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[カルト2] 「神」とは?西田幾多郎著「善の研究」から抜粋 【たまには哲学をと思って読んでみた】 どん兵衛
1. SB[1] gnKCYQ 2016年5月06日 04:17:03 : zXdp8D269U : _KidufKmUxg[1]
   「神」を完全に解明しました!!(SB量子神学)

 ぜひ批評して頂きたい「神」の理論が有ります。量子力学の多世界解釈を利用し、全知全能の「神」があらゆる○○○について「○○○である」と「○○○でない」の両方を実現していると考えることにより、人間が感じている「なぜ○○○なのか?」という謎はすべてダブル・トートロジーに解消され消滅する、という理論です。西田幾多郎の「神」に量子力学を取り入れた理論です。
 詳しい説明は、Amazon(KDP)による電子書籍『「神」を完全に解明しました!!(SB量子神学)』シリーズの《基礎論》(ASIN:B019FR2XBC)、《詳細論》(ASIN:B019QNGL4K)、《真如論》(ASIN:B01EGRQXC6)、《独在論》(ASIN:B01EJ2URXO)の中にあります。

    【 全知全能の「神」の定義】

 まず、特定の1つの状態として全知全能の「神」を定義しようとすると、解無しです。「神」を「○○○である」と定義すると、「神」は「○○○でない」を放棄し、全知全能でなくなってしまうからです。「神」が全知全能であるためには、「○○○である」と「○○○でない」の両方を満たさねばなりませんが、これだと矛盾が生じてしまい、「神」とは何かを議論する事自体が無意味になってしまいます。

 これを超越する方法が1つ有ります。量子力学の多世界解釈です。「神」は、この世界で「○○○である」を、別の世界で「○○○でない」を実現し、両者は線形の重ね合わせであって互いに相互作用しないので、個々の世界に矛盾は無い、と考えれば良いのです。つまり「神」を、様々な状態の集合として定義することになります。

 「全知全能の「神」は、存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を体験しているか?」と尋ねてみます。もちろんYESです。NOだったら全知全能とは言えません。つまり、「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を体験すること」は、全知全能の「神」であるための必要条件です。では、これ以外にも条件が必要でしょうか? それは不要です。仮にこれ以外に「○○○であること」が必要だと仮定してみても、結局これは、「「○○○である」と認識している心を体験すること」になるからです。従って、「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を体験すること」は、全知全能の「神」であるための必要十分条件です。そして全知全能の「神」の定義は、「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を要素とする集合{M}」になります。

 M0が完全な無意識状態の「空」であり、M1、M2、M3、…が特定の有意識状態「色」であり、M0=M1+M2+M3+…〔色即是空・空即是色〕が成立します。大乗仏教でいう「真如」の超越状態がM0、束縛状態がM1、M2、M3、…です。西田幾多郎のいう「絶対無」がM0、「絶対有」がM1、M2、M3、…であり、「絶対矛盾的自己同一」がM0=M1+M2+M3+…です。

    【「神」のすべてがトートロジー】

 ライプニッツのモナドロジーに則り、実在するのは個々の心(モナド)だけであり、客観的物質世界なるものは実在しないと考えます。さらに量子力学の多世界解釈を取り、存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…が実在していると考え、その集合{M}を「神」と定義します。人間の心は要素の1つです。「神」は、あらゆる心の状態を体験しているという意味で「全知全能」です。個々の心が持てる情報をNビットとし、個々のビットが独立して「0」、「1」、「?」(=「0」+「1」)の3つを取り得るとすると、全部で3^N種類の心になります(N→∞)。

 2つの心MiとMjが、シュレディンガーの猫の「生きた状態を知覚した心」と「死んだ状態を知覚した心」のように矛盾する情報を持つとき、<Mi|Mi>=<Mj|Mj>=1(自分にとって自分の存在確率は1)ですが、<Mi|Mj>=<Mj|Mi>=0(自分にとって相手の存在確率は0)です。つまり個々の心Mi(i=0、1、2、3、…)は、「「存在する」と認識する視点に立てば「存在する」」、「「存在しない」と認識する視点に立てば「存在しない」」のダブル・トートロジーを満たしています。これを「半存在」と呼びます。こう考えると、「なぜ存在するのか?」、「なぜ存在しないのか?」という謎自体が消滅します。

 1人の人間である自分の心M1は、「なぜ自分の心M1は、「存在しない」ではなく「存在する」の方なのか?」、「なぜ自分の心は、他のM2、M3、M4、…ではなくこのM1なのか?」、「なぜ自分が住む世界の物理法則は、他の物理法則ではなくこの物理法則なのか?」、…等の謎を感じますが、「神」の視点に立てば、すべての謎が消滅します。「神」は全知全能であり、あらゆる○○○に対し、「○○○である」と認識する心と「○○○でない」と認識する心の両方を作っています。そして、「「○○○である」と認識する視点に立てば「○○○である」と認識する」、「「○○○でない」と認識する視点に立てば「○○○でない」と認識する」というダブル・トートロジーが成立しているだけです。「神」に謎は何も有りません。

 さらに、自分が体験しているのは1人の人間の心M1だけだと考えると、M1に対し「もっとこうありたかったのに…」という不満が生じます。実は自分こそが「神」であり、本当は存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を平等に体験しているのだと悟れば、何一つ不満も無くなります。これが究極の悟りです。「神」は完全な「無」M0であると同時に、すべての「有」M1、M2、M3、…でもあります。これがM0=M1+M2+M3+…〔色即是空・空即是色〕。「神」もまた「半存在」であり、「存在する」と「存在しない」の両方を実現しています。一方だけ実現して他方を放棄すると、全知全能でなくなってしまいますから。

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