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[国際26] 我々の意識と誤った歴史認識を作り出すウソ(マスコミに載らない海外記事)  赤かぶ
1. 2019年5月17日 18:35:09 : nZ1UelHeWs : bnpINkhjVXlidS4=[1]
歴史とは「粘土板」の文字のことであり過去の事実ではない

・文字禍(中島敦)

歴史は勝者が作るものだ。ゆえに我々が目にする歴史とは過去の事実を平明に記したものではなく、歴史の勝者によって歪められたものか、消す必要を感じなかったものだ。もちろん歴史学者が「権力者に都合が悪くとも平明に事実を記すべきだ」という学術的使命を持っているのは確かだが、常にその使命感が貫徹されるとは限らない。そもそも容易に貫徹できるものなら「使命」と認識されまい。

もちろん、だからといって「歴史など無意味だ」と言いたいわけではない。我々は歴史に学ばなければならない。だがその「学び」とは歴史を過去の事実として無邪気に信奉するものではなく、過去にあったと「される」出来事を通じて掬すべき教訓や人の営みの在り方を汲み取るような、後にそれがフィクションであったと判明しても困らないような向き合い方をしなければならない。「歴史とは歪められるものだ」ということ自体が、我々が歴史から学ぶべき教訓の一つだからだ。我々が歴史から汲み取るものは個別の事実ではなく、普遍でなくてはならない。

「神話」

ところで、歴史とは常に検証にさらされるものである。新しい資料が見つかれば従来の定説が覆るのも珍しいことではないし、新資料が無くとも新説を唱えるのは学問の自由の範疇だ。

ゆえに、検証を禁じるものは歴史ではない。神話と呼ぶべきものだ。

(神話とは社会を作るにあたって共有する「物語」で、その真偽を問わないのがお約束になっているものだ。漢帝国の「高祖・劉邦は赤龍の子」とか大日本帝国の「万世一系の皇統」などが典型例になる。)

現在ヨーロッパの多くの国々がホロコーストの歴史的検証を法で禁じているが、これはホロコーストが歴史でなく神話であることを示している。

・ホロコーストをめぐる戦い(田中宇)

・「いわゆる第二次世界大戦中のユダヤ民族の計画的絶滅と言われる説に疑問を呈することすら法的に罰する国がここ数十年間でヨーロッパで急増していたが、イギリスではこれまで言論の自由が優先されていた。」(ヴァンサン・レヌアール)

神話のない秩序はない。ホロコーストが「西側」世界のもつ唯一の神話であるということは、それこそが第二次大戦後の「西側」の世界秩序を作ったということを端的に表している。それは「被害者」こそが支配者であり、聖域であり、その筆頭がユダヤであることの了解の上に世界秩序が成り立っているということだ。

歴史の勝者が「被害者」として自らを記すという倒錯はユダヤという(終戦時)国を持たない民族が勝者だったからという事情もあるだろうし、「生贄として殺された者こそが救世主である」という「西側」世界に広く流布したイメージに乗っかるためでもあったろう。ともかくそれが戦後の西側世界の秩序のノリを作った。(サッカーは現代ヨーロッパの代表的スポーツだが、私が最も現代ヨーロッパらしさを感じるのは選手が当たってもいない足を抱えて寝転がり相手のファウルを訴えている姿である。)

慰安婦問題や徴用工問題、南京事件、ネイティブ・アメリカンやアボリジニ、アイヌなどの「先住民族」問題などは、すべて第二次大戦後の神話たる「ユダヤ人迫害」を原型とした神話づくりだ。ユダヤがホロコーストを神話化・聖域化した術式が伝播したものだ。

術式

つまり「歴史」という言葉には二つの意味がある。一つは過去にあったとされる事実を通じて人類の普遍を汲もうとする学問としての歴史。もう一つが秩序を打ち立てるにあたって真偽を問わないことをお約束に共有する物語、神話としての歴史。

勝者が被害者を名乗るという第二次大戦後の特異な世界秩序の中では、その二つの「歴史」を旋回して自らに都合の良い「秩序」を打ち立てたり相手に心理的あるいは物的な負債を負わせたりする、支配ツールとしての術式がある。それがホロコースト神話と、プチ・ホロコースト神話とも言うべき慰安婦問題や南京事件などの「歴史認識問題」だ。

・新世界……秩序?

神話は秩序を形作るものであり、秩序とは「社会の大半の者が社会的役割に安んじている状態」のことである。そして人が果たす役割には対となる役割がある。だから神話が「被害者としての支配者」を生むなら、「加害者としての被支配者」も生まれる。単純な術式だ。

「支配者」は神話を生もうとする。それを阻もうとする者たちは歴史として検証しようとする。このズレた相克を「歴史戦」などという勇ましい名で呼びたがる者たちもいるが、これは「戦い」などではない。彼らの語る神話の矛盾点や無根拠さを指摘しようとする者は、「歴史修正主義者」などというレッテルを貼られ、表舞台から排斥され、活動が法的に禁じられ、投獄された者さえある。歴史は勝者が作るものといいじょう、学問の看板を掲げているからにはあからさまな学術的検証の拒絶はその権威を落とすものだが、形振り構っていられないほど検証が脅威なのだろう。これは「戦い」などではなく「弾圧」である。(それでも「歴史戦」と呼びたければ呼んでもいいが。)

「カイン」

とはいえ上記ほど厳しいものは「ホロコースト神話」作りに限った話で、その術式の焼き直しである南京や慰安婦や徴用工問題では検証しても投獄されたりはしない。むしろこれらは当事国以外の各国でカスケード現象を起こせるか阻止できるかという単純な図式の「戦い」に見えなくもない。

ただ「戦い」だとしても、果たして本気でやっているかどうかは疑わしいとも思う。

ひとつは検証の粗雑さだ。「神話」作りに対して「歴史」検証で対抗するには検証が学問的に正確でなくてはならないが、彼らは(ホロコースト研究者とは違い)デマを飛ばしたり無茶を言ったりする。それも声の大きい者ほどだ。同じ「歴史修正主義者」としてホロコースト検証者を貶めるためにわざとやってるのではないかとさえ時々思う。

もうひとつはいわゆる「両建て構造」である。日本の(ネトサポでない)ネトウヨの傾向として「中国・韓国・北朝鮮・在日は批判してもユダヤは批判しない」というものがあると思う。韓国のアイドルグループがナチコスプレをしていたことをサイモン・ウィーゼンタール・センターに御注進申し上げたりするし、さまざまな社会の裏構造を語るアカウントがなぜかユダヤ陰謀論だけは(詭弁を使って)否定して見せたりする。高須克弥のようにフリーメイソンに所属してSWCから招待を受けたことを誇示する者もいる。総じて彼らが中国・韓国・北朝鮮・在日を攻撃するのはユダヤの寵を争って対立している構図になっていると感じる。

私が思い出すのは旧約聖書におけるカインとアベルだ。神は弟アベルの捧げ物である羊は喜んだが、兄であるカインの捧げ物の農作物を受け取らなかった。カインの怒りは神へは向かわず、弟のアベルに向かい、アベルを殺した。そしてカインは不死の印をつけられ追放される。神=ユダヤ、カイン=「ネトウヨ」、アベル=中韓朝在、という配役にすると、見事にハマる気がする。彼らが何事も聖書の実現にこだわるという風説が正しいなら、元ネタはこんなところかも知れない。

「歴史に学ぶ」

我々は歴史に学ばなければならない。それは「支配者」が都合よく流布する神話を信じ込むことではなく、過去にあったとされる事実から普遍を見出だし、よりよい判断をするためだ。

ある国が先住民族を支配して混血し、結果先住民が民族として実態を無くしたのなら、その国の人間が歴史から学ぶことは加害者として先住民族系の自国民にいつまでも平身低頭することではなく、同じような野蛮な行動をしないよう反省することと、何より自分たちが同じ手口で消滅させられないようにすることだ。

ある国が戦争に負けたのなら、その国の人間が歴史から学ぶことは戦勝国や被害を与えた第三国にいつまでも謝り続けることではなく、何をどう間違えたのかを検証して同じ過ちを繰り返さないようにすることだ。

さて今の我々は歴史に学べているだろうか?

(地下言論)
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