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UMjKbkj6GCE コメント履歴 No: 100000
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[戦争b19] HIMAZIN よ、私の投稿の宣伝をしてくれて有り難う。 晴れ間
5. 母系社会[1273] leqMbo7Qie8 2017年1月16日 05:26:10 : KzoCLZA4oU : UMjKbkj6GCE[1]

●宗教は、そもそも単なる「心の問題」だけを扱うものではなく、人間の生き方、生活の仕方、社会の在り方までも規定していたので、その時々の政治権力とも厳しく対立し、場合によっては戦争をする場合もあった。全ての宗教教団はオウムのように、国家内国家という面もある。

(たとえば、イスラム教だけでなく、かつてはキリスト教も利子を禁止していたし、できるだけ牛や豚などの肉食も減らすように信者に説いていた。それで、16世紀にオランダの漁業が盛んになって大量の魚が供給されるようになると、ヨーロッパのキリスト教徒も肉食を減らすために2日に1日は魚を食べるようになり、オランダは、この漁業での儲けを資本に海上帝国を建設して、日本にまで進出してきた)

というのは、そもそも初期のほとんどの部族は、一つの同じ宗教を奉じる宗教教団のような存在、つまり祭政一致の共同体であったから、宗教の戒律に基づいて社会の構造が形成されていたからである。

(例外は初期の仏教のみ。なぜなら、釈迦が説いた原始仏教は宗教というよりも、一種の思想運動=世界観の変更運動だったからである。ただし、釈迦は政治的には平等主義者であり、またマガダ国の王であったアジャータシャトル=阿闍世の質問に答えて、政治体制については共和制を採用していたヴァッジ族を支持すると言ったので、釈迦は平等主義の共和主義者、つまり民主主義者であった)

●ローマ帝国内にキリスト教が浸透して弾圧されると、キリスト教は「カエサルの物はカエサルに」として、政治権力と妥協して「心の問題」だけを扱うようになって公認された。しかし、キリスト教がローマ帝国の国教となると、キリスト教は徐々に、政治権力よりも上位の存在となった。

キリスト教を国教としたヨーロッパ諸国では、王が新しい法を布告する時に司祭が呼ばれて、その新しい法の根拠として利用できる聖書の章句を探させ、その章句を根拠にして、法が布告されるようになった。要するに、ローマ教皇が事実上のヨーロッパ皇帝となり、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が、雪が降る中3日間も裸足のままで断食して、ローマ教皇グレゴリウス7世に破門の解除を願う「カノッサの屈辱」のような事態が生じた。

これは、キリスト教=カトリックを国教化したヨーロッパ諸国は、ローマ教皇を頂点とする一つの同じ宗教=カトリックを奉じる初期の宗教教団のような祭政一致の集団になったことを示した。ヨーロッパ諸国は、カトリックの戒律に基づいて社会の構造が形成・運営されているという幻想が流布され、民衆の目から不平等な搾取社会を隠蔽した。ヨーロッパの搾取社会=格差社会を正当化するのに「聖書」が利用されるようになった。

●しかし、その後カトリックが腐敗堕落していることを民衆も自覚するようになって宗教戦争が起きた。この戦争で、ローマ教皇と政治権力との力関係が逆転して宗教の権威は地に落ちて政治から宗教教団は排除され、宗教は「心の問題」だけを扱うこと、つまり「政教分離」が国家の原則となった。

これが、世界中に広まって戦後、日本でも「政教分離」が国家の原則となって、宗教は「心の問題」だけを扱うという宗教観が日本社会にも浸透した。しかし現代では、宗教を政治から排除した「民主的」であるはずの政治権力も腐敗堕落することが明らかになったのである。

しかも、この巨大資本が操る「民主的」政治権力の腐敗堕落は極限に達し、1%と99%の財産がイコールになるという信じ難い実態が明らかになった。しかし、政治権力とマスゴミを支配している巨大資本は、国民がこれを解決すべき大問題と考えないように、必死に国民の意識操作作戦を実施している。

●このようなマスゴミによる意識操作で、深刻な格差問題や原発の真実が隠蔽され、また、破局的な戦争を誘発しかねない挑発行動が、白昼堂々と民衆の目の前でなされている。だから、各宗教教団も「心の問題」だけを扱うだけでは信者の生命や幸福を守ることが出来ないことを自覚すべき時が来たのである。

つまり、各宗教教団も現代社会の真実の姿を認識し、各教団の立場で解決策を協議し、信者に問題解決を呼びかけるべきである。なぜなら、各宗教教団は民主的に選出された政治権力であれば信者(国民)を裏切らないという前提で、「政教分離」の原則に同意したはずであり、この前提がウソであることが明らかになったからである。

●イスラム教は今でも、不労所得である利子を禁止しているが、キリスト教も16世紀頃までは、信者に利子の取得を厳しく禁止していた。キリスト教の教義でも、不労所得である利子を禁止しているからである。しかし、ローマ教皇はなし崩し的に利子の取得を黙認するようになってしまった。

だから、ローマ教皇は、キリスト教の教義でも利子は禁止であることを信者に呼びかけると共に、他の宗教教団とも協議して<利子の禁止>で意思統一し、戦争を誘発する資本主義の息の根を止めるべきである。なぜなら、この利子こそが、お金を神として崇め奉る<資本主義>という現代型「宗教」の「ご本尊」だからである。

●善や悪、正義や不正義は、情況により変わるのである。永久に正しいことなど、ほとんど無い。労働組合も含めて、巨大資本に対抗してきた勢力は、ほとんど全て巨大資本に取り込まれてしまい、ほぼ消滅してしまった。しかし、新たな巨大地震により、福一のような原発の過酷事故が再び起きる可能性がある。日本の存立さえもが危ぶまれているのである。

しかし、巨大資本とその背後にいる海外勢力に対抗できるのは、今の日本には宗教教団ぐらいしか無いのが実情である。各宗教教団は「心の問題」だけでなく、社会の理想的な在り方も協議して、その成果を社会に提言すべきではないか?また、われわれも、国民(信者)を裏切らない真の民主的政治権力が樹立されるまで、「政教分離」の原則も根本から見直すべきではないだろうか?

具体的には、「創価学会=公明党」だけでなく他の宗教団体も、「創価学会=公明党」のような形態で、更に深く政治に関わるべきではないか?


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