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NjF5ampwV1VINGs= コメント履歴 No: 100000
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[政治・選挙・NHK274] 「命の選別」発言を謝罪した山本太郎氏に「党代表辞任せよ」の声(東スポWeb) 早期解散
67. 2020年7月15日 12:43:06 : sEr37T1gos : NjF5ampwV1VINGs=[1]
なぜ、れいわと山本氏にだけ、こうも厳しいのかわからない。
ここまで言うなら、自民党はじめ他党の党首も全員辞任せよだが。
かつては共産党にだけ特別厳しく採点する論調があったが、今はれいわに移ったようだ。
「ポジション」的にそうなるのだろう。
わかりやすい話ではある。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/238.html#c67
[政治・選挙・NHK274] <れいわ新選組 山本太郎代表>大西つねき氏について 2020年7月13日<2点、お知らせがあります> 赤かぶ
92. 2020年7月15日 13:41:55 : sEr37T1gos : NjF5ampwV1VINGs=[2]
私は大西氏がナチスのような優生思想の持ち主だとまでは思わない。しかし、短絡的に経済的なマイナス面だけを見ていて、現在の高齢者医療や介護の実態など、数値の上だけで知ったつもりで肌では知らないのではと疑っている。

たとえば、高齢者に対する「無理な延命治療」などとよく言われていて、ここのれいわと大西氏関連のスレッドのコメント欄でもそのようなことを言う人がいた。しかし、現在、そのようなものが実際にどのくらいあるものなのだろうか?たしかに一時、そのようなことが盛んに言われた時があったが、それはもう、十年以上も前のことではなかったか?

その後、高齢者の終末医療については制度が改正され、どこまでの治療をするか、本人や家族の意思を事前に確かめたり、何年にも渡るような長期入院などもできなくなって、家庭で医師や看護師の訪問を受けつつ自宅療養をするか、それが出来ない場合は介護保険で老人保健施設、通称「老健」に入所する制度も出来たはずなのだが。

九年ほど前、母方の八十代半ばの義理の伯母が肝炎で亡くなった時、夫である伯父は病院の相談員に聞かれて無理な延命は望まないと言った。

もともと周囲に反対されての恋愛結婚だったが子供はなく、大腿骨の骨折以来、車椅子生活で認知症も出て来ていた叔母を十年近くも一人で献身的に介護していた伯父だった。しかし、ついに老老介護の疲れから倒れ、伯母は老健へ。ところがC型肝炎の持病があるため、十分な対応ができないので長くは置けないと言われて、元々通っていて一時は入院していた大学病院の相談員に頼んでやっと見つけてもらった小さな病院でのことだった。

やがて伯母は亡くなったが、その際にも私が同席して、院長先生から伯母の肝臓の状態では喉を切り裂いて流動食を送る胃瘻や、それまでやってきた点滴での栄養注入すらも、本人のからだにはむしろつらいだけだと説明を受け、やらないことにしたのだ。そして身内だけでささやかな葬儀をしたが、伯父の顔に後悔はなかったと思う。

私自身も別の父方の伯母で夫に先立たれた人が認知症でグループホームという居宅介護型の介護施設に入るにあたって保証人となり、なにかと面倒を見なければならなかったが、何年目かにホームの責任者から、伯母の最後にあたって、何があっても救急車で病院へ運んで延命治療をするか、あるいはこの施設で看取るかと聞かれ「看取りをお願いします」と言ってサインした。

グループホームというのは、多くが病院が併設する「老健」とは異なり職員に医療従事者はおらず、施設を各自の「自宅」とみなして生活するところである。だから初めは病気になれば職員の方が付き添って病院に連れて行ってくれた。一時、人手が足りなくなったのか「家族が連れて行ってくれないか」と言われて私が連れて行ったこともあったが、やがて定期的に嘱託医の検診や看護師の訪問看護の制度が出来、歯科も検診車が来るようになって家族が連れ出さねばならないことはなくなった。

やがて伯母はホームで嘱託医や訪問看護の看護師の訪問医療をうけつつ、職員の方々に見守られて亡くなったが、後悔はしていない。とても家庭的な施設で、我が家から近いこともあり、いつ会いにきても良いと言われてしばしば会いに行ったり、月ごとの行事にも参加させてもらったりして、伯母をはじめとする入所者が大切にされているのもよくわかっていたから。そのためか伯母は入所以来、十四年の時をそこで過ごして93歳で亡くなった。

また、最近、近所の知人の両親が相次いで亡くなったが、それぞれ別の種類のガンだったと後で聞いた。共に八十代の半ば。お母さんは急性の症状が出たらしく、一月ほど入院されたが、その間に訪問看護を受けていたお父さんは家で亡くなり、後で同居していた娘さんに聞けば2日前くらいまでは自分で自分のことができるほどだったという。

このように私の周囲ではかつて言われた「高齢者に無意味な延命治療を行なっている」という状況はすでに終わっている。私の両親もすでに八十半ばを過ぎ、それぞれ2、3の持病(腰痛や合わなくなった義歯の作り直しなども含む)で「症状緩和」の治療を受けているに過ぎない。

もちろん、伯母たちの最後と同じく、その最後には無理な延命などさせず、安らかに終わってもらいたいと思っている。

大西氏に限らないが、あのようなことを言う論者はいったいどういうつもりでそう言っているのが?あなたの周囲で一体、どんな無理や無意味な治療が、今現在行われているのか?具体的な例を知っているのならそれを述べてからにしてほしい。もちろん、十年以上前のことではなく、今現在、そうなのか?と言う話である。

そうではなく、ただ、高齢者が症状を緩和したり、若い人でも受けるような治療を受けているのが許されないのか?

高齢になれば長年使ってきた体の各器官が痛んで来るのは当たり前で、どうしても医療機関にかかる回数は若い人よりも増えてくる。それが許されないのか?

介護のことを言えば、実は私の両親もどちらも中〜軽度の認知症で介護認定されている。(最近までデイサービスに通っていたがコロナ禍以来、利用を控えている〕そして私が元からやっていた細々とした在宅ワークをなんとか続けながら、他のきょうだいの支援もうけつつ介護しているところだ。

両親は零細な自営業だったので年金は少なく、一人ならばまだしも父母二人ともに介護施設に入れるのは我が家にとっては厳しい。そもそも親を施設に入れてその費用捻出のためにダブルワークなとして働くよりは今の方の生活を私は選びたい。(GDPとかの経済指標的にはそうしたほうがプラスの値が出て、うちで家族が介護していてはゼロなのだろうが)

決して楽な日々ではないが、自宅で気ままに過ごし、わらったり怒ったり、記憶力以外は以前とあまり変わらない姿の父母に、死んでくれたらいいなどとはけして思えない。田舎者のせいか親や周囲を見ても年寄りの世話を若いものがするのは当たり前のことと思ってきた。それを封建的だと言う人もいるかもしれないが、だからこそ人間社会は続いてきたのではないか?

たしかに自分の先行きのことは考えれば不安はあるが、いつか両親が逝ったあとも、体が動く限りは、どんな世の中になろうが、ただ精一杯、働いて生きていこうと思うだけだ。

長年、家族のために働き、社会を支えて来た人々が、その最後に当たって邪魔者扱いされて無慈悲に切り捨てられる社会ならば、後に続く中年や若者世代はそれを見てどんな気持ちになるだろう。遅かれ早かれ自分もあのように切り捨てられるのだと知りながら生きていくことになるのだから。親や祖父母、伯父伯母、知人など、身近な人々の例でそれを見て、人はどんな生き方をするのだろう?

「若い世代のために高齢者を切り捨てよ」と言う人々はまず、それに答えてほしい。

になみに大西氏は私とほぼ同世代だ。彼のご両親はご健在なのだろうか?彼はご両親の介護をすることがあるのだろうか?

http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/227.html#c92

   

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