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支援という名の戦争関与 jniJh4LGgqKCpJa8gsyQ7ZGIitaXXg コメント履歴 No: 100000
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[政治・選挙・NHK286] 昭和天皇をヒトラーと同列に…ウクライナ政府“公式”アカウントが動画投稿、日本政府の抗議受け削除(NNN) 赤かぶ
111. 支援という名の戦争関与[1] jniJh4LGgqKCpJa8gsyQ7ZGIitaXXg 2022年4月28日 18:47:05 : tsNCkySFQk :TOR WjBwdUtqRWQ2YjI=[23]
戦争を語り継ぐ

「なぜ戦争に反対しなかったのですか?」

と問われたら   西義之(東京大学名誉教授 大正十一年生まれ)


私は大正十一年(一九二二年)の生まれであるが、日米戦争の
はじまったのは旧制高校へ入った年(昭和十六年)である。しかし
日中戦争はとうの昔、つまり昭和十二年七月に勃発している。

私は何をしていたか?中学生で、毎日のように駅頭に出征兵士を
見送りに行っていた。周囲に日中戦争反対なんて言う人は誰も
いなかった。

戦後、そういう人たちのいたことを知ったが、多くは共産党系の
人たちらしかったし、当時はそういう人たちは単純にアカと呼ばれ
て、社会の表面にはあらわれてこなかった。

とくに軍国少年になった記憶もない。周囲の大人たちが旗を振って
いたので、こっちも振っただけのことである。

いや、新聞紙上では、子供でも知っている有名作家や著述家が軒並み
旗を振っていた。

真珠湾攻撃で度肝を抜かれたのは、アメリカ人よりもむしろ日本人の
大多数ではなかったかと私は思っている。ルーズベルト大統領は予知
していたと、たとえばジョン・トーランド(彼の奥さんは日本人らしい)
は『真珠湾攻撃(文芸春秋刊)』の中で書いている。

戦後この手の秘話がいくつか出たが、たとえば佐藤賢了という、東條
内閣で軍務課長、軍務局長をした軍人などは、回想録の中で、我々は
バカだったと殊勝げに反省している。

この佐藤賢了はアメリカへ留学したことのある、軍人の中で数少ない
「アメリカ通」の一人なのだからタマッタモノではない。

大本営機密日誌など、戦後読む機会ができたが、日本は当時、必需石油
の八十パーセント以上をアメリカ、オランダ領インドネシアから輸入
していたらしい。

つまり日中戦争に必要な石油の大半を両国に依存していたわけで、
いわば「ひとの褌」で相撲をとっていたのである。

司馬遼太郎の言い草ではないが、日本はそもそも戦争なんて出来る国
ではないのである。

日本が満州から中国へと触手をのばしたのも、結局は資源ほしさでは
なかったのか?

石原莞爾ファンというのが、いまでもいるそうであるが、彼は「日米
最終戦争」をどんなふうに予測していたのだろう?

いまでも日本の食料自給率は、やっと四十パーセントぐらいだといわ
れるが、石油にいたってはほとんどゼロに近いのではあるまいか?

現在はアメリカがうしろについていると言うが、戦争になればどうなるか
分ったものではない。

日米開戦当時の日本の戦争の仕方は、いわゆる「現地調達主義」だった
らしく、インドネシアを占領すれば石油も何とかなると踏んだのであろう。
しかし何とかなるどころか、世界を相手にしてしまうのである。

もう一つ、戦争反対を言いにくかったのは、日本の体質-つまり天皇制が
大いに関係したと、私はひそかに考えている。

実は天皇制という言葉は左翼の表現で、私などあまり使いたくなが、ほか
に適切な言い方もない。

つまり天皇は政治には直接かかわらない-と言っても、戦後日本の「直接
かかわらない」という意味とは全く違って、当時は天皇は現実政治に直接
責任をおわないが、名目的には天皇の名において行われたということで
ある。

春秋二回の陸海軍大演習にも勅語が出たのである。桐生悠々というジャー
ナリストがいたが、「関東防空大演習を嗤う」という批判文を新聞にのせ
たところ、「不逞のヤカラ」だと右翼人士や在郷軍人が新聞社に抗議に
押しかけた。

天皇が激励された大演習にケチをつけたというわけである。悠々は辞職も
やむなきにいたった。

悠々の批判したのは陸軍大演習の一つ防空演習などで、本土にまで敵の
攻撃が及ぶようになっては、木造家屋の多い都会は炎上し、防空演習など
役に立たないと批判したのである。

悠々の批判が当たったのは、日米戦争の最終段階だが、日本中、見事に
焼け野が原になってしまった。

防空頭巾にバケツリレーなど、いま考えるとマンガでしかない。

天皇の名において出される勅語、詔書は、大正時代までは政治に関係ない
ものが普通だったように思う。

いわゆる教育勅語がその典型で、国民の道徳に関するものだった。

ところが大正末期から-ひょっとすると天皇機関説あたりが機縁かもしれ
ないが-だんだん政治色を帯びはじめた。陸軍大演習にも、将兵の労を
ねぎらうというタテマエから詔書が出たのが、そのハシリであろうか。

軍部は柳条湖事件を機に臨時軍事予算(いわゆる臨軍費)を要求し、若槻
首相がこれを拒否すると(拒否の理由は、満州でやっていることは内閣の
あずかり知らぬこと、つまり軍部が勝手にやっていることだ)若槻は非難
の嵐にまきこまれてしまった。

つまり「天皇陛下の軍隊を見殺しにしている」というわけである。

若槻は臨軍費を認めると同時に総辞職してしまった。

三年後、岡田啓介内閣ができるが、軍部や戦争推進派、右翼の勢力は強く
なるばかりで、有名な国体明徴運動として日本を動かし、ついに過激派
青年将校の氾濫、二・二六事件として爆発したのは、だれでも知っている。

この事件と前後したのが満州事変であり、その後の日本の運命を決定づける
ことになる。

若槻や岡田は、その後東條内閣を倒すために、ひそかに動いたらしいが、
いずれも憲兵の厳重な監視下にあったといわれる。

天皇の御名において出される詔書が、昭和史で決定的とまでは言えないかも
しれないが、少なくとも曲がり角をまがったのはどのようなときだろうか?

-私は日独伊三国同盟締結に関して出されたものをあげたくなる。この同盟
には少し前史もあるが、陸海軍の意見が一致しなかったことは知られている。

しかし米内、山本らの反対をねじふせるようにして成立し、しかも詔書が
出されたのである。

一旦、詔書が出ると、もう終りである。反対するものは、天皇のご意向に
逆らうものと見なされた。

私は、このさい詔書を出していただこうじゃないか発案した人物(複数)を
「天才」ではないかと思うことがある。むろんその「天才」が詔書の効果を
十分意識していたかどうかは分からないが。

私は今でも思うのだが、当時の日本人はどうしてかくも天皇乃至皇室の名に
弱いのだろうか。

軍隊はいつのまにか「皇軍」ということになっていた。

マッカーサーはその占領政策遂行に当って、きっとこの日本人の致命的(?)
な弱点、あるいは美点(?)を見破っていたにちがいない。

私は天皇がこの戦後、現実政治と無関係になられたことを歓迎すべきことだと
思っている。

例の「開戦の詔書」も、東條内閣は何にもまさる戦争遂行のお墨付きを頂戴
したかのようにおしいただき、毎月八日を「大詔奉戴日」と定め、戦争完遂
意外には何も考えないフシギな政府として私たちに君臨したのである。

皮肉な言い方をすると、開戦の大詔に逆らうことのできるのは、実は天皇
ご自身しかいなかったということだろう。

天皇の名においてはじまった戦争は、天皇の名においてのみ収束できるだろう。
そして現実にはそうなったのである。

こんな状況の中で、戦争に反対するということはほとんど不可能だったので
ある。不可能だった時代の怨み、後悔を私たち戦争世代はしがちであるが、

戦争反対はいまほんとうに可能なのだろうか?

ある日の新聞広告に『徴兵制が日本を救う』というタイトルの本を見つけた。

著者は元・防衛大学教授。びっくりして防衛関係の知人にきいてみると、この
教授べつに特異な考えの人ではないと、ケロッとした返事。

また先日(五月五日)の東京新聞によると、石破防衛庁長官の持論は「徴兵制
は(憲法が禁じる)奴隷的苦役ではない」というものだそうであるが、ただ
徴兵制導入をいましないのは「コストがかかるし、いやいやながらでは使いもの
にはならない」からだという。

現実には、一九七六年の「防衛計画の大綱」のエキスパンド(拡張)条項として、
徴兵制はちゃんと書き込まれていたという。

コストの問題なのか?

佐野真一氏(東京新聞〇一年一月七日)によれば、かって日本の七三一部隊に
所属した医師が、

医療関係の雑誌に「人体実験など戦争中ザラにあったことで、それがなかった
ら戦後の医学発展もなかっただろう」としれッとして、しかも何度も執筆して
いるという。

自由主義史観とかいう、口当たりのよさそうな歴史の見方が大手を振って歩いて
いるし、中国で反日デモが燃えさかったとき、かっての「暴支膺懲(ようちょう)」
スローガンを思い起こさせるような論文がいくつか目について、私は辟易した。

むつかしい時代にさしかかったような気もする。

政権党はたとえば「国を愛する」という文言を「教育基本法」に入れたがるが、
徴兵制などにノンを言うのも「国を愛する」からであることに気がつかないよう
である。

私の生きた「昭和」はまさに「国を愛する」意味を一義的にとらえた、偏狭な
ナショナリズム時代だった。



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