http://www.asyura2.com/26/cult51/msg/200.html
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矢作教授は医師として人は死なないと本を書いた。
僧侶になった女医も死後はあると断言した。
田坂教授は、物理学者として死は存在しないと書き、ゼロポイントフィールドという情報場に戻ると踏み込んだ。
数学者は、宇宙が一つであると言い張るのが難しくなったと言い出し、量子力学から派生する宇宙論は、留まる事を知らない。
人間が天体の欠片であり素粒子の塊である事は紛れもない事実であるから、その中間的存在である人間が、宇宙全体を貫く法則に反して、特殊な変化をするというのは考え難く、他と同じような輪廻をすると考えるのが自然で、唯物論の物質分解だけというのも不自然で、私は神道の万物に神が宿るではないけれども、ガスやヘリウムからやり直しを経てまた人間になるのだろうと考えたが、いずれにしても死んだら無というのは、なりたくても難しいと思う。
本題に戻ると、安楽死には言い尽くされた問題は私もあると思う。
しかし、然るべき機関が死後を定義する事で殆どの問題が解決すると考えている。
何故ならば、死後があるとか無いとかハッキリすると、人生観がガラッと変わってしまうからで、それは希望者の多数を占めると思われる重度の末期患者すら考え方を変えてしまうと思う。
個人的には、不治の病すら治ってしまうと思っているが、それは極端として、死を考える者の苦悩の多くは、死後が曖昧である事からくる恐怖感がかなりを占めていると思われ、鶏と卵だが、それが治療の苦痛を倍増させている気がして、死後がハッキリしていれば、安楽死を選ぶ者も安心して臨めるし、多くは、死後もあって安心だし、いつでも死ねる訳だから、もう少し頑張ってみるかと死にたい理由が半減する気がする。
日本でも安楽死が議論されているが、指摘され尽くしている問題点を議論するのもいいが、世界初の死後の定義を期待したい。
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