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なぜ共産主義国家は「この世の楽園」ではなく、「貧困と独裁と粛清の国家」となってしまうのか
https://www.youtube.com/watch?v=65URMbvU4L4
[要約]<共産主義の理想はなぜ「地獄」へと変貌したのか:人間の本質への無知が招いた悲劇>
私は今日、共産主義という思想が、なぜ当初掲げた「みんなが平等で争いのない理想国家」という輝かしい目標とは裏腹に、歴史上ことごとく凄惨な独裁や粛清、そして貧困を招いてしまったのかについて、深く考えさせられました 。マルクスが夢想した世界は、資本家による労働者の搾取をなくし、格差のない社会を作ることだったはずです 。しかし、現実にはスターリンや毛沢東、ポル・ポトといった指導者たちが、何千万という人々の命を奪う結果となりました 。
この凄まじい乖離の根本原因を探っていくと、そこには「人間とは一体どういうものなのか」という、人間の実装に対する致命的な無知があったのではないかと強く感じます 。もし、マルクスやその追随者たちが仏教の教えを知っていたら、これほどまでに残酷な歴史を歩むことはなかったのではないか——そんな思いを抱きながら、共産主義が独裁へと走る構造的な欠陥を、3つの視点から整理してみたいと思います 。
1. 「力による変更」が命の尊厳を奪う
まず、共産主義思想の最も恐ろしい点は、目的達成のためには「力(暴力)による変更」を厭わない、という大前提です 。
現代の民主主義国家では、話し合いや多数決による合意形成を重んじますが、共産主義は違います 。資本家から富を強制的に還元させる過程で、彼らの抵抗を打破するために「階級闘争」や「暴力革命」を正当化するのです 。
マルクスの『共産党宣言』にある「目的はこれまでの秩序を暴力的に転覆することによってのみ達成される」という言葉が示す通り、そこには「理想実現のためには人命が失われても仕方ない」という極めて危うい思想が根底にあります 。この「人命軽視」の思想こそが、スターリンや毛沢東による大粛清の引き金となりました 。
イスラム教の過激な教義や、かつての魔女狩りにも通じる、「自分の信じる正義のためなら他者を排除してよい」という独善的な考え方が、いかに歴史的な惨劇を生んできたか。私は、思想というものが持つ恐ろしさを、改めて痛感せずにはいられません 。
2. 「一等独裁」と、権力への執着という盲点
次に問題となるのは、マルクスが提唱した「プロレタリア独裁」という段階です 。
理論上は、共産主義へ移行するまでの一時的な措置として、労働者(実際にはその先導役である共産党エリート)が政権を握るとされています 。彼らは「自分たちは正しい歴史の正解を知っているエリートだ」という強固な自負を持ち、「マルクスの学説は正しいが故に万能である」と盲信しました 。
しかし、ここで人間が持つ「執着」という性質が大きく立ちはだかります 。マルクスは資本家の既得権益を批判しましたが、いざ自分たちが権力を握ったとき、その既得権益を自ら放棄する人間などいるでしょうか 。仏教が教える人間の執着の深さを、彼らはあまりにも軽視していました 。
結果として、彼らは自分たちの立場を脅かす者を「反革命分子」と決めつけ、力を以て排除するようになります 。自分を正す仕組み(野党の存在)を拒絶し、「自分が絶対に正しい」と思い込んだ人間は、どこまでも残酷になれるのです 。
ここで、仏教が説く「地獄の熱さと寒さの繰り返し」の例えが、政治の現状を鋭く言い当てているように思います 。熱い地獄から逃れて氷の国へ行けば、今度は寒さに苦しみ、また元の場所へ戻ろうとする 。完璧な政治など存在せず、時代や場所に応じて間違いを是正し続けるしかないのが現実です 。しかし、共産主義は「自分たちが唯一の正解」であると頑なになり、その傲慢さが国家を暴走させてしまったのです 。
3. 「計画経済」が招く腐敗と責任転嫁
最後に、中央集権的な計画経済の失敗です 。
共産党のエリートたちが会議室ですべての需要を把握し、生産量を決めるという「青写真」は、歴史が証明した通り、決してうまくいきません 。人間の知恵(凡智)には限界があり、経済という複雑な動きを完全に予測することなど不可能なのです 。
計画経済下では、現場のニーズは無視され、鉛筆が足りない一方で車が余るといった歪みが日常的に発生します 。自由市場のような自己調節機能が働かないため、企業や個人は「顧客の満足」よりも「党の顔色」を伺うようになります 。権力者に気に入られるための賄賂が横行し、経済は冷え込み、社会は歪んでいくのです 。
さらに救いがないのは、計画が失敗したとき、彼らは決して自分の理論の間違いを認めないことです 。代わりに、「あいつのせいでうまくいかないんだ」と、再び「反革命分子」や「スパイ」を探し出し、粛清を始めます 。仏教でいう「推因著果(あるいは人のせいにする姿勢)」そのものです 。自分たちの非を認められない構造が、国を崩壊へと導いていくのです 。
結論:自らの姿を知ることの重要性
こうして振り返ってみると、共産主義の挫折の最大の原因は、「人間とは何か」という問いに対する無知に集約されるように思います 。
人間は、競争や創意工夫があってこそ努力する生き物であり、「能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」という美しい言葉だけで動くほど、立派な存在ではありません 。そして何より、権力を握った自分自身がいかに醜く執着し、傲慢になり得るかという「自らの姿」を知らなかったことが、最大の悲劇を生んだのではないでしょうか 。
マルクスや指導者たちが、もし仏教の教えを通じて人間の「煩悩」や「知恵の限界」を少しでも理解していたなら、力による解決を急がず、もっと謙虚に社会を構築する道があったかもしれません 。
私は、歴史の悲劇を繰り返さないためにも、この「人間の真実」を様々な角度から学び続けることが、現代を生きる私たちにとって何より大切であると強く感じています 。(Gemini)
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