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[政治・選挙・NHK219] アパグループに味方すればするほど安倍政権がヤバくなる  天木直人 赤かぶ
43. 2017年1月22日 19:41:07 : QYzUkhHu5o : g1L5A1aQ5sw[1]
「南京事件はなかった」とする根拠
@毛沢東(1893年12月26日 - 1976年9月9日)は生涯1度も南京虐殺などに言及していません。南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義し、『持久戦論』としてまとめられた本の中においてです。そこで毛沢東は「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」と批判しています。日本軍は敵を包囲しながら、殲滅(皆殺し)せずに逃がしていることを、戦争の常道に反するものとして批判し、中国共産党の幹部に教えているのです。
当方の指摘に対して、朝日新聞元記者・本田勝一は『中国占領区の日本帝国主義』という本に毛沢東が前書きを書いている、という事実を持ち出して反論しています。しかし、その前書きで毛沢東は、「調査なくして発言権なし」という立場から、「日本軍占領区の状況をよく研究してほしい」と述べているだけで、日本を虐殺の故をもって非難しているわけではありません。つまり、これは少しも反証になっていないのです。
A南京戦直前の1937年11月、中国国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。「中央宣伝部国際宣伝処工作概要」という秘密文書には、南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までに、国際宣伝処は漢江において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35人だったと記録されています。毎日のように開かれた記者会見の目的は、当然ながら、交戦中の日本軍を非難し国際世論を味方につけることでした。ところが、この300回の記者会見において、ただの1度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」などの話をしていません。
朝日新聞元記者・本田勝一は蒋介石の日記に日本非難の記述があるとして、中国国民党は知っていた、などと論じています。しかし、「南京虐殺」は蒋介石によって外国向けメディアに作られた反日プロパガンダです。それを蒋介石が知っていた、などと論じるのは間抜けな話であり、筋違いです。
B南京安全区に避難した南京市民の面倒を見たのが西欧人15人からなる国際委員会です。その活動記録が『Documents of the Nanking Safety Zone』として、国民政府の監修により、1939年に上海の英国系出版社から発行されています。それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前が20万人、その後ずっと20万人で、占領1カ月後の翌年1938年1月には25万人と記録されています。朝日新聞元記者・本田勝一は「歴史上まれに見る惨劇が1938年2月上旬まで2か月ほど続けられ、約30万人が殺された」と書いています。市民は20万人なのに、どうして30万人も殺せるのですか。
C『Documents of the Nanking Safety Zone』には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されています。ところが、その中で殺人は合わせて26件にしか過ぎず、しかもその中で目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害であるとわざわざ注記されています。西欧人は日本軍の大虐殺を記録しようとしたはずですが、逆に日本の無実を示す史料になっているのは皮肉です。
私は十数名の研究会メンバーとともに『Documents of the Nanking Safety Zone』を、既存の日本語訳や関連資料と付き合せながら1年かけて解読しました。それで、事件捏造のからくりがよく理解できるようになりました。例えば、次のようなことがあります。
日本軍部隊は夜間には外出禁止とされ、将兵が安全区に立ち入ることは出来ませんでした。南京市は日本軍が入城した後、全市停電となり、復旧したのはクリスマスの頃でした。ただでさえ不案内で恐ろしい外国の首都を、しかも電燈のない夜間の暗闇の中に飛び込んでいく日本兵がいたとは考えられません。ところが、強姦、略奪などの事件の3分の1は夜間に起こっているのです。これは誰が起こした事件なのでしょうか。英文の記録を読むと、犯人について単にsoldierとのみ書いてあるのに、洞富雄訳では「日本兵」となっているケースがあります。民間人20万人を収容していた安全区には推定1万余の中国国民党軍の敗残兵が、民間人の服装をした敗残兵となって潜伏していました。非行は彼らの仕業です。中国国民党軍のある元将校は、避難民キャンプから少女たちを引きずり出して強姦したあげく、翌日には日本兵が襲った風にしたと、外国人の前で告白しました。ニューヨークタイムズの記事です。
D南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の虐殺記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。全部で143枚になります。しかし、科学的な検証によって、そのうちのただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかになっています。それどころか、『週刊新潮』(2014年9月25日号)には、そのうちの1枚が朝日新聞元記者・本田勝一自身が捏造に加担して掲載したものであることを認めています。これについて、まず、朝日新聞元記者・本田勝一は日本国民に謝罪すべきではありませんか?

2014年10月30日
南京大虐殺,歴史問題
本多勝一元記者が、「南京大虐殺」写真の捏造認める!
http://japan-plus.net/182/
朝日新聞が避けて通れない、もう一つの「戦後責任」
本多勝一元記者が捏造認める!
朝日新聞は速やかに「南京大虐殺」報道の検証と記事の取り消しを!
かつて朝日新聞のスター記者だった本多勝一氏が、日本軍による虐殺の証拠として使ってきた写真が、実は捏造であったことを、本多氏自身が初めて認めました。
問題の写真は、本多勝一氏の『中国の日本軍』に掲載されたもので、日本兵が中国の婦女子をかり集めてこれから虐殺するところであるとの説明がなされています。
ところが、この写真の出所は、実は本多氏が当時勤めていた朝日新聞社発行の『アサヒグラフ』(一九三七年十一月十日号)に掲載されたもの。日本兵は家路につく少女たちを護っていたとのキャプションがついていて、少女たちの笑顔もはっきりと写っており、「南京大虐殺」とは何の関係もない写真であることは、誰の目にも明らかです。
この矛盾点を問われた本多氏は、週刊新潮(9月25日号・下写真)に次のようなコメントを寄せています。
「『中国の日本軍』の写真説明はすべて中国側の調査・証言に基づくものです」「『中国の日本軍』の写真が、『アサヒグラフ』に別のキャプションで掲載されているとの指摘は、俺の記憶では初めてです。確かに「誤用」のようです。」
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一切裏付け取材をしなかった本多勝一記者
本多勝一氏は1971年6月から四〇日間かけて中国を取材し、その衝撃のルポルタージュ「中国の旅」は朝日新聞紙面で連載されたほか、「中国の日本軍」「南京への道」などとともにシリーズで単行本化され、長らく「南京大虐殺」説の根拠とされてきました。
しかし本多氏のこの時の取材は実にいい加減なものでした。中国共産党が用意した証人の証言をただ聞き書きしただけで、一切裏付け取材を行っていなかったことを、本多氏自身も後に著書の中で認めています。
また、「中国の旅」の記事で「日本人による虐殺があった」と紹介された炭鉱に勤めていた日本人が、記事は事実と著しく異なると本多記者に抗議の手紙を送ったところ、本多氏からは「私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけですから、抗議をするのであれば中国側に直接やっていただけませんでしょうか。」という、無責任な回答が返ってきました(※下写真参照)。
※本多勝一記者の直筆の書簡
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証言が真実かどうかを調べるのが記者の仕事ではないでしょうか。
これが『中国の旅』の報道の実態です。

当時の朝日新聞が報道!
「南京大虐殺はなかった!」
『中国の旅』(本多勝一著、朝日新聞社発行)には、中国側が提供した「日本軍による虐殺現場」と称する写真が多数掲載されています。
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当時の朝日新聞記者が撮影した 陥落直後の南京市内のようす
当時、南京戦には約80名もの朝日新聞の取材班が同行し、現地の状況をつぶさに報道していました。
下の写真はすべて、当時の「アサヒグラフ」に掲載されたものです。
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左:『アサヒグラフ』(昭和13年1月19日号)  右:『アサヒグラフ』(昭和13年1月12日号)
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『アサヒグラフ』(昭和13年1月12日号)
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『アサヒグラフ』(昭和13年3月23日号)
このように当時の朝日新聞の特派員たちは、我が国の名誉回復につながる貴重な報道写真を多数撮影していたのです。
本多勝一記者の『中国の旅』は裏付けも取っていない、いい加減な聞き書きで、写真もすべてニセモノであったことが判明しています。
本多記者のルポと、南京陥落当時の朝日新聞社特派員の報道。いったいどちらが「真実の南京の姿」なのでしょうか?
本当に「南京大虐殺」があったのなら、南京市民がこのように穏やかな表情で写真におさまるはずがありません。
確かに通常の戦闘行為はありましたが、日本兵は南京で虐殺などしていなかったのです。
日本は今、「南京大虐殺」の汚名をきせられ、ナチス同様の野蛮な民族として、世界中からレッテルをはられようとしています。その発端となったのが朝日新聞の「中国の旅」です。
わたしたちは朝日新聞社に対し、
1.朝日新聞者として、速やかに1971年に朝日本誌に掲載した本多勝一記者のルポ「中国の旅」と、それをまとめた書籍『中国の旅』(本多勝一著、朝日新聞社)、および一連の「南京大虐殺」報道に関する検証作業に着手すること
2.裏付けのない記事、および事実に反する記事の取り消しと訂正
3.『中国の旅』の絶版と回収 
を求めます。

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