35. 銀の荼毘[1875] i@KCzOS2lPk 2025年9月03日 11:58:59 : FDm7WmjA8w : M0pUMzFHZC5xRC4=[1]
上で→(排他性云々)という言い回しがあったが,
宗教とは→(原理に沿わないものを排他した概念)である。
だから→(排他性が少ない🟰良い宗教)という理由ではない。
マホメットが(ユダヤ教・キリスト教を啓典の民として尊重)した理由は,
(同じ神・同じ教え)という原則に準じるからで,
ゾロアスター教やヒンズー教は🟰イスラム概念によれば融和は難しい。
オスマン(トルコ族でありアラビア人ではない),
ムガール(モンゴル族でありアラビア人ではない),
こういう→非アラビア語文化・非アラブ人の皇帝国家は,
「アラビア語以外にイスラム教を翻訳してはいけません」という🟰前提原理を無視して,
世界帝国として立地したので🟰原理を辿れば自分自身を否定してしまうから→それなりに寛容的な面は有るわけだが,
原理主義派であるサウジアラビアが言うように,
◯イスラム教は🟰アラビア語の宗教
◯アラビア語は🟰砂漠の民の言語
◯砂漠の民は(砂漠で暮らすなら)🟰イスラムの教えを遵守せよ。
◯砂漠を出て他所へ行くなら(アラビア語で書かれていない掟の土地で暮らすなら)🟰その者は→イスラム教徒ではない。
↑このイスラム原理が🟰絶対的に正しい。
イスラム移民は🟰移民となった瞬間←→イスラム教徒の前提・資格を失っているのだ。
キリスト教の地で🟰イスラム教徒として振る舞おうとすれば,
イスラム教原理は🟰その移民がイスラムを標榜することを許さない。