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[政治・選挙・NHK50] 脱北女性、朝鮮総連を提訴へ;帰還事業で「虚偽の説明」(参考記事「小泉首相の父親、在日朝鮮人の北朝鮮送還事業を主導」) passenger
1. 2016年3月30日 13:47:23 : i37evq7L62 : LwmOfbtoS0Q[1]
まとめたニュース

2015年12月15日 Tweet

地上の楽園に帰国したのに逃げ戻ってきた在日朝鮮人、総連に騙されたと謝罪要求
http://matometanews.com/archives/1793234.html

(※ソース削除の貴重な記事なので全文転載)


1 : ◆c7UNierYy2 おなきっつぁんφ ★ :2015/12/15(火) 10:21:06.10 *.net
(朝鮮日報日本語版) 脱北70代女性、「地上の楽園」に同胞を送った朝鮮総連に抗議

朝鮮日報日本語版 12月15日(火)8時9分配信


 1959年12月14日、新潟港。在日朝鮮人975人が晴れやかな顔でソ連船「クリリオン号」と「トボリスク号」に乗った。「チョーセンジン」と呼ばれて差別される国を離れ、「地上の楽園」北朝鮮に行く第1次帰国船だった。翌年4万9036人、その翌年には2万2001人が北朝鮮に向かった。25年間で合計9万3340人が北朝鮮の清津港で降りた。

 そうして日本を離れた帰国者の1人だった川崎栄子さん(72)が14日、東京都内の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)本部前で「人間なら謝罪せよ」と叫んだ。堅く閉ざされた鉄扉の下で、在日朝鮮人の帰国事業により北朝鮮に送られた同胞の実態を調査せよとして「人権救済申請書」を差し出した。

 「56年前のあなたたちのうそにだまされて最初の帰国船が出発した。過ちを認め、北朝鮮に送られた同胞たちが自由に往来できるよう北朝鮮当局に要求せよ」

 韓半島(朝鮮半島)出身の両親のもとに京都で生まれた川崎さんは、1960年17歳の時に帰国船に乗った。北朝鮮の男性と結婚し、子ども4人と暮らしていたが夫と死別、還暦の時に北朝鮮両江道を離れて中国・瀋陽を経由し、京都に戻ってきた。日本で暮らしていた時は「朝鮮から来た」と、北朝鮮で暮らしていた時は「日本から来た」と差別された。●だが、差別されるのを嫌った人がどうして余生を過ごす国として日本を選んだのだろうか。

 日本は脱北者のうち、帰国事業で北朝鮮に行った同胞とその子孫だけを限定的に受け入れている。現在、日本全国にはそうした人々が約200人いるが、ほとんどが北朝鮮に残った家族のことを心配して顔や氏名を隠して暮らしている。川崎さんも10年間そうして生きてきたものの、70歳の時に考えが変わった。昨年実名を公開して国連で証言、帰国事業で北朝鮮に行き、脱北した人々を集めて非政府組織(NGO)団体「モドゥ・モイジャ(みんな集まろうの意)」という非政府組織(NGO)団体を立ち上げた。川崎さんも子ども4人のうち娘1人と孫1人を除く親族がまだ北朝鮮にいる。

 「私は自分の子どもたちが北朝鮮のどこで暮らしているか知っている。私のせいで子どもたちに何かがあったら、子どもたちとまた連絡が取れるようになるまでもっと多くの証言をする。『私の子どもたちが無事だという証拠を出せ』と北朝鮮赤十字社に訴えるだろう」

 20年以上も脱北者の人権運動を続けてきた小川晴久東京大学名誉教授(74)も一緒に来た。小川名誉教授は「私もかつて北朝鮮を支持していた」と告白、朝鮮総連の建物に向かって「謝罪せよ」と叫んだ。

http:// headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151215-00000625-chosun-kr (削除)

転載元スレッド:http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/dqnplus/1450142466/(削除)
地上の楽園に帰国したのに逃げ戻ってきた在日、総連に騙されたと謝罪要求

http://www.asyura2.com/08/senkyo50/msg/680.html#c1

[政治・選挙・NHK50] 脱北女性、朝鮮総連を提訴へ;帰還事業で「虚偽の説明」(参考記事「小泉首相の父親、在日朝鮮人の北朝鮮送還事業を主導」) passenger
2. 2016年3月30日 14:47:24 : i37evq7L62 : LwmOfbtoS0Q[2]
北朝鮮帰国事業の罪
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2463/kikokuzigyou_notumi.htm#top
(※朝鮮人強制連行だの酷い差別だのという一説には納得いかないものの、体験者(李英和氏)による貴重な証言なので全文転載する。意外なことに彼は日本政府を恨んでいない。暇がある人はご一読を)


(李英和氏の言葉)

>それから長年北朝鮮で暮らしている間、わたしは日本の進歩的な言論人や知識人らの無責任さ、その罪深い所業を呪わずにいられなかった。『地獄への道は善意のジュータンで敷きつめられている』という格言があるが、彼らこそまさに、この言葉を地でいき、結果的に善良な在日同胞、ことに総聯傘下の同胞、そして日本人妻たちを北朝鮮に追いやる犯罪的な帰国運動に手を貸したと言えるのではあるまいか。

(井沢氏の言葉)

>北朝鮮へ行った10万人の中には、朝日がそう書いているんだから大丈夫だと思って決断した人が大勢いると思います。


====転載開始===


<記事内容目次>
北朝鮮帰国事業の実態 / 北朝鮮帰国を煽った進歩的文化人 / 北朝鮮帰国事業の批判


●北朝鮮を母国とする朝鮮総連の人達は、朝鮮半島の北部出身者だと勘違いしてはいませんか? 

●実はほとんどの人が南部出身なのです。貧困にあえぐ多くの人が、韓国政府による事実上の棄民政策と、左翼勢力の大量宣伝に乗せられて北朝鮮へ帰国していきました。

●しかし北朝鮮の実態が「地上の楽園」から「この世の地獄」と明らかになっても、北を支持し続けざるをえませんでした。ここに、この問題の複雑な所があります。

●また、彼らの帰国 (日本人もいた)に少なからぬ影響を与えた日本のマスコミ・進歩的文化人は、世の指弾を受けねばならない時がいつか来ることでしょう。


在日コリアン1世のほとんどが朝鮮半島南部出身者で、北朝鮮支持者といえども朝鮮半島南部出身者である。
朝日新聞 2000年8月2日号
在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総聯)は1日、記者会見を開き南北朝鮮閣僚級会議で合意された「総連会員の在日朝鮮人の韓国訪問推進」に歓迎を表し、今月15日の「光復節」にも訪問を実現することを目指して準備をはじめたことを明らかにした。徐萬述・総連中央常任委第一副議長が会見し、
「在日同胞の98パーセント以上が南出身者で、故郷への帰還や肉親との再会を果たせずにいた。合意は南北会談の輝かしい結実。みな感激と昂奮に包まれている」
と合意を歓迎した。また、会員から訪問の希望が殺到しており、可能なら、祖国解放記念日の8月15日に最初の訪問を実現するために準備に入ったことを明らかにした。


北朝鮮帰国事業の実態
朝鮮総連が鳴り物入りで展開した帰国事業。『教育も医療も無料の社会主義祖国』 『地上の楽園・共和国』とのうたい文句を額面どおりに信じて、九万数千人の在日朝鮮人(日本人妻を含む)が北に帰った。

(1) 北へ渡った南出身の貧しい人たち
「朝鮮総連と収容所共和国」 李英和 1999年 小学館文庫
●終戦当時、日本には二百数十万人以上の在日朝鮮人がいた。そのほとんどは、終戦直後の引き揚げ事業や自力渡航で朝鮮半鳥に続々と帰還して行った。遅い時期に日本に渡って来た者、あるいは強制連行で無理やり連れて来られた者。これらの朝鮮人ほど帰国を急いだ。地縁・血緑など祖国とのつながりが強く残っていたからである。比較的早い時期の渡航朝鮮入は引き揚げようにも、祖国にはすでに住居もなければ、耕す田畑もなかった。頼りにすべき親類縁者とは、長い年月の間にすっかり関係が希薄になっていた。私の祖父母の場合は、後者のケースに該当する。

●おまけに大半の朝鮮人の故郷である韓国でコレラが大発生したり、米軍の軍政下で社会混乱が起きた。さらに朝鮮戦争(50〜53年)の勃発が、帰るべき祖国を灰燼に帰してしまう。様子眺めをしたり、帰るに帰れなくなった朝鮮人が日本に多数とどまった。この60万人ほどが、現在の在日韓国・朝鮮人の基数となる。

●ところが、終戦から14年経った頃に突然、第二の引き揚げブームが起きた。1959年12月14日、在日朝鮮人の北朝鮮への帰還が始まった。日・朝両国の赤十宇社の協定(59年8月13日調印)によるものだった。一般に「帰国事業」と呼ばれるものである。以後、3年問の中断期(68〜70年)をはさんで、84年までに果計で約9万3000人余りが北朝鮮に永住帰国した。その中には、日本人配偶者とその子供も含まれる。当時の日本は、いまと違って、父系血統主義を採っていた。その国籍法によれば、厳密な意味での日本人は約6600人だった。その内「日本人妻」と称される人たちが約1800人いる。数は少ないが「日本人夫」もいた。

●この「帰国事業」は、いまから考えてみると、奇妙なものだった。在日朝鮮人は、その98パーセントが「南半分」、つまり今の韓国出身である。だから、厳密にいえば、北朝鮮は故郷ではない。守るべき祖先の墓もなければ、頼るべき親類縁者もほとんどいない、「異郷の地」だった。だのに、この人たちは北朝鮮へと「帰った」そのせいもあってか、韓国政府は、「帰国事業」という用語を使わない。「北送事業」と呼んでいる。「帰国者」も「北送者」と称する。ともかく、歴史上でも稀に見る性格の「大量移住」だったことだけはまちがいない。

それだけに、その背景や動機には、複雑なものがある。この点で、帰国事業は大きくふたつの時期に区分できる。
68〜70年の中断期をはさんで、ちょうど前期と後期にわかれる。大半は前期の帰国事業で「北」に渡った。その帰国者たちの背景と動機は、次の三点に尽きる。(1)日本での生活難と将来への不安、(2)韓国政府による事実上の「棄民政策」、そしてなにより(3)北朝鮮政府による荒唐無稽な「地上の楽園」宣伝だった。帰国者の動機は単純だった。同時に、その単純さは、重苦しい現実を反映している。

まっさきに挙げられるべき理由は「貧困」である。高度経済成長の恩恵にあずかるまで、在日朝鮮人の生活は困窮をきわめた。たしかに、1950年代は、日本人もそれはど豊かでなかった。だが、在日朝鮮人の場合、差別が貧困にいっそう拍車をかけていた。なかでも、在日朝鮮人をひどく苦しめたのが雇用差別だった。大手企業への就職などは夢のまた夢。中小零細企業でも、正規採用ははとんど望めなかった。パチンコ屋や飲食業の店員、臨時雇いの工員、そして日雇い労働者といったところだった。おかげで、貧困にあえぐ世帯が多かった。このあたりの事情は、被差別部落の場合と似通っている。だが、在日朝鮮人は外国人だという点が決定的に違った。法制度による差別を受けることになるからだ。
(中略)
これで「貧乏をするな」と言うほうが無理というものだろう。おかげで、在日朝鮮人の生活保護率も高かった。私が生まれた54年末の数字を見てみよう。当時、生活保護を受ける在日朝鮮人は約13万人だった。実に、朝鮮人全体の約23パーセントにのぼる。日本人の場合は2パーセントだった。


(2) 左翼陣営が煽った北朝鮮帰国事業
「朝鮮総連と収容所共和国」 李英和 1999年 小学館文庫
●当時の日本共産党は、武装闘争のせいで、支待者を大きく失っていた。そんな共産党にとって、元党員を含む在日朝鮮人の存在は大きかった。家の軒先に選挙用のポスターを貼るにも在日朝鮮人はこころよく応じた。共産党と労働党・朝鮮総連との友好協力関係は、77年頃まで続く。日本政府は、治安維待の観点から、この左傾化した在日朝鮮人運動を嫌った。そんなときに、北朝鮮政府と朝鮮総連の主導によって帰国事業が始められた。日本政府にとって、「渡りに船」の出来事だった。「厄介者払い」ができるからである。帰国事業に対する日本政府の積極的姿勢。そこには、こんな経済的、政治的な思惑が込められていた。

●なお、この積極的姿勢を指して、日本政府による「民族浄化」政策だった、と主張するむきもある。だから、帰国者の悲惨な運命に日本政府と日本赤十字社が相応の責任を負うべきだという。こんな奇論を、帰国事業を担当した朝鮮総連の元幹部が待ち出した。韓国の一部言論機関も、さも大発見であるかのように、これを書き立てた。見当違いもはなはだしい。たしかに、帰国者が向かったのは「南」でなく、「北」だった。日本政府も費用面で援助をした。

●だが、韓国政府が棄民政策をとらず、民団が帰国事業を実施していたら……。日本政府は同じように援助しただろう。行く先が「南」であれ「北」であれ、日本政府にとっては、どちらでもよかったからだ。何でもかんでも日本政府のせいにすれぱよい、というものではない。これを聞いて誰より驚くのは、北朝鮮当局であり、朝鮮総連だろう。帰国事業は、北朝鮮政府が立案し、朝鮮総連が音頭を取った。日本政府は何らの強制措置も採らなかった。日本赤十字社は、帰国希望者に対し、「自由意思」によるものかどうかをチェックした。韓国政府と民団が、帰国事業の実施に反対し、「人道に反する」と抗議活動を行っていたからだ。このことに疑いをはさむ余地はない。

●実際、「帰国要求運動」はすさまじかった。「熱病」のような勢いで日本全土の在日朝鮮人を覆った。「帰国熱」の伝播は、北朝鮮当局と朝鮮総連によって、用意周到に練リあげられたものだった.。まずは、13回目の祖国解放記念日(58年8月15日)に合わせ、神奈川県で朝鮮総連が帰国希望の手紙を金日成首相(当時)に送った。同県は韓徳銖(ハンドクス)議長のお膝元だった。これを受けて、金日成は高らかに歓迎演説をする。58年9月9日、10回目の北朝鮮建国記念日のことだ。演説内容は、帰国の援助と帰国後の生活保障だった。これで帰国熱に一気に火がついた。帰国の早期実現を求める集会が、全国各地で開催される。その回数は二千回以上にのぼった。

●北朝鮮の楽園ぶりを紹介する宣伝物が、在日朝鮮人家庭に洪水のように配られる。地方自治体への請願活動も活発に行われた。早期実現を求める自治体決議が続々と採択される。その数は、46の都道府県、290の市区町村に及んだ。日本の左翼・進歩的知識人やマスコミも、率先して帰国運動の援護射撃を引き受けた。なかでも有名なのが、寺尾五郎氏の北朝鮮訪問記(『38度線の北』新日本出版社)である。紙の銃口からは、「人道主義」と「社会主義賛美」の銃弾が、雨あられと撃ち出された。北朝鮮政府は素早く、日本政府との交渉をまとめた。熱病が冷め、集団催眠が醒めてしまわないうちに、トボリスク号とクリリオン号のソ連船二隻を配船した。1959年12月14日、凍てつくような冬の日である。
(中略)
●背中を押されるようにして、約10万人が永住帰国した。また、在日朝鮮人の家族として6000人余りの日本人も船上の人となった。ところが、帰国者を待ち受けていた運命は… 「温かい歓迎」どころか、祖国の「ひろい懐」で、労働党と現地住民の"狭い心"にさいなまれた。差別と監視の"洗礼"を受け、密告と粛清の対象とされた。日本での朝鮮人差別から逃れたい。日本では発揮できない知識や技術を祖国に役立てたい。そんな純粋で崇高な思いは、完全に裏切られた。帰国者の夢と希望は、北朝鮮当局の空約束によって、ものの見事に打ち砕かれる。実態は、国家ぐるみの大々的な「詐欺事件」であり、「殺人事件」だった。帰国者の居住地と職場は、労働党によって一方的に決定された。本人の経験や能力、夢や希望とは、まったく無関係だった。

●また、「日本出身者」という埋由で、労働党への入党は難しかった。70年代までは、庶民にとって党員への近道である人民軍への入隊も拒否された。信用ならない連中だから、というわけだろう。もっとも元日本共産党員は別扱いだったようだ。党員証を持っていれぱ、自動的に労働党員になれた。だが、元日本共産党員であることが、のちにかえって災いを招く結果となった。粛清時に、"宗派分子"の汚名を着せる格好の口実とされたからだ。

●必然的に帰国者の生活は苦しくなる。売り食いに次ぐ売り食いの末、とうとう日本からの"仕送り"で生き廷ぴるしかなくなった。ほとんどの者は「生き甲斐」を失い、その日その日を、ただ生きるだけとなった。もちろん、例外もいる。一握りの朝鮮総連の大幹部の肉親がそうだ。留学中、私はそんな人物に出全ったことがある。朝鮮総連の韓徳銖議長の甥っ子だった。彼は破格の待遇を受けていた。私の留学先の社会科学院に勤める研究者だった。だが、仕事もしなければ、勤務先にもほとんど顔を出さない。それでいて、一般の帰国者とはかけ離れた生活ぶりだった。金正日御用達の煙草(ロスマンズ)を吸っては、日本製の自家用車を乗り回す。特別待遇と多額の仕送りのたまものである。

●なにより帰国者の気持ちを重くし、暗くさせたのは、日本出身者への厳然たる差別の存在だった。地方の工場や拡山、農場に強制的に分散配置された帰国者たち。この元在日朝鮮人は、"キポ"(帰胞)や"チェポ"(在胞)とさげすまれた。


(3) 北へ帰国した親族は人質同然となった
「朝鮮総連と収容所共和国」 李英和 1999年 小学館文庫
●「帰国事業」は、労働党と朝鮮総連が展開した、60年代初頭にはじまる北朝鮮への大々的な帰還運動である。以来、68〜70年の中断期間を挟んで、59年(12月)から84年までに約9万3000人が北朝鮮に永住帰国した。これには、在日朝鮮人に同行した約6600人の日本人の配偶者や子供が含まれる(内、日本人妻は約1800人)。この帰国事業は、いま考えれば奇妙なものであった。上述のように在日韓国・朝鮮人の98パーセントは南出身である。したがって北朝鮮に地縁や血縁はない。終戦直後の46年の帰還希望調査でも、約98パーセントは現在の韓国を帰還地に選んだ(厚生省調ベ)。しかも60年代初めといえば、朝鮮戦争の荒廃から、北朝鮮がようやく復興しはじめた矢先である。たしかに当時、民族差別による日本での生活難には厳しいものがあった。だが、常識的に考えれば、北朝鮮での暮らし両きが良かろうはずのないことは容易に想像がつく。それでも、60〜61年の2年間に全体の約7割が永住帰国した。

●在日朝鮮人が北朝鮮に渡ったのは、たぶんに政治的動機による。日本社会での差別と蔑視への反発を下地にした社会主義への憧れである。一方、在日朝鮮人を引き寄せたのも、労働党と朝鮮総連の政治的動機だった。労働力と技術者不足の解消という側面もあったが、たぶんに政治宣伝の色彩が強かった。実際、金日成は帰国事業を指して「資本主義に対する社会主義体制の優越性の勝利」と宣言した。ここに悲劇がはじまる。帰国者約十万人といえば、朝鮮籍と韓国籍を合わせた在日韓国・朝鮮人の全人口の6〜7人に1人に相当する。単純計算すれば、身内の誰かが北朝鮮に帰国したことになる。政治宣伝の熱病がおさまると、労働党は帰国者を厄介者扱いしはじめる。資本主義思想の流入を恐れ、「社会主義建設の否定的要素」と規定した。厳しい監視と差別に反発する帰国者は殺されるか、強制取容所に送られた。生き残った者はすさまじい貧困にさらされた。

●こうして在日韓国・朝鮮人は、帰国した親族を見殺しにするか、仕送りをするかの選択を追られた。多くは後者を採り、30年以上もせっせと仕送りを続けている。帰国者は完全に「人質」となったのである。70年代半ばに西側銀行団への借全返済が滞りはじめると、労働党は在日朝鮮人の親族訪問を解禁する(79年)。83年に完全に利払いもできなくなるや、在日朝鮮人との合弁事業を発表する(84年「合営法」制定)。いずれも帰国者を「人質」に、在日朝鮮人と有力商工人から、より大々的に金品を巻き上げる算段だった。合弁会社への在日朝鮮人の投資は総額130億円(92年現在)にのぼるが、そのほんどは失敗に終わっている。

●最近では、仕送りをするのにも心配の種が増えた。経済破綻で悪化した治安のため、仕送りのある帰国者が強盗に襲われ、一家皆殺しになる事件が起きるようになったからだ。日本や韓国、それに朝鮮総連が送ったコメが党幹部に横取りされる。それを闇市場で帰国者が仕送りの日本円で買って飢えをしのぐ。そんな光景を親族訪問で目の当たりにして、「これまでなにをしてきたのだろう」と心の中で悲鳴をあげる。仕送りに疲れ果て、帰国した親族の餓死と引き換えにしてでも、独裁者への経済支援を断ち切る在日朝鮮人が増えてきている。こんな眼に遇わされても、在日朝鮮人は朝鮮総連にとどまらざるをえなかった。「社会主義祖国のために」という労働党−朝鮮総連の決まり文句。帰国者を人質にとられた在日朝鮮人にとって、これは文字通りの「殺し文句」と聞こえたからである。一方、朝鮮総連の幹部たちは、帰国事業という取り返しのつかない大罪に恐れおののき、労働党との心中を決め込む。これが朝鮮総連の組織内部での反抗を封じ込め、自浄能力を喪失せしめる最大の要因となった。


●朝日新聞は北朝鮮帰国を煽った代表的マスコミです。

「虚報の構造オオカミ少年の系譜」 井沢元彦 1995年 小学館 
●なぜ在日朝鮮人は、「凍土の共和国」へ続々と帰国していったのか。それは朝日を中心とする大新聞が、盛んに「北朝鮮よいとこ」という虚報を流し、帰国熱をあおったからである。たとえば、昭和35年(1960)2月26日付の朝日新聞朝刊では、「希望者ふえる一方」との大見出しで、

●(北朝鮮への)「帰還希望者がふえたのはなんといっても『完全就職、生活保障』と伝えられた北朝鮮の魅力らしい。各地の在日朝鮮人の多くは帰還実施まで、将来に希望の少ない日本の生活に愛想をつかしながらも、二度と戻れぬ日本を去って"未知の故国"へ渡るフンギリをつけかねていたらしい。ところが、第一船で帰った人たちに対する歓迎ぶりや、完備した受け入れ態勢、目覚ましい復興ぶり、などが報道され、さらに『明るい毎日の生活』を伝える帰還者たちの手紙が届いたため、帰還へ踏みきったようだ」

●こんなことを、日本で最も「信頼」されている天下の大朝日が書いたのである。しかも、これは特殊な例ではなく、この論調の記事は何度も書かれている。こういう記事を読み、自らの迷いに「フンギリ」をつけ「祖国」に渡って行き、過酷な弾圧と労働で死んでいった人々も大勢いるはずである。朝日は、一体こういう人々に、どう責任を取るつもりなのか。これは誤報ではない。明らかな虚報である。というのは朝日は戦後一貫して、共産圏の国々の真の姿を決して伝えようとはしなかったからである。そして、最も肝心なことは、こういう虚報が現在に至るまで一度も公式に訂正されたことはなく、しかも責任を取ってやめさせられた記者も一人もいないことだ。 


「帰国船 -北朝鮮 凍土への旅立ち-」 鄭箕海 1997 文春文庫
(朝鮮総連が鳴り物入りで展開した帰国事業。『教育も医療も無料の社会主義祖国』『地上の楽園・共和国』とのうたい文句を額面どおりに信じて、9万数千人の在日朝鮮人(日本人妻を含む)が北に帰った。本書の著者も希望に胸をふくらませて帰国したが、その34年後韓国に決死の亡命をした。)

●日本の新聞の無責任報道を呪う

●いつ頃のどの新聞だったか覚えていないが、帰国する前に読んだものだから1959年から60年初めの新聞である。その記事の見出しは、わたしの記憶に間違いがないとすれば、
『お金持ちの朝鮮、ドロボーのいない街平壌』
北朝鮮では金日成首相の指導のもと、人民が一丸となって社会主義建設を進めている。彼らの表情は生き生きとしており、その暮らしも日ごとに向上している。ドロボーがいないためホテルには鍵をかける必要もないほどだ… という内容の記事である。帰国する前、この類いの新聞記事をかなり目にした。

●『北朝鮮訪問記』のような本にも目を通した。その立場からして北朝鮮をほめるだけの総聯の人々と違って、日本人は第三者なのだから客観的な目で北朝鮮の実状を見聞し、それを公正に伝えていると思った。事実、わたしのような北朝鮮へ帰国したいという両親の意思と、帰りたくないという本音との間で揺れ続け、帰国することを迷い、ためらっていた者には、日本言論による北朝鮮報道が絶大な影響を与えた。精神的にまだ幼かった17歳のわたしをして、それらの記事や訪問記などは、第三者である日本人の目にも、『共和国(北朝鮮)は立派に映っている。彼らが北朝鮮をお金持ちの国とまでいうのだから間違いないだろう』と、信じ込ませるには十分すぎた。

●実際にもわたしは、それら読み物をむさぼるように読みあさって、最終的に帰国を決断したのである。日本のジャーナリストや学者の書いたものを鵜呑みにするほうが間違っている、と言われればそれまでだが、それから長年北朝鮮で暮らしている間、わたしは日本の進歩的な言論人や知識人らの無責任さ、その罪深い所業を呪わずにいられなかった。『地獄への道は善意のジュータンで敷きつめられている』という格言があるが、彼らこそまさに、この言葉を地でいき、結果的に善良な在日同胞、ことに総聯傘下の同胞、そして日本人妻たちを北朝鮮に追いやる犯罪的な帰国運動に手を貸したと言えるのではあるまいか。


進歩的文化人 (笑) の罪、北朝鮮賛美のプロパガンダ文集 .. 


行間を読むと北朝鮮マンセーという文字が見えてきます。 (笑)

「38度線の北」 寺尾五郎 1959年 新日本出版社 (「韓国のイメージ」鄭大均 より)
日本に帰って朝鮮の建設ぶりの千里の駒の勢いを話すと、強制労働ではないか、党の監視で泣き泣き働いているのではないか、と質間される。こう質問する人は、または意識的にそういう中傷をしている人は、そのような言葉が朝鮮を傷つけ、ひいては自分自身を傷つけているのである。誰が強制や圧迫であんなに無我夢中で働くパカがいるか、そういう質間や中傷をしている人だって、強制によってあんなに働かされたら憤然とするだろうし、時によっては、武器をとって叛乱さえおこすだろう。人間は強制によって絶対に動かすことのできない存在である。

(中略)まして、あの気性の激しい朝鮮の北方の人々が、強制や監視で働き廻るものでもあるまい。また、そんなに連日、精魂のかぎり働きつづけたのでは、息がつまってしまいはしないかとも質問される。私もまた、現地の朝鮮でそう質問してみた。答えは、/「とんでもない、面白くて仕様がないのですよ。たまに休むと苦しくて息がつまりそうです」/というのだ。どうも私たちにはピーンと来ない返事だ。/そうであろう。食うために、金を稼ぎ出すために、イヤイヤながら働くという経験以外に経験のない社会に生きた人間にとっては、理解できないエネルギーなのである。/今の朝鮮人にとっては、仕事は労働であり、嗜好も労働であり、娯楽も労働なのである。/目に見えて成果のあがることをやっている時はどんな人間だって大張りきりに張り切るものである。

事実、朝鮮では、一日々々の労働がそのまま、目に見えて、国家と彼自身とを豊かにさす成果をあげているのである。労働が苦痛をともなわない喜びにかわりつつある。/だから私のような怠け者でも、箸一本、自分で生産したことのない人間でも、朝鮮にいると、あの大衆的雰囲気の中で、いつの間にか妙に体を動かしてみたくなり、力いっばい働いてみたくなるから不思議である。労働意欲という病気に感染してしまうのである。

(中略)
五ヵ年計画が完了した暁には、北朝鮮の一人当たり生産額は、鉄鋼を除くすべての分野で、日本の1957年水準を追い抜き、「日本が東洋一の工業国を自負していられるのは、せいぜい今年か来年のうちだけである」「ソ連はアメリカを追い越し、中国は英国を追い越し、朝鮮はその北半部だけで目本を追い越すとしたら、世界はどう変わるであろうか」、「千里の駒が走りだし」「万馬が一斉に奔走しはじめた」というわけである。


これってラブレターじゃないの?

岡本愛彦 「チュチェの国 朝鮮を訪ねて」 1974年 読売新聞社 (「韓国のイメージ」鄭大均 より)
一つの国そのものが芸術の具現である国家、そうした国が何時かはこの地球上に生まれるに違いないと私は永い間考えつづけて来た。

(中略)
芸術が真に人民のものであり、人民が創造した芸術によって人民が感動し、心を洗われ、勇気を得る社会は、当然人民が真に主権者である社会でなければならない。/特定の少数者の居ない社会でなければならない。差別や貧困を許さない、人間の真の自由と解放をかち得た社会でなければならない。/永い間私の心を占めて来た理想としての「芸術的な国」像は、漠然とそんな像だった。

そして今、私がかつて理想とした一つの国家が、確実にこの地球上に誕生したのだ。その国は若々しく、精気に充ち、常に躍動し、人々の顔は明るく、少年少女の笑顔は美しい。常に「自ら革命と建設の主人」であり、すべての人民が「芸術創造の主体」である国、それが朝鮮民主主義人民共和国である。


●さすがノーベル賞作家は新婚初夜に考えることが違います。(笑) 

「わがテレビ体験」 大江健三郎 (「群像」昭和36年3月号より) (「こんな日本に誰がした」 谷沢永一より)
結婚式をあげて深夜に戻ってきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。

それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る…。このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。

●現在でもアメリカやフランスに憧れている人はいますが、大江氏のように日本人であることを後悔する人はいないと思います。


「     … 。」
「二十歳の日本人」 (エッセイ集「厳粛な綱渡り」より) 大江健三郎 文藝春秋刊・昭和四十年(「こんな日本に誰がした」 谷沢永一より)
●北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいして小姑的な敏感さをもつが、それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて自分およぴ自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。

●逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかずにはいられない。北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、南朝鮮の希望にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじあわせる。

●日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、うしろ向きに閉ざされていない。しかし日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけられているのでない。


小説「キューポラのある街2 未成年」 早船ちよ 1977年 (「韓国のイメージ」鄭大均 より)
北朝鮮に帰還した金山ヨシエから、埼玉県川口市の中学校時代の級友ジュンとノブ子に宛てられた次のような手紙が挿入されている。

「わたし、あなたたちふたりに、ぜひ話したい、きいてもらいたいことで、いっぱいです。帰国以来二年半のうちに、わたしたちの祖国がどんなに発展したか。それは言葉では、よく伝えられそうもないので、きて見てほしいと思います。それから、ヨシエが、どんなに成長し、かわったか。わたしが、じぶんでいうのもおかしいほどなのよ。

それよりも何よりも、もっと、びっくりするのは、父のかわりようでしょうね。お目にかけられたら、それこそ、すっかり別人と見まちがいされることでしょう。(中略)父は、戦時中に東京で徴用されて、墨田区向島の鋳物工場で焼玉エンジンをつくる下働きの経験があり、戦後は、川口の鋳物工場で、ミシン部品や機械鋳物をつくるのに、雑役をやらされました。父は鋳物しごとなら、戦中・戦後のそれらの経験と見よう見まねで、何とかこなせる、と思いました。しかし、こんどのように、工場のほんの一部分にしろ、自分の責任で任されたのは、生まれてはじめてです。父は、少年が、プラ・モデルに熱中するみたいに、もう、まるで夢中です。朝から晩まで、そして、帰ってからも、寝る時間がおしいように、しごとにうちこみはじめました。川口にいたときの父とは、ぜんぜん、人間がかわってしまいました。

(中略)父は、新築の労働者アパートをもらったのがうれしくて、そうじと手入れ、まわりの植樹、そのほか、思いついたことは、どしどしやって、わたしをびっくりさせます。わたしも、そのアパートに、独立したひとつの部屋をもらいました。わたしが、自分自身の部屋をもつなんて、まあ、まるで夢みたいな現実よ。見てください。これが、わたしたちのアパート。町の大通りに面して、堂々と立ち並んでいるでしょう。この労働者住宅のあいだには、託児所、学校、図書館などがあり、街の中心に官庁があるのです。それから、劇場も、映画館も。買い物は、アパートの一階にある売店でします。とても便利よ。すべて労働者の生活単位に街づくりが考えられていて、便利で清潔で美しいです。

(中略)いつの日にか、ジュン! ノブ子!あなたたちと、ここに立って語りあえたら……と考えて、胸があつくなりました。」

●この美しい作り 話に感動した人はだまされやすい人です。


●現職の東京都知事が北朝鮮を訪問し、金日成首相と会って感激したのか、ヨイショしまくってます。
美濃部亮吉 金日成首相会見記 「世界」 1972年2月号 (「主席金日成」 平成4年 より)
美濃部都知事
一昨日からいろいろな所を参観しています。工業農業展覧館、キム・イルソン総合大学を参観しましたし、昨夜は、歌と舞踊を見物しました。わたしは、お世辞で言うのではなく、キム・イルソン首相の指導されておられる社会主義建設にまったく頭が下がるばかりで、感心しています。

金日成首相
ありがとうございます。

美濃部都知事
●私と一緒に来た小森君とも話したのですが、資本主義と社会主義の競争では、平壌の現状を見るだけで、その結論は明らかです。我々は、資本主義の負けが明らかであると話し合いました。
これから残っている数日間に、できるだけたくさん見て回り、非常に困難な状況にある東京都の建設に我々が利用できるものは、できるだけ利用したいという考えを持っております。


1972年は札幌冬季オリンピックが開かれた年、大阪万博は70年、高度経済成長の真っ只中でした。なぜこういう結論になるのでしょう?左翼連中の考えることはさっぱりわからん。


左翼はこんなことを言っていた! Link 北朝鮮礼賛集 (HP 秋津嶋案内所)
http://isweb34.infoseek.co.jp/school/haniwa82/meigen/n-korea.html)(削除)
      ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( ゚Д゚)<  逝ってよし!
 UU ̄ ̄ U U  \______


Link 北朝鮮難民救援基金のHP 人民は餓え死んでも 特権層は私腹を肥やす地上最大の伏魔殿 北朝鮮
http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/isidan01.htm#label00
これが朝日新聞など左翼メディアと大江健三郎ら進歩的文化人が『地上の楽園』と賛美し帰国を煽った北朝鮮の実態だ! 彼らの責任は重い。

●北の実態が明らかになるとダンマリを決め込む無責任左翼に対し、彼らと北朝鮮を批判する人々


「ソウルと平壌」 萩原遼 1989年 (「韓国のイメージ」鄭大均 より)
●日がたつにつれて、この国はとほうもないいつわりの国ではないかと感じ始めた。いつわりを国家の政策として、国をあげてそれを遂行している恐ろしい国という認識がしだいに私の気持を支配し始めた。/そうでないものをそうだと言い張って人びとを信じこませる。私も信じて、だまされた一人だったが。使いたくない言葉だが、詐欺とよぶしか他に言葉がみつからない。その詐欺の第一は、「地上の楽園」。「この世にうらやむものはなにもない」という歌を北の人民はよく歌っている。あるいは歌わされている。明るく豊かな生活を享受する幸せな人民、それをもたらしてくれた偉大な金日成同志の肉親も及ばぬ配慮と、宣伝機関は終日くり返している。

●だが、すでにのべたように、私の狭い見聞からだけでも、宣伝とはほど遠い人民の生活である。アジアの多くの国々にみられる貧しい人民の国である。貧しさは罪でも恥でもない。だが、この国が他のアジアの貧しい国々と根本的に異なるのは、この貧しさをあらゆる力で隠蔽し、美しく飾りたてることである。

その努力が集中的に加えられるのが外国人の統制である。とりわけ西側の人間を怖れる。案内員と称するマンツーマンの監視人をつける。二人つける場合もある。一人では絶対にホテルの外に出させない。どこにいくにもついてくる。住民とじかに接しさせないためだ。平壌市内の中心町は表からみれば整然とした町だが、アバートの中庭に入ると洗灌物も干してある。黒ずんだ、ボロに近い下着が目に人る。衣類も乏しく、石齢が不足していることをいやでも感じる。それは貧しいなかでもけなげに生きていく人民の姿として私にはむしろ感動をもたらすのだが、北当局はそれを嫌う。写真でもとろうものなら案内人がどれほど激怒するか。そもそもアバートの中庭には入ってはならないのだ。結局そうした貧しい実態が外にもれて、南朝鮮の連中の反共、反共和国宣伝に使われるというのである。

その逆に、彼らの意にかなった「いい記事」を書いてくれる日本の商業紙記者などは下へもおかぬもてなしをする。


「虚報の構造オオカミ少年の系譜」 井沢元彦 1995年 小学館
北朝鮮礼賛記事の罪を問う (朝日新聞OB・作家稲垣武氏との対談) 

井沢
●北朝鮮は近いうちに崩壊すると思いますが、そうなったら、北朝鮮を美化した朝日の提灯記事を信じて行った日本人妻たちや在日朝鮮人が帰ってきて、涙ながらにあちらでの窮状を語り始めるでしょう。

稲垣
●それを最も恐れているのは、北朝鮮迎合記事を書き続けていた朝日の親北朝鮮記者の代表である岩垂弘・元編集委員らでしょう。北朝鮮に批判的な記事を書くと、たちまち朝鮮総聯の抗議行動に直面しますが、そんな時、交渉の窓ロ役を果たすのが親北朝鮮記者です。北朝鮮ベッタリの記事を黙認するのも、そのメリットがあるからです。

井沢
●北朝鮮へ行った10万人の中には、朝日がそう書いているんだから大丈夫だと思って決断した人が大勢いると思います。

稲垣
●北朝鮮ほど日本の新間記者に対してアメとムチをうまく使いわける国はありません。自分たちの気に入った記者しか呼ばない。で、お仕着せのネタを特ダネに仕立てて平壌発の記事を打たせる。少しでも批判的なことを書くと、二度とお呼びはかからない。というわけで、批判的なことを書いたらいけないんじやないかという恐怖感から、オウム記者が生まれる。

井沢
北朝鮮当局の主張をそのまま繰り返すだけ。情けないですね。

稲垣
●また北朝鮮へ渡った日本人妻や、日本から帰国した朝鮮人たちが差別されているという情報が亡命者から幾度も指摘されている。ところが朝日は、確認できないという理由でほとんど報道しようとしない。これは一種の悪しき現場主義ですな。

井沢
悪しき現場主義とは?

稲垣
北朝鮮は自由な取材ができないから、つまり現場を踏めないから報道できないという一種の口実ができるわけですよ。

井沢
●自由な取材ができないといっても、子供たちにいつも「金日成首領様のおかげです」と歌わせていた事実は、記者が目の前で見ているわけですよね。民主的とか何とかを問題にするなら、最も批判しなければいけない点だと思いますが。

稲垣
そういう点に目をつぶるから、共産圏報道では虚報が生まれてしまう。


===転載終わり===


その他の在日問題
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2463/sonota.htm


http://www.asyura2.com/08/senkyo50/msg/680.html#c2

[政治・選挙・NHK92] 日韓併合に「反省とおわび」=王朝文書引き渡し―首相談話を閣議決定へ 時事通信 インビクタス
13. 2016年3月30日 15:00:55 : i37evq7L62 : LwmOfbtoS0Q[3]

日本から見た韓国併合1反日史観を糺す
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2463/kankoku_heigou1.htm
(一部引用)


◇洪鐘宇 青柳綱太郎著「李朝史大全」より

洪鐘宇はフランス帰りの開化派として国王の命令で金玉均に近づきました。そして金玉均をうまく上海に連れ出して暗殺に成功し、帰国するや平理院裁判長に栄進しました。また、独立協会(開化派)の勢いが盛んになったとき、洪は皇国協会の会長としてテロ団を組織して弾圧の急先鋒となりました。このように反日派として政界の汚れ役を任じた彼でした。やがてその彼が国王の過失を非難したために、遠ざけられてしまいました。彼はかねてから「京城新聞」の主幹であった日本人の青柳綱太郎と親しくしていました。彼は青柳に対して、次のような本音を漏らすようになりました。

●『こんな国王を戴きながら、韓国が滅びないのは僥倖(幸運)だ』 『韓国も今や末路である。亡びざる国はなく、四千年の旧邦も今は断末魔に近づいている。一進会員ならざるも庶民はこのうえ塗炭の苦しみにまみれたくなかろう。むしろ、日本は速やかに併合して日本天皇陛下の政によりて1200万国民が蘇生する事を得れば、国は亡んでも亡び甲斐ありと言わねばならない』
一貫して韓国王の意図に従ってきた人物の発言だけに痛烈です。


◇李成玉 「李完用候の心事と日韓和合」より

李成玉は、朝鮮時代、全権公使としてアメリカに行きました。彼が各民族に接してみると、朝鮮人は、米国人に軽蔑されているアメリカ・インディアンよりも劣り、その他メキシコ、インド、ポーランドなどの民族よりも劣っていることを知り、衝撃を受けます。そして次のように述べています。

●『現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を保つことはできない。亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本人は違う。日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気にいらないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外にわが朝鮮民族が豚の境遇から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。日韓併合が問題 になるのは、変な話だ。我が輩の併合観は、欧米人の朝鮮民族観を基に考察したのだ』

◇李成玉 「李完用候の心事と日韓和合」より

李成玉は、朝鮮時代、全権公使としてアメリカに行きました。彼が各民族に接してみると、朝鮮人は、米国人に軽蔑されているアメリカ・インディアンよりも劣り、その他メキシコ、インド、ポーランドなどの民族よりも劣っていることを知り、衝撃を受けます。そして次のように述べています。

●『現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を保つことはできない。亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本人は違う。日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気にいらないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外にわが朝鮮民族が豚の境遇から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。日韓併合が問題 になるのは、変な話だ。我が輩の併合観は、欧米人の朝鮮民族観を基に考察したのだ』

◇朴栄普iぼくえいきつ) 「五十年の回顧」より

朴栄浮ヘ、併合前の明治35年に日本の陸軍士官学校に入校し、帝国陸軍少佐を経て日本統治時代に道知事にまでなった人です。彼はその著「五十年の回顧」(昭和4年)の中で、日韓併合による韓国滅亡を次のように教訓化しています。

●『公平無私なる観察を下すときは、いくら日本の朝鮮統治に反対しても善政は善政に相違なく、如何に伊藤(博文)公を毛嫌いしても公の真意には感謝せざるを得ない、とはある評者の言であった。究竟するに韓国を亡ぼしたのは日本でもなければ之を責めるにも当たらぬ。また当時の李完用始め自余の責任者でもなければ之を攻撃するの必要なし。詮ずるところ、その責任は二千万同胞にあるのである。思うに韓国自体が独立の要素を欠き、独力独行することが出来なかったためであって、古今問わず韓国国民全体が無気無力為す事なかりしの致すところであって、まことに自ら招ける禍であると云わねばならぬ。日露戦後、日本は前例に鑑み(日清戦争後の処理を指す)韓国の保護啓発に努力したるも韓国の上下は少しも日本の誠意を理解せず陰謀を策し、詭謀を企て陰に陽に敵対行動を取ったので日本はついに止むを得ず最後の手段として日韓併合を断行するに至った。・・・今日あるは自業自得であると云わねばならぬ』


http://www.asyura2.com/10/senkyo92/msg/197.html#c13

[政治・選挙・NHK92] 日韓併合に「反省とおわび」=王朝文書引き渡し―首相談話を閣議決定へ 時事通信 インビクタス
14. 2016年3月30日 15:03:14 : i37evq7L62 : LwmOfbtoS0Q[4]
すみません。重複してました。

◇李成玉 「李完用候の心事と日韓和合」より

http://www.asyura2.com/10/senkyo92/msg/197.html#c14

[政治・選挙・NHK203] SEALDs 安保法制の施行に反対する10万人国会前抗議 安保法制はいますぐ廃止! 戦争したがる総理はいらない! 赤かぶ
14. 2016年3月30日 15:18:52 : i37evq7L62 : LwmOfbtoS0Q[5]
ならず者国家が近隣にいるのが悪いんでしょうが。
わが身に置き換えてみたらすぐに理解できること。
破落戸のお隣さんにいくら「我が家の家訓はこうだから平和的に仲良くしましょうね」と説得しても無駄でしょう。
なめられない様にあらゆる対策を講じるだけです。

尖閣にしても竹島にしても既に侵略されてるんですが。
北朝鮮の拉致問題は解決していませんが。
中韓も北も明確な敵国ですが。
なんで左翼の皆さんはあちらを非難せずに日本政府を責め立てるんですか?
誰が我々を庇護してくれてると思うんですか?
やはりあちらさん方のスパイですか?お金貰ってんの?
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/572.html#c14

[政治・選挙・NHK203] SEALDs 安保法制の施行に反対する10万人国会前抗議 安保法制はいますぐ廃止! 戦争したがる総理はいらない! 赤かぶ
15. 2016年3月30日 15:52:24 : i37evq7L62 : LwmOfbtoS0Q[6]
↓が今絶対に閲覧できなくされてるのも反日国家と反日左翼との癒着を示す証拠の一つでしょうかね。10億もの資金援助は本当だからですよね?

NEWS US
【緊急拡散】中国と反日サヨクの と ん で も な い 繋がりがついに・・・
http://www.news-us.jp/article/422441583.html
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/572.html#c15

[原発・フッ素45] 吉永小百合が福島を訪問、140人涙させた「激励のスピーチ」 (女性自身) 魑魅魍魎男
79. 2016年3月30日 16:38:32 : i37evq7L62 : LwmOfbtoS0Q[7]
原爆を女子供の上に落とした米をちっとも非難しない吉永某氏の猫なで声を連想して「地獄への道は善意の絨毯で敷き詰められている」という言葉を思い出した。
“世界市民”を標榜する輩は偽善者であり原爆被害者の敵だ。
日本人の敵であると言っても過言ではない。

私的憂国の書

原爆を正当化する米国のプロパガンダを、日本人が鵜呑みにする必要はない
http://yukokulog.blog129.fc2.com/?no=1672(一部引用)

「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」

 これは、広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれた一文である。ラダ・ビノード・パール氏が、「日本人が日本人に謝罪している」と解釈し非難した碑文だが、パール博士の指摘以前に、この文には主語が無く、いったい誰が誰に語りかけているものかという議論を呼んだのは有名な話だ。

(略)

●この碑文に対して疑問を投げかけたのは、パール博士だけではない。1993年、マレーシアのシャフシェー元外務大臣が来日した時のことを、このように語っている。
    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 以前、広島を訪れた時、小学校の先生が原爆慰霊碑の前で子供たちに「日本は昔悪いことをしました。これはその記念碑だ」と教えていたのを見ました。それで広島市長に「原爆慰霊碑と原爆資料館は日本人が見るべきではありません。ワシントンに持って行き、アメリカ人にも見せて、アメリカ人に反省させるべきではないでしょうか。原爆資料館がここにあるのは不適切だと思います」と言ったところ、広島市長たちは真っ青になってしまったが、やがて彼らも私の意見に賛同してくれました。
 それにしても日本人はなぜアメリカに対して異様なほどおびえているのか。敗戦国心理から早く脱却すべきではないでだろうか。
    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(略)

●原爆孤児に対する熱心な支援を評価され、広島市特別名誉市民となり、平和記念公園に自身の名で記念碑が建立されたノーマン・カズンズは、こう語っている。

    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 海軍のスポークスマンによると、日本は広島に原爆が投下される前に降伏の用意があったという。となると、何千何万という数えきれないほどのアメリカ人の命が救われたという主張は、どうなってしまうのだろう。
    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 このカズンズの発言などが米国の政府関係者の神経を逆撫でした。その後、米国政府によって、原爆投下を正当化するための工作が行われ、トルーマン大統領も「二十万の我が国の若者の命を救い、敵側の三、四十万の命を救うことができると判断したから投下の決断をしたのだ」という発言を繰り返すこととなる。

 
ところが、米国政府のプロパガンダは、内部から再び批判されることになる。


●ウイリアム・リーヒ海軍大将 〜 大統領首席補佐官としてルーズベルト、トルーマンに仕えた大物

     −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 私の意見では、広島と長崎に対してこの残忍な兵器を使用したことは対日戦争で何の重要な助けにもならなかった。日本はすでに打ちのめされており、降伏寸前だった。
 あれを最初に使うことによって、われわれは暗黒時代の野蛮人並みの倫理基準を選んだことになると感じた。あのように戦争を遂行するようには教えられなかったし、★女、子供を殺すようでは戦争に勝利したとは言えない。
     −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


●ドワイト・アイゼンハワー連合軍最高司令官(WW2当時) 〜 後の米国大統領

     −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 彼(スティムソン陸軍長官)が関連の事実を述べるのを聞いているうちに、自分が憂鬱な気分になっていくのがわかって、大きな不安を口にした。まず、日本の敗戦は濃厚で、原爆の使用はまったく不必要だという信念を持っていた。第二に、アメリカ人の命を救うために、もはや不可欠ではなくなっていた兵器を使用することによって世界の世論に波紋を広げることは避けるべきだと考えていた。日本はまさにあの時期に「面目」を極力つぶさない形で降伏しようとしていると、私は信じていた。
     −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


● 米国にも様々な意見がある。だが、米国の統一された歴史認識は、戦後ずっと「原爆によって多くの命が救われた」という無理筋な正当化であって、米国政府もメディアも、必要以上の深入りを避けている。Webを確認する限り、New York Timesは、8月6日をほとんど報じていないし、Washington Postも、写真を掲載して、AP通信の配信を転載するだけで、論評は避けている。

●何故このような理不尽な歴史認識がまかり通るのかといえば、それは日本が抗議しないからだ。何も米国と対立せよとは言わない。戦後ずっと、事実上の米国の保護国であったため、政治的には言いたいことも言えない立場にあったことも事実だ。しかし、被害者である日本が、「過ちは 繰返しませぬから」と言っているようでは、米国のプロパガンダはびくともしない。「日本が悪い事をしたから原爆はしょうがない」という、日教組が仕立てた歴史の解釈がある限り、日本の自立や、主張する外交が確立されることはない。


東京裁判におけるブレイクニー弁護人の弁論を噛みしめながら、広島、長崎で亡くなった方々の冥福をお祈りします。

     −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか
     −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

東京裁判:ブレイクニー弁護士の弁論
https://www.youtube.com/watch?v=EFpB2oN-scU

(略)

(コメント欄から引用)

意味するものは

●長崎の原爆投下後、死んだ弟を背負って裸足で焼き場に立つ少年の姿を米軍カメラマンが撮った写真をご存知でしょうか。

●唇をきっと噛みしめ、死んでしまった弟をおんぶ紐で背中にくくり、直立不動で前方を向いた少年は、その汚れた服と半ズボンから出た両の足は被曝を受けたような様でもあります。

●泣くことも叶わず、この世の理不尽を一身にその小さな体で受けとめ、ひたすら順番を待っているその姿は、今を生きる日本人には、到底追いつかぬ魂の強靭さを見てしまうのです。

●おそらく、この子は天涯孤独な身の上となっていたのでしょう。親が元気でいれば、死んだ弟をおんぶ紐で背負って焼き場に出向くというそんな辛い経験しなくて良かったでしょうから。
この子はどうやって混乱、激動の戦後日本を生きていったのでしょう。
あまりに健気で凛としたものを漂わせる少年の、その後の悲惨な境涯が思われ胸がかきむしられるばかりです。

●想像してみてください。「過ちは繰り返しませぬ」とこのいたいけな子に言わせることが出来るのか。
この子が味わった苦難にこの言葉がどんなに鞭打つものか。
書かれた日本語を素直に読めば、「日本は悪うございました。過ちは繰り返しませぬから」となり、やはりそれは間違いです。

●それにしても、吉永小百合さん、
力をふりかざした邪悪な国々の不正義がまかり通っている国際世界において、平和、平和と唱えていれば、敵は攻めてこないのでしょうか。
あなたはいつまでも美しく、ピュアな精神をお持ちです。ただ一つ貴女に備わっていないものは想像力です。
日本を代表する大女優にしては、恐ろしく想像力に欠けていることです。

●悪意を持った集団が用意周到に準備し、あらゆる手立てを使い、謀略をもって攻撃を仕掛けてくることを冷徹な思いで巡らせることが出来る人が、日本人を護りたいと心底、思っている人です。
核攻撃されることのない強い国でなければ、どうして死んでいった人々の無念に報いられるのかと考える人です。

●確か、加瀬英明氏が仰っていたような、
「日本は二度と戦争に敗けるという過ちは繰り返しませぬから」と。
過ちは戦争に敗けたことなのですね。

末田様
お勧めのブログ拝見しました。
なるほど、自在に言葉を駆使して一つの世界を展開なさっているふうに驚きました。

また管理人様はじめ読者の才能豊かなコメントは、短きも長きも夫々に得心の行く書き様で、愉しませてくださいます。これも末田様が仰るように「管理人様の一つのスレッドに触発され多様な情感を抱かれた」証だと思います。
議論百出の賑わいとなれば楽しさ倍増でしょう。いいえ、数の多さは程度ものでした。(^^ゞ
[ 2014/08/10 01:42 ] なつこ
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/388.html#c79

   

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