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[番外地10] 旭川の成り立ちと歴史 中川隆
1. 中川隆[-12890] koaQ7Jey 2022年9月30日 08:34:51 : EochMUtUpN : YWxCUHUueWNSbGs=[1]
旭川の成り立ちと歴史 _ 旭川では女の子を性奴隷にするのが伝統
1996年旭川女子中学生集団暴行・強姦事件から2021年旭川凍死事件までの少女に対する人権侵害歴史の原点
#355 2021/07/08 22:06
人を商売道具扱い 怒

#366 2021/07/09 03:42
>>355
旭川にはそういう歴史的な土壌があるんじゃね
外野だけど旭川にはその昔兵隊さんと土木作業員が主客の大きな公娼館街、遊郭があってね 
吉原みたいに投げ込み寺とかがあったのか疑問だし、近くのお寺でお経読んでもらった例もブログ漁れば出て来たんだけども実際には病とかで使い物にならなくなった遊女は川にポイ、郊外にポイポイしてたんじゃねーかって疑ってますわ
で、少女の死体が発見されると「また遊女の身投げかー」「また脱走した遊女の行き倒れかー」みたいなかんじで皆無関心になり、それ自体は恥ずかしいことなので皆口をつぐむようになったと…

#397 2021/07/10 01:18
この街は第七師団を誘致の為に遊郭を作った街。
木工、酒造、農業と色々やったようだけど対中露の軍都が本業。
第二次大戦中には「女子奉仕隊」として出てくるけどなにやらしてたの?
「女子挺身隊」じゃないのがなんだかな…

旭川には戦後になっても血判状の記録が残っている。
200年ぐらい時間ずれてないか?

旭川は150年ぐらい前に作られた人工都市。
mapを見てもらうとわかりやすいけど碁盤上になっている。

すごーく説明しづらいけど、この街はそういう街。
若い女性を襤褸のように扱う習慣がある。


#398 2021/07/10 01:54
>>397
そーなんだよね その遊郭は公娼館だから当然 行政や開発業者その他諸々ともグルだったと言えるわな

#399 2021/07/10 02:04
>>398
始まりからしてグルでした。
開発の時に入った業者が一種だけで桂太郎の時代から問題になってます。
あと性犯罪の遺伝は高いというのもあるのでリアル蠱毒みたいになってしまったようです。。。

#400 2021/07/10 02:13
性的倫理感が著しく欠如した街 またその地域性を利用している人もいそう 

#401 2021/07/10 02:14
木野工さんの『襤褸』読んだら、いじめ事件も「あー・・・、旭川だからかぁ。」と思ってしまった
未成年者を搾取したり見て見ぬふりが勝ってしまった土台が出来ちゃっている土地
抗ってきた心ある地元の人達もいるから腐りきってはいないんだけど

#402 2021/07/10 02:14
>>399
そう そして人買いやヤバい人さらいで集めた遊女には金を渡さずに家畜や性奴隷やボロ雑巾のように搾取しまくって潤った町が旭川と言えるわな

#405 2021/07/10 02:18
旭川事件を機に遊女達の供養くらいは地元の人達もしたほうがいいんだけど
報恩寺と近文墓地のどちらかお参りしたことある人いるかな
近文墓地で遊女の墓見つけられなかったんだよなぁ

#406 2021/07/10 02:23
シベリアゆき(シベリアに売られる)さん達にも線香あげてやって下さい。
彼女達が活躍してくれたからという敬意もあるのでw

#407 2021/07/10 02:33
遊女の仕事はどこも過酷だったんだろうけど旭川に比べると江戸時代の吉原の方がまだマシだったんじゃね

#410 2021/07/10 02:47
旭川の中島遊郭の描写だと娼妓達は若くてもはしゃがず悲しげで陰鬱だったとあったよ
寒さもひもじさも遊女同士のいじめもすごかったそうだよ
客と床を共にする時だけストーブに当たれたけど待機中は炬燵だけだったそうな
地獄にプラスして旭川の極寒がそうさせるのか

#411 2021/07/10 02:53
吉原は一応飯は食べれたみたい。
旭川は食べたければ「客から取れ」ってどんな思想よ。
そりゃ死ぬって。。

明治時代に最初の警官がアルコール依存性だったり色々ダメだわ、旭川。

#412 2021/07/10 03:01
北海道の遊女だったら夕張が遊女の墓場(飯場+売春+亡くなったらそのまま遺棄)と言われていて中島遊郭のほうがマシっていう認識
夕張の遊女は土工を相手にして山の中で脱走もままならないからなんだって
北海道の遊郭といえば、函館も札幌も小樽も留萌もあちこちにあるけど

旭川でいえば安く手軽な風俗紛いの女給によるサービス付きカフェの急増によって中島遊郭も後半は衰退していたらしいよ
農作物の不作で口減らしに13才くらいの女の子が安く買い叩かれてオフィシャルじゃない周旋屋も7件くらい旭川増えたり
闇の記録にも市民は向き合ったほうがいいんじゃないかい

#415 2021/07/10 03:10
>>411
中島遊郭だと遊女の食事は3等米を炊いて冷ましたものと漬け物と生焼けの干し魚って襤褸に載っていてドン引き

わざと食欲減退させて遊女のお腹を空かさせて客に出前取らせて手数料をとる置屋側の思惑って鬼畜だよなぁ
吉原の娼妓の森光子の手記にも似たような食事内容だったよ

#416 2021/07/10 03:12
いじめ抜かれて無視されてきた人達は遊女だけじゃなく
東京大空襲後に旭川に入ってきた東京開拓団の人達もそうだったと思う

#417 2021/07/10 03:17
旭川市形成の歴史                   
アイヌ中心土地                    
  ↓                        
明治2年 石狩国上川郡                
  ↓                       
明治23年 旭川村 永山村 神居村の3村設置     
  ↓                        
明治24年 開発の尖兵として屯田兵入植        
  ↓                        
明治33年 札幌より第7師団移駐          
  ↓                       
大正11年 市政施行                 
この歴史と共に地域性が形成されている

#418 2021/07/10 03:17
東京に帰りたくても帰れなくて沈んだ人達もいるし東北や北海道の女の子だけじゃなく
関東方面で普通に暮らしていた人達も騙されて旭川にきて帰れずに眠っている魂も多いっていう
兵隊さんや屯田兵やアイヌだけじゃなく上澄み啜られて沈んだ人達の存在が見える人にはこれからどんどん見つかっていくかもね
魔界だよ
[
#419 2021/07/10 03:24
食事内容は知らんけど江戸時代の吉原のほうがマシって思えるのは客の男性には教養のある人も多かったらしくて芸事や話し方教えたり そろそろこの子には客取らせても良いかって女将や先輩が面倒見てたっぽいところ

#420 2021/07/10 03:26
元々は人目に付かないように村の端っこに娼婦窟置かれるんだけど
永山村の端っこに中島遊郭の元となる娼婦窟があって
第七師団の誘致に成功して曙遊郭よりも中島遊郭のほうが利便性いいし通いやすいってことでメインになったんだよ

市長も中島遊郭の公式化は反対していたけど、反対運動も波に乗っていた油断したところ直前で中島遊郭オフィシャル化が認められちゃって、どうせ中島遊郭を増強しちゃうなら市長の野望だった石狩川の護岸工事もついでに国にお願いしてOKもらって一気に全国からタコ労働者呼んで発展したというという。
川の歴史にも遊郭あり・・・

#425 2021/07/10 03:52
興味深い情報が。。
中島遊郭は元の石狩川の川辺やね、渡場があるのはどこも同じだな
あの護岸工事でも相当人タヒんでると思う。。

#428 2021/07/10 04:26
川に葬られた死体は神居古潭へ行き着いたり
兵隊さんと遊女の心中もよくあったことみたいで悲しいな
アイヌの魔神伝説だけじゃないんだよ
流れる間に石で削られて身元確認難しくなるっていう
旭川市に種類豊富で数多くある新興宗教はこれらの方々の魂を救っているのかな

#452 2021/07/10 11:42
中島遊郭の遊女で一時期はアイヌ女性も人気だったというエピソードもあるよ
あらゆる魔を集めた土地かな、と思う。

今の駐屯地よりもっと後ろ側の土地も、馬小屋や養豚業など旧師団の土地も家畜の屎尿混じった土をごっそり変えずに、そのまま人が住むと土地の神様やら守護する神様の居心地悪くて住人に異変もあるだろうし、家畜の霊が自分の屎尿の匂いを頼りに戻ってくる。(沖縄のカミングヮの思想)。
治安というか穢れという面でも、いろいろ気をつけて住んだほうが良い土地。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/651.html#c1

[番外地10] 朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一 中川隆
1. 中川隆[-12889] koaQ7Jey 2022年9月30日 12:55:31 : EochMUtUpN : YWxCUHUueWNSbGs=[2]
chousen人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一
渡部昇一の流した悪質なデマの例1
●重要なことは、蒋介石も毛沢東も誰も「南京大虐殺」を言った人はいないという事実。

「南京大虐殺」が最初出てきたのは東京裁判。それが忘れられた頃に騒ぎ始めたのは朝日の本多勝一で、それに乗ったのが当時の社会党の田辺誠と言われている。   
    《渡部昇一 「こんな日本に誰がした」》

実際は

1938年7月(南京陥落後)日中戦争1周年に蒋介石は「日本国民に告げる書」で日本軍の放火・略奪・虐殺を非難している。

「南京」という名指しはないが、この時点で中国大陸における大規模で集団的な略奪・虐殺は南京以外に考えられない。

蒋介石はこのことを念頭に書いている。次のように書かれている

「・・わが婦女同胞に対する暴行がある。

10歳前後の少女から5,60歳の老女までひとたび毒手にあえば、一族すべて逃れがたい。ある場合は数人で次々に辱め、被害者は逃げる間もなく呻吟して命を落とし、ある場合は母と娘、妹と兄嫁など数十人の女性を裸にして一同に並べ強姦してから惨殺した。・・・

このような軍隊は日本の恥であるだけでなく、人類に汚点をとどめるものである・・・」


毛沢東は1938年1月週刊誌「群衆」で「南京大虐殺は人類に対する犯罪」と述べている。その内容は次の通りである。

「・・・9・18に敵軍がわが東北・華北ではたらいた残虐な行為は、すでに世のともに知るところとなっている。しかし、南京・上海沿線、とりわけ南京市の大虐殺は、人類有史以来空前未嘗有の血なまぐさい残虐な獣行記録をつくることとなった。

これは中国の全民族に対する宣戦にとどまらず、全人類に対する宣戦でもある。敵の凶悪な残忍さは、人道と正義を血で洗い、全世界・全人類の憤怒と憎悪をよびおこした。・・・」

渡部昇一の流した悪質なデマの例 2

●東京裁判における最重要証人たるマギー牧師(安全区の委員で、南京占領後も市内を自由に歩けた立場)の証言は、南京における膨大な殺人・強盗・強姦・暴行・累々たる屍…について見てきたようなものだった。2日間にわたり法廷で詳細な証言をした。

●しかし、マギーはブルックス弁護人から「あなたは具体的に虐殺された一般市民を何人見たのか」の問いに、「見たのは1人である」と答えた。その1人とは、日本兵が警備しているところを1人のシナ人が通りかかって誰何され、途端に逃げ出して撃たれた、というものだった。歩哨が誰何して逃亡した人を射殺するのは殺人ではない。これは全く合法な戦闘行為。

●強姦らしいものを1件見たとも証言した。それは現場を見たのではなく、マギーが通りかかると1人の日本兵が走り出していき、そのあとを見ると女がいたから、あれは強姦されたに違いないというものだった。日本兵がアイスボックスを民家から持ち出すのを1件見たとも証言している。

…マギーが自分の目で見たものは、たったこれだけなのである。このどこをどうこねくり回せば、大虐殺という言葉が出てくるのだろうか。 

●戦時プロパガンダというのは、事実か嘘かは問題ではない。国際世論を味方につけ、自国民の戦意を高揚させ、敵の意欲を喪失させればいいのである。
  《渡部昇一 「渡部昇一の時流を読む知恵」》

実際は

マギー牧師はけが人や強姦の被害者の救済をしていた。
殺害現場に立ち会わなかったのは当然。

いわゆるマギーフィルムが殺害現場そのものの映像がないのは当然のことである。

もし殺害現場を撮影していたら、日本軍はマギー牧師をそのままにしておかなかっただろう。むしろたくさんの被害者の映像記録を残している。このことの方が重要な証拠となっている。

 東京裁判でも11人の証人が証言し、南京安全区文書・南京裁判所検案書・慈善団体の埋葬記録・ラーベの書簡・アメリカ大使館の文書・在中国ドイツ外交当局の報告書などが東京裁判で採用された。

渡部昇一の流した悪質なデマの例 3

●私にとって印象深いのは、本多勝一氏と山本七平氏の「百人斬り論争」です。72年に『諸君!』誌上で半年ほど続き、あとはそれぞれの著書で持論を展開する形となりました。南京入りに際しての野田少尉と向井少尉の「百人斬り」を、本多氏は事実だと、山本氏は戦意高揚のためのフィクションだと主張しました。

●私が感心したのは、山本七平氏が『私の中の日本軍』(文芸春秋 1975年)で披露した卓論です。野田少尉は大隊副官でしたが、向井少尉の職務は新聞ではボカされていました。山本氏はそれが歩兵砲の小隊長であったことをつきとめます。だとすれば、2人は指揮系統も職務もまったく違います。

●日本軍は厳格な縦社会であり、軍人とは、直属の上官の命令以外、絶対に聞いてはならない存在です。実戦の最中に向井少尉が砲側を離れ、小隊長の職務を投げ出して、横の関係でしかない野田少尉と私的な百人斬り競争をすることなどありえない---山本氏はそう結論づけたのです。戦場経験のある山本氏ならではの、説得力のある議論に私は感心し、論争は山本氏の完勝だと思いました。
   《渡部昇一 「朝日新聞と私の40年戦争」》

実際は


百人斬り -- 『南京大虐殺のまぼろし』の嘘


1971年、朝日新聞に連載された本多勝一記者の長編ルポルタージュ『中国の旅』は、大変な反響を巻き起こしました。

このルポによって初めて、中国戦線で旧日本軍が行ってきた数々の凄まじい蛮行が、被害者である中国人自身の証言という生々しい形で徹底的に暴露されたからです。出征した兵士たちは、ごく少数の例外を除いて自分たちが行った残虐行為については一切口をつぐんでおり、教科書や一般の歴史書も抽象的に戦争の経過や背景を説明するだけだったため、戦後世代の日本人の多くは、かつて自国が行った侵略戦争の実態がどのようなものだったのか、具体的には何も知らないも同然でした。『中国の旅』は、いわば無知ゆえに安穏としていられた戦後世代を過酷な歴史的事実に目覚めさせる冷水のような役割を果たしたのです。

それだけに、このルポに対する右派勢力からの攻撃にもすさまじいものがありました。本多氏や朝日を黙らせようとする直接的脅迫はもちろん、氏の人格を中傷する捏造記事や、『中国の旅』に書かれている膨大な事例の一つでも否定しよう(そしてそれを宣伝することでルポ全体の信用性を貶めよう)とするあらゆる試みが行われました。

そうした試みの代表的な(そして最も「成功」を収めた)サンプルと言えるのが、鈴木明『南京大虐殺のまぼろし』です。

この本はその前半およそ半分を、南京大虐殺全体から見ればほんの一エピソードに過ぎない「百人斬り競争」事件の否定に費やしています。鈴木氏はこの事件の信憑性に疑問を投げかけることで、本多氏のルポ全体、ひいては南京大虐殺全体が根拠のない「まぼろし」であるかのような印象を与えようとしたのです。

鈴木氏の「批判」が当たっていないこと、それどころか逆に『南京大虐殺のまぼろし』の方が証言の歪曲や捏造だらけであることは既に明らかになっているのですが、一時は多くの人がこの本に騙されました。

下記の議論が示しているように、最近になってさえこの件をネタに『中国の旅』を攻撃しようとする論者がしばしば現れます。残念なことですが、一度広まったデマは容易に根絶しがたいものなのです。

『南京大虐殺のまぼろし』後半部分については、そのデタラメさ加減を指摘する記事が「インターネット大学グローバル・カレッジ」に掲載されています。また、小林よしのりとの共著『朝日新聞の正義』でこの百人斬りを否定しようとする井沢元彦の無知ぶりとトリックを指摘する記事が、同じ「インターネット大学グローバル・カレッジ」に掲載されています。 れた天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/654.html#c1

[番外地10] 朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一 中川隆
2. 中川隆[-12888] koaQ7Jey 2022年9月30日 12:56:43 : EochMUtUpN : YWxCUHUueWNSbGs=[3]
chousen人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一
渡部昇一の流した悪質なデマの例1
●重要なことは、蒋介石も毛沢東も誰も「南京大虐殺」を言った人はいないという事実。

「南京大虐殺」が最初出てきたのは東京裁判。それが忘れられた頃に騒ぎ始めたのは朝日の本多勝一で、それに乗ったのが当時の社会党の田辺誠と言われている。   
    《渡部昇一 「こんな日本に誰がした」》

実際は

1938年7月(南京陥落後)日中戦争1周年に蒋介石は「日本国民に告げる書」で日本軍の放火・略奪・虐殺を非難している。

「南京」という名指しはないが、この時点で中国大陸における大規模で集団的な略奪・虐殺は南京以外に考えられない。

蒋介石はこのことを念頭に書いている。次のように書かれている

「・・わが婦女同胞に対する暴行がある。

10歳前後の少女から5,60歳の老女までひとたび毒手にあえば、一族すべて逃れがたい。ある場合は数人で次々に辱め、被害者は逃げる間もなく呻吟して命を落とし、ある場合は母と娘、妹と兄嫁など数十人の女性を裸にして一同に並べ強姦してから惨殺した。・・・

このような軍隊は日本の恥であるだけでなく、人類に汚点をとどめるものである・・・」


毛沢東は1938年1月週刊誌「群衆」で「南京大虐殺は人類に対する犯罪」と述べている。その内容は次の通りである。

「・・・9・18に敵軍がわが東北・華北ではたらいた残虐な行為は、すでに世のともに知るところとなっている。しかし、南京・上海沿線、とりわけ南京市の大虐殺は、人類有史以来空前未嘗有の血なまぐさい残虐な獣行記録をつくることとなった。

これは中国の全民族に対する宣戦にとどまらず、全人類に対する宣戦でもある。敵の凶悪な残忍さは、人道と正義を血で洗い、全世界・全人類の憤怒と憎悪をよびおこした。・・・」

渡部昇一の流した悪質なデマの例 2

●東京裁判における最重要証人たるマギー牧師(安全区の委員で、南京占領後も市内を自由に歩けた立場)の証言は、南京における膨大な殺人・強盗・強姦・暴行・累々たる屍…について見てきたようなものだった。2日間にわたり法廷で詳細な証言をした。

●しかし、マギーはブルックス弁護人から「あなたは具体的に虐殺された一般市民を何人見たのか」の問いに、「見たのは1人である」と答えた。その1人とは、日本兵が警備しているところを1人のシナ人が通りかかって誰何され、途端に逃げ出して撃たれた、というものだった。歩哨が誰何して逃亡した人を射殺するのは殺人ではない。これは全く合法な戦闘行為。

●強姦らしいものを1件見たとも証言した。それは現場を見たのではなく、マギーが通りかかると1人の日本兵が走り出していき、そのあとを見ると女がいたから、あれは強姦されたに違いないというものだった。日本兵がアイスボックスを民家から持ち出すのを1件見たとも証言している。

…マギーが自分の目で見たものは、たったこれだけなのである。このどこをどうこねくり回せば、大虐殺という言葉が出てくるのだろうか。 

●戦時プロパガンダというのは、事実か嘘かは問題ではない。国際世論を味方につけ、自国民の戦意を高揚させ、敵の意欲を喪失させればいいのである。
  《渡部昇一 「渡部昇一の時流を読む知恵」》

実際は

マギー牧師はけが人や強姦の被害者の救済をしていた。
殺害現場に立ち会わなかったのは当然。

いわゆるマギーフィルムが殺害現場そのものの映像がないのは当然のことである。

もし殺害現場を撮影していたら、日本軍はマギー牧師をそのままにしておかなかっただろう。むしろたくさんの被害者の映像記録を残している。このことの方が重要な証拠となっている。

 東京裁判でも11人の証人が証言し、南京安全区文書・南京裁判所検案書・慈善団体の埋葬記録・ラーベの書簡・アメリカ大使館の文書・在中国ドイツ外交当局の報告書などが東京裁判で採用された。

渡部昇一の流した悪質なデマの例 3

●私にとって印象深いのは、本多勝一氏と山本七平氏の「百人斬り論争」です。72年に『諸君!』誌上で半年ほど続き、あとはそれぞれの著書で持論を展開する形となりました。南京入りに際しての野田少尉と向井少尉の「百人斬り」を、本多氏は事実だと、山本氏は戦意高揚のためのフィクションだと主張しました。

●私が感心したのは、山本七平氏が『私の中の日本軍』(文芸春秋 1975年)で披露した卓論です。野田少尉は大隊副官でしたが、向井少尉の職務は新聞ではボカされていました。山本氏はそれが歩兵砲の小隊長であったことをつきとめます。だとすれば、2人は指揮系統も職務もまったく違います。

●日本軍は厳格な縦社会であり、軍人とは、直属の上官の命令以外、絶対に聞いてはならない存在です。実戦の最中に向井少尉が砲側を離れ、小隊長の職務を投げ出して、横の関係でしかない野田少尉と私的な百人斬り競争をすることなどありえない---山本氏はそう結論づけたのです。戦場経験のある山本氏ならではの、説得力のある議論に私は感心し、論争は山本氏の完勝だと思いました。
   《渡部昇一 「朝日新聞と私の40年戦争」》

実際は


百人斬り -- 『南京大虐殺のまぼろし』の嘘


1971年、朝日新聞に連載された本多勝一記者の長編ルポルタージュ『中国の旅』は、大変な反響を巻き起こしました。

このルポによって初めて、中国戦線で旧日本軍が行ってきた数々の凄まじい蛮行が、被害者である中国人自身の証言という生々しい形で徹底的に暴露されたからです。出征した兵士たちは、ごく少数の例外を除いて自分たちが行った残虐行為については一切口をつぐんでおり、教科書や一般の歴史書も抽象的に戦争の経過や背景を説明するだけだったため、戦後世代の日本人の多くは、かつて自国が行った侵略戦争の実態がどのようなものだったのか、具体的には何も知らないも同然でした。『中国の旅』は、いわば無知ゆえに安穏としていられた戦後世代を過酷な歴史的事実に目覚めさせる冷水のような役割を果たしたのです。

それだけに、このルポに対する右派勢力からの攻撃にもすさまじいものがありました。本多氏や朝日を黙らせようとする直接的脅迫はもちろん、氏の人格を中傷する捏造記事や、『中国の旅』に書かれている膨大な事例の一つでも否定しよう(そしてそれを宣伝することでルポ全体の信用性を貶めよう)とするあらゆる試みが行われました。

そうした試みの代表的な(そして最も「成功」を収めた)サンプルと言えるのが、鈴木明『南京大虐殺のまぼろし』です。

この本はその前半およそ半分を、南京大虐殺全体から見ればほんの一エピソードに過ぎない「百人斬り競争」事件の否定に費やしています。鈴木氏はこの事件の信憑性に疑問を投げかけることで、本多氏のルポ全体、ひいては南京大虐殺全体が根拠のない「まぼろし」であるかのような印象を与えようとしたのです。

鈴木氏の「批判」が当たっていないこと、それどころか逆に『南京大虐殺のまぼろし』の方が証言の歪曲や捏造だらけであることは既に明らかになっているのですが、一時は多くの人がこの本に騙されました。

下記の議論が示しているように、最近になってさえこの件をネタに『中国の旅』を攻撃しようとする論者がしばしば現れます。残念なことですが、一度広まったデマは容易に根絶しがたいものなのです。

『南京大虐殺のまぼろし』後半部分については、そのデタラメさ加減を指摘する記事が「インターネット大学グローバル・カレッジ」に掲載されています。また、小林よしのりとの共著『朝日新聞の正義』でこの百人斬りを否定しようとする井沢元彦の無知ぶりとトリックを指摘する記事が、同じ「インターネット大学グローバル・カレッジ」に掲載されています。
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