦いだから、妻まで巻き込みたくないので」 山本は昨年5月、当時1 歳のプロサーファーで、 ロングボード初代グランドチャンピオンの朱璃さんと結婚したばかりだ。 サーフィンで知り合ったのが縁である。 しかし選挙戦にはその妻の姿はなかった。 盛夏の参院選が幕を開け たばかりの7月5日。 怪訝に思った記者が「夫人の応援はないのですか」と 山本に尋ねたところ、返ってきたのが、先の答えだった。 彼をヒーローと崇める支援 者からすれば、 シビれる言葉にちがいない。 確かに、山本夫妻と彼の母親は、 将来さらなる原発事故が起こる可能性に備え、 フィリピン移住を計画していた。 そのため、山本の説明を不審に思う者はいなかった。 当選後の山本に密着した大手紙も、 〈その母はこの2月から太 郎さんの妻とフィリピンに移り住む〉 (8月2日付毎日 新聞夕刊) と報じているほどだ。しかし、である。 フィリピンにいるはずの妻の姿は大阪にあり、 豈図らんや、北新地でホステスとして働いているではないか。 同じ“水の世界" とはいえ、 何故、 ナンバーワン・サーファーは ナンバーワン・キャバ嬢に転身したのか? 「彼女は、昨年10月頃から、 新地のうちのキャバクラに勤めています。 最初はこちらもビックリしましたよ。 面接の際、スタッフが年齢確認のため、 パスポートのコピーを確認しているから、 山本朱瑠さん本人に間違いない。 彼女自ら店の幹部に "実は、私はあの山本太郎の妻でした。 他人に知られると騒ぎになるから、 それを隠してお仕事したいんですが、バレないでしょうか。 今まで彼の大阪の実家で義母と暮らしていましたが、 もう籍を抜いたので、そこを出ないといけません。 お金がいるから、ここで働かせてください” と事情を話すのは、店の元ホステスの一人だ。 「太郎さんの母親とうまくいかなかったそうです。 "彼はすごくマザコンで、気持ち悪い。 私との夜の営みも含めて、何でもお母さんに話してしまうんですよ" とこぼしていました」 ペルシャ絨毯の弁償? 山本議員がすでに離婚!? 朱璃さん自身がそう明かしていたというのだ。 少なくとも、結婚生活は破綻しているようで、 「妻はフィリピンにいる」とマスコミを通じ 有権者に発信してきた彼の弁は真っ赤な嘘だったわけである。 妻との破局が選挙戦に不利に働くと計算したのだろうか。 電力会社は 平気で嘘をつき、 不都合な事実を自分に都合よく脚色する、 というのがお説だったが、これは彼自身にも当てはまりそうだ。 大阪の山本の実家マンションを訪ねると、 彼の母親は不在。近所の住人が語る。 「最初は去年の春頃、お母さんが一人で引っ越してきた。 そして数カ月してから、 お嫁さんがやってきたんです。 でも、お母さんから話を聞いた人によれば、 結婚してわずか数カ月で離婚したそうですよ。 2人はうまくいかなくて、バチバチやりあってたんやて」 山本との別離を余儀なくされた彼女には、 さらなる試練が待っていたという。 店の客の一人がこう語る。 「お金に困っていると話してましたね。 何でも、結婚した時に作らされた自分の実印代と、 太郎さんのお母さんのペルシャ絨毯を汚した弁償で、 義母から50万〜60万円の支払いを迫られているとか。 親しくなった客には、金を貸してほしいと借金を申し込んでました。 でも頑張って、今では店のナンバーワンにまでなった」 気の毒な話だが、彼女の言によれば、 義母にお金を払うため、 手っ取り早く稼げそうな”お水の世界≠ノ飛び込んだということか。 「太郎のお母さんは気性が激しく、理解されにくいところがある。 母親が同居するかぎり、 彼が他の女性と普通の結婚生活を送れるわけがないと思っていました」 (芸能記者) 確かに山本自身もかつて週刊誌で、 「彼女ができない原因は母親にあるかも知れない。 あれ以上、おもろい女が出てこないんでね」 と語っている。 人間・山本太郎を形成する上で、 この母親の存在は極めて大きかったと言えそうだ。 母に培われた思想 山本は兵庫県宝塚市出身。1歳の頃、父親は亡くなり、 母親がペルシャ絨毯の輸入・販売などを手がけ、 女手ひとつで、二姉妹と末っ子の太郎の3人の子を育てあげた。 母親がかつて週刊誌に披瀝した話によれば、 "悪ガキ" の息子はお菓子の万引きなど 悪事も絶えなかったという。 布団たたきでお仕置きをしていたが、それでも、 「中学生時分、私の財布から毎日二、三万円盗み、 友達をタクシーでゲームセンターまで連れていき『豪遊』させてました」 (週刊朝日・9年4月23日号) と語っている。 その後、大阪・箕面市の中高一貫の私立校に進学した。 「太郎君はとにかく目立ちたがり屋。 学校の行事で、丸太をくり抜いてカヌーを作り、 淀川を下るというものがあった。 皆、休みも学校に来てカヌー作りに精を出したんですが、 太郎君は興味がないのか、全然手伝わなかった。 ところが当日は、取材に来たテレビカメラの前に張り付き、 映っていたのは彼ばかり。 "イェ〜イ" とピースサインし、頑張ってきた子たちは "なんでアイツが······" と苦笑いしてました」 (同級生) 高校に上がり、16歳で「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」 のダンス甲子園に出場。一躍人気者となったが、 学校に無断だったため問題になり、 結局、留年した後に高校を中退した。 その後、上京し、芸能活動に専念するようになったのはご承知の通りだ。 破天荒な10代を送った山本。 もっとも、彼の著書などによれば、 幼少の頃からボランティア精神も培ってきたというから意外だ。 それを叩き込んだのは、他ならぬ母親なのだとか。 〈お年玉とかもらうと必ず 何パーセントか 「税金」として取られて(笑)。 それを 社会貢献用に寄付させられてたんです〉 (『ひとり舞台』集英社刊) 彼は9年前に環境保護団体「グリーンピース」の サポーターになっているが、 最初にこの団体の情報をくれたのも母だったという。 「母親も環境問題にうるさく、 グリーンピースのサポートをしていた。 またフィリピンの貧しい子どもたちの里親になる ボランティア団体に所属し、 実際に里親にもなっていました。 その子どもたちに会うために、 小学生の頃の太郎さんも フィリピンのレイテ島などに何度か連れて行かれ、 極貧生活を体験させられています」 (芸能関係者) フィリピン移住計画も、 母親が主導したものらしい。 彼の異常なまでの反原発思想は、 環境問題に意識の高い母親の影響から生まれたと言えよう。 さて、健気に新地で働く朱璃さんに、 山本との別離の理由を尋ねたところ、 一瞬にして顔色が変わり、甘ったるい声はなりを潜めた。 「たぶん・・・・・・違います」 と奇妙な言い回しで否定したきり、 店の奥に引っ込んでしまった。 ならば、ここは山本議員に真相を聞かねばなるまい。 しかし夫人との破局やそれに関する嘘については、 彼がきちんと取材に応じることはなかった。 政治家としての資質が問われる問題に 説明責任を果たさなかったのである。 剥がれ落ちた反権力の仮面。 もっとも、彼を妄信的に崇拝する支持者や、 御輿として担ぎたい輩にすれば、 そのカリスマ性は微塵も揺るがないのだろうが......。
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