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[リバイバル3] 日本一の音楽喫茶 阿蘇 オーディオ道場 中川隆
20. 2020年7月31日 06:39:48 : hDsIN82usU : WC80amhrMEc0NHM=[1]
26May2020
【待望!店のジャズ】熊本 南阿蘇・オーディオ道場E20/05
https://r35s2840.amebaownd.com/posts/8297131


「待望!店のジャズ」ツアー、次は南阿蘇・ウッドサイド・ベイシーさんの熊本市側の手前、西原村にあるオーディオ道場さん。


このサインのとおり、新型コロナ対応というより熊本震災からの見事な復活(注1)について語るべきことが多かった今回ですが、書くに当たりまず悩んだのはここを何と呼ぶべきか?

ジャズ喫茶は以前レポートしたとおり震災のため、ご廃業されたので、今となってはオーナーである片山昇画伯のアトリエ、画廊、美術館。まぁ、ここでオーディオ修理、販売店もなさっておられるので、引き続きお店と呼んでもいいのですが、私がしっくり来る呼称は「道場」。


「維持・安住」という言葉がない片山さんの辞書。これはオーディオ・システムについても同じで、私からするとどれだけ素晴らしい再生システムになったとしても更なる高みを目指して施されていく改善。その飽くなき求道精神にいつも恐れ入るばかり。

ただ今回、身を持って体感し理解出来たことは、ここが再生芸術としてのオーディオ・システムの道を追い求める場であること、そこから元々お店の名前を「オーディオ道場」と名付けられたのであろうということ。。。ということで、その由来や精神に敬意を表しての「道場」です。


私がこの道場を訪問するのは約1年半ぶりだったのですが、昨年1年間訪問出来なかったのは大失敗だったようで、今回は驚きと感動のオン・パレード(注2)。

最後は片山さんに「もう今日はお腹いっぱいですので、帰ります」と告げたぐらい。笑


片山さんのオーディオ・システムがスゴいことは改めて言うまでもないのですが、その凄みがここまで全てハマった(注3)のは私にとって初めてのこと。

中でもクラシックの大オーケストラ作品の再生に至っては、オーディオ・システムを使った再生芸術と呼べる域に達していたと思います。


その主役は、このロイヤル・アルバート・ホールでも採用されていたという英VITAVOX社のBass Bin。


数年前から何度も聴いてきたこの幅1.0m、高さ2.2m、奥行0.8mの業務用スピーカーには前回も驚かされましたが、今回の進化ぶりは桁違い。

今回このスピーカーが奏でたのは、ここでしか聴けない、凄いとしか言い様のないレベルの音楽。


天地を揺るがすように鳴り響く音、圧倒的な音圧から生み出される非日常の感覚、その対比として生まれるpppの静寂、無音の尋常ではない美しさ。。。それらはホールの響きの中で味わえるものとは少し違いますが、逆に、これこそ作曲家自身が望んだ音・響きだったのでは?と思えた感動的な体験。

しかもその静寂の中、外から聴こえてくる小鳥のさえずりまでこの道場での音楽の一部。

最初にマーラーの交響曲第5番から第1楽章を聴かせていただいたのですが、あまりにも素晴らしかったので、ブルックナーの交響曲第9番の第1楽章までお願いしてしまったほど。


自らのことをオーディオ演奏家(注4)とおっしゃったことからの推測ですが、恐らくこれらクラシックの大オーケストラの再生において片山さんが目指しておられるのは、よく言われる原音再生ではなく、その作曲家が描きたかった音楽そのもの。

レコードやCDといった録音データはあくまでもその素材でしかなく、しかもここが先に述べた「道場」であるが故、今回限りの一期一会の音楽であり、それが故にこれは芸術。


オーディオ・システムを使った再生芸術とは、何度でも同じ音楽が聴けるからいいのでは?と音楽愛好家としては言いたくなるのですが、芸術家である片山さんからすると、元々音楽という芸術はその場一回限りのものであり、そもそもこれでいいということは何一つない。どこまでもより新しいもの、より高い次元のものを追求し続けるのが芸術というもの。。。きっと、このような返事が返ってくるのではないでしょうか?


また次回もこのような素晴らしい感動を味わえるのかどうか?

どう変わっていくのか、どこに向かって進んでいくのか、誰にも想像出来ない芸術家の新作と同様、オーディオ演奏家・片山昇の新作発表会の場がこの道場ということなのでしょう。次回をまた楽しみにしたいと思います。


全国的に見ても、唯一無二のこの道場。


もしこの辺りまで来られたならば是非立ち寄ってほしい場所には違いありませんが、「道場」故、お支払いがオーディオ購入・修理以外に発生しないので、手土産ぐらいは持って行くことにしています。

いつも片山さんに「別に気を遣わなくて、いいよ!」とおっしゃっていただくのですが、どうせなら「奇才・片山昇のワンダーランド」という施設にでもして、入館料を取っていただいた方が気が楽なのに等と思ったりもする次第です。


本文は以上で、下の映像はこれまでにも掲載してきたイギリスのアーティスト Baby Queens のPV。

ここで、震災半年後の道場の映像と片山さん達の演技をご覧いただき、ちょっと一息入れてください。


というのも、ここから注記に入るのですが、本文同様、長く濃い内容となります。

大変恐縮ですが、それがこの道場。。。どうぞ頑張って、おつき合いくださいませ。


(注1)熊本震災からの見事な復活ぶりとして、まず挙げるべきはこの道場に辿り着くまでの道※が広がっていたこと、屋根を始め建屋等の外観がきれいになっていたこと。

※これは県道28号線から阿蘇グリーンヒル・カントリークラブのクラブハウスに向かう道に入り、最初の細い別れ道を左折してゴルフ・コースを右手に見ながら林道に入って行く道のことで、恐らくもうグーグル・マップの示す普通の道でも辿り着けるのだとは思いますが、道場に行く一番わかりやすい道はこちらだと思います。


その林道をずっと進んで左に入るのですが、上の写真が二つ目の看板で、この左側の道が整備されました。

ちなみに下の写真が元々の道で一つ目の看板がありますが、スルーして直進してください。


(注2)昨年一年間の出来事と今回オン・パレードだった驚きと感動について。

@昨年は片山画伯の古稀祝いの個展をご開催になられたり、以前ご紹介した熊本のオーディオメーカー バクーン・プロダクツの新製品発表会をされる等、イベントが盛り沢山だった模様。


バクーン・プロダクツは熊本震災復興支援としてこの道場とコラボして発売されたAMP-KUMAMOTOを始め、オーディオ・マニアの間では知らない人はいない有名ガレージ・メーカーで、オーディオ愛好家ご用達の雑誌stereo誌20年5月号のガレージ・メーカー特集でも取り上げられたばかり。


これらは、昨年発売されたプリとメインに分かれた小型セパレート・アンプや小型フォノ・イコライザーですが、オーディオ・マニアご用達の雑誌MJ(無線と実験)誌19年4月号で取り上げられ、好評価を受けていました。


実際に今回聴かせていただいたのですが、そのスピーカーが何とJBLの銘機パラゴン。


昨年の夏、ここに導入されたそうで、秋にはこのJBL初の3Way機にして初のステレオ対応という銘機のお披露目会をなさったとのことですが、何という皮肉。


私が昨年ここに来れなかった理由が、実はパラゴン。。。大分・竹田の音と珈琲 一粒万(イチリュウマンバイ)という新しく開業したお店で、福岡・古処さんから引き継いだこの気難しいお姫様のようなスピーカーと延々格闘していたから、なので。


ともあれ、今回パラゴンをこの小型アンプで聴かせていただいたのですが、この鳴らすのがとても難しいスピーカーがよく鳴ること!

以前聴かせていただいたAMP-KUMAMOTOもそうでしたが、バクーン・プロダクツのアンプの制動力の強さにはただ感心するばかり。


しかもこのアンプ、バクーン・プロダクツ製品の中では群を抜いて安いのに、この道場で買えば更なる値引きもしてもらえるとのこと。(期間限定とのことですので、詳しくは道場にお問い合わせ願います。)

アマゾンでの取り扱いもあるそうですが、本格的なセパレート・アンプの導入をお考えの方は一度ご検討いただいてもいいかも、です。


Aそして、驚いたこと。この日いらっしゃっていたお二人の常連さんは、お若い感じはするものの、恐らくは70歳ぐらい?と思ったのですが、少しお話させていただいてビックリ!

何とお一方は88歳?!しかも、終活流行りでオーディオを早々と手放すことが多いこのご時勢において、未だにこの道場で新しい機器導入を考えておられるとか。その若い好奇心と行動力には頭が下がる思いがしました。


B更に驚かされたこと。。。タンノイ・コーネッタというスピーカーをご存知でしょうか?普通の方はご存知ないと思いますが、1967年頃アメリカで短期間だけ発売されていたという幻のスピーカー。


私はこのタンノイ読本で知ったのですが、1976年のステレオサウンド誌の読者投稿で認識され、そのチャーミングなタイトルで話題となったスピーカーの実物が何とここにあるのだとか。


エンクロージャー(箱)の中まで見せていただき、今はつないでないから、また今度ね!と片山さんにおっしゃっていただいたのですが、何だか聴きたいような聴きたくないような。。。幻の音との面会は、何とも微妙な気分です。


(注3)オーディオ・システムの凄みがここまで全てハマったのは初めて、と書きましたが、今回感動した残り2つのシステムについて。

まずはジャズ・コンボの再生で、このマイルス・コルトレーン用にという60年代のマッキントッシュとJBLの大型スピーカーを組み合わせたシステム。


このシステムで奏でられる演奏は、いわゆる浴びるようなジャズ。

ピアノ・トリオも決して悪くはないですが、その真骨頂を発揮するのは、トランペットやサックスといったホーン系の入ったコンボで、コルトレーンのクレッセントやデヴィッド・マレイのラバーズで飛んでくるサックスの気持ちのいいこと。


これもリアリティというは意味ではナマっぽくはありませんが、ジャズらしい、ジャズ・オーディオだからこそこんな風に聴きたいという片山さんの主張のこもったシステム。

クラシックの大オーケストラ再生のような意外性はありませんが、あの演奏の直後に聴かされると、その安定感のあるホーン・システムならではの心地好い響きに癒され、そのジャズに浸ってしてしまうことは間違いありません。


最後は、ジャズ・ヴォーカルとクラシックの室内楽再生で、その主役はこのJBLの垂れ幕の中にある部屋に置いてあるハーツ・フィールドを中心としたシステム。


最初はさっきとの違いが聴きたいとお願いして、コルトレーンのクレッセントを聴かせていただいたものの、音色の良さこそあれ、良く言えば素直、悪く言うと素っ気なさ過ぎてダメ。。。ところが、片山さんご推薦のヴォーカルとして、ダイアナ・クラールに変えた途端、その温かみのある表現ぶりにビックリ!

更にはシュタルケルのチェロ独奏に至っては、その音の美しいこと、艶っぽいこと!


このスピーカーはその箱=木の響きがポイントとのことで、50年以上の年齢を重ねた米松。そして、古い松で出来ているというこの部屋との調和で生まれたこの響き。。。これがあの大オーケストラで驚くべき響きを奏でた人のものなのか?あのジャズ・コンボの熱い音を鳴らした人のものなのか?

初めてこの道場を訪ね、片山さんの異才ぶりを目の当たりにした時の衝撃をまざまざと思い出した次第です。


あと正直なところ、この日は特別な一日だったのではないでしょうか?

オーディオは同じ状態で維持しているつもりでも、日によって全く再生が違うことがあります。しかも、片山さんはシステムをどんどん変えていかれるので、これだけのシステムが全てベストな状態であること自体、非日常的だったのでは?との思いがどうしても拭えません。

片山さんがどうおっしゃるかは不明ですが、きっとこの日の私はツイていたと思います。笑


【その他、この日お聞きした片山さんのオーディオ観】@クラシックの音は英国ブリティッシュ・サウンド、ジャズは古いJBL=同時代のマッキントッシュといった古き良きアメリカみたいな音が良く似合う A再生の一番のポイントは、その音源が録音された時代のシステムで鳴らしてあげること Bホーン・システムの音が好き。。。はい!同感です。


(注4)この日、片山さんがおっしゃった「オーディオ演奏家」ですが、これは私の敬愛する菅野沖彦先生がご提唱されておられたレコード演奏家と同じような違うような。

先生も録音された素材を自分なりに再生することとご定義されておられた点においては同じだと思いますが、この大オーケストラの表現を先生がお聴きになられたら、何とおっしゃったのだろう?密かにその妄想だけでも楽しめてしまいます。


【最後に】それにしても、本当にお腹いっぱいになった訪問でした。。。感謝。

今度は近い内に訪問するつもりですが、その時は熊本の誇る大芸術家 浜田知明さんについてもお話を伺いたいと思います。


【駐車場:有 喫煙:不明ですが、吸う場所ではないと思います。笑】


その他のオーディオ道場さんのページへ

震災前[@14/06 A14/06] 震災後B17/10 C18/05 D18/12【JBLハーツ・フィールド復活!】

https://r35s2840.amebaownd.com/posts/8297131
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/713.html#c20

[近代史4] 売国政治家列伝 _ 竹下登 中川隆
1. 2020年7月31日 07:46:50 : hDsIN82usU : WC80amhrMEc0NHM=[2]
結婚したDAIGOに祖父・竹下登の跡を継ぎ政界出馬説...でもDAIGOは竹下家の忌わしい過去を知っているのか
リテラ 2016年1月12日
https://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20160112/Litera_1883.html

1月11日、揃って入籍会見を行ったDAIGOと北川景子。これまでラブラブ交際が伝えられていた美男美女カップルのゴールインに多くの祝福の声が寄せられている。特にDAIGOは昨年の『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)の100キロマラソンランナーを務めるなど老若男女に人気で、好感度も高く、結婚会見も2人の誠実な人柄や爽やかさが全面に押し出されて祝福ムード一色だ。

 そんなDAIGOが最初に注目されたのは、第74代内閣総理大臣・竹下登の孫という"出自"だった。竹下登は代々続く島根県の酒蔵の御曹司で、作家の三島由紀夫や大物政治家の金丸信、また大叔父にあたる衆議院予算委員長の竹下亘など錚々たる血脈を持つ。

 バラエティ番組などで、その華麗なる血族ネタや「おじいちゃん」ネタを連発し、「ウイッシュ」の決め台詞ポーズや短縮アルファベットを駆使したバカトークとのギャップで人気を博していった。

 実は、その血脈の影は今もつきまとっており、地元・島根においてDAIGOの政界進出待望論は大きく、大叔父・竹下亘の地盤を引き継ぎ、衆院選に島根2区から出馬も取り沙汰されている。少し前には、地元でその大叔父とともにトークショーを行い、噂の信憑性を高めることになった。

 当初のバカキャラから最近、好感度タレントに変貌をとげているようにみえるDAIGOだが、本当に政界に進出するのだろうか。

 しかし、DAIGOがさんざんネタにし、今、その後継も取り沙汰されている竹下家、そして竹下登という政治家には、好感度タレントにまったく似つかわしくない忌まわしい歴史がある。

 そのひとつが、竹下登の最初の妻をめぐる、ある"事件"だ。

 大正13年(1924年)年、島根県の造り酒屋を生業とする旧家の長男として生まれた登だが、太平洋戦争末期の昭和19年3月に同郷で19歳だった政江と学生結婚している。だが新婚生活5カ月足らずで登は軍隊に入隊し新妻は竹下の生家に残った。しかし登が復員する3カ月ほど前の昭和20年5月23日、政江は帰らぬ人となっていた。死因は自殺だった。

 この「決して口外してはならない」という竹下家の過去については、評伝

『われ万死に値す ドキュメント竹下登』(岩瀬達哉/新潮社)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%82%8C%E4%B8%87%E6%AD%BB%E3%81%AB%E5%80%A4%E3%81%99%E2%80%95%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E7%AB%B9%E4%B8%8B%E7%99%BB-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B2%A9%E7%80%AC-%E9%81%94%E5%93%89/dp/4101310319


にその詳細が描かれている。

政江の悩みは、竹下の父、勇造との関係にあった。

勇造は、妻唯子を三月二十四日に失ったばかりで、寂しさからか、何かと政江に"干渉"しだしていたという。

「勇造さんは、敗戦を意識して自暴自棄になっていたのかもしれないが、その執拗な"干渉"は、毎夜のように政江さんを悩ませていました。政江さんはノイローゼ状態となり、睡眠薬を手放せなくなっていたのです」(竹下後援会「きさらぎ会」元幹部)


 勇造は政治談義が好きで、また上背も恰幅もあり女性にもよくもてたというが、こうした状況に政江は自殺の1カ月ほど前、立川で訓練を受けていた登をひとり訪ねている。しかしこの時、登は、国が大変な時に家庭のことで煩わすなと言って叱ってしまう。そして政江は自室の鴨居に腰紐を通して首吊り自殺をはかったという。

「あの日は、昼になっても政江さんは二階の部屋から降りてこなかった。それで、女中が昼御膳の用意ができましたよといって、政江さんを起こしにいったところ、鴨居で首を吊っていた。

階段を転げ落ちるように降りてきた女中から、急を告げられた高尾番頭が、あわてて二階に駆け上がり、政江さんを鴨居から降ろした。政江さんのからだは、まだ温かかったということです」(竹下家の内情を知る関係者)

 息子が出征して1年も経たない間に、舅・勇造のどんな"干渉"があったのか。同書では明記されていないものの、勇造と政江のただならぬ関係を示唆する証言がいくつもされている。

「この(死亡診断の)時、身重かどうかも調べられたが、妊娠はしていなかった」

「普通なら、親子の縁を切ってもいいような仕打ちですよ。勇造さんがやったことは......」

 同書ではさらに、衝撃的な"噂"も紹介されている。それが登の後妻となり、DAIGOの母親を産んだ直子にまつわるものだ。

登が直子と再婚したのは政江が自殺して1年も経たない昭和21年1月だった。


竹下との結婚から間もなく、直子は最初の赤ん坊を生む。

人事興信録によると、長女が生まれたのは「昭和21年4月29日」とある。
しかし、昭和二十年八月末に復員し、翌年の一月に結婚した二人の間に生まれた子供にしては計算があわない。

そこでいろんな噂が流れることになる

 こうした嫁を巡る"事件"はその後の登に大きな陰を落とす。


登は"耐え忍ぶ""気配り"の政治家といったイメージが強いが、それはこの一件以降のことだという。

あのことが遭って以来、竹下登は、人が変わってしまった。人の意見は、辛抱強く聞くが、自分の考えは決して出そうとしない。しかも、どうとでも取れる曖昧な話し方をするようになりました


 その後、登は政治家として権力の階段を努力と忍耐で駆け上がっていくが、同時に目的のためには非情に振る舞うことも厭わなかった。そのためさらなる"忌まわしい事件"がいくつも起こっている。

 そのひとつが総理在任中に起こった金庫番の秘書・青木伊平の自殺だ。リクルート事件によって、リクルートからの献金や未公開株以外に5000万円の借り入れまで発覚したことで窮地に立たされた竹下登は1989年4月25日、退陣表明するに至ったが、その翌日に青木秘書が自宅で自殺しているのが発見された。竹下事務所の金のすべてを仕切ってきた青木秘書は自死することで竹下の秘密を最後まで守ったと言われているが、その一方、あまりに不自然な自殺現場に謀略説まで囁かれたほどだった。

 前出の『われ万死に値す』でも、青木と旧制中学で同期だった人物が「遺書があったので、自殺ということになったのでしょうが、自殺にしては不可解なことが多い」と証言している。

 青木の遺体は、自宅のベッドにあおむけの状態で発見された。「首にはネクタイが巻きつけてあり、ネクタイには腰紐が継ぎ足され、その端が寝室のカーテンレールに繋がっていた。

青木はパジャマ姿で、左手首には両刃カミソリによる切り傷が十七カ所もあった。布団は血の海だったが、すでに乾きはじめていた」という壮絶なもので、またベッド脇には背広とズボンがきちんとたたまれ、夫人や竹下にあてた遺書も残されていたという。

 青木の同期の人物は、遺体の状況についてこう疑問を呈している。

「まず背広とズボンがたたまれていたことです。青木は、そういうことをしたことがない。(略)また、遺体の下着が汚れていなかったのもおかしい。(略)縊死の場合は、必ず、脱糞と精液で下着が汚れるものなんです。それがなかったというのは、殺されてから偽装のため縊死を装ったとしか思えません」

 いずれにせよ青木の死により疑惑は闇に葬られ、竹下は追及の窮地から逃れることになった。

 その後、総理大臣を退陣した竹下だったが、以降も政界に隠然たる影響を持ち続けた。だが92年に起こった佐川急便事件に関連し驚愕の事実が明らかになる。それがいわゆる「皇民党事件」だ。87年、前総理であった中曽根康弘の裁定により竹下が総理に就任したが、その際に民族団体「日本皇民党」からホメ殺しの執拗な攻撃を受け、精神的に追い詰められた竹下は暴力団・稲川会を使ってホメ殺しを中止してもらったことが発覚、いわば竹下内閣は暴力団の力を借りて誕生した内閣だという前代未聞の大スキャンダルだった。


竹下は、巨大組織の後ろ楯を得て、政界を歩んできた官僚政治家でも、田中角栄のように独創的な発想と爆発的なエネルギーで一家を成した党人政治家でもない。

目的のためには自分を殺し、どんな屈辱にも耐え、余人には真似のできない気配りによって少しずつ仲間を増やしてきた地味な努力家でもある。そして、ついには寝首をかくようにして派閥の領袖の座を奪い取った凄みのある策謀家でもある〉(同書より)

 もしDAIGOが政治家になって、祖父・登からの地盤や看板、カバンを引き継ぐことになるなら、否が応でもそうした"忌まわしい過去"まで引き受けざるを得なくなるだろう。イメージだけでなく、本当に人柄がいいと言われているDAIGOには、そんな世界に絡め取られてほしくない、という気もする。

 4月に調整中といわれるDAIGOの結婚披露宴だが、政財官界からどれだけの出席者があるのか。それが今後のDAIGO政界進出を占う布石になるのかもしれない。
https://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20160112/Litera_1883.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/982.html#c1

[近代史4] 売国政治家列伝 _ 竹下登 中川隆
2. 2020年7月31日 07:50:21 : hDsIN82usU : WC80amhrMEc0NHM=[3]
アメリカに逆らった政治家の運命


日本の首相といえども、アメリカのいうことを聞かない人物はMP(憲兵)が連れていって、ヘリコプターで吊して脅迫するようなことまでされるということです。

  現に故・竹下登元首相は横田基地のMPに連れて行かれて、飛行機に乗せられ、太平洋の真ん中まで行って、「ここから落とす」と脅迫されたことが実名で紹介されています。さらに「今だって、お金のことでいろんな問題があると、MPが連れていって、ヘリコプターで宙づりにして、顔を海に何回も浸けるそうです」とあるのは誰のことを指しているのでしょうか。

  これこそ、病名も分からないまま意識不明となって突然死した小渕元首相のことでしょう。さすがに「横田基地のMPが拉致して行って、海に顔をつけて殺した」とは書けませんので、ここは実名は伏せてあります。しかし、「顔を海に何回も浸ける」とか、「海水が入って頭がおかしくなる」といった大変具体的な表現は、まさに実際に誰かがそのようにされたことを表しています。当時の小渕首相のボディーガードも一緒に同行させられて、その様子を目撃した(させられた)のでしょう。そうすることによって、次の首相に対する“警告”の効果もあるからです。

  実は、この「小渕元首相の拉致・暗殺説」を裏づけするような書籍があるのです。  それは、元民主党の参議院議員だった平野貞夫氏が、政界のドロドロとした裏話を綴った『亡国』(展望社)というタイトルの本です。平野貞夫氏は、2004年に政界を引退しています。


それにしても、平野氏はよくここまで暴露する記事を書けたものだと、その勇気に感心しています。ただ、日本の政治をコントロールしている“アメリカの影”についてはまったく触れていませんので、やはりタブーとされる部分は避けていることがうかがえます。
 
小渕首相が病院に担ぎ込まれたときは、明らかに小渕さんの意識はなかった。ところが翌日、官房長官の青木幹雄氏が記者会見を開いた。

  「万事頼むと口頭で言われました。首相を臨時に代行いたします」
  これで青木氏はまんまと臨時の首相代理に就任することになった。後に医師団は、小渕首相は青木氏に意思を伝えるのは医学的に不可能な状態だったと証言している。

  本来なら、翌日、小渕首相の担当医師団に記者会見させ、正式な状況を国民に知らせ、それから憲法の規定に沿って収拾を図らなければならなかった。しかし、あの重大な局面にもかかわらず、医師団が正式に記者会見をしたのは1カ月後だった。

  青木官房長官が臨時首相代理になったのは、意識のない小渕首相から後事を託されたと言って嘘をついた結果だ。国民に対しての大きな欺瞞である。

  青木氏が記者会見をした同じ日に、都内のホテルに自民党の大物議員が秘かに集まった。森喜朗幹事長、野中広務副幹事長、亀井静香政調会長、村上正邦参議院議長、青木官房長官の5人組である。この5人が談合して森喜朗を総理に決めた。

平野氏が予算委員会などの公式の場で「首相が拉致された」という比喩を何度も使ったことには意味があると思うのです。普通なら考えつかないような奇想天外な例えになっているからです。これは小渕氏が重態となって病院に担ぎこまれた原因が、決して病気ではなかったことを平野氏がうすうす知っていたからではないかと思われます。

  もちろん青木氏はその重態の原因がただならぬものであるため、その後の首相選びの方法も憲法に違反するような不自然な内容になったのでしょう。呼び集められた5人の実力者がそのことに反発しなかった(できなかった)ことにも、見えない大きな力が働いていたと考えられます。つまり、私が申し上げた「アメリカの意志」です。

  小泉首相誕生のイントロとして、首相など務まるはずのない森氏を首相として祭り上げ、マスコミによって徹底的に人気を落とした後で、小泉「改革派」首相がさっそうと登場するというシナリオができあがっていたのでしょう。

小泉純一郎首相でなくとも、アメリカの横田基地からMP(憲兵)が自分を拘束しにくるかも知れないと考えれば、アメリカの言うことに逆らうことはできないでしょう。「靖国神社に参拝することを公約せよ」「竹中平蔵を財務大臣にせよ」「郵政を民営化せよ」といった注文には、ただただ従うしかないのかも知れません。少なくとも自分の命(政治生命であれ、肉体生命であれ)が惜しい人間であれば‥‥。

  アメリカの意志に逆らって命(政治生命または肉体生命)を失ったと思われる政治家は、田中角栄元首相(ロッキードスキャンダルのあと病死)を皮切りに、大平正芳元首相(病死)、中川一郎氏(自殺)、安倍晋太郎氏(病死)、梶山静六氏(病死)、そして竹下登氏(リクルートスキャンダルのあと病死)、小渕恵三氏(病死)などではないかと思っています。実際にMPに拉致されたのは竹下登元首相と小渕恵三元首相。拉致されて殺害されるという仕打ちを受けたのは小渕元首相だけでしょう。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/tsubuyaki006.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/982.html#c2

[近代史4] 売国政治家列伝 _ 竹下登 中川隆
3. 2020年7月31日 07:51:21 : hDsIN82usU : WC80amhrMEc0NHM=[4]
政治家や官僚だけが、アメリカに従属しているわけではありません。ヤクザの世界もまた同じなんです。

これは山口組の幹部から直接、確認したんですが、「オレたちはロックフエラーの下請けをやっていたんだよ」と言っていました。

まったく同じ話を、アメリカの軍幹部からも確認しました。アメリカは、ヤクザという暴力装置さえもうまく利用していたわけです。マネー・ロンダリングをはじめとして、日米政財界の裏工作をやっているらしいですよ。

あと、元公安調査庁の菅沼光弘さんに聞いた話では、稲川会はブッシュ家と密接な関係にあるとか。

  アメリカとの繋がりの発端が、戦後まもなくの山口組発足当時からなのか、近年に限定されることなのかはわからない。ただ、そういうアメリカの“下請け”をやっていたとは聞いている。今度また詳しく取材してみようと思います。

  実際に、日本で多くの要人が怪死したりとか、いろいろあるじやないですか。アメリカの対日工作の一環として、危険な仕事を頼むのには、ああいう裏社会の協力が必要になってくるんですよ。ライブドア事件で自殺したことになっている野口さん(英昭、エイチ・エス証券副社長)の話もそう。僕も沖縄まで取材に行きましたが、地元の記者の間では、下手人は米軍基地に逃げ込んだという噂があるそうです。

  とある裏社会の人物に見せられたんだけど、その人の指輪に小さな針がついていたんですよ。その針を標的と握手したときなんかにチクッと軽く刺すだけで、殺すことが出来るんだと言っていた。1週間後くらいに脳梗塞で死んじゃうそうです。大平正芳、田中角栄、竹下登、橋本龍太郎、小渕恵三、歴代の首相はみんなそうやって殺されたんだって。

山口組が全国制覇できたのもCIAの下請け機関として働いてきたからであり、政治家の暗殺などの汚い仕事は山口組の仕事だ。歴代の首相の不可解な死は針の付いた指輪のせいだろう。松岡農水大臣の「自殺」も首をつらされて十分に死ぬまで警察に知らされなかった。日本の政界はなんとも恐ろしい世界であり、国際金融資本に逆らえば首相と言えども「病死」させられる。

このように見ればロイターの農林中金の記事も、太田農水大臣の事務所費スキャンダルも関連のある出来事だ。なぜマスコミも政治家自身も国際金融資本と山口組の関係を暴露しないのだろうか? 彼ら自身も汚れ仕事をさんざんやってきたから暴露したくても出来ないのだ。

自民党有力者には、ほぼ全員、間違いなくCIAのアプローチがあり、それが
個人や党の資金源の相当部分を占めている。これによって、アメリカ政府は、
自分たちの意向を直接政策に反映できるのであって、小泉・竹中が、
あたかもアメリカに命令されたロボットのように動き、日本の郵貯・年金資産
を献金してみせた本当の理由は、彼らが間違いなくアメリカのスパイだからである。

 自民党や小泉の資金を徹底的に調査すれば、奇怪な出所不明の資金源がある。

りそな銀行の口座にかかわる、その疑惑を調べていた石井紘基やNHK・朝日・
読売などの記者が次々に不審死を遂げた。口に靴下を詰め込まれて窒息死した記者は、 「性的嗜好による事故死」とされ、

前日に大スクープをものにした朝日横浜支局長は、同僚と飲酒したのち、なぜか横浜港に投身自殺した。

NHK報道主管は1m上の階段から転落して事故死した。これらの、あまりに
エゲツない事故処理を見ると、これは明らかに警察と結託した闇の権力の
仕業だと理解できる。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/982.html#c3

[近代史4] 売国政治家列伝 _ 竹下登 中川隆
4. 2020年7月31日 07:52:00 : hDsIN82usU : WC80amhrMEc0NHM=[5]
鳩山氏の変節はあまりにも異常であり、推測すれば、CIAか横田幕府が直接働きかけて鳩山氏を脅迫した可能性がある。そういう外力を想定しないと、鳩山前総理が行った小沢氏抱き合わせ心中は解せないものがある。
中丸薫女史は、ベンジャミン・フルフォード氏との対談本『泥棒国家日本と闇の権力構造』(徳間書店)で、「横田幕府」について次のように語っている。

「いうことをきかない政治家を、たとえば竹下さん(元首相)も、お金のことでいろんなことがあったときに、MPが横田に連れていったそうです。

飛行機に乗せて、太平洋の真ん中まで行って、「ここから落とす」といわれて、「イエスかノーか」と脅迫されたと聞きました。

  今だって、お金のことでいろんな問題があると、MPが連れていって、ヘリコプターで宙づりにして、顔を海に何回も浸けるそうです。」(P236より)


 自民党の竹下前総理大臣は、“横田基地のMP”に連行され、太平洋上で突き落とすと脅されたと言う。俄かには信じ難い話だが、横田基地のMPについて、私は思い当たることがあった。

この本が出版されたのは、2005年の9月だが、小渕恵三前総理が亡くなった2000年当時、私は横田基地のMPと接触したある人物の体験記を偶然耳にしていた。その人物(M氏)は横田基地の或る将校と懇意にしていて、MPの話題になったそうである。

その時、将校は、もし東京都内で不穏な動きがあった場合、横田のMPは日本の警察よりも素早く、機動的に現場に到達して武力制圧できると言ったそうである。

それを聞いたM氏は、そんなことは嘘だろうと懐疑の念を表わした。

 それに対し将校は、今からそれを証明して見せると言って、どこかに電話をかけた。すると15分ほどして、数十名のMPを載せた軍用車両が、二人のいる場所に到着し、完全武装をしたMPが降車して勢ぞろいしたそうだ。

デモンストレーションである。M氏は度肝を抜かれ、日本の首都東京は横田基地の制圧下にあることを痛感したそうである。

この話の真偽を確かめる術はなかったが、私は真実であると確信した。だから中丸薫女史の上記の話は具体的な迫真性をもって訴えてきた。鳩山前総理の極端な変節は、もしかしたら彼にこの類の脅迫があったことを思わせる。

 もうひとつは田中宇氏も言っているように、韓国哨戒艇「天安」の沈没事件が、日米安全保障条約の恒久的堅持を目的として、米国がやった謀略の可能性を見る。半島有事の恐怖を醸成して在日米軍の存在価値を強調した。

日米安保の存続は米国にとって重大要件である。それは駐留米軍を置いて日本を軍事的属国下にすることで、毎年数千億円もの莫大な思いやり予算や、日本国富を手中にできるからだ。

小泉政権もその構造の一角であった。米国は日本に米国への富の移転が恒常的に行われるように、日本市場や社会制度の改変をやっている。


 中丸女史が言うように、日本の宰相がこれに抗った政策を強行しようとした場合、横田基地の暴力が為政者を襲う可能性は充分に考えられる。

あるいは田中角栄前総理大臣のように巨大な疑獄事件に嵌められることになる。

経済学者の植草一秀さんは、小泉政権という、米国が設定した売国構造改革を果敢に攻撃したために国策捜査に嵌められている。

マスコミが属国日本の現状を語らないので、国民は現在のデフレ不況や国民への再配分が極小化している最大の原因がどこにあるか、実感できないでいる。それは日本の優良資産や労働成果をむしり取る目的で、アメリカの内政干渉が継続しているからだ。

つまり、日本の不幸は従米被占領国家の現状から脱却しなければ、いつまで経っても終わらないのだ。誰かが米国離脱の狼煙を上げる必要がある。
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/982.html#c4

[近代史4] 売国政治家列伝 _ 竹下登 中川隆
5. 2020年7月31日 07:53:02 : hDsIN82usU : WC80amhrMEc0NHM=[6]
竹下登元首相は平成元年(1989)春、首相の座を降りた後も、依然として政治の実権を握り、政界最強の実力者として「院政」を敷き、「闇将軍」の異名をとり、事実上の日本の舵取りをしていた。米国と窓口役を引き受けながら、その立場により、キングメーカーと言われて権勢を誇っていた。

米国にとって竹下元首相が使いやすい政治家あったのは、米国が竹下元首相の弱みを握っていたからである。それが日本国民にバレたら大変なスキャンダルになるところであった。

竹下元首相は、中曽根康弘元首相時代、3期にわたり蔵相を務めていた。その在任中、新札を発行した。その際、米国FRBから監視役が1人、日本銀行に派遣されてきていた。このとき、30兆円分の新札(旧福沢諭吉紙幣)を刷らせたのだが、竹下元首相は、同じ番号の新札を別30兆円刷らせ、これを戦後補償金として台湾に渡した。このことが後に、米国レーガン政権(当時)にバレてしまい、米国にとって脅しの材料として利用され、米国の要求には、どんな難題でも聞かざるを得ない立場に置かれたのだという。まったく、情けない失態である。

◆早稲田大学出身の竹下元首相はキングメーカーと言われながら、それは本当のところは、米国の命令に従ったにすぎなかった。橋本龍太郎首相が退陣したときは、そのことがはっきりと表れた。

慶応大学法学部出身の鼻っ柱の強い橋本首相は、訪米した際、クリントン政権から、「日本版の金融ビッグバン」を強要された。それまでの間、クリントン政権は、日本がバブル経済崩壊により苦難の状況のなかにあるのを知りながら、「超低金利政策」の実行を強要していた。米国の要求があまりにも理不尽であると感じた橋本首相は、思わず口走ってしまった。
 

「ひどいことを言い過ぎると、日本が買っている米国債を売ってしまいますよ」。


米国ディビッド・ロックフェラーが、この発言に怒った。直ちに、竹下元首相に連絡してきた。

「橋本を総理大臣の座から降ろせ」。 

「分かりました。辞めさせます」。

◆これをキッカケに、一時沈静化していた米国の日本バッシングが、また再び始まったのである。橋本首相の不用意な発言は、竹下元首相の逆鱗に触れた。この結果、橋本首相は、以前のようには、竹下元首相に会えなくなった。面会を申し込んでも、門前払いされたという。竹下元首相は

「アメリカとの間に、折角、良好な関係を築いていたのに、何ということをしてくれたのだ」。

という思いがあったのであろう。竹下元首相は「橋本降ろし」を決意していたのである。長引く不況のなかで、橋本政権の支持率は、20%を割り、さらに低下の一途を辿っていた。竹下元首相は、橋本降ろしの準備を始めた。「龍ちゃんを降ろすにしても、花道だけはつくってやらねば」。そうした状況のなかで、橋本退陣をいち早く察知した小渕恵三外相が、内心ほくそえんでいた。地雷撤廃条約をめぐる国際会議出席のため、カナダを訪問した岐路、ニューヨークに立ち寄り、ディビッド・ロックフェラーを訪問し、挨拶した。

「橋本の次は、わたし、小渕恵三が首相をやらせてもらいます。何卒、よろしく」。

http://www.asyura2.com/11/senkyo104/msg/184.html

CIAに暴露された橋本首相のスキャンダル(?)については

中国美女も日本男性が大好き
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/290.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/982.html#c5

   

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