★阿修羅♪ > カルト51 > 554.html
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ ★阿修羅♪
《辺野古水死事件/16》「沖縄県民先住論」とはオール沖縄を内通者とする「外患誘致」謀略だ(葵栄治)
http://www.asyura2.com/26/cult51/msg/554.html
投稿者 歙歛 日時 2026 年 4 月 03 日 01:24:59: UV9mYjPcRO13Q n1@fYQ
 


オール沖縄 外◯◯致の可能性 あまりにもヤバすぎる事実が暴露される【オール沖縄の真実】
https://www.youtube.com/watch?v=JLyOC89zmdo

[要約]<忍び寄る「沖縄先住民化」の正体と、その裏に潜む恐るべき工作>

今、沖縄が知らないうちに「日本ではない場所」にされようとしている——。そんな、にわかには信じがたい、しかし極めて現実味を帯びた恐ろしい情報が入ってきました。これは単なる噂話ではなく、国連という国際舞台を舞台にした、巧妙かつ組織的なプロパガンダの疑いが濃厚な事案です。

1. 国連で繰り広げられる「偽りのスピーチ」

事の始まりは、スイス・ジュネーブの国連人権理事会です。驚くべきことに、そこで「沖縄県民は先住民族である」という趣旨のスピーチが行われました。 驚きなのは、その発信者です。沖縄の人でもなければ、日本人でもない。なんと、香港の新中派政治団体のメンバーが、あたかも沖縄県民の代表であるかのように振る舞い、国際社会に向けて「沖縄は植民地支配に苦しんでいる」と訴えたのです。

なぜ、縁もゆかりもない香港の団体が、わざわざ国連で沖縄の権利を主張するのでしょうか。 そこには、中国が展開する高度な「情報戦」の影が見え隠れします。中国政府は昨年、国連で初めて沖縄県民を先住民族と呼び、中国メディアも「沖縄は日本の領土ではない」かのような発信を強化しています。 つまり、沖縄を「先住民族の地」として定義することで、日本政府の統治を不当なものと印象づけ、最終的には沖縄を日本から切り離そうとする、あからさまな領有権への揺さぶりと言えるでしょう。

2. 「オール沖縄」の驚愕すべき関与

しかし、この話にはさらに深い、そして絶望的な「闇」がありました。国連の現場に居合わせた日本沖縄政策研究フォーラムの仲村覚氏が、スピーチを終えた香港団体のメンバーを直撃した際、その人物は耳を疑うような言葉を口にしたのです。

「なぜこのようなスピーチをしたのか?」との問いに対し、彼は**「オール沖縄に頼まれた」**と答えたというのです。

これが事実であれば、事態は「外国による干渉」を通り越し、国内勢力が意図的に外国勢力を引き入れ、自国を分断させようとしている「内通」の構図が浮かび上がります。 地元の基地問題への反対運動を有利に進めるためなのか、あるいはもっと別の目的があるのかは分かりません。しかし、基地問題と「先住民族問題」を混同させることは、沖縄のアイデンティティを政治利用する極めて危険な行為です。 私たち日本人の多く、そして沖縄県民の大多数が自らを日本人であると認識している中で、ごく一部の、それも外部の意図を組んだ者たちが「先住民」というラベルを無理やり貼り付けようとしている現実に、強い憤りを感じざるを得ません。

3. 日本を崩壊させかねない「外患誘致罪」の懸念

この「オール沖縄」が外国勢力に働きかけて日本を貶めるようなスピーチを依頼したという疑惑。これは、法的に見れば単なる「政治的意見の相違」では済まされない可能性があります。 日本の刑法において最も重い罪、**「外患誘致罪」**に該当する恐れがあるからです。

外患誘致罪とは、外国と通謀して日本に対して武力を行使させる罪であり、その法定刑は「死刑」のみという、日本で最も重い犯罪です。 今回の件が直ちに武力行使に直結するわけではありませんが、こうしたプロパガンダによって日米同盟を分断し、沖縄を無防備な状態に追い込むことは、日本の安全保障を根底から揺るがす行為に他なりません。 外部の力を使って国家を混乱させる行為は、たとえ未遂であっても、国家に対する重大な反逆とみなされる可能性があるのです。

4. 私たちが向き合うべき現実

中国は今、沖縄の無人島を買収し、歴史的なつながりを強調し、着々と「琉球地位未定論」を国際社会に浸透させようとしています。 習近平国家主席自らが、過去の歴史を引き合いに出して沖縄と中国の絆を強調する背景には、明確な政治的・軍事的意図があると考えられます。

今、沖縄では知事選という重要な局面を迎えています。 このまま誤った情報や、外国勢力の影響を受けたプロパガンダが放置されれば、沖縄は取り返しのつかない形で日本から引き裂かれてしまうかもしれません。 「沖縄を守る」という言葉の裏で、実際には誰が、何のために動いているのか。私たちは、感情的なスローガンに惑わされることなく、この衝撃的な事実を正視しなければなりません。

沖縄の方々が、そして日本全体が、この「見えない侵略」から故郷を守るために、正しい情報を手に入れ、賢明な判断を下すことを切に願います。これは沖縄だけの問題ではなく、日本という国が今後も独立した国家として存続できるかどうかの、瀬戸際の戦いなのです。(Gemini)

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 歙歛[-271] n1@fYQ 2026年4月03日 01:40:32 : 7wZdZkkqy6 : WFlJSVRrRTdnbmc=[11] 報告
<■133行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
<大和民族居住”長屋”の玄関口、八重山・沖縄@>
・アジア大陸を東方に移動する民

昨今のDNA研究によると、古代、日本列島に住み着いた人々の多くは、まず台湾や琉球界隈に居住し、そこから海を渡って北上してきた可能性が高いのではないかと指摘されています。北海道の北方、極寒のアジア大陸より移住してきた民も少なからず存在したことには違いはなく、また朝鮮半島から海を渡ってきた渡来者もすくなくなかったはずです。しかしながら日本列島に移住してくる渡来者の主流は南方から始まり、日本列島を北へ向かって移動したという提言です。

古代、大陸より海を渡って日本列島に移住するということは、何かしらの目的意識がなければ到底、実行することができない程、困難かつ危険が伴う旅路でした。それでも海原を乗り越えて日本列島を訪れる民は後を絶たず、いつしか列島各地に集落が築かれていきました。古代の旅人は何を思い、何を夢見て、列島に住み着いたのでしょうか。

人類発祥の地はアフリカと言われ、そこから世界各地へと向けて、人間は移り住んでいきます。特に古代の旅人は自然と日の昇る方向へ移動する傾向があったと想定されることもあり、東に向かって旅するルートが徐々に発展したと考えられます。例えば中国の儒教では「天帝は北辰に座して南面す」という思想がありました。北極星を背にして南に向いて座ることにより、太陽は左手の東から昇ることになり、日の昇る東は沈む西よりも尊いと考えられていたのです。このような日の出る方角を尊ぶ思想や、太陽を崇める信仰は、古代から存在しました。よって、いつの日においても、日が昇る東方は大事にされていたのです。

広大かつ、豊かな自然環境に恵まれていたアジア大陸を移動した古代の旅人は、自らの拠点となる土地を選別する条件として、まず、豊かな水源を求めたことでしょう。それ故、川や湖の存在は極めて重要であり、そのほとりに集落を築くことが好まれたのです。また、太陽を中心に天体を観察しながらカレンダーを刻むという観点から、季節の変化も重要視されました。その結果、夏至、冬至、そして春分、秋分の日柄や、それに伴う太陽の位置の変化などが注目されたのです。春夏秋冬のような季節の変化は、豊かな自然環境と人体に優しい生活空間を実現しやすくするだけでなく、太陽をベースにしたカレンダーを刻む上でも分かりやすいことから重宝されたに違いありません。

こうして古代の旅人は長い年月をかけて、居住するにふさわしい土地を大地に探し求めた結果、南北3000km以上に渡って広がる日本列島が見出され、移住先の目的地として徐々に注目を浴びるようになったことと思われます。日本列島の大半は温暖な四季に恵まれた地域であり、豊かな水源だけでなく、海の幸、山の幸など、住み良い環境が存在したことから、集落の拠点とするに絶好の場所として古代人の目に映ったことでしょう。

そしてある時点から特定の民族集団が大陸より頻繁に日本列島を訪れ始めたと推測されます。その渡来人の集団は高度な文明を背景に、さまざまな大陸の技術を日本列島に紹介することになります。こうして新しい民の流入と共に、日本固有の文化の礎が築きあげられていくことになります。

・世界への船旅を可能にした古代の優れた航海術

古代社会において、大陸経由の民が日本列島に渡来し、集落や重要拠点を見出した背景には、世界的な視野で地勢を見渡すことができる航海術を持つ民が存在していたと考えられます。

一見、古代では不可能と思えるような高度な航海技術であっても、日本で阿久遺跡が造られた縄文時代前期にあたる前30世紀頃、地中海周辺ではエジプトが初期王朝時代を迎え、それから200年もたたぬうちに古王国時代が始まり、ピラミッドの建造が始まったことを振り返れば、多くの可能性を秘めた時代であったことに気が付きます。古代の文化レベルは想像を絶する程高いものであったということです。

前26世紀頃にはギザの3大ピラミッドが建造され、エジプト文化の優れた土木技術を世界に知らしめることとなりました。今日でもピラミッドの背景は多くの謎に包まれたままですが、確かなことは、当時の天文学や土木技術に代表される古代文明は極めて高度な技術を保持していたということです。その後、西アジアにおいてはメソポタミア文化が発展し、シュメール文化を中心とする極めて高い天文学の技術と航海術を持つ民族が一世を風靡していたことが知られています。そして紀元前10世紀前後の時代では、西アジアからタルシシュ船が世界の海原を航海し、その船団は貴金属や衣類、象牙などさまざまな物を船で運び、世界の貿易に一役をかっていたのです。

このように、アジアを中心とする古代文明においては、遠い昔から航海術を駆使して海原を渡る民族が存在していました。そして全世界をくまなく行き来する過程において、アジア大陸の東の端にある日本列島も早くから見出されたことでしょう。そして時代の流れと共に、西アジアで国家を失った大勢の民が民族移動を開始し、その中には日本列島まで到達した人々が存在したと考えられるのです。

・イスラエルの民が目指した東の島々

紀元前722年、北イスラエル王国が崩壊し、その直後、南ユダ王国も滅亡の危機に直面していた頃、エルサレムの町が攻略され、大切な神宝が略奪されることを防ぐため、それらの神宝を携えて故郷イスラエルの地を密かに離れて東方へと旅した人達がいました。神から「東の海の島々で神を崇めよ」という啓示を受けた預言者イザヤに導かれたグループです。

八重山列島を含む琉球諸島は、大陸から台湾経由で航海してくる民にとって「東の島々」の玄関の位置付けとなり、その中心的な存在が沖縄本島でした。琉球諸島の中でもひときわ大きく、温暖な気候と豊かな農産物に恵まれ、平野部が広がる沖縄本島は、住み心地の良さという視点からは、正に楽園として目に映ったことでしょう。そして次第に島の南側に存在する平野部を中心に古代集落が築かれ始め、その拠点はヘブライ語で「休息」を意味する「ナハ」と呼ばれるようになったのです。

イスラエルの南ユダ王国を脱出したイザヤの一行は、護衛しなければならない大切な神宝を携えていることもあり、タルシシュ船のような船団を準備してアジア大陸を海岸沿いに航海し、その東の果てから日本列島を目指して航海したと考えられます。イザヤ書に記されているとおり、イザヤは「東の島々」に約束の新天地があることを理解していました。そしてアジア大陸の南岸沿い東方へと向かい、長旅を続けてきた後、台湾、与那国島から先に浮かぶ島々を目にした時、目的とする「東の島々」の一端に到達したことを喜んだに違いありません。

アジア大陸から台湾へと渡り、そこからさらに海を渡り、琉球諸島において最初に到達した島は、いつしか与那国島と呼ばれるようになりました。与那国島は台湾の東に存在し、「東の島々」が連なっているということを証する最初の島です。もしかすると、海から陸地に吐き出されて命拾いした旧約聖書ヨナ書の記述にちなんで、与那国島と命名されたのかもしれません。そして一連の島々は、いつしか八重山列島とも呼ばれるようになります。八重山の「ヤエ」はヘブライ語で神を意味することから、八重山とは「神の山」の意となります。よって八重山諸島とは、「神の山が連なる島々」という意味に解釈できます。イザヤが目指した「東の島々とは」、神が約束された新天地であるからこそ、それらの島々は、「神の山諸島」「神山の島々」と呼ばれたのでしょう。

・「休息」を意味する沖縄の「ナハ」

八重山列島を含む琉球諸島は、大陸から台湾経由で航海してくる民にとって、「東の島々」の玄関の位置付けとなりました。そしていつしか、その先に浮かぶ今日の沖縄本島が、その中心的な存在となったようです。琉球諸島の中でもひときわ大きく、温暖な気候と豊かな農産物に恵まれ、平野部が広がる沖縄本島は、住み心地の良さという視点からは、正に楽園として目に映ったことでしょう。そして次第に島の南側に存在する平野部を中心に古代集落が築かれ始め、その拠点はヘブライ語で「休息」を意味する נח (nach、ナッ)、「ナハ」と呼ばれるようになったと推測されます。

しかしながら、多くの渡来者にとって沖縄は、あくまで一時の安息の場でしかありませんでした。なぜならば、イスラエルの使命は新天地にて神の都と聖所を造営することであり、その場所は緯度、地形、周辺の環境等、総合的な判断から、沖縄本島周辺の琉球ではないことが分かっていたからです。遊牧民族であるイスラエル人にとって、沖縄はあまりに温暖すぎるため、従来のライフスタイルに合わないだけでなく、羊などの家畜を飼育するにも適せず、また、海に囲まれてはいるものの、湖や川という水源に乏しかったことが悔やまれたことでしょう。つまり故郷の都、エルサレムの地と比較すると余りにも緯度が低く、赤道に近い南国の島である沖縄の生活環境が、問題視されたと考えられます。

それ故、イスラエルからの渡来者は都を再建するためにふさわしい土地を見出す為、琉球諸島の先にも続く「東の島々」を巡り、地勢を検証する必要性に迫られたことでしょう。そして神の命と導きに従うことを重んじた民は、琉球の優しい生活環境に甘んじることなく、未知の島々を探索する任務を背負って、列島を北方に向けて再び旅立つことになります。

日本列島を見出した渡来者の流れ
https://www.historyjp.com/article/261/

2. 歙歛[-270] n1@fYQ 2026年4月03日 01:47:11 : 7wZdZkkqy6 : WFlJSVRrRTdnbmc=[12] 報告
<■73行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
<大和民族居住”長屋”の玄関口、八重山・沖縄A>

・「八重山」の語源は「ヤーエー」か

与那国島から東方の石垣島まで100km少々あり、この2島の間に八重山諸島が広がります。一説によると八重山諸島は元来、島々の稜線が8つの山により繋がり、それらが八重に連なっていることから八重山と名付けられたと言われています。しかしながら8島を同時に眺めて山の連なりまで見ること自体が困難であることから、単なる伝承にすぎないようです。

「ヤーエー」という言葉はヘブライ語で「神」を意味することから、むしろ「八重山」を「神の山」を象徴する言葉として捉えてみてはどうでしょうか。つまり、「八重山」の名称には、約束された東の島々の山に神が降臨するという、イスラエル人の熱い願いが込められていたと考えるのです。この「八重」という言葉は、琉球諸島以北の地域において、地名などに多用されるようになります。

・八重山考古学が証する歴史の空白とは

アジア大陸からの渡来者が八重山諸島を訪れ、周辺の島々に外来からの文化をもたらしたことは、八重山諸島に残されている多くの遺跡からも垣間見ることができます。例えば琉球石灰岩を円形に配列した住居跡をはじめ、多くの貝塚、遺物などが発掘されています。中には石垣島のフルスト原遺跡や川平貝塚、石底山遺跡など、著名になった遺跡も少なくありません。これらの遺跡を調査するため、「八重山考古学」と呼ばれる地元の郷土史に基づく遺跡の研究が長年、調査団や郷土史家によって行われてきています。

その八重山考古学の研究成果から歴史の謎が1つ浮かび上がっています。そして今日まで、明確な答えが出ないままでいるのです。八重山諸島から見出された遺跡の年代は、放射性炭素年代測定法による遺物の精査により、遅くとも紀元前3250年の有土器文化から始まり、その後、古代の文化はおよそ3つの期間に分類できることがわかりました。最も古い時代が赤色土器文化を基盤とする第一期であり、前2250年から前1250年頃までの1000年間にわたります。第二期は、前2世紀から11世紀までの無土器文化の時代、そして第三期はスク文化を基軸とした海外交易が盛んになる11世紀から16世紀までの間です。

不思議なことに第一期と第二期をはさむ前12世紀から前2世紀の間、およそ1000年間に関しては、未だに遺物が発掘されていないため、歴史の空白が存在します。その期間だけ遺物が見つからないということは、当時、人が居住していなかったか、自然環境の変異で人間が絶滅したか、もしくは何らかの理由で人々が他の地域に集団で移動した可能性がこれまで指摘されています。たまたま、これまでの遺跡調査からは何も発掘されなかったという見解もありますが、1000年という長い期間に関わることでもあり、もはや偶然というには無理があるでしょう。

BC3250年       有土器文化

BC2250年〜 1250年   @赤色土器文化←大陸系?

[未発掘](1000年間)

BC 200年〜AD1100年 A無土器文化←西アジア系?

AD1101年〜AD1600年 Bスク文化

・歴史の謎を解くイスラエル系渡来者の流れ

八重山諸島における空白の1000年という、人が存在しなかった時間が存在する理由は、イスラエル系渡来者の目的地意識と、それに伴う人の流れから、その答えを見出すことができると考えられます。遅くともソロモン王の時代、前10世紀頃にはタルシシュ船が東アジアまで到来して海原を行き来していましたが、中には八重山諸島にも訪れた西アジア系の渡来者が存在したことでしょう。

その後、島々を探索するうちに八重山諸島の北東、黒潮の流れに乗って宮古島からさらに北東方向へ約300km離れた所に、自然の環境に恵まれた大きな島を見出したのです。前7世紀には、「東の島々」に向かうという民族大移動の掛け声のもと、西アジア方面から旅をしてきた多くの渡来者の群れが存在したこともあり、その結果、いつしか八重山諸島は、大陸から台湾に渡り、そこから沖縄に向かう途中に存在する、通過地点の島として捉えられるようになったと考えられるのです。そして元来、八重山諸島に居住していた少数の民も、おそらく大陸に民族のルーツを持つと考えられることから、共に沖縄本島に向けて八重山諸島を旅立ったのではないでしょうか。それ故、今日遺跡を発掘しても、八重山諸島は沖縄から更に東の島々に向かうための単なる通過地点となったことから、該当する時代の遺物が見出されることがないようなのです。

イスラエルからの渡来者が大陸から台湾に渡り、そこから八重山諸島を経由して沖縄本島、そして日本列島の東の端まで移動したという前提で考えるならば、八重山考古学の謎も、解明することができるはずです。八重山諸島とは、神の約束した東の島々の玄関口となる最南端の諸島です。そして最初の島は、新天地を象徴する「鳩」、「ヨナ」と命名され、後に与那国島と呼ばれるようになりました。これら日本列島の入り口となる島々は重要であるが故に、神の山が連なる島、「ヤーウェー山」諸島と呼ばれるようになり、それが「八重山諸島」として知られるようになったと推測されます。

日本列島の玄関口となる八重山諸島
https://www.historyjp.com/article/50064/

▲上へ      ★阿修羅♪ > カルト51掲示板 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★事前登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
最新投稿・コメント全文リスト  コメント投稿はメルマガで即時配信  スレ建て依頼スレ

▲上へ      ★阿修羅♪ > カルト51掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
カルト51掲示板  
次へ