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[社会問題9] 「あなたの体が燃やせない」 無葬社会――彷徨う遺体 変わる仏教 火葬場現地ルポ、迫り来る多死社会  軽毛
1. どぶ板長屋の住人[1] gseC1JTCkreJroLMj1qQbA 2016年11月14日 17:04:58 : nXmZ72o3D2 : eqf3iNt87aQ[1]
「無葬社会」に至る前に、今日本は「家族葬社会」に成って居ると思います。此れは究極の「合理的葬送方式」だと思って居ましたが、「無葬」と言う遣り方が有ったとは驚きです。此れは「家族葬」よりもっと合理的な送別の方法で、正直申し上げて此れからドンドンこの方法が多くなるのでは? と思います。
もう相当高齢に達した私でさえ、「私が死んだら、家族葬でヒッソリと送ってくれ」と言ってる位ですからね。

実際、今までの葬式はお金が掛り過ぎ! と言うか「葬儀社」の“ボッタクリ”が確立し過ぎて居ました。たった一日祭壇を借りるだけに、何十万、何百万、もの金を取られる事や、何や、彼や、と言っては、金、金、金。幾ら突発的な事象に即刻対応して呉れるとは言え、暴利を貪り過ぎです。

ですから、葬式に大金を掛けるなど、此れが本当の「死に金」です。そして我々貧乏人では無く、裕福な人の世間に対する「見栄」そのもの。豊かな人は盛大な葬式をドンドンお遣りに成れば宜しい。
私などは古い時代の人間ですから、自宅に親譲りの仏壇も有り、僧侶による親の逮夜参りも続けていますが、息子の代に成れば如何するものやら、私が死んでしまっているのだ全く思案の外です。又、其れで良いのです。

所詮人間は、無から生じて、無に帰する、儚い物です。“儚い”と言えば我が家には「墓」も無い「墓無い」家系です。 私が何か「偉大」な事を仕出かした人間ならば、歴史に名が残り世の記憶に生き続けるでしょうが、「沈香も焚かず屁もこかず」世間の片隅の“塵・芥”の如く生きた庶民の一人である上は、子や孫の時代位までは遺族の話題にも上るでしょうが、其れから先は、久遠のやみのかなたへきえさるのが当然の事です。

貧しさ故の「葬式」の簡素化、止むを得ない事です。
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/726.html#c1

   

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