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[国際31] ウクライナ政府とネオナチの関係(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
53. 2022年3月14日 21:58:05 : dyCSv7BSvM : QkZLak55dm5hRHM=[1]
15>「ふと疑問に思うんだが、ウクライナがネオナチ政権だとして、何故欧米が
支持支援しているんだろうな」
 
“冬戦争”をyoutube3/12配信【世界史】ウクライナがロシアに勝つ秘策が此処に有り、が取り上げたが、小生も阿修羅<究極の選択になす術なし>ウクライナ玉砕か 世界大戦か(日刊ゲンダイ)で、冬戦争のタイトルで下記コメントを載せた。前者【世界史】はウクライナ側ヨイショに対し、小生のコメントは視点が多少異なるつもりで書いた。単純に今回ウクライナ戦争は、侵攻側プーチンロシアが全て悪と言い切ってよいのか、勿論他国侵略は断罪されるべきだが。今回、現象形態は侵略戦争だが、内実はスペイン内戦的な側面もあり、ゼレンスキー側全てヨイショには躊躇する。基本図式は、根底はナチズム対民主勢力の闘いだろうが、この図式ならスペイン内戦的把握で容易だが、2014年クーデター以後はネオナチが権力執ったことで、状況は別の視点で見る必要ある。
 すなわち問題を複雑怪奇にしてるんは、今次ウクライナ戦争が、スペイン内戦と冬戦争の二つの側面を併せ持ってることでないか。後者の2つは1939年に同時に世界を揺るがした大事件だが、スペイン内戦が先に終了してから、秋に冬戦争が勃発した。こうした欧州情勢見て、極東日本の当時の平沼首相は「欧洲の天地は複雑怪奇」といって首相をブン投げたが、現在でも同じことが言える。15氏が“ふと疑問に思う”と独白しちょるが、同氏の政治的教養が言わせしむるのだろうが、今回も乱麻捌くようになかなかスパッといかない。もうチョット状況を見よう。
前述したコメント再掲する。


<             冬戦争
 
 今回ウクライナ戦争で想起するんは冬戦争だ。緩衝国家ウクライナの挑発的な動きに対し、ロシア側が予防作戦的な動き見せたわけだが、83年前にも似た事例があった、それが冬戦争だ。ソ連とフィンランドの戦争は、1938〜39年の冬戦争、1941年の独ソ戦に関連した継続戦争、1943年枢軸国敗勢に伴うソ軍攻勢の3回に分けられるが、最初の冬戦争が今次ウクライナ戦と状況が似てると思う。
 冬戦争はwikiによれば、<歴代のソビエト政権にとって、革命発祥の地であり、ソ連第2の大都市であるレニングラードと近すぎるフィンランド国境は、重要な安全保障上の課題であった。1930年代後半になり、ナチス・ドイツの膨張政策があきらかになるにつれて、この問題はスターリンにとって座視できるものではなくなった。 そこでソ連側は、1938年4月より、在ヘルシンキ大使館員ボリス・ヤルツェフ(NKVD職員)を通じて、フィンランド政府と非公式な交渉を始めた。今日、伝えられているこの時の最終的なソ連側の要求は、
•レニングラード湾上の4つの島嶼の割譲
•上記の代償として、ラドガ湖の北の東カレリアで、フィンランドとの係争地の一部をフィンランドへ割譲
というものであった。しかし、フィンランド側は応ぜず、この交渉は、1939年春には行き詰まってしまった>
 
  その後、この年8月のソ連・ナチ独間の不可侵場条約で、フィンランドがソ連の勢力圏に属すると独が認めたことなどから、ソ連は更に厳しい要求をフィン側につきつけ、最終的に両国間交渉は10月に決裂し、ソ連側が仕掛けた偽旗作戦で、両国は冬戦争に突入した。再度wikiによれば、<ソ連はフィンランド軍のおよそ 3倍[要出典]の兵力を投入したが、結局マンネルヘイム元帥率いるフィンランド軍の粘り強い抵抗の前に非常な苦戦を強いられた。 既に、ドイツと戦争中であったイギリス、フランスは、フィンランド支援を口実として、ドイツの軍需生産に不可欠なスウェーデンの鉄鉱石を抑えるために、地上軍の派遣をノルウェーなどスカンジナヴィア半島北部を経由して計画したが、ノルウェーとスウェーデンは軍隊の通過を拒否したために計画は実現しなかった。フィンランドは1940年3月まで戦い抜くが、フィンランド第二の都市であるヴィープリを含む国土の10%、工業生産の20%が集中する地域をソ連に譲り渡すという苛酷な条件の講和条約を結び、3月13日に停戦は成立した>
 この戦争の与えた影響は大きく <スターリンの大粛清で弱体化したソ連軍の実態が諸外国に知れ渡ることになり、特にアドルフ・ヒトラーのソ連侵攻の決断に影響を与えたと言われる>(wiki)、今回ウクライナ戦も相当影響がありそうだ。尚、冬戦争開戦の直前に(39年)に、日ソ両軍の本格的な戦争”ノモンハン戦(ハルハ河戦)”があったことに注目しとこう。

(参考資料)梅本 弘『流血の夏』1999,KK大日本絵画
      パウル・カレル、松谷健二訳『バルバロッサ作戦』1976、フジ出版社

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