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身動きが取れなくなったトランプ政権は石油タンカーを拿捕するパフォーマンス
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202512120000/
2025.12.12 櫻井ジャーナル
ドナルド・トランプ米大統領によると、12月10日にアメリカの沿岸警備隊が海軍の支援を受け、ベネズエラ沖でキューバに向かっていた石油タンカーを拿捕した。そうした作戦を実行しなければならなかった理由は示されず、単なる海賊行為だと考える人も少なくない。キューバ系のマルコ・ルビオ国務長官はベネズエラを軍事侵攻した後、キューバの体制を転覆させようとしているとされている。
アメリカがカリブ海に艦隊を入れてベネズエラを威嚇し始めたのは今年8月のことだった。9月からトランプ政権は「麻薬密売船」だとして小型船を約20回にわたって爆撃し、少なくとも80人を殺害している。11月16日には空母ジェラルド・R・フォードが5隻の艦船を伴ってカリブ海へ入り、閉鎖されていたプエルトリコの海軍基地を修復して使えるようにした。
アメリカ軍はすぐにでもベネズエラへ軍事侵攻すると言われたが、10月下旬にロシアのアヴィアコン・ジトトランス所属のIl-76TD輸送機がベネズエラへ何かを運んだ頃からアメリカ軍の勢いは急速に弱まっている。
アヴィアコン・ジトトランはロシア軍や傭兵会社ワグナーの貨物を輸送したとしてアメリカから「制裁」されていることから軍事物資、あるいは戦闘員を輸送したのではないかと言われている会社。ロシアのスペツナズ(特殊部隊)もベネズエラへ入ったとする話も伝えられた。
11月上旬には2機のB-52爆撃機をベネズエラへ向けて飛行したが、この時、B-52は陸地から約100キロメートルの地点でロシア製防空システムであるS-300に照準を合わされ、基地へ引き返している。ベネズエラはそのほか、中低高度の防空システムであるブークM2e、シリアで有効性が証明された近距離対空防御システムのパンツィリ-S1も配備したとされている。アメリカ軍がベネズエラへ軍事侵攻した場合、こうした防空システムの洗礼を受けることになるわけだ。
かつて中南米はアメリカの「裏庭」だと言われた。アメリカの巨大資本が軍事独裁政権を使って支配する植民地だったのだ。
ヨーロッパの富豪は膨大な資産を保有しているが、その基盤は十字軍が中東から盗み出した知識、そして15世紀から17世紀にかけてスペインやポルトガルが南アメリカから盗み出した金や銀を含む財宝だ。盗んだ財宝を運ぶスペインやポルトガルの船を海賊に襲わせ、横取りしていたのがイギリスである。
その後ラテン・アメリカはスペインの支配下にあったが、19世紀の終盤、アメリカは南への侵略を始める。国内で先住のアメリカ・インディアンを殲滅、土地の支配も一段落したところで新たな略奪先としてラテン・アメリカに目をつけたわけである。
侵略戦争を始める切っ掛けは1898年に引き起こされた出来事。アメリカの軍艦メイン号がキューバのハバナで爆沈したのだ。船に積まれていた火薬が爆発したのだが、アメリカは水雷による攻撃が原因だと主張、戦争に発展した。事故説やアメリカ側の自作自演説を信じる人は少なくない。
事件の前からキューバをめぐってアメリカとスペインとの間では軍事的な緊張は高まっていた。ウィリアム・マッキンリー米大統領は外交的に問題を解決したいと考えていたが、アメリカの新聞はアメリカ国民を煽り、戦争へと駆り立てる。メイン号の事件は外交的解決への道を閉ざすことになり、大統領は開戦に踏み切った。
戦争はアメリカの勝利で終わり、スペインはキューバの独立を認め、アメリカがキューバを支配することになった。さらにプエルトリコ、グアム、フィリピンをアメリカは買収する。フィリピンは中国を侵略するための拠点になった。
マッキンリーは1901年にニューヨークで暗殺され、副大統領から昇格したのがセオドア・ルーズベルト。新大統領は軍事力を使った侵略に前向きで、「棍棒外交」を展開することになる。最初のターゲットがベネズエラだった。
ベネズエラでは1998年に選挙があり、ウゴ・チャベスが勝利。チャベスは1999年2月から大統領を務め、アメリカが支配する仕組みを壊してしまう。その時代に副大統領だったのがニコラス・マドゥロにほかならない。
2001年にアメリカ大統領となったジョージ・W・ブッシュは、その翌年からチャベス政権を倒すための秘密工作を始めた。工作の中心にはイラン・コントラ事件に登場したエリオット・エイブラムズ、キューバ系アメリカ人で1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務めたオットー・ライヒ、そして1981年から85年までのホンジュラス駐在大使を務め、2001年から04年までは国連大使、04年から05年にかけてイラク大使を務めたジョン・ネグロポンテがいた。
ホンジュラス駐在大使時代、ネグロポンテはニカラグアの革命政権に対するCIAの秘密工作に協力、死の部隊(アメリカの巨大企業にとって都合の悪い人たちを暗殺する組織)にも関係している。クーデターが試みられた際、アメリカ海軍の艦船がベネズエラ沖に待機していた。ウィキリークスが公表したアメリカの外交文書によると、2006年にもベネズエラではクーデターが計画された。
2007年にアメリカの支配層はベネズエラの体制を転覆させるため、「2007年世代」を創設、09年には挑発的な反政府運動を行った。こうしたベネズエラの反政府組織に対し、NEDやUSAIDといったCIAの資金を流す組織は毎年40004万ドルから5000万ドルを提供していた。
その2年前、つまり2005年にアメリカの支配層は配下のベネズエラ人学生5名をセルビアへ送り込んでいる。そこにはCIAから資金の提供を受けているCANVASと呼ばれる組織が存在、そこで学生は体制転覆の訓練を受けている。このCANVASを生み出したのは1998年に組織されたオトポール!なる運動だ。
この運動の背後にはCIAの別働隊であるIRIが存在した。このIRIは20名ほどのリーダーをブダペストのヒルトン・ホテルへ集め、レクチャーする。講師の中心的な存在だったのは元DIA(国防情報局)分析官のロバート・ヘルビー大佐だ。
抗議活動はヒット・エンド・ラン方式が採用された。アメリカの政府機関がGPS衛星を使って対象国の治安部隊がどのように動いているかを監視、その情報を配下の活動家へ伝えている。このとき、アメリカは情報の収集や伝達などでIT技術を使う戦術をテスト、その後の「カラー革命」におけるSNSの利用にもつながった。(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018)
体制転覆の企てが成功しなかった理由のひとつはチャベスのカリスマ性にあったが、そのチャベスが2013年3月、58歳の若さで死亡する。その後継者が現大統領のニコラス・マドゥロだ。
生前、チャベスは、アメリカ政府が南アメリカの指導者を癌にしているのではないかと発言している。ブラジルのジルマ・ルセフ大統領、ルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シルバ元大統領、そしてパラグアイのフェルナンド・ルゴ大統領が相次いで癌になっていた。癌を誘発する物質やウイルスはあるので、不可能なではない。
同じ時期にアルゼンチンのクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル大統領も甲状腺癌だとされ、手術したが、後に癌でなかったとされている。なお、キルチネル大統領の夫、ネストル・カルロス・キルチネル元大統領は2010年に心臓病で死亡している。
死の前、ネストル・キルチネルは映画監督のオリバー・ストーンに対し、ジョージ・W・ブッシュ米大統領が戦争は「経済活性化」の手段だ力説していたと語っている。その様子はドキュメンタリー映画「国境の南」に納められている。
ところで、2014年2月から5月にかけて反政府行動があった。その指導者のひとりだったフアン・グアイドは2019年に大統領を自称する。この人物はカラカスの大学を卒業した2007年にアメリカのジョージ・ワシントン大学へ留学している。
グアイドを利用したクーデターは失敗、現在、アメリカの手先として活動しているのはマリア・コリーナ・マチャド。今年のノーベル平和賞受賞者だ。この人物は今年11月5日から6日にかけてマイアミで開かれたアメリカ・ビジネス・フォーラムのイベントにリモートで登場、ベネズエラからニコラス・マドゥロ大統領を排除すれば、1兆7000億ドルの投資機会がアメリカの巨大企業へもたらされると主張していた。ノーベル平和賞の受賞もベネズエラにおける「クーデター劇」の演出に含まれていたのだろう。
ウクライナでロシアに負けたアメリカは、ラテン・アメリカや東アジアで「世界の支配者」というイメージを復活させようとしているが、その前にはロシアと中国が立ちはだかっている。このふたつの国と自らが戦うことはできない。振り上げた拳を下ろすわけにいかないトランプ政権は海賊行為で逃げたのかもしれない。
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