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[政治・選挙・NHK231] 打倒自公政権で証明済み 共産党抜き野党共闘はあり得ない ここがおかしい 小林節が斬る!(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
9. 未来のTOW[182] lqKXiILMVE9X 2017年9月05日 20:56:55 : UQBKKMhgtA : lBnoU1Fnfqg[1]

共産党が暴力政党だと言われるゆえんは、1951年に「武装闘争路線」を正式に採択したこと。
中核自衛隊、山村工作隊などの非合法組織が、火炎瓶作成などの方法を広め、暴力革命を目指した。

白鳥事件や吹田事件で警官隊と衝突し、双方に死傷者が出た。
この時期の共産党は、民主主義路線を投げ捨て、暴力によって政府打倒を図っていたのが特徴だ。
共産党に詳しい者であれば、この時期の共産党の活動がのちの新左翼につながることぐらいは知っているだろう。

もっとも、1955年の六全協で共産党は武装闘争路線を放棄した。
その時、一連の活動は「共産党内部のクーデター」という立場を崩さず、「共産党中央の意志とは無関係」と現在でも主張している。

しかし、武装闘争路線自体は1951年の四全協や五全協で採択されたものであるし、
当時多数派であった徳田球一氏を中心とした所感派が暴力革命を主張していたこと、それに対抗する「国際派」も自己批判によって暴力革命路線に追従したことから、
「クーデター」と呼ぶには幹部がそろい過ぎている。

宮本顕治氏の国際派も、当初はコミンフォルムの平和革命論批判を受け入れる態度を示していたし、当時の共産党全体が暴力革命に何かしら関わっていた。

この武装闘争路線について、共産党は今でもなお振り返ることを拒んでいる。
共産党にとって都合の悪い歴史なのだろう。
共産党は新左翼と仲が悪いが、新左翼の原因となったのは共産党自身だし、「暴力革命」と煽りまくっておいて、後からハシゴを外したのも共産党だ。

「歴史を美化するな」というのは左派の常套句だが、共産党の武装闘争路線という歴史も直視する必要があるのではないかな?

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