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イスラエルは合意されていた被拘束者の交換リストからパレスチナ側の要人を削除
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202510100001/
2025.10.10 櫻井ジャーナル
ガザにおける和平合意の第1段階をクリアしたと宣言されたのは10月8日のことだが、その直後にイスラエル軍の戦車はガザ北部へ戻ろうとしていた一般市民に対して発砲、その一方でイスラエル政府は合意されていた被拘束者の交換リストから重要人物を排除した。
その重要人物には、パレスチナで最も人気のある政治家で、大統領選挙が実施されれば確実に当選されると言われているマルワン・バルグーティが含まれている。そのほかパレスチナ解放人民戦線の指導者アフメド・サアダト、ハマス幹部のハッサン・サラマ、やはりハマス指導者のアブドラ・バルグーティもリストから削除されたという。停戦が合意されたなら約束を守る必要はないとイスラエル政府は考えているようだ。
ちなみに、アメリカ政府が仲介したイスラエルとハマスの停戦協定によると、拘束されていたイスラエル人はイスラエルの刑務所で拘束されているパレスチナ人2000人と交換されるのだが、解放されるパレスチナ人のうち1700名はガザで拉致され、起訴もされていない人びと。女性や子どもを含む一般市民だ。
今年1月にも停戦が合意され、第一段階でハマスは子ども、高齢者、女性、負傷した男性を含むイスラエル人捕虜33人を解放し、イスラエルは約90人のパレスチナ人(主に女性と子供)を解放した。ついでハマスはイスラエルの女性兵士4人、イスラエルはパレスチナ人200名をそれぞれ解放、2月にはイスラエル人の遺体と引き換えにイスラエルは数百人のパレスチナ人を解放したものの、3月にイスラエルは合意を破棄した。
現在のイスラエルはベンヤミン・ネタニヤフが率いるユダヤ教カルトに支配されているが、かつては労働党が実権を握っていた。その構図を変えた一員は1970年代に入ってアメリカのキリスト教カルトが「修正主義シオニスト世界連合」を支援するようになったから。その結果、リクードが登場してくる。
しかし、1981年6月30日に予定されていたイスラエルの選挙では労働党がリクードを大きくリードしていた。その状況を変えたのが6月7日に実行されたイラクのオシラク原子炉に対する空爆。イスラエル国内では支持された。
7月17日にイスラエル軍はPLOに対する大規模な空爆を実施するが、ブライアン・アークハートNATO事務次長の説得で停戦が実現。イスラエルのアリエル・シャロン国防相も準備不足だとして停戦を望んでいたと言われている。
そのシャロンは1982年1月にベイルートを極秘訪問、キリスト教勢力と会い、レバノンにイスラエルが軍事侵攻した際の段取りを決めた。その月の終わりにはペルシャ湾岸産油国の国防相が秘密裏に会合を開き、イスラエルがレバノンへ軍事侵攻してPLOを破壊してもアラブ諸国は軍事行動をとらず、石油などでアメリカを制裁しないように求めた。
1982年6月に3名のパレスチナ人がイギリス駐在のイスラエル大使を暗殺しようとするが、この3名に暗殺を命令したのはアラファトと対立していたアブ・ニダル派だった。イスラエル人ジャーナリストのロネン・ベルグマンによると、暗殺を命令したのはイラクの情報機関を率いていたバルザン・アッティクリーティだという。(Ronen Bergman, “Rise and Kill First,” Random House, 2018)
この出来事を口実にしてイスラエル軍はレバノンへ軍事侵攻するが、8月21日にアメリカの仲介で戦闘は終結、西側諸国が監視する中、パレスチナの戦闘員は9月1日までにベイルートから撤退。西側諸国は難民と難民キャンプの保護が保証された。
撤退の直後、イスラエルのメナヘム・ベギン首相はレバノンのバシール・ジェマイエル大統領と会談し、イスラエルとの和平条約への署名を強く求めたが、イスラエルとの和平条約の締結を拒否し、残存するPLO戦闘員を掃討するための作戦を承認しなかった。
パレスチナ難民の安全を保証していた国際部隊は9月11日にベイルートから撤退、ジェマイエルは9月14日に暗殺され、その翌日にイスラエル軍は停戦協定を無視して西ベイルートへ侵攻するが、パレスチナ難民キャンプへはファランヘ党の部隊を入れることにしていた。
ファランヘ党を中心とする部隊は9月16日、イスラエル軍から提供されたジープに乗り、イスラエル軍から提供された武器を持ち、イスラエル軍の命令に従って行動、サブラとシャティーラの難民キャンプに侵攻し、大量虐殺を始めた。1万数千名の市民が殺されたとされている。その際、レイプなどの残虐行為も行われたという。
パレスチナ人を虐殺したのはレバノンのファランヘ党だが、そのファランヘ党にパレスチナ人を虐殺させたのはイスラエルであり、反イスラエル感情は世界に広がる。
それを危惧したロナルド・レーガン米大統領は1983年、メディア界で大きな影響力を持つルパート・マードックとジェームズ・ゴールドスミスを呼び、軍事や治安問題で一緒に仕事のできる「後継世代」について話し合っている。それがBAP(英米後継世代プロジェクト、後に米英プロジェクトへ改名)。そのプロジェクトには編集者や記者も参加、有力メディアのプロパガンダ機関色は強まった。現在、ガザではサブラとシャティーラでの虐殺をはるかに上回る大量虐殺が展開されているが、西側の有力メディアのイスラエル批判は弱い。
イスラエルだけでなく、アメリカやイギリスのシオニストも約束を守らない。ロシアもウクライナで煮湯を飲まされ、停戦協定を拒否、和平協定にも慎重だ。
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【櫻井ジャーナル(note)】
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