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イスラエルとの軍事関係を強化している米国だが、イランとの戦いでも劣勢
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202606050000/
2026.06.05 櫻井ジャーナル
イスラエルは建国前からパレスチナで先住のアラブ系住民を虐殺しているが、ベンヤミン・ネタニヤフ政権になってから「皆殺し」の様相を強め、アメリカ国内でもイスラエルに批判的な人が増え、アメリカ軍の内部にも、イスラエルのために戦いたくないと考える人が少なくないようだ。
そのアメリカの下院で5月26日、2027年度国防権限法案(NDAA)が公表された。下院軍事委員会のマイク・ロジャース委員長(共和党)とアダム・スミス議員(民主党)によって提出されたもの。特に注目されているのは第224条の「アメリカ・イスラエル防衛技術協力イニシアチブ」だ。
この条項は両国の研究開発、兵器の共同生産、合弁事業、ライセンス契約、そしてあらゆる形態の軍産複合体協力の基盤を築くもので、AI、量子技術、自律システム、指向性エネルギー、サイバー、バイオテクノロジーなど、軍事技術のほぼすべての分野における連携が拡大する。さらに「ネットワーク統合」や「データ融合」も提案され、イスラエルは事実上、米軍のあらゆるデータにアクセスできるようになる。この法案は国防総省内に両国間の協力と統合を調整する執行機関を設置することも義務付けている。現在、イスラエルはアメリカ軍を自分たちの軍隊であるかのように使っているが、そうした傾向が強まる可能性が高い。
ワシントンDCでこの法案に意を唱えた共和党のトーマス・マッシー議員は5月19日に実施された11月の中間選挙の候補者を決める予備選挙で敗北。同議員はジェフリー・エ プスタイン氏に関する文書を司法省に公開させる取り組みを主導していたことでも知られ、ドナルド・トランプ大統領の反感を買っていた。
1979年にパーレビ体制がイスラム革命で倒された後、イスラエルやアメリカのシオニストは革命体制を転覆させ、親イスラエル体制を再建しようとしてきた。ウェズリー・クラーク欧州連合軍(NATO作戦連合軍)の元最高司令官によると、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されてから10日ほど後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺はイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、イラン、スーダンを攻撃対象国リストに載せていたという(3月、10月)が、これはネオコンの計画にほかならず、イスラエルとアメリカは残されたイランを破壊しようとしている。
パーレビ体制は1925年に始まる。陸軍の将校だったレザー・ハーンがテヘランを占領、カージャール朝を廃してレザー・シャー・パーレビを名乗り、王位についたのだ。その背後にはイギリスが存在した。
1908年5月、ペルシャと呼ばれていた当時のイランで世界最大規模の油田が発見され、その翌年にAPOC(アングロ・ペルシャン石油)が創設され、バーマー石油の会長だったストラスコナ男爵(ドナルド・スミス)が会長に就任。そして1919年、イギリスはペルシャを保護国にしている。APOCは1935年にAIOC(アングロ・イラニアン石油)へ名称を変更した。
AIOCを通じ、イランの石油はイギリスを支える。同社が計上した利益は1950年だけで1億7000万ポンドだが、そのうち1億ポンドがイギリスへ渡されている。イランが受け取る比率は、イギリス政府へ税金を支払った後の10から12%にすぎない。(Richard J. Aldrich,"The Hidden Hand," John Murray, 2001)
石油が生み出す利益の大半をイギリスの巨大企業と王族が独占する現実にイラン国民は不満を募らせ、1951年に実施された選挙で選ばれた議会はAIOCの国有化を決める。その時、首相に就任したのはモハンマド・モサデクだ。
そこでイギリスの情報機関はアレン・ダレスに接近した。当時、ダレスは「民間人」だったが、アメリカの情報機関を彼が統括していることをイギリスは熟知していた。イギリスでは1951年10月にウィンストン・チャーチルが首相に復帰し、その圧力で1952年7月にモサデク首相は辞任するが、国民の反発で復活。そこでイギリスは経済戦争を仕掛けて追い詰め、クーデターでモサデク政権を倒そうとする。
1953年1月にアメリカ大統領となったドワイト・アイゼンハワーは国務長官をジョン・フォスター・ダレスに、またCIA長官にジョンの弟であるアレン・ダレスを据えた。言うまでもなく、ダレス兄弟はウォール街の大物弁護士。ふたりが所属するにモサデクを排除しなければならない事情があった。ダレス兄弟はふたりとも弁護士で、サリバン・アンド・クロムウェルという法律事務所の顧客リストにはAIOCも含まれていた。
1953年3月にアレン・ダレスはNSC(国家安全保障会議)でイランにおける革命の危機を訴えたが、会議に出席した人の約半数はクーデター計画に反対ていた。それでも大統領は3月中に計画を承認、5月中旬にアレン・ダレスは部下をキプロスに派遣、現地のMI6(イギリスの対外情報機関)要員と情報の交換を行っている。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)
クーデターでモサデク政権は倒されてパーレビ体制が復活、米英の巨大資本はイランを食い物にする。その略奪体制が終わるのが1979年の革命だ。イスラエルはそのイランの体制を転覆させようとしているのだが、その背後にはアメリカやイギリスが存在していると考えるべきだろう。
帝国主義国によって民主的な政権を倒され、傀儡体制に支配された経験をイランの国民は忘れていない。アメリカやイスラエルの攻撃に屈することはないだろう。
そのイランのマスード・ペゼシュキアン大統領は先週、パキスタンのシャバーズ・シャリフ首相と非機密回線を使った電話会談を実施した。両国はアメリカとイスラエルに傍受させることが目的だったと考えられている。その中でペゼシュキアン大統領はアメリカの攻撃が続く場合、核和平交渉からの即時撤退、将来の核条約枠組みの完全放棄、イラン領土内での核爆発という3段階の「最後通牒」を伝えたという。同じ内容の話をマルコ・ルビオ国務長官はパキスタンのイシャク・ダル外相から電話で伝えられたという。パキスタンの背後には中国とロシアが存在していると見られている。イランが核弾頭を保有しているとするならば、それは「友好国」から入手したということになるだろう。
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