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石川さゆり「津軽海峡・冬景色」は、1976年に発売されたアルバム『365日恋もよう』の収録曲の一つとして制作されました。
このアルバムは、1年を12曲で表現するコンセプトで作られ、その12月の曲として「津軽海峡・冬景色」が選ばれました。作詞は阿久悠、作曲は三木たかしが担当し、石川さゆりの新たな挑戦として世に送り出されました:
石川さゆり「365日 恋もよう」阿久悠作詞 三木たかし作曲 1976.11.25 リリース
石川さゆり 07 「365日 恋もよう」 (1976.11.25) ◎レコード音源
01. 伊那の白梅 (1月) 00:00
02. 雪まつり (2月) 04:53
03. 流しびな (3月) 08:00
04. 花供養 (4月) (14A、1976.10.1) 12:36
05. 日豊本線 (5月) 16:48
06. 雨降り坂 (6月) 21:32
07. 螢の宿 (7月) 25:05
08. 瀬戸の花火 (8月) 27:57
09. 私の心の赤とんぼ (9月) 31:17
10. 千本松原富士を見て (10月) 35:09
11. 横浜暮色 (11月) 38:52
12. 津軽海峡・冬景色 (12月) (→15A、1977.1.1) 42:06
石川さゆり は 76年よりそれまでの作家からチェンジしてヒットメーカー・阿久悠&三木たかし作品をメインにシングル展開していく中で、このコンビで制作したオリジナル・アルバムである本作からシングル・カットした「津軽海峡・冬景色」が70万枚超の大ヒット。これによって77年に紅白歌合戦初出場を果たし、この曲を紅白で10回以上歌唱するほど時代を超え親しまれる代表曲になりました。
全曲 阿久悠作詞&三木たかし作曲作品で統一されており、「津軽海峡〜」を生み出すほどなので力が入っていて、全12曲それぞれ1月〜12月まで季節の移り変わりを描きながら、少女が恋愛を通して大人になっていくまでを描いたカレンダー・アルバム的コンセプト。
しかも阿久悠さん談"日本の風景・風物の中に、そして、日本の季節の中に、石川さゆりを立たせてみたかった。"ということで1月は長野県伊那谷、2月は北海道札幌、3月は鳥取流しびな…と季節に合った舞台をセレクトし、それぞれご当地ソング的で全国津々浦サウンド・トリップ的な楽しみ方もできる凝った作りです。
やはりエンディングに据えられた「津軽海峡〜」の名曲ぶりが際立ちますが、全体に演歌色は強くなく、基本的には軽めのアイドル演歌的なイメージ。
桜田淳子「花物語」バリに語りが入る「流しびな(3月)」、ひとり旅を爽やかに歌った「日豊本線(5月)」、ちょっとポップな「雪まつり(2月)」がお気に入りです。
ラスト2曲「横浜暮色」「津軽海峡〜」で急に大人びた表情に変わって(しかも前者はAOR歌謡で超クール)、これが さゆりさんの転機になった気がします。
http://hogemal.blog.fc2.com/blog-entry-2282.html
熊本出身の石川さゆりは小学5年生の時に神奈川へ転居。
私の住まいからわりと近い地域に住み中学3年の時フジTVの「ちびっ子歌謡大会」に出場し
1973(昭和48)年に「かくれんぼ」で歌手デビュー。
なかなかヒット曲にはめぐまれず、13枚目のシングルより 阿久悠、三木たかしコンビに楽曲を提供してもらいますが、「十九の純情」「あいあい傘」「花供養」と3曲続けてヒットには至りません。
次はなんとかしなくてはという思いから 12曲作りその中からシングルを1曲選ぶという 一か八かの作戦に出ました。その12曲が「365日恋もよう」の収録曲です。
この企画がいかに素晴らしかというと、1月から12月までの12か月を歌った歌というだけではなく
それぞれがご当地ソング的に日本中の別々の地域を舞台にした恋の歌として作られたこと。
曲目は
1月は伊那谷を舞台にした「伊那の白梅」
2月は札幌を舞台にした「雪まつり」
3月は鳥取を舞台にした「流しびな」
4月は前のシングル「花供養」
5月は九州、日豊本線を舞台にした「日豊本線」
6月は長崎を舞台にした「雨降り坂」
7月は琵琶湖を舞台にした「螢の宿」
8月は高松を舞台にした「瀬戸の花火」
9月は淡路島を舞台にした「私の心の赤とんぼ」
10月は静岡の駿河湾を舞台にした「千本松原富士を見て」
11月は横浜を舞台にした「横浜暮色」
そして、12月が「津軽海峡・冬景色」でした。
コンサートで「津軽海峡・冬景色」を歌ったところ、ファンから「シングルで出して欲しい」という要望が多かったため、シングル化へ。
翌年、1977(昭和52)年1月1日にシングルカットされた「津軽海峡・冬景色」はご存知のように大ヒットし、同年の第19回日本レコード大賞歌唱賞、第6回FNS歌謡祭最優秀グランプリを受賞し、同年末の第28回NHK紅白歌合戦への初出場も果たしました。
阿久悠の作品の中でもこの曲の詞は代表的な傑作といわれていますが、1988(昭和63)年昭和の終わりとともになくなった青函連絡船を象徴する歌としてずっと歌い継がれる名曲です。
作曲は三木たかしですが、意外なのはこの曲は曲先という手法で作られたということ。
つまり、先に三木たかしがメロディをつくって、それに阿久悠が詞をハメ込んでつくられました。
♪ 上野発の夜行列車 おりた時から
青森駅は 雪の中〜
この歌詞は曲を先にしたことから生まれた歌詞です。
うえの・はつの・やこう・れっしゃ・おりた・ときから
あおもり・えきは・ゆきのなか
この3・3・3・3・3・4 4・3・5の字数に注目。
演歌系の曲としては実に変則的です。
詞が先だったら なかなかこの字数は思いつかなかっただろうと阿久悠は後に語っています。
しかもこのメロディを与えられたために 2行で上野から青森まで移動できたそうです。
定形の七五調だったら四行使ってもまだ上野駅にいたかもしれないと述懐しています。
阿久悠さんはこの詞を書く前に青函連絡船に乗ってロケハンをしているようです。
詞、曲、歌唱の素晴らしさを改めてこの作品に感じます。
https://ameblo.jp/dam-oyaji/entry-11438176057.html
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