http://www.asyura2.com/26/cult51/msg/688.html
| Tweet |

イスラエルから東方に向かった海上ルート/Gemini作成
東大の政治サークル、沖縄で調査を実施し国連の情報工作の実態が一気に露呈www
https://www.youtube.com/watch?v=KZDYs8nrWPU
[要約]<沖縄「先住民族」勧告の裏側に潜む、巧妙な認知戦の正体>
国連が日本政府に対し、沖縄県民を「先住民族」として認めるよう繰り返し勧告を出している事実に、私たちはもっと危機感を持つべきではないでしょうか。東大の政治家系サークル「卯の州(うのしゅう)」が沖縄現地で実施した街頭アンケートの結果は、国連の主張がいかに現実とかけ離れているかを浮き彫りにしました 。
/圧倒的な民意:「私たちは日本人だ」
アンケートによれば、県内出身者の**95%以上が「自分を先住民族だとは思わない」**と回答し、**91%が「先住民としての特別な権利保護は不要」**だと断言しています 。現場では「国連は何を言っているんだ」と怒りを露わにする県民も多く、自分たちは日本人であるという自認は極めて強固なものです 。
/国連を利用した「分断工作」の構図
それにもかかわらず、国連人種差別撤廃委員会などは2008年以降、6回以上も「琉球の人々を先住民族と認めよ」との勧告を続けています 。この背景には、極めて政治的な動きが存在します。
・日本人側の反論: 沖縄出身のジャーナリストや元県議は、国連人権理事会で「先住民族というレッテル貼りは県民への侮辱であり、分断工作だ」と直接反論を行っています 。
・不可解なスピーチ: 一方で、香港の新中派団体メンバーが「米軍基地に苦しむ先住民」として沖縄を批判するスピーチを行いました 。その発言の意図を問われると、彼は「オール沖縄に頼まれた」と即答したといいます 。
/領土と主権を守るための「情報戦」
この問題は、単なるアイデンティティの不一致ではありません 。一部の勢力が外国団体を介して「先住民族」というナラティブを国際社会に広めようとする、巧妙な「認知戦」の一環です 。日米同盟の要である沖縄において、県民を日本人から切り離そうとする動きは、日本の領土・主権に対する直接的な脅威となり得ます 。
沖縄県民の大多数が誇り高き日本人であるという真実を、私たちは情報戦に打ち勝つための武器として、広く共有していかなければなりません 。(Gemini)
------------------------------------------------------------
「オール沖縄」の目的が何か、はっきりしてきましたね。『分断工作請負業者』に他なりません。
------------------------------------------------------------
<大和民族居住”長屋”の玄関口、八重山・沖縄@>
・アジア大陸を東方に移動する民
昨今のDNA研究によると、古代、日本列島に住み着いた人々の多くは、まず台湾や琉球界隈に居住し、そこから海を渡って北上してきた可能性が高いのではないかと指摘されています。北海道の北方、極寒のアジア大陸より移住してきた民も少なからず存在したことには違いはなく、また朝鮮半島から海を渡ってきた渡来者もすくなくなかったはずです。しかしながら日本列島に移住してくる渡来者の主流は南方から始まり、日本列島を北へ向かって移動したという提言です。
…このように、アジアを中心とする古代文明においては、遠い昔から航海術を駆使して海原を渡る民族が存在していました。そして全世界をくまなく行き来する過程において、アジア大陸の東の端にある日本列島も早くから見出されたことでしょう。そして時代の流れと共に、西アジアで国家を失った大勢の民が民族移動を開始し、その中には日本列島まで到達した人々が存在したと考えられるのです。
・イスラエルの民が目指した東の島々
紀元前722年、北イスラエル王国が崩壊し、その直後、南ユダ王国も滅亡の危機に直面していた頃、エルサレムの町が攻略され、大切な神宝が略奪されることを防ぐため、それらの神宝を携えて故郷イスラエルの地を密かに離れて東方へと旅した人達がいました。神から「東の海の島々で神を崇めよ」という啓示を受けた預言者イザヤに導かれたグループです。
八重山列島を含む琉球諸島は、大陸から台湾経由で航海してくる民にとって「東の島々」の玄関の位置付けとなり、その中心的な存在が沖縄本島でした。琉球諸島の中でもひときわ大きく、温暖な気候と豊かな農産物に恵まれ、平野部が広がる沖縄本島は、住み心地の良さという視点からは、正に楽園として目に映ったことでしょう。そして次第に島の南側に存在する平野部を中心に古代集落が築かれ始め、その拠点はヘブライ語で「休息」を意味する「ナハ」と呼ばれるようになったのです。
イスラエルの南ユダ王国を脱出したイザヤの一行は、護衛しなければならない大切な神宝を携えていることもあり、タルシシュ船のような船団を準備してアジア大陸を海岸沿いに航海し、その東の果てから日本列島を目指して航海したと考えられます。イザヤ書に記されているとおり、イザヤは「東の島々」に約束の新天地があることを理解していました。そしてアジア大陸の南岸沿い東方へと向かい、長旅を続けてきた後、台湾、与那国島から先に浮かぶ島々を目にした時、目的とする「東の島々」の一端に到達したことを喜んだに違いありません。
アジア大陸から台湾へと渡り、そこからさらに海を渡り、琉球諸島において最初に到達した島は、いつしか与那国島と呼ばれるようになりました。与那国島は台湾の東に存在し、「東の島々」が連なっているということを証する最初の島です。もしかすると、海から陸地に吐き出されて命拾いした旧約聖書ヨナ書の記述にちなんで、与那国島と命名されたのかもしれません。そして一連の島々は、いつしか八重山列島とも呼ばれるようになります。八重山の「ヤエ」はヘブライ語で神を意味することから、八重山とは「神の山」の意となります。よって八重山諸島とは、「神の山が連なる島々」という意味に解釈できます。イザヤが目指した「東の島々とは」、神が約束された新天地であるからこそ、それらの島々は、「神の山諸島」「神山の島々」と呼ばれたのでしょう。
・「休息」を意味する沖縄の「ナハ」
八重山列島を含む琉球諸島は、大陸から台湾経由で航海してくる民にとって、「東の島々」の玄関の位置付けとなりました。そしていつしか、その先に浮かぶ今日の沖縄本島が、その中心的な存在となったようです。琉球諸島の中でもひときわ大きく、温暖な気候と豊かな農産物に恵まれ、平野部が広がる沖縄本島は、住み心地の良さという視点からは、正に楽園として目に映ったことでしょう。そして次第に島の南側に存在する平野部を中心に古代集落が築かれ始め、その拠点はヘブライ語で「休息」を意味する נח (nach、ナッ)、「ナハ」と呼ばれるようになったと推測されます。
しかしながら、多くの渡来者にとって沖縄は、あくまで一時の安息の場でしかありませんでした。なぜならば、イスラエルの使命は新天地にて神の都と聖所を造営することであり、その場所は緯度、地形、周辺の環境等、総合的な判断から、沖縄本島周辺の琉球ではないことが分かっていたからです。遊牧民族であるイスラエル人にとって、沖縄はあまりに温暖すぎるため、従来のライフスタイルに合わないだけでなく、羊などの家畜を飼育するにも適せず、また、海に囲まれてはいるものの、湖や川という水源に乏しかったことが悔やまれたことでしょう。つまり故郷の都、エルサレムの地と比較すると余りにも緯度が低く、赤道に近い南国の島である沖縄の生活環境が、問題視されたと考えられます。
それ故、イスラエルからの渡来者は都を再建するためにふさわしい土地を見出す為、琉球諸島の先にも続く「東の島々」を巡り、地勢を検証する必要性に迫られたことでしょう。そして神の命と導きに従うことを重んじた民は、琉球の優しい生活環境に甘んじることなく、未知の島々を探索する任務を背負って、列島を北方に向けて再び旅立つことになります。
<大和民族居住”長屋”の玄関口、八重山・沖縄A>
・八重山考古学が証する歴史の空白とは
…その八重山考古学の研究成果から歴史の謎が1つ浮かび上がっています。そして今日まで、明確な答えが出ないままでいるのです。
…不思議なことに第一期と第二期をはさむ前12世紀から前2世紀の間、およそ1000年間に関しては、未だに遺物が発掘されていないため、歴史の空白が存在します。その期間だけ遺物が見つからないということは、当時、人が居住していなかったか、自然環境の変異で人間が絶滅したか、もしくは何らかの理由で人々が他の地域に集団で移動した可能性がこれまで指摘されています。たまたま、これまでの遺跡調査からは何も発掘されなかったという見解もありますが、1000年という長い期間に関わることでもあり、もはや偶然というには無理があるでしょう。
BC3250年 有土器文化
BC2250年〜 1250年 @赤色土器文化←大陸系?
[未発掘](1000年間)
BC 200年〜AD1100年 A無土器文化←西アジア系?
AD1101年〜AD1600年 Bスク文化
・歴史の謎を解くイスラエル系渡来者の流れ
八重山諸島における空白の1000年という、人が存在しなかった時間が存在する理由は、イスラエル系渡来者の目的地意識と、それに伴う人の流れから、その答えを見出すことができると考えられます。遅くともソロモン王の時代、前10世紀頃にはタルシシュ船が東アジアまで到来して海原を行き来していましたが、中には八重山諸島にも訪れた西アジア系の渡来者が存在したことでしょう。
その後、島々を探索するうちに八重山諸島の北東、黒潮の流れに乗って宮古島からさらに北東方向へ約300km離れた所に、自然の環境に恵まれた大きな島を見出したのです。前7世紀には、「東の島々」に向かうという民族大移動の掛け声のもと、西アジア方面から旅をしてきた多くの渡来者の群れが存在したこともあり、その結果、いつしか八重山諸島は、大陸から台湾に渡り、そこから沖縄に向かう途中に存在する、通過地点の島として捉えられるようになったと考えられるのです。そして元来、八重山諸島に居住していた少数の民も、おそらく大陸に民族のルーツを持つと考えられることから、共に沖縄本島に向けて八重山諸島を旅立ったのではないでしょうか。それ故、今日遺跡を発掘しても、八重山諸島は沖縄から更に東の島々に向かうための単なる通過地点となったことから、該当する時代の遺物が見出されることがないようなのです。
イスラエルからの渡来者が大陸から台湾に渡り、そこから八重山諸島を経由して沖縄本島、そして日本列島の東の端まで移動したという前提で考えるならば、八重山考古学の謎も、解明することができるはずです。八重山諸島とは、神の約束した東の島々の玄関口となる最南端の諸島です。そして最初の島は、新天地を象徴する「鳩」、「ヨナ」と命名され、後に与那国島と呼ばれるようになりました。これら日本列島の入り口となる島々は重要であるが故に、神の山が連なる島、「ヤーウェー山」諸島と呼ばれるようになり、それが「八重山諸島」として知られるようになったと推測されます。
-------------------------------------------------------------------
少なくとも、中国大陸からの先住民が現在まで八重山・沖縄に居住していることは否定されるでしょう。
|
|
|
|
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
|
|
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。