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イラン戦争の先行き不透明性が続いている。今般の戦争の根本原因にはやはり宗教問題があると思われる。そのため宗教についての筆者なりの考えを以下に今一度整理してみた。
◆統治のサイドからの必要性:お天道様が見ている◆
宗教とは、個人の内面の問題だけではない。それは人類が数千年にわたり磨き上げてきた「集団統治の基本ソフト(OS)」であり、極めて精緻に設計された「持続可能なビジネスモデル」の集大成である。
統治のために例えば、何とか法令や何とか諸法度で上から網を掛けても、なかなか世の中は治まるものではない。その上からの強制力と内なる道徳律のサンドイッチ構造が必須として要請される。
国家や統治者にとって、最大のコストは「監視」である。すべての国民の挙動を24時間監視し、法で縛ることは物理的に不可能であり、莫大なコストがかかる。そこで発明されたのが、「内面への監視カメラの設置」である。
「誰も見ていなくても、お天道様(あるいは神)が見ている」という規範意識を植え付けることで、個々人が自らを律するようになる。一神教における「最後の審判」は、死後という「逃げられない裁判」を提示することで、現世での秩序を維持する最強のセキュリティ・アルゴリズムとして機能している。
宗教が排除された旧ソ連等では、盗聴と密告がその代わりを果たし、現代中国では文字通りの監視カメラとネット検閲、社会生活に於ける信用剥奪がセットで機能している。
◆伝統宗教の「ビジネスモデル」◆
筆者はここで、宗教のシステムについて敢えて俗っぽく「ビジネスモデル」として捉え整理してみたい。長生きしている宗教には、必ず優れた収益構造とコミュニティ維持機能が備わっている。
ユダヤ教:知識とネットワークの独占
「選民意識」を核とした、究極のクローズド・ギルドモデル。迫害というリスクに対し、移動可能な資産である「知識(タルムード)」と、世界中に広がる「同胞ネットワーク」を構築。信用を身内だけで完結させることで、情報の非対称性を利用した高度な経済的地位を確立した。
キリスト教:グローバル・フランチャイズ
バチカンを本部とする中央集権的なライセンスビジネス。かつての「贖宥状(免罪符)」に代表されるように、罪の意識をキャッシュに変換するシステムを開発した。現在は、米国福音派に見られるように、「富の蓄積は神の祝福」とする現世利益肯定型のマーケティングにより、政治力と巨大な寄付金を集めるロビイング・ビジネスへと進化している。
イスラム教:生活全般のプラットフォーム
信仰、政治、経済、司法をすべてパッケージ化したOS。利子の禁止やザカート(喜捨)による再分配、ハラール認証など、生活の全工程に宗教が介在することで、離脱不可能な巨大な「イスラム経済圏」という経済プラットフォームを構築している。
仏教:死後管理のサブスクリプション
本来は「悟り」を目的とした哲学であったが、東アジア(特に日本)では、先祖供養や葬儀という「死後の事務手続き」を独占するモデルへ転換。定期的な法要や戒名授与という、安定したストック型の収益構造(お布施)を確立した。
日本教・世間教:同盟と空気の支配
山本七平が指摘した通り、日本人の実体は「日本教」であり、その本尊は**「世間(空気)」**である。明文化された教義はなく、周囲の顔色を伺い「空気を読む」ことが絶対的な戒律となる。これは、異質な他者を排除し、均質な労働力を供給する「高度経済成長期の最適OS」として機能した。
◆新興宗教の「ビジネスモデル」◆
新興宗教についても、同様に整理してみる。
既存の宗教がカバーしきれなくなった「孤独」や「承認欲求」をターゲットに、より攻撃的なマーケティングを展開している。
創価学会: 垂直統合型の政治・経済・信仰モデル
強力な集票マシンとして機能する政治部門(公明党)を持ち、信者に社会的役割と帰属意識を与える「パワーゲーム参加型」のビジネスを展開。「創価経済圏」も機能して来た。
統一教会: 恐怖と負債のコンサルティング
家系の因縁や霊界の恐怖を煽り、高額な物品や寄付で解決を図る「霊感商法」モデル。先祖という逃れられない血縁を人質に取る手法が特徴。原罪意識と朝鮮半島に関する贖罪意識を融合させ日本人収奪マシンとして機能した。
幸福の科学: コンテンツ・出版マルチメディア
教祖の「霊言」という形で、あらゆる権威の言葉をコンテンツ化し、書籍や映画として大量生産。知的好奇心と現世利益を融合させたエンタメ型モデル。イタコ芸とも揶揄された「霊言」だが、教祖大川隆法氏死去に伴いその後継者は不在である。
オウム真理教: 科学と神秘のハイブリッド・カルト
高学歴層を「修行による特殊能力」という商品で惹きつけ、出家制度により全財産を没収。統治の枠組み(国家)と競合し、武力による現状打破を狙った「破壊的テロモデル」に暴走した。
◆ 神の自己展開としての宇宙と人類◆
ここまでややシニカルに宗教について述べて来た。筆者の宗教についての立場を示せば、決して無神論者や唯物論者ではなく、お天道様が見ているという観念は必要かつ実際でもあろうと考えている。また東洋人であるから自然なのかも知れないが、最後の審判説よりは輪廻転生説の方が合理的だと思っている。しかし特定の宗教を信仰はしていない。特に生き神様、生き神様でなくとも宗教の絶対性、ドグマの強制性は、メリットとなる局面はあるもののリスクは大きいと考えている。そういう意味では、プラグマティック非唯物主論者とでも言おうか。
話は飛ぶが、今日発展目覚ましいAIであるが、やがてAGI(汎用人工知能)に進化しシンギュラリティを迎え意識を持つのではないかと真面目に懸念する向きもある。だがそれはあくまでも外側から見た人格性であり、内側から見た主体性であるかは分かりようがない。(髪が伸び続けるお菊人形の様に既存の魂が宿るとするなら別だが)
そもそも人間の精神が肉体と共に神に造られたにせよ、別途造られたにせよ、造られた者が主体性、主観を持つ事があるのかという疑問も湧いて来る。もしここで造られた者がそれらを有する事はないという仮定を置くならば、必然的に元からあったもの、誰にも造られたものでない限り主体性、主観を有する事がないという事になる。さすれば、元からあった精神、始原の「神」が(暇に任せてか寂しさからかは知らないが)自己分裂して自己展開して見せたのが個々の精神であるという帰結となる。
そして始原の「神」は、ローマのコロッセオに剣奴を投げ込んで互いに殺し合うのをネクテルでも飲みながら鑑賞して楽しんでいるのかも知れない。だが逆に、子供らを時に争わせつつ、それらを通してその成長を願い見ている父親のようなものかも知れない。
仮に後者であるとして、更に世界トータルでの発展と調和の同時実現が人類が目指すべき方向とするならば、諸宗教は田舎臭い偏狭さを捨て去るべきだろう。それが、今般の中東情勢を含め世界の紛争が収まるには、必要条件となると筆者には思われる。
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