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[経世済民135] NHK受信料の都道府県別支払率ランキング、トップと最下位では47.6ポイントも差がある衝撃の実態(オトナライフ) 赤かぶ
24. 2021年9月10日 21:55:47 : sc03kj0oAM : Y1dkTkJNLzNLUlk=[1]
>>4
俺はアメリカ統治下の沖縄を経験しているオッサンの沖縄県人だが、もっと戦後の沖縄を勉強しろ。
沖縄はまず商業放送から始まった。
フジテレビ系列・沖縄テレビと、TBS系列・琉球放送から。
ラジオのほうがテレビより早くて、TBS系列・琉球放送ラジオ。後になってニッポン放送系列・ラジオ沖縄。
だからテレビというのは無料で視られるものという意識が未だに高い。
でもNHKの人気番組、朝の連続ドラマ、大河ドラマ、紅白歌合戦、日曜のど自慢、それから昔なら宮田輝アナウンサーのふるさと自慢、高橋圭三司会「ジェスチャー」とか、それから夕方7時のニュース、正午のニュース、朝のニュース等、商業放送しかない沖縄でも、それらの番組はちゃんと視られた。アレ? どういうこと?
つまりフジテレビ系列の沖縄テレビがクロスネットという形で、NHKの人気番組を放送してくれたから。
だから復帰前沖縄のホテルや旅館に泊まった県外の客は、まちがいなくNHKの番組なのにCMが入るのにびっくりしたらしい。
あの当時はまだ家庭用VTRの無かった時代。もし家庭用VTRがあればCM付きNHK番組を見せたかったものだ。笑い
で、沖縄にも公共放送が必要だろうと関係者の努力によって、1968年12月25日のクリスマスの日、OHK沖縄放送協会の番組が始まる。
まだ沖縄が日本に復帰できるかどうかも分からないとき、翌年の佐藤ニクソン会談で正式に1972年日本への返還が決まったわけだから。
で、OHKの番組を視ていてものすごい違和感覚えたのは、CMが一切入らないこと。学校でもみんなCM無しの番組に同じことを感じていた。
そして公共放送は視聴料を払って視るものという意識感覚が無いから、視聴料を払うことが理解できず今でもNHKは苦労してるよ。
OHK時代は全放送白黒放送。1972年5月15日午前0時になった途端、カラー映像になり、それまでのOHK沖縄放送協会からNHK沖縄局に局名が変わり、鮮やかな紅型衣装をまとった琉球舞踊のカラー映像に切り替わった。
ということで、商業放送からテレビ放送もラジオ放送も始まった戦後の沖縄をもっと勉強して知りなさい。


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[経世済民135] NHK受信料の都道府県別支払率ランキング、トップと最下位では47.6ポイントも差がある衝撃の実態(オトナライフ) 赤かぶ
25. 2021年9月10日 22:14:45 : sc03kj0oAM : Y1dkTkJNLzNLUlk=[2]
沖縄に公共放送を作るのに尽力したのが、ジョン・カビラと川平慈英兄弟の父親で沖縄戦後初のアナウンサーを琉球放送ラジオで務めた川平朝清(ちょうせい)さん。
現在でも神奈川に住んで健在だと思う。アメリカ人の奥さんは既に他界。
昔TBS「兼高かおる世界の旅」で、兼高かおるが1967年「準外国」であった沖縄を2週にわたって紹介し放送したことがあった。
その時すでにアナウンサーの第一線を退き幹部職に就いていた川平朝清さんは、TBS系列局ということもあって兼高かおるを当時の琉球政府主席に面会させる仲介役を担ったみたい。
そのとき放送された映像がYouTubeにアップされてる。
当時の本島中部にあるコザ市(現沖縄市)は、まさに英語の看板だらけで、街中をアメリカ人の女性たちが歩き、ここは紛れもなく沖縄アジアでなく、アメリカそのものだったんだなって感じ。

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