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[政治・選挙・NHK284] 天皇制廃止論台頭!?<本澤二郎の「日本の風景」(4286)<朝日新聞が真相報道、軍部暴走は偽り、昭和天皇が主導!> 赤かぶ
217. アラジン2[1420] g0GDiYNXg5My 2021年12月11日 20:22:13 : AQ33JiKkF6 : azR1aWpOTmpucTI=[1]
>>215
あなたが完全に間違っているのは、戦争するには前もって準備が必要だという点です。
「誰かが戦争したい」と思い付いたからと言って、一朝一夕にできるものではない。

阿修羅の20年前のスレです。

■「三菱こそフリーメーソンの牙城だ!」No.3 連邦準備制度(2001/6/6)
http://www.asyura2.com/sora/bd13/msg/483.html
(略)
普通、電力と聞けば電灯をつけることぐらいしか思い浮かばないかも知れないが、電気は工業動力としても使われるのである。そしてこの時期に工業の発展を支えたのは、戦争であった。つまり日本の電力事業は、戦争とともに発達したのである。

逆にいえば、重化学工業や電力事業を急発展させるためには、戦争という非常事態が必要だったわけである。これは、兵器の進歩についても当てはまる。第2次世界大戦がなければ、原爆など開発出来なかったに違いないからだ。

英米両国が日本の電力会社に金を貸したのも、日本に戦争の準備をさせるためであったのだ。この金は電力会社の人事も左右した。

「当時財界の問題になっていた東京電灯株式会社の整理が行悩みとなり、6月15日払いの同社外債利払いについて、来日中のアメリカ、ガランチ−・トラスト商会のウオ −カ−から、はなはだ悲観的な通信があった。

同社取締役会長にしてモルガン商会の首席パ−トナ−たるラモント(当時ロンドン滞在中)から、右社債の利払が不能なと きは新起債の所作もむずかしいから、その利払確保に対し政府の責任ある言明を求めるという照会がきた。

井上蔵相( 井上準之助)は、ただちに東電当局その他関係方面の意見を徴したところ、利払送金の実施はもとより、将来の会社経営の人的方面についても、蔵相は、ウオ −カ−から承認を得た案にまとまり、また配当率についても、双方譲歩的な具体案が進められるに至ったことを知った。

以上のほか、会社整理案関係方面から得た印象によって、井上蔵相は、関係者が会社経営の改善、配当率の引下げ、将来に対する資金調達策につき全力を傾注していた
ので、その整理案の実現確実なりと認め、したがって社債の利払等にも支障をきたすことのないことを確信し、その旨ラモントの覚え書に対する回答文を送った。

その結果、ウオ−カ−ならびにラモントの満足を得、ようやく問題は解決の運びに至って、発行の所作を再開しえた」(『国債』)

この時東電に外資を導入するのに便宜を与えた人物が、三井の池田成彬であった。国債や地方債への外資の導入も同様に、英米による日本政界のコントロ−ルに寄与したであろうことは、想像に難くないのである。

●連邦準備制度

これまでの話で、太平洋戦争は某財閥とその手先である政治家が結託して引き起こしたものであったことがお分かりになったと思う。
そしてその財閥や政治家に海外から指令を下していたのが、英米ユダヤ金融財閥であった。

彼らは日本の外債を引き受け、日本に金解禁を強要し、大恐慌を引き起こして日本を未曾有の不景気の中に投げ込んだ。そして愚かな軍人を煽って、日本を地獄の戦争へと駆り立てていったのだ。

彼らは顔の見えない透明人間ではない。日本の外債を引き受けた銀行名は分かっている。

パ−ス銀行、香港上海銀行、横浜正金銀行、ロスチャイルド商会、ロスチルド商会、ウェストミンスタ−銀行、ベアリング・ブラザ−ズ商会、モルガン・グレンフェル商会、シュレ−ダ−商会、J・P・モルガン商会、ク−ン・レ−ブ商会、ナショナル・シティ−商会、ファ−スト・ナショナル銀行である。

これらの銀行を動かしている人物を探ることで、戦争犯罪人の名前を明らかにすることが出来る。

その前に、ある重要な事実について述べなければならない。英米ユダヤ金融財閥は海外にいて日本政治・経済を遠隔操作するだけではなくて、日本国内に自らのエ−ジェントをしっかり送り込んでいたのである。

1931年に満州事変が勃発したが、その翌年にジョゼフ・グリュ−が駐日アメリカ大使として着任している。そして満州事変勃発の年に、ロンドンから駐日イギリス大使として着任したのが、フランシス・リンドレ−であった。

リンドレ−は日露戦争の日本勝利の翌年に当たる1906年に東京へ来た経歴がある。シフやロスチャイルドが日本に大金を貸し付けたので、その返済の裏交渉に走りまわるため、表向きはイギリスの外交官として2年間も滞在していた。

そして1931年から34年まで、今度はグリュ−と欧米連合を組む形で、正式の大使として活動した。
(略)

http://www.asyura2.com/21/senkyo284/msg/501.html#c217

[政治・選挙・NHK284] 天皇制廃止論台頭!?<本澤二郎の「日本の風景」(4286)<朝日新聞が真相報道、軍部暴走は偽り、昭和天皇が主導!> 赤かぶ
219. アラジン2[1421] g0GDiYNXg5My 2021年12月11日 20:58:32 : AQ33JiKkF6 : azR1aWpOTmpucTI=[2]
>>215
ついでにこれも。
バーガミニよりも、よっぽど説得力があると私は思います。

■「三菱こそフリーメーソンの牙城だ!」No.2
http://www.asyura2.com/sora/bd13/msg/482.html (2001/6/6)
(略)
井上蔵相のデフレ政策の結果、失業者は増大し、労働争議は続発した。
しかし、産業の合理化は成功したのである。大不況に直面して、大企業は合理化を進めた。

後の高橋(高橋是清)財政期の重化学工業の急速な発展は、この恐慌下の合理化が前提となっていた。また、1920年代以来の「近代的」労使関係の成立が、この合理化をいっそう容易にしていた。

大恐慌期の大企業では、「会社あっての労働者」という企業側の宣伝・労務政策が功を奏し、労働者はますます資本のもとへ包摂されていった。大企業では、労使一体の関係が形成され、労働組合はそれにすっぽり包みこまれていた。

恐慌を契機に、大企業における労働者の会社への帰属意識はいっそう強まった。戦争の危険が迫っても、大企業の労働者がほとんど立ち上がらなかった理由はここにある。
不況期には労働者の立場が弱くなるのは、昔も今も変わらない。しかし何といっても、この恐慌で一番の打撃を受けたのは農村であった。

1930年(昭和5)当時、農漁村は最大の有業人口を抱えていた。
ある推計によると、1930年の農林・漁業労働者の総数は約1030万人、全有業者の34.1パ−セントを占める。

ちなみに商業労働者を除く生産的労働者は約450万人(全体の20.5パ−セント)、給与生活者は約160万人(同5.4パ−セント)。1930年は、相次ぐ
米価暴落によって、「豊作飢饉」と呼ばれる状態が現出した。

翌31年は、一変して、東北・北海道が「凶作飢饉」に見舞われた。
この年から、農業恐慌は本格的・全面的となった。東北農村を中心に、青田売り、欠食児童、娘の身売りなどが続出した。
 
「非常に深刻な不景気というのがどこへきたかというと、農村にもっとも集中的にきたんです。つまり農産品の暴落は、世界の恐慌でもほかのものに比べていちばん強かったわけですけれども、国際的にもその打撃はやはり日本も受けたわけですね。

ことに日本の場合は、そのころいちばん大きなものは米と生糸なんですね。米が二重の形において暴落したんです。一つは第一次大戦中、大正七年に米騒動が起こっていますから、それほど米が不足したんですけれども、そのあと台湾と朝鮮に米の一大増産政策を計画的にとったんです。

その増産計画が成功して米がどんどんできだした。国内でもできだした。そのときに恐慌にぶつかったわけです。だから米の供給過剰と世界恐慌とがいっしょにきたものですから、米の値段が暴落したわけですね。

それから生糸もアメリカをはじめ、世界的に暴落した。そのうえ為替が四十ドルから五十ドルに上がって対外相場は暴落して、そのうえにこんどレ−ヨンがその時代に出たわけなので、その打撃もある程度出た。そういう形で生糸も暴落したんですね・・

僕の手許には、その当時、長野県から報告したものがあるんですけれども、これはひどいんですよ。農村の小学校の教員に給料が払えないんです。税金は出さないで、借金はむろん払えないんです。

だから地方銀行はほとんど倒産状態だから、それからモラトリアムが起こった。それはひどいもんで、雨の日がくると傘がないんで欠席者が非常に多いとかいうふうな状態で、また弁当持ってこない子どもが非常に多くなった。

 ・・・欠食児童・・。
 
高橋 そう欠食児童です。ですから昭和七年の5・15事件などを起こした連中やなんかは農村の疲弊を救済するということを言った。これは農民に対しての同情といいますか、これに対してなんらかの手をとるべきだというのが、軍の一つの大きな理由だったんです」(『昭和経済史への証言』上)

5・15事件、2・26事件で決起した陸海軍青年将校の、腐敗した政党と財閥を倒して昭和維新を断行せよ、という主張は正しかったことになる。しかし、目的達成の手段がまずかった。

ク−デタ−や要人暗殺という暴力的手段は国民からそっぽを向かれ、天皇の激怒を買った。それとともに、農村救済という青年将校の大義もまた汚されてしまったの
である。

また、3月事件以来の数々のク−デタ−計画には不審な点も多い。←★★★
結局のところ、元老西園寺公望や内大臣牧野伸顕は無事だったからだ。
 
「昭和の動乱はよく軍部のファシズムによる暴走と言われるが、このことはよく考えて
みる必要がある。10月事件以降の血盟団事件、5・15事件、2・26事件は純粋無垢な赤心あふれる青年将校たちの熱情と『軍事力』を利用し、そそのかした『ある勢力』が背後にいたと考えなければならない。

昭和に動乱を起こし、日本を戦争に導くための大がかりな仕掛装置が音をたてて作動し始めたのが、昭和三年の張作霖爆破事件以降の昭和史なのである。

そして事件を起こす人間は決まって同じ顔ぶれであり、事件による犠牲者もほんも一部にすぎず、その多くは真の黒幕とは言えない人物たちである。
西園寺公望や牧野伸顕、幣原喜重郎、岡田啓介など、中枢部はいつも殺害対象に上げられながらなぜか危機をまぬがれている。

このことは昭和の動乱とは、ある種の大きな狂言であったことをほのめかしている。その目的とは何であろうか。それは当時の日本の権力機構に衝撃を与え、それをずたずたにして互いを戦わせ、内乱に持っていくと同時に軍部の暴発を誘い日中を闘争させ、やがては日米開戦への大きな歯車を回すことに他ならない。

民間右翼の一部は財閥やユダヤ勢力とつながっていた。
陸軍や海軍の首謀者たちの背後にもその影が見られる。

陸軍皇道派ははね上がり、そしてつぶされていった。
その後に台頭した統制派はおだてられ、あおられたあげく日中戦争、太平洋戦争へと暴走を始める。

海軍は西園寺公望や岡田啓介、米内光政、山本五十六などユダヤ・フリーメーソン陣営の私兵であった。
日本を亡したものは陸軍統制派と海軍であったが、彼らを操ったのは西園寺らユダヤ・フリーメーソンおよび一部の非愛国的右翼だったのである」
(ヤコブ・モルガン著『山本五十六は生きていた』第一企画出版)

それにしても、農村の窮状はひどかった。
当時の新聞や雑誌にも、東北農村の窮乏を伝えるルポルタ−ジュが相次いで掲載された。

「去年は豊作で、それでやっぱり飢饉と同じことだった。つまり、豊年飢饉てえ奴だといふが、わしもこの年になって始めて聞いた。なアかういふことア一度起ったら毎年起って、それが年々悪くなるばかりだ。

さうなりゃ、豊年もくそもねえじゃねえか。・・そこへ持って来て、今年は飢饉の飢饉、これでは来年は、百姓奴等は干ぼしになって、飢え死んで野たれ死んで、それで足りなくて、首をくくって死ぬ、といふことになるだア。

べら棒め・・なア。おかみさん、わしも一人の息子を満州の兵隊に出しているだが、こないだも手紙で言ってやっただ。国のために勇敢に戦って、いさぎよく戦死をしろ、とな。さうすりゃ。なアおかみさん、なんぼか一時金が下って、わしらの一家もこの冬ぐらいは生き伸びるだからな。

娘を持ってるものは娘を売ることが出来るだが、わしは息子しか持たねえから、 さうして息子を売らうと考へてるだよ・・。

また、中郡和徳村の農民は、『今年は、わし達が馬になるのです』と答えている。平年に、この地方の農民は、もみ殻のついたままの粗悪米を、かぼちゃやじゃが芋に混ぜて馬の飼料にしていた。それを今年は、自分たちが食う番だというのである」
(中村政則著『昭和の恐慌』小学館)

このような状況の中で、財閥はドル買いでぼろ儲けしたのだから、陸海軍青年将校の「国民の敵たる既成政党と財閥を殺せ!」との主張にも頷けるものがある。
暴力はいけないというが、この破滅的な飢饉もれっきとした暴力であろう。

当時の財閥の代表といえば、三井の池田成彬であった。
池田のドル買いに対する言い訳は次の通りである。

当時、イギリスへの投資は、直接英貨を調達することが困難であったので、先ず銀行がドル貨を買い入れ、これを先物に売り継ぐとともに、そのドル貨をロンドンに回送して英貨債投資に当てていたが、イギリスの金本位制離脱によってポンド貨が暴落したので、先売ドルの決済資金をロンドンから回金することができず、資金は凍結された。

その凍結資金は三井銀行だけで7146万円であった。ドルの先物に対して手当をする資金を日本から送金するためには、正金銀行からドルを買わなければならなかった。

またこの他にも、三井物産の輸入資金および東電その他の外債利払いのためにも、相当ドル買いの必要を生じた、というものだ。
 
当時、外国為替を扱っていた三井、三菱、住友三行の1931年下期の損益計算書を見ると、三井銀行が1230万円、三菱銀行が670万円、住友銀行が137万円の「純損金」を計上している。

三行がそろって「純損金」を計上したのは、三井の池田成彬が、三菱の串田万蔵と住友の八代則彦に働きかけたためであった。
しかし、三行の損益計算書には、粉飾決算を行った痕跡が認められるのである。
ドル買いは三井銀行の自衛措置ではなく、やはり計算ずくの金儲けであったのだ。
(略)
**************

こういう話は諸説あるというのは、私も理解できますが、私はバーガミニのように「天皇の陰謀」だとは思えません。
しかし、このスレ阿修羅の20年前のスレなんですよ。
博識さに驚きました。


http://www.asyura2.com/21/senkyo284/msg/501.html#c219

[政治・選挙・NHK284] 天皇制廃止論台頭!?<本澤二郎の「日本の風景」(4286)<朝日新聞が真相報道、軍部暴走は偽り、昭和天皇が主導!> 赤かぶ
220. アラジン2[1422] g0GDiYNXg5My 2021年12月11日 21:11:00 : AQ33JiKkF6 : azR1aWpOTmpucTI=[3]
>>218
「戦争犯罪」という言葉でググればいいだろ?
なんでそんなレスをするんですかね?

http://www.asyura2.com/21/senkyo284/msg/501.html#c220

   

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