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※2025年12月26日 日刊ゲンダイ1面 紙面クリック拡大

※紙面抜粋

※2025年12月26日 日刊ゲンダイ2面
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「核武装」官邸が闊歩する隔世 こうして「戦後80年」は暮れていくのか
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/382236
2025/12/26 日刊ゲンダイ ※後段文字お越し

戦後の政治風景は一変、「核武装」官邸が闊歩する時代(C)日刊ゲンダイ
昭和100年、戦後80年が暮れようとしている。戦争世代が激減する中、先人の予言通り、戦争を知らない政治家の暴走が加速化している。平和国家の理念は忘れ去られ、「核武装」官邸が相変わらずの人気を誇る年の瀬にマトモな識者には言い知れぬ不安が広がっている。
◇ ◇ ◇
27日から9連休、26日が仕事納め、というビジネスマンも多いのではないか。
2025年は「昭和100年」「戦後80年」という節目の年だった。まがりなりにも日本は、戦後80年間、戦争をやらず、平和を守ってこられた。
しかし、このまま平和な時代がつづくのか、不安を強めている国民も多いのではないか。すでに「新しい戦前」「ポスト戦後」がはじまったという見方も飛びかっている。
実際、25年は、時代の転換点だった可能性が高い。象徴的だったのは、結局「戦後80年談話」を出せなかったことだ。
石破首相は、就任直後から「80年談話」を出すことを当然と考えていた。あの戦争について、戦後50年、60年、70年と、10年の節目ごとに歴代政権が「談話」を発表してきたのだから、当たり前といえば当たり前の話である。ところが、安倍派を中心とする右翼勢力が猛烈に反対し、圧力をかけ、潰してしまった。
しかし、石破が訴えていたことは極めてまっとうだったのではないか。石破は、こう訴えていた。
「なぜ、あの戦争をはじめたのか、なぜ避けることができなかったのか。検証するのは80年の今年が極めて大事だ」
「今年は敗戦後80年。今年を逃しては、あの戦争の検証はもうできない」
実際問題「80年談話」は、戦争を知っている人が残っている間に出せる最後の「戦後談話」だった。なにしろ、いまや戦後生まれが人口の9割である。戦争の語り部は、年を追うごとに急速に減っている。
これで「戦後談話」の慣行は途絶え、二度と出されることはないだろう。その意味でも、日本は「戦後」が終わり、「ポスト戦後」に突入した可能性が高いということだ。
立正大名誉教授の金子勝氏(憲法)はこう言う。
「後から振り返って、2025年は時代が変わる転換点だったと評価されても不思議ありません。ひとつは『日本人ファースト』を掲げる極右政党の参政党が、夏の参院選で大きく議席を伸ばしたことです。外国人排斥や戦前回帰を唱える政党が躍進するなど、10年前だったら考えられなかった。地殻変動が起きているのでしょう。その参政党に触発される形でタカ派の高市早苗さんが総理総裁に押し上げられた。政界全体が大きく右に舵を切り、日本の政治風景が一変したのは間違いありません」
もともと自民党のタカ派勢力は、平和憲法に縛られた「戦後」を終わらせたかった。25年は「戦後」が終わった年、ということになるのではないか。
2026年は安倍路線の総仕上げ

「平和を守る国」を破壊し、「戦争をする国」へ…(C)共同通信社
はたして2026年は、どのような年になるのか。一気にキナ臭くなるに違いない。すでに高市政権は、「戦争できる国」づくりに邁進している。
26年度の「防衛費」は、過去最大の9兆円超にするつもりだ。
1月召集の通常国会には、「スパイ防止法案」や「国旗損壊罪法案」「日本版CIA創設法案」など、戦争遂行に必要な法案を次々に提出する予定でいる。
「スパイ防止法案」は、すでに国民民主と参政党が独自案を国会に提出済み、「国旗損壊罪法案」も参政党が提出しているから、これらの法案はあっさり成立する可能性が高い。
日本維新との連立合意書に書き込んだ「武器輸出規制の撤廃」も、来年春には実現させる方針だ。
現在、防衛装備品の輸出には、いわゆる「5類型」の縛りがある。輸出可能な装備品は、殺傷能力の低い「救難、輸送、警戒、監視、掃海」の5類型に限られている。
「5類型」を撤廃したら、人殺し用の兵器がバンバン海外に売られるようになり、戦後築いた「平和国家」の形は大きく変わってしまうだろう。
さすがに、自民党の国防族からも「自分が左(派)になっていくんだと実感せざるを得ないスピード感で政府が進めていくので、ついていくのがやっとだ」と戸惑う声が上がっているほどだ。
とうとう、首相官邸では、高市側近が「日本は核兵器を保有すべきだ」と、記者団に持論を唱える始末だ。「核武装」を訴える幹部が官邸を闊歩しているのは、どう考えても異様なのではないか。しかも、更迭する動きもない。
政治評論家の本澤二郎氏が言う。
「日本の形は、ちょうど10年前、大きく変えられてしまった。憲法9条を持つ日本は、自国が攻撃された時に反撃できる『個別的自衛権』しか認められていなかった。なのに、安倍政権が閣議決定で『集団的自衛権』を行使できるように憲法解釈を変更し、2015年、強い反対を押し切って安保法制を成立させてしまった。それ以来、日本の軍拡は急ピッチで進んでいる。高市首相は、安倍路線の総仕上げをするつもりなのでしょう。これまでブレーキ役だった公明党が政権から離脱し、連立相手がアクセルを踏む日本維新に代わっただけに、一気に軍拡が進んでいく恐れがあります」
梶山静六の重い言葉
ヤバいのは、世論まで「戦時モード」になりつつあることだ。
高市首相が国会答弁で「台湾有事は存立危機事態になり得る」と発言したことで、日本と中国との関係は急速に悪化。日本経済への影響が懸念されている。
それでも、高市の対中姿勢を評価する声が圧倒的なのだ。
毎日新聞の調査では、日本の対中政策について「もっと中国に厳しく対応すべきだ」が55%と過半数を占め、「中国にはもっと柔軟に対応すべきだ」の24%を大きく上回っている。
戦前、ヒトラー率いるナチスは、不況と軟弱外交に不満を持つ人々に排外主義を訴え、バラマキを公約することで支持を獲得していった。インフレに苦しみ、国力が低下する日本は、あの時のドイツと同じなのではないか。
いったい、日本はどうなってしまうのか。
かつて田中角栄は、「あの戦争に行った連中が、この国の中心にいる間は大丈夫だが、いなくなった時が怖い」と語っていたという。
「戦争は、ひとつの『狂気』からはじまる」(ブックマン社)を出版したジャーナリストの鈴木哲夫氏はこう言う。
「当時、自民党幹事長をつとめていた梶山静六さんに話を聞こうと、早朝、議員宿舎を訪ねると、母親の遺影に手を合わせていた。梶山さんは母親について『強い人だったけど、兄が戦死した時、三日三晩、泣き通しだった。あの姿は忘れられない』と話し、『日本はねぇ、もう二度と戦争はやっちゃいけねえな』と語りだした。武闘派、剛腕のイメージが強かっただけに驚きました。陸軍航空士官学校を出た梶山さんは、あと半年、戦争がつづいていたら特攻隊員として出撃していたそうです。夫人によると、晩年、2人で鹿児島の知覧飛行場の跡地に行った時、現地で梶山さんはずっと声を上げて泣いていたといいます。戦争は悲惨だ、絶対やっちゃいかん、が口癖だったそうです。梶山さんに限らず、野中広務さんにしろ、戦争を体験している政治家は、戦争はダメだ、という考えだった。いま、彼らが生きていたら、なんと言うか、考えさせられます」
先人の心配通り、戦争世代が激減し、戦争を知らない政治家が暴走している。こうして「戦後80年」は暮れていく。
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