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[政治・選挙・NHK258] 元号が時代を混乱させる(そりゃおかしいぜ第三章) 赤かぶ
13. 2019年3月06日 21:51:13 : GRGDp8FtD2 : RGk2U1JqNEJrSms=[1]
元号は、中国を模倣した古代の天皇時代に始まっているが、江戸時代にもある。
歴史として、天皇(てんのう)の呼び名は明治。 日本書紀の天皇(すめらみこと)。
古代の天皇号を復活(1000年前)させたのが、光格天皇(傍系の天皇で、尊号

一件という幕府との確執を起こし、大政委任論がでてくる。 大政奉還は委任論に
対してとなる)で、朝廷復権、尊皇に向かわせた天皇になる。 江戸時代の天皇の
呼称はいろいろあって、庶民の「天子」や幕末の外国人訪日記は「ミカド(御門)」。

「皇帝(エンペラー)」は英外交官アーネスト・サトウの命名で、条約は皇帝で署名。
今風なら、首相は国民、総理は政府省庁、海外はプライムミニスターのようなものと
柔軟に考えるのがいいのかも。 元号と諡号(しごう)を同じとしたのが明治。 

諡号は死後につけられていた。 ほかにも、明治になって伝統が変えられている。 
譲位と退位も今上天皇は譲位という、主権者代表の政府は生前退位とするのは
法律上、この法律の終身天皇も明治。 


で、西暦や日曜休日は、キリスト教国家で使われている。イスラム教(イスラム暦)
の国民からみれば、日本はキリスト教国のように見えてしまう。 現在と同じ、並記
すれば、固有の年号を持っていることでキリスト教国ではないと説明ができる。

元号廃止は、年数計算が大きな理由だと思われる。 年数計算を理由にすると、
「皇紀」復活論が出てくる、 元号は行政文書に使われるから、西暦欄の追加で
利用者に手間をかけないようにすればよい。 元号と西暦の置換は、コンピュータ

で簡単にできる。 安倍嫌い云々は別にして、伝統文化の一つを喪失させるか
どうかである。 50年後の子供に伝えることおを想像するべき、明治の初めに
ローマ字を国字とする論争があった。 (江戸の漢字の書体は3種、楷書《書籍》・
行書《公文書》・草書《私信》。 ひらがな、カタカナ) 歴史考も必要である。

 
元号廃止論は皇紀復活論に世相を誘導しやすい。 今年の皇紀は2679年 
(西暦2019年 + 660年)。 この皇紀は、神武天皇の即位を元年にし即位日の
2月11日を建国記念の日として祝日である。 西暦の660年前とした計算方法は

干支紀年法(十干十二支 60年周期)で年数を算出したとなっている。 皇紀は
西暦を換算してつくられているから西暦を利用すればよいことだし、神武天皇も
(神話や伝説上)架空の人物である。


神武天皇45歳の時、天孫降臨(ニニギ)から、179万2470余年と歴史を語り、
127歳で崩御した。 祖母は『豊玉姫方産化為龍』龍である。(トヨタマヒ(豊玉姫)
ウィキに記述あり) 古事記は『化八尋和邇而』、大きな鰐。 母は祖母の妹、

祖母が龍であれば、母も龍となる。 神武天皇は、龍の母と祖母をもつとなる。
明治政府は日本書紀の本文を正史として教えた。 しかし、出生を教えていない
ようである。 明治政府の皇国史観は創られたものが多い。 


ちなみに、水戸黄門の水戸藩。 幕末の将軍徳川慶喜と父・斉昭の問答

『問て曰、国体の本末とは如何。 

答て曰、申迄ハ候ハねども大日本国ハ天照大御神の詔のまにまに、御代々の
天皇しろしめされ、天地日月と共ニ長久の御国ニ候得は、実ニ世界の大本ニて、
海外萬国ハ皆末にて候。然るニ漢學ニなつみ候者ハ漢土を學ひ、蘭学ニなつみ

候者ハ西洋を慕ひ、本末取失候もの不少、漢土も西洋も其君臣しはしは位をかへ
候得共、我朝のみハ天地之初めより幾萬年歟經て今日ニ至る迄、神胤一本ニて
皇位を續き給ふ事、決而外国に其例し無之、されハ三代将軍の御意ニも、御国内

之戦争ハ、源平其外互ひニ勝負有之候迚も、其者限りニて日本の耻辱ニあらす、
日本之土地人民、一寸壹人たりとも外国へ被奪候而ハ日本之耻と被仰候儀、
誠ニ御尤之御事ニ候。されハかりそめニも御国ニ生れ候人々、家中々々ハ其国主

・領主を守護し、国主・領主は大将軍を輔けまゐらせて、天皇を守護し奉り、大日本
之威稜を六合ニ耀さんと志し候儀、即ち大和魂ニ候、別而武家心得之第一と存候。』

常盤神社 (水戸黄門ホームページ)
http://komonsan.jp/kura/cat24/post_250.html

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/169.html#c13

[政治・選挙・NHK259] 元号の決め方(小笠原誠治の経済ニュースゼミ) 赤かぶ
7. 2019年3月30日 22:28:13 : GRGDp8FtD2 : RGk2U1JqNEJrSms=[2]
>3さん
歴史を思い込みで語る。 そもさん せっぱ の禅問答ではないわいな。

和暦(大化の元号が645年)があるという歴史をもつ。 歴史伝統は文化になる。
『改 天豊財重日足姬天皇(アメトヨタカライカシヒタラシヒメノスメラミコト)四年、
為大化元年』(日本書紀 孝徳天皇) 皇極天皇の四年を改めて大化元年とする。
大化6年に白雉(はくち)に改元。 白い雉を吉兆とする、祥瑞(しょうずい)の改元。

(天豊財重日足姬天皇は和風諡号、皇極天皇は漢風諡号。 漢風諡号は
淡海三船によるとされる。 諡号とは、死後のおくりな)

一世一元とする明治の法律。 民主主義に即し、天皇の人権も含めて法律を
作り直すべきだわね。

江戸時代の改元条文は、禁中並公家諸法度にあり、ウィキの訳文を引用すると、
「改元は、中国の年号から良いものを選ぶべきである。ただし、今後(担当者が)
習礼を重ねて相熟むようになれば、日本の先例によるべきである。」


皇極天皇と称徳天皇は重祚した女性天皇。 で、JOC会長竹田氏の息子はネトウヨ
と話題にでる。 明治天皇を曽祖父とする今上天皇と竹田氏は「はとこ」。
この竹田氏が、世が世なら天皇となれる時代の話。

朝廷を復権させた天皇は119代光格天皇。 天皇号も光格天皇が復古させた。
122代明治天皇の父は、幕末の121代孝明天皇、曽祖父は119代光格天皇。
この光格天皇は「はとこの子」の養子となり天皇となる。 光格天皇は傍系の天皇で、
「はとこの子」の皇女を皇后とし、この皇后で直系が途絶えた。 

117代後桜町天皇は、116代桃園天皇(22歳で崩御)の異母姉で、女性天皇。
(在位9年の中継ぎ)116代桃園天皇の子が118代後桃園天皇となる。 
後桃園天皇(21歳で崩御)は、皇女一人(のちに光格天皇の皇后)、男性天皇と
する光格天皇を養子とした。 ※天皇や皇后と今の呼称。 正確な呼称はウィキで。

この光格天皇は実父に上皇号を与えようとして幕府と紛糾した「尊号一件」。
明治政府が、光格天皇の実父に、慶光天皇の諡号を贈った。

江戸時代までの歴史をもとに、一世一元と明治政府が法律にした。
譲位もないが、生前につけられる死後のおくりな(諡号)。 尊王攘夷は水戸、京都
招魂社は国学者、二番煎じをはじめのように宣伝した長州。 その長州のお国自慢
をする首相だから宣伝にはたけているわな。

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/126.html#c7

[政治・選挙・NHK259] 息苦しい時代の懸念 「令和」を仕切る一強政権の不気味(日刊ゲンダイ)  赤かぶ
5. 2019年4月14日 22:33:36 : GRGDp8FtD2 : RGk2U1JqNEJrSms=[3]
>新天皇は後世に「どう呼ばれるか」後に自分で名付けられるがよかろう。

日本最大の天皇陵は、仁徳天皇とされる。 同じ字で諱(いみな)の「徳仁」(なるひと)が新天皇。
「民の竈の煙」(民の疲弊で課税を3年停止)は日本書紀に載る。 人びとへ徳政をしいた。 ゆえに、
仁徳天皇の諡号(しごう)と思われる(命名選者 淡路三船)。 〈諡号は、死後に贈られる名前で
和風と漢風がある〉 死後の名前を即位につけるとは。 天皇崇拝者は不敬と怒るべきだと思うが!?

因みに、諱の「仁」と「子」は、平安時代あたりで、「子」は藤原氏(始祖 中臣鎌足)のようである。 
江戸時代の元号の条文は「禁中並公家諸法度」の8条。 諡号の命名者は、2条から5条の人物?
(後世)歴史の時代区分は地名「東京時代」と呼ぶのでしょう。 (江戸時代に、慶応天皇はいない)


歴代天皇は明治に決められた。 龍を母親とする神武天皇を初代。 天皇になったか疑問の天皇も
いれば、江戸時代の「慶光(きょうこう)天皇」は、天皇になっていない(歴代天皇に数えられていない)。
119代光格天皇の父親が慶光天皇とよばれる。 光格天皇は朝廷の復権させた天皇といわれ、天皇に
なったことのない親(慶光天皇)に上皇号を贈ろうとして幕府と紛糾した(尊号一件)

万世一系も神武天皇実在も信じていないし、元号の強制も賛成しない。 ただ、歴史や伝統として
記録された歴史遺産、文化遺産と考えれば元号は残せると思いますね。


で、維新の政治体制(教えないのか、覚えないのが悪いのか)の勘違いがありそう。 〈日本書紀から〉
元号は孝徳天皇(皇極天皇4年を大化)としたことに始まる。 皇極天皇4年(645年)、中大兄皇子と
中臣鎌足らが、蘇我蝦夷(焼討)と入鹿(暗殺)を殺害した(6月12日)、孝徳天皇に譲位(6月14日)

大化の改新と教わる。 今は? 昔、大化の改新として、公地公民制や領民と賤民、奴婢(奴隷)、班田
収授の法、租庸調というような子供のわかる範囲の言葉を習った。 これらの政策は孝徳天皇紀にある。
大宝律令(701年)も覚える、 半世紀の間に、(近江令は? 天智天皇=中大兄皇子)天武天皇の

飛鳥浄御原令(あすかきよみがはらりょう)がある。 この律令(りつりょう)制(律令格式が正式名)が
維新の政治体制で、大化の改新で習う政策を進めた。

明治維新の最大のポイントは律令制の復活にあった 日刊スパ!プラス
https://nikkan-spa.jp/plus/1522202

政治体制は、西洋の知識も入って来ており、未知な民主体制を論じる一握りの尊皇攘夷の志士もいた。
米国民主制の体験者は、ジョン万次郎。 他にも、英国の政治体制を論じていた。

『晩餐後後藤が政治問題を論じにやってきた。 彼は英国を手本にして国会と憲法とを作らうといふ考へを
述べて、西郷も相似た意見を持っていると言った。』 (後藤は、坂本龍馬の船中八策、夕顔丸に乗って
いた後藤象二郎 海援隊が土佐商会となり、岩崎弥太郎が会計責任者として出てくる 西郷は西郷隆盛)

英使サトウ滞日見聞記維新日本外交秘録
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1921021/208

連合国家(徳川や譜代と外様)の体制を天皇を君主とする一国中央集権体制を敷いた。 天皇の下に二官
(太政官、神祇官)で太政官は司法・立法・行政の三権を持ち、高札(五榜の高札)は平民(庶民)、五箇条の
御誓文は華士族(公家・武士)に布告。 (中国の律令制は皇帝の下に三省で、宗教の神祇官は無い)

神祇官は神道国教化をはじめ、延喜式に倣い、近代社格制度を組織。 戦後に社格制度組織が神社本庁。
版籍奉還は公地公民制と同じで、王土王民思想による。 歴史では、鎌倉政権により、私有制や奴婢の開放、
民衆仏教が広まった。 天皇を島流しや廃位、新天皇の任命、革命といえる承久の乱も鎌倉時代。 

江戸の仏教寺院は戸籍係(寺請制)で国民のほとんどが仏教徒。 信仰は多様化し、種々の新興宗教がでた。
(幕末新三大宗教とよばれる、黒住教・金光教・天理教。 谷口雅春が脱退した大本教の初期の神は、鬼門

〈方角〉の祟り神で、艮の金神。 金光教の神がもと) 維新政府の強権をもってしても、公有制や国教化は仏教
宗派や民衆の反対にあった。 武士は、士族の乱で西南戦争まで続く、 護法一揆(宗教)、地租改正一揆(税)、
血税一揆(徴兵反対)で民衆は抵抗した。 (鎌倉から幕末まで700年近く、私有制の歴史があり、仏教も伝統の

慣習となった。 中国北朝鮮を共産主義というのは、律令制や王土王民思想を西洋史観に置き換えといえる)
日本では、土地国有化や宗教禁止のような共産主義に、ならないのは維新の歴史でわかる。 反共の言葉に
酔いしれて、自民党を維新の太政官のような組織にさせれば、民主主義は崩壊する。 軍人勅諭や教育勅語も

議会制(明治憲法)の前にだされた。 (神武天皇実在や民主主義の基本は日本古来の伝統と公言する無敵の
議員が集まる自民党ですからね) 

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/543.html#c5

[政治・選挙・NHK259] 中西進さん、「令和」批判への反論・弁明は、お見苦しい。(澤藤統一郎の憲法日記) 肝話窮題
7. 2019年4月19日 23:11:03 : GRGDp8FtD2 : RGk2U1JqNEJrSms=[4]
>1さん 「神のお告げ」だから「美しい」という流れは乱暴過ぎですよね。」

投稿は、人物評が書かれてますが、1さんと異なる素人考として、乱暴ではないと思いますよ。
序文は、花鳥風月。 (季節は違うが)夜桜の宴に十三夜の月。 情景として美しい絵になる。

「天平二年正月十三日」、十五夜と十三夜の月は美しいとされ、令は月の修飾語かな。
(〈れい〉と読むなら2月で冷が季節感にあいそう) 現代人が、読む字の読みや意味は
(飛鳥奈良)官僚や知識人とは違っており、時代を想像して考えることが必要でしょう。


この時代、呉音と漢音があり、万葉仮名が使われていた。 令を(りゃう りょう)が呉音、 
(れい)が漢音で、呉音は朝鮮半島経由で仏教用語も呉音、遣唐使の伝えた唐からは漢音と
読みを分けられるいう。 (山上憶良は遣唐使で唐へ留学した人物。 子供を思う歌や地方の

役人になると富を築けたとされる時代に「貧窮問答歌」) 元号のはじまりは、大化の改新から
大宝律令(りつりょう)で、官僚組織や法律を作成した時代になる。 (保守願望の明治維新も
この時代の律令制) 序文は素人なりに、美しい情景と読めるとなりますね。


「以和為貴、無忤為宗」(和を以て貴しとなし、忤〈さか〉ふること無きを宗とせよ) 日本書紀も
同時代で、聖徳太子(聖徳は諡号)の17条憲法にでてくる。 〈宇治谷猛訳〉 「和を大切にし、
いさかいをせぬようにせよ。 人は皆それぞれ仲間があるが、全くよく悟った者も少ない。 

それ故君主や父にしたがわず、また隣人と仲違いしたりする。 けれども上下の者が睦まじく
論じ合えば、おのずから道理が通じ合い、どんなことでも成就するだろう。」 議論に臨む
姿勢、心掛けが「以和為貴」で、条文からは、〈常識として〉波風を立てない。 (話合いせず)
同調する。 のような意味にならず、一人一人の和(やわらぎ)の気持ちが大切と読める。

もう一つ、話題にあがる「招魂」も、日本書紀の天武天皇の記述が初出とされる。 天武天皇が、
病床に伏した際、薬の飲ませて招魂が行われた。 次の年、朱鳥(あかみとり)の元号とした。 
この年の9月崩御。 次の年から、また元号は使われなくなった。

天武天皇十四年十一月、『丙寅、法藏法師・金鍾、献白朮煎。是日、為天皇招魂之」
(宇治谷猛訳)『二十四日、法蔵法師・金鐘は白朮(おけら)の煎じたものをたてまつった。
この日、天皇のために招魂〈みたまふり〉(鎮魂祭。 魂が遊離していかないように、身体の中に

鎮め長寿を祈る)をした。』 生きている人の霊魂が、体内から出ていかないように(死)、魂が
外に出ようと震えるのを抑えるような意味のようである。 《国学者・伴信友の解説を字面での
意訳》 (日本書紀 神代上)蒙恩頼をミタマノフユヲカカフレリと読めて、天武天皇きにある

招魂(みたまふり)のもとで、大宝元年に鎮魂(みたまふり)と替わった。 後醍醐天皇の招魂
(しょうこん)は、陰陽家(陰陽寮は占いや暦や時間を扱う部署。 陰陽師として、平安時代の
安倍晴明や芦屋道満が有名)の招魂祭としている。 幕末、京都の政変での死者を孝明天皇

は仏教(施餓鬼か)、国学者は京都招魂社(1862年)国学者・福羽美静らが尊皇の志士を
京都東山の霊山に祀り,翌年、八坂神社境内に小祠を建立)に祀った。 この後に長州の
招魂場。 福羽美静は、国学者・平田篤胤の系譜、平田の霊魂観を学んでいると考えられる。

長州も平田篤胤の国学を学んだ白石正一郎らが、招魂場創建にかかわった。 推論すると、
伴信友の解説する招魂(みたまふり)は生者。 陰陽師の招魂(しょうこん)は道教の死者。
幕末の招魂は霊魂で、霊魂を招き鎮めるとなったように思われる。 字の読み方からだいぶん

外れましたが、天武天皇の招魂(みたまふり)鎮魂は新嘗祭(大嘗祭)、アマテラスの真床追衾
も天皇即位にかかわる儀式といわれる。

伴信友全集
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991315/222

表意文字で意味を考えると令和は投稿の示す例の通りであり、1さんの美しいは出てこないと
するのもその通り。 やまとごごろも、幕末は大和魂となって、平安時代と違う意味になった。

[講和] 交戦国が、互いに協定を結んで戦争をやめ、平和を回復すること。
[平和] 戦争や紛争がなく、世の中がおだやかな状態にあること。

[元和](げんな) 戦国の終わりと見なされ、(島原の乱がおきた)幕末まで、平和が続いた。
[令和](れいわ) 30年後、批判に耐えれたかになるのでしょう? 

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/719.html#c7

[政治・選挙・NHK259] 天皇制の謎と民主主義 (朝日新聞社 論座) 肝話窮題
5. 2019年4月25日 21:55:57 : GRGDp8FtD2 : RGk2U1JqNEJrSms=[5]
>現代の天皇制について考えてみたいだけだ。

歴史上で、庶民がものを言える時代(主権者)となったのが、戦後であり歴史の権力闘争に庶民は蚊帳の外で
あった。 記録された歴史と現代の社会背景から論じるのは? 庶民の知る万世一系は明治の教育によるもの。
権力や体制は、天皇公家(官吏)の律令制、将軍家臣(藩士)の軍事体制と大別できる。 明治維新は律令制。

江戸末期の庶民や武士の宗教観が「江戸幕末滞在記」(E・スエンソン 訳 長島要一)にある。 また、明治元に
長崎裁判所(長崎府 幕府天領直轄地であった長崎を維新政府が接収したさいにつけた名称)の「御諭書」を
読んでも、江戸時代の庶民が天皇や万世一系をしらない。 

(30ページの一部を抜粋) 〈 〉は引用分にはない補足注釈
『ここにあげた二宗教〈神道 仏教〉の最高権威としてミカド〈天皇〉が君臨する。 ミカドは神道では、まさに神格
化され、神として拝まれているが、仏教の方でも、さまざまな条件により修正をほどこされた宗派では、少し位は
落ちるが、一応神としての威厳をミカドに与えている。京都におけるミカドの閉ざされた生活については、外国

人のみならず日本人にさえいまだにヴェールをかぶされたままで、朝廷の最高位にある官吏だけが神々しい
ミカドに近寄ることができる。 私が話したことのある教養のある階層の日本人は、神秘的な存在としてのミカドは
民衆の空想の中にしかないこと、自らの行為に合理性を与え、政府〈幕府〉の施策を尊敬させる目的で大君
〈将軍〉が掲げたおどし絵でしかないことを、半分も理解できなかったようだ。ちなみに大君は、日本の非常に

古い憲法〔律令〕によればミカドの統治官にすぎず、すべての点でミカドの命令に服すべきとなっていた。
 ・・・(略)・・・ ミカドが実在するのは疑いようもないが、その生活ぶりは、まだまだいろいろな点で謎めいている
のも確かである。 聞くところによれば、ミカドは京都にある宏大な社〔御所〕に閉じ込められて住んでおり、ダイリ
〔内裏〕と呼ばれる朝廷に囲まれ、そこの官吏は、国内の政治問題にはなんの影響も与え得ないにしろ、非常に

高い地位を占めており、そのうちの何人かは〔位の上では〕大君の上司でさえあるという。ミカドのいちばん重要な
仕事が太陽の神〔天照大神〕直系の神々しい一族を殖やすことにあるから、十二人の正室と多数の側室を与えら
れており、全員、外部との接触をいっさい絶たれている。 ミカド自身、社〔御所〕の外に出ることなく、一年のうちの
何日か、選ばれた者たち数人に、姿を見られないように閉ざした部屋から足を外に出してキスさせるだけである。

ミカドの身体は聖なること限りなく、公式には誰ひとり髪の毛一本さわってはならないことになっている。したがって、
髪や爪を切らなければならないときには、ミカドが眠っている間にした。着物も同じものは一回しか使わず、食事に
使用する椀や皿も然り、毎日新しいものに替えられる。が、これだけならさほど面倒ではない。ミカドの使ったもの
はなんであれ、一般人の手に触れられて汚されることのないよう、ただちに始末される習慣は信じられないほどの

出費を要するのが悩みの種で、ミカドの衣類に使う生地、毎日の必要を満たすための品々もみないちばん安い
ものが使われているという。 ・・・(略)・・・ 大衆の目に映っているミカドは決して死んだりしない。 神として
それではあまりに脆弱すぎる。ミカドは消え去るのである。 しかし、その前に、子供たちの中から後継者を選び、
それは時として女であることもあったが、父親の消滅が全国に告示される前に即位させてしまうのである。

 ・・・(略)・・・ 日本の宗教界の最高指導者としてのミカドは、ほかの名ばかりの役割からは自由な存在である。
しかしミカドの権威は純粋に宗教的な分野に限られていて、〔聖職者の〕臣下を統制するのに適用される規則は
決して厳しいといえるものではない。 聖職者はたいていなんでも好きなことができる。上司から咎められることも
厳罰に処せられることもなく、感情生活、快楽生活の方面で宗教の戒律を破ることさえできる。けれども、ほかの

非宗教分野では聖職者たちも国の民事裁判所〔寺社奉行〕の管轄下にあり、罪を犯し有罪と認められた場合は、
聖職者の身分に関係なく裁きを受けた。日本の数多いミア〔宮〕やテラ〔寺〕は、無数の聖職者の一団によって
運営されている。 かれらは無為の行為、宗教に関わる仕事、さもなければ放蕩に時間を費やしている。神道は
その下僕に独身生活を強いないが、神道以上に普及している仏教では強制されていることであり、仏僧の最高の

勤めが仏陀の教えを厳格に守ることであってみれば、きちんとその規律に従うだけでも、なんであれほかの俗事に
手を出している暇などないことは明白である。 〈浄土真宗は妻帯可、他派は明治になり肉食妻帯を政府が許可〉
・・・(略)・・・ 聖職者には表面的な経緯を示すものの、日本人の宗教心は非常に生ぬるい。開けた日本人に
何かを信じているのかたずねても、説明を得るのはまず不可能だった。私のそのような質問にはたいてい、質問を

そらすような答えか、わけのわからない答えしか返ってこなかった。 時に立ち入って聞き出すと、そのうちの何人
かは、戯言の寄せ集めが彼らの宗教、僧侶は詐欺師、寺は見栄があるから行くだけの所、などとやっと語ってく
れた。・・・(略)・・・ 下層階級の人間は、祈りを上げようと思ったらどんな社寺であろうと見境をつけない。仏陀を
安置したテラ〔寺〕であろうと何かの神を祀ったミア〔宮〕であろうとお構いなしである。その点については、リンダウ

が、自著「日本周遊旅行』においてかなり滑稽な証拠をあげて説明している。 横浜のカソリック礼拝堂が完成
した当初、町の日本人住民が大勢訪ねてきた。 深い信心をみせてキリスト像の前で地面にひれ伏し、熱心に
祈りを捧げたので、宣教師たちは大喜びであった。 ところが、なぜキリスト教の教会を選んだのか、その動機を
たずねてみると、正直だが救いようのない答えがかえってきた。外国人とその「カミ」を讃えたかった。 外国人の

カミも日本のと同じくらい良いにちがいない、といったそうである。これでは彼らに深い宗教心があったとはとても 
いえないが、少なくとも心からなる好意を表わしたことだけは認めざるを得まい。〔日本の〕宗教はどこでも迷信と
よく結びついているが、僧侶たちは迷信を利用して民衆に影響力を及ぼすこともできるので、面と向かってそれと
戦うことはしないようである。ここの聖地が病気を治すのに特別な効力があるといわれれば、向こうの社寺は神々に

縁組を守ってもらうのにいい、ここは結婚した女が身籠るのにいい、そちらのは諸々の奇跡を起こすのにいいと
いった具合に、しばしば信者たちの巡礼の目的になっていて、それで僧侶たちのポケットがふくらむのはいうまで
もない。・・・(略)・・・社会の上層部、特に知識人の間には、神道にも仏教にも与しない開けた日本人が数多く
見出せる。彼らは外見的な神仏信仰を斥け、孔子の教えの規範に多少の修正を加えたものに従っている。

それは、その純粋さと高尚さにおいてほかの数ある宗教よりはるかに抜きん出ていて、雑多な宗教とキリスト教との
中間の役割を果たすといわれている。けれども、神と彼岸の生に関する〔儒教の〕概念群には不確かで不明瞭な
部分が多すぎるため、その信奉者はふつう、無神論者と見做されている。その教えは、宗教というよりは一連の
哲学的な処世訓より成っているといった方がふさわしい。〈幕府官学の朱子学〉 また、〔社寺などの〕外部的な

形式をもたず、感覚に訴えて人を唆すこともしないため、儒教に惹かれる大衆はいないが、その信奉者が学識
深く、真に清廉で汚点のない人生を送っているという理由から、〔大衆の間に〕並々ならぬ尊敬を集めている。』
〈聖職者は寺社奉行、朝廷公家は京都所司代、京都守護職となり、新撰組が配下〉 


御諭書(長崎府) 早稲田大学図書館 
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/wa17/wa17_03555/wa17_03555_p0004.jpg

『日本ト云ウ御国ニハ、天照皇大神宮様カラ御継遊バサレタ処ノ、天子様ト云ガゴザッテ、是ガ、ムカシカラ
イット変タ事ノ無イ、此(この)日本国ノ御主人様ジャ。 丁度天ニ御日様ガゴザルモ同ジ事ジャ』

御一新の説明はいろいろな譬え(たとえ)を使っている。 
『下々デ考ルヨウニ、手ノ裏返スヨウニ、夜ガ昼ニナッテミタガヨイ。 ドノヨウニウロタエルカ、譬ヘバ、夜ル夜中ニ
人目ヲ忍ンデスル事ガ有ラウガ、其処ヘ俄ニ御日様ガ御出ナスッテハ、タマルマイデハ無イカ。 ヂリヂリト夜ガ
明ル間ニハ、茶モワク掃除モ出来ル』 天皇を庶民が知っていれば、こういう文書を政府がだすこともない。


維新の律令制(天皇の下に二官六省)は、王政復古で大化の改新の時代の政治体制になる。 今、公民教育と
いうのがあるそうで、この公民が英語訳の公民なのか、明治回帰の保守(律令制)の公民なのか、中国は公民と
人民というそうであるが。 大化の改新に出てくる公地公民制(明治は版籍奉還という)は、皇地皇民といえる。

これは王土王民思想の日本版。 (日本書紀孝徳天皇)『聖主(ひじり)である天皇(すめらみこと)は、天の意志
に従って天下を治めて、人々がその所を得ることを願い。 少しも休むことがない。 それなのに代々の天皇の
御名をはじめとする名を、臣(おみ)・連(むらじ)・伴造(とものみやつこ)・国造(くにのみやつこ)らは、自らが
支配する品部(しなじなのとものお 組織や集団)につけ、私有の民と品部とを同じ土地に雑居させている。 

そのため父子、兄弟、夫婦でも姓が変わって、一家が四分五裂し、このための争いや訴えが充満している。 
治まらず混乱することはなはだしい。 それ故現在の天皇から臣・連に至るまで、持てる品部はすべてやめて、
国家の民とする。』(宇治谷孟訳)、公地公民制の公民の記述になる。

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