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長州テロリズムと黄門 krePQoNlg42DioNZg4CCxompluU コメント履歴 No: 100000
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[政治・選挙・NHK283] 米国留学に失敗した前総理・安倍氏の失脚シナリオが動いている:河野・茂木氏に加えて林・福田氏など米国留学組が厚遇されるは… 赤かぶ
28. 長州テロリズムと黄門[1] krePQoNlg42DioNZg4CCxompluU 2021年9月16日 21:11:34 : gaVdckzMnY :TOR dnFoSGNxcGhSeS4=[1]
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2010年12月19日 (日)
「維新」の“真犯人”;水戸藩の狂気(其の一 狂気のルーツ;水戸黄門)

歴史家・イスラム学者;山内昌之氏と作家;中村彰彦氏が興味のある発言をされている。曰く、

『歴史とは、現実の果てしない積み重ねをどう解釈するかであって、人間がひとつの理念で均質に作り上げるものではない』(山内氏)

『(水戸学は)理念が展開していくのが歴史だと決めつけているから、そこから外れる要素が出てくると、歴史そのものを修正しようとする。そこで観念的な精神の高揚が生まれ、天誅という名のテロリズムへ走ることにつながる』(中村氏)

これは、黒船以降の時代を世界史的視野から読み解こうとした『政治家と官僚の条件』(中央公論新社)の中での発言であったかと思う。主旨は、幕末の狂気に満ちた水戸藩の血塗られた実相を浮かび上がらせ、歴史上の責任を追及しようとしたものと受け止められる。上記の発言は、水戸藩が藩を挙げて明治以降まで編纂作業を続けた『大日本史』が如何にナンセンスであるか、如何にテロリズムを助長したものであったかを指弾している。

長州テロリストたちが“師”と仰ぎ、テロリズムを正当化する論拠とした「水戸学」とは、実は「学」というような代物ではなかった。空虚な観念論を積み重ね、それに反する「生身の人間の史実」を否定し、己の気分を高揚させて自己満足に陥るためだけの“檄文”程度のものと考えて差し支えない。この気分によって水戸藩内自身が四分五裂、幕末には互いに粛清を繰り返すという悲惨な状況を呈し、愚かというには余りにも愚劣な藩であった。「水戸学」こそが「日本学」であるとする浅薄な狂気思想は、倒幕という果実を“弟子”である筈の長州・薩摩にもっていかれ、その挫折感が却って「水戸学」を美化し、井上日召、菱沼五郎、橘孝三郎など水戸藩ゆかりの人間たちによって日本ファシズム運動として脈々と受け継がれていくことになる。この流れが五・一五事件、二・二六事件を引き起こし、日本を無謀な大東亜戦争へと導いていく。戦後に至っても、三島由紀夫の「楯の会」・森田必勝(三島を介錯した学生)たちは「水戸学」の信奉者であった。以前、「明治維新」という言葉は昭和になってから成立した言葉であることを述べたが、「維新」という概念と言葉そのものは、幕末の水戸藩主;徳川斉昭の時代に生まれている。昭和になって「明治維新」という表現が確立し、その流れに「昭和維新」を唱えた皇道派青年将校たちの存在がある。


ドラマとは全く違って実在した水戸光圀とは、若い頃はかなりの“かぶき者”であったらしい。女遊びの激しかったことはともかく、単なる“かぶき者”で済まされないことは、頻繁に「試し斬り」をやったことである。武家が人を斬るということは、江戸期になると現実には滅多にないのだが、この男は別で、人を斬ることに快感を覚えていたのではないかと思える。藩主になってからも、大名や直参を招待して開催した能を観る接待の場で、家老の藤井紋太夫を斬り殺している。こういう場で家臣などを斬殺した例は、直江兼続とこの水戸光圀ぐらいであろう。


http://harada-iory.cocolog-nifty.com/seikoudoku/2010/12/post-0e84.html

2010年12月28日 (火)
「維新」の“真犯人”;水戸藩の狂気(其の二 徳川斉昭の子供じみた攘夷)

水戸藩は、とにかく貧しかった。共産主義がそうであるように、こういう土地にこそ観念論が支配する極右思想も定着する。さほど豊穣とは言えない土地にあって、実高十万石にも満たない現実を無視し、三十五万石という表高を幕府に認めさせ、その格式・体裁を維持しようというのだから困窮して当然である。その上『大日本史』という「こうあらねばならない」という観念論に拠る虚盲の歴史書編纂に血道を上げたのである。その元凶とも言うべき存在が水戸光圀、俗に言う水戸黄門であることを前稿で述べたが、その後の藩主がこれを改めたかと言えばそういう多少なりとも聡明な藩主が現れることもなく、幕末になると徳川斉昭という輪をかけて酷い藩主が登場する。

二代;水戸光圀については前稿で述べた通りだが、政治リアリズムを理解せず観念論を振りまわして水戸藩を壊してしまった張本人が、公家好きな光圀であった。この、“公家好き”が「尊王」に結びついて後世、薩長政権になってから光圀は誤って見直され、それが今に伝わる「水戸黄門」を生んだ背景でもある。その時、「女狂い」や「試し斬り」の光圀という実態は消去された。ここでも、歴史の改竄(かいざん)が行われている。もっと悲劇的なことは、二代目にして既に水戸藩は「壊れてしまった」ことである。藩の成立時から一体感というものが全く欠落していたこの藩が、その後藩らしいまとまりを見せたことは遂に一度たりともなかった。
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