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般若心経を嫌がる悪魔 lMqO4ZBTjG@C8IyZgqqC6YirloI コメント履歴 No: 100000
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[カルト42] セブン、統一が韓国全紙に馬鹿を称える全面広告。つまり、馬鹿は背のりの朝鮮人だったという事である。 ポスト米英時代
11. 般若心経を嫌がる悪魔[1] lMqO4ZBTjG@C8IyZgqqC6YirloI 2022年9月18日 18:29:35 : hhlt1H7WTw :TOR ci9xaDFUYnNVNkk=[21]
女性には失礼かもしれませんが
若かりし時分幾度か俗世を離れ高みにフワフワと引っ張
られていくような状況に立たされた時
その梯子から引き摺り下ろされるきっかけとなったのが
女性という存在でした

それは救済のようでもあるし煩悩とも言えるし新たなる
苦悩の開始でもありました

「世界残酷物語」というドキュメンタリ映画でしたか
手淫を厳しく戒められているアフリカの部族の男性らが
集団で大地に穴を掘り欲求を満たしている衝撃的なシーン
を目にしたとき

身体に蓄積された電荷を大地に逃がすという自己防衛
これは要は「接地(アース)作業」であるとピーンと
きたわけです

母なる大地である女性への設置(アース)作業は俗世で
生き続けるのに必要な儀式であると

さて仏教と悪魔に関して調べてみると

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https://houga-blog.com/buddhism/akuma/

仏教用語『悪魔』誰もが悪魔の所行をする要因をもつからこそ、心の調整は肝心

2021年8月11日2022年7月27日

仏教用語『悪魔』の意味

『悪魔』

仏教でいう悪魔は、仏道を妨げる悪神の総称をいう。
古代インド文字(サンスクリット)のマーラ(魔羅)からきている。
キリスト教で説くサタンは、悪および不義の擬人的表現なので意味がちがう。

現在では残酷・非道な人を悪魔という場合が多い。


このような背景から、今の生活や将来に対して後ろ向きになり、ものの見方や考え方が極端に偏り、視野の狭い思い込みにとらわれ犯行におよぶとまとめられています。

でも、これらの背景って法雅も経験しているし、身近におきていることです。

きっと、誰もが世間を震撼させる悪魔のような所行をする要因をもちながら生きていると感じています。

ところで、悪魔という言葉、もとは仏教由来の言葉なのです。
生活のなかに生きる仏教用語『悪魔』

そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。

今回は『悪魔』です。
「悪魔」という言葉は仏教からきています。
仏教でいう悪魔は、仏道を妨げる悪神の総称のことです。
古代インド文字(サンスクリット)のマーラ(魔羅)からきています。

キリスト教で説くサタンは、悪および不義の擬人的表現なので意味がちがいます。

現在では残酷・非道な人を悪魔という場合が多いです。

仏教用語の悪魔は、仏道修行を邪魔するはたらきのことです。

お釈迦様が悟りを開く直前、それを妨げようと悪魔が襲いかかった話しは有名です。

悪魔たちは誘惑や暴力をもって悟りの邪魔をしますが、お釈迦様はそれらに打ち勝ち成道(じょうどう・悟り)するのです。

世間でも「好事魔多し」といいます。

なにか物事が大きく進展しそうな時にかぎって、いろいろな邪魔が入るもの。

でも別の見方からすれば、魔が大きければ大きいほど、それを乗りこえた先の得るものは大きいともいえます。

誰もが悪魔の所行をする要因をもつからこそ、心の調整は肝心です

仏教の教えでは、誰もが地獄のような命をもっていると説いています。

さきほどあげた事件の背景と、誰もがもつ地獄の命。つまり誰もが犯罪の加害者になる要因をもっているということです。

見方を変えれば、それだけ私たちの心は強くないともいえます。

自分の心と常に向きあってどういう状態かチェックする。
親しい人に心の内を話すことも有効でしょうし、お寺の門をたたいて話しをしてみるのもよいでしょう。

心の調整を怠らずにいきましょう。(合掌)

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https://hasunoha.jp/questions/23185

仏教における悪魔的なもの
たにし男性/20代
回答数回答 3
有り難し有り難し 68
#仏教#仏教全般

西洋的な思想には、サタン、悪魔がありますが、
仏教には、そういう存在はいないのでしょうか?
いない場合はなぜいないのかの考察もいただけると有難いです。
たにし男性/20代

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

▲あなたの好きなカタチで現れるアイツ。

他化自在天かなぁ。またの名を第六天魔王。

仏教でいう「魔」とは、誘惑するものという意味です。

本当に鬼悪魔は、恐ろしい姿をしていません。
あなたの好きなカタチで現れます。

転落院 淨流寺

▲「マーラ」

たにし様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教における悪魔的なものとして、お釈迦様がお悟りを開かれるのを邪魔した「マーラ」が有名であります。

ただ、それは各々の心のうちにおける煩悩や無明(根本的な無知)の現れとしての存在であるともされます。

仏教における最大の敵は、己が心の煩悩・無明であるとして、確かな仏道を歩むことにより、しっかりと対治して参りたいものであります。

補足・・あとは例えば、修行の妨げとして「五蘊魔・煩悩魔・死魔・天魔」の四魔もございます。天魔にその存在に近いものがあると言えます。

川口英俊 合掌

eishun

▲仏教では悪魔は目に見えません。
しかし心の中に存在します。
あなたの中にも、私の中にも。
お釈迦様の中にもいましたから。
もし、あなたがやるべきことをせず、言うべきことを言わず、思うべきことを思わなければ、それはあなたが悪魔に敗北している状態です。
反対に、あなたがやるべきことをやり、言うべきことを言い、思うべきことを思うなら、あなたが悪魔に勝利している状態なのです。
お釈迦様はいつも悪魔をやっつけていました。私たちも悪魔に負けないように生きていきましょうね。

追記
お釈迦様は善、マーラが悪という対立関係ではありません。
お釈迦様は私達と同じ普通の人間であり、中立であり、その心の中にマーラという悪魔がいて、さらに、ブラフマンという神もいたのです。
マーラとは元は「死」という意味であり、そこから「悪しき者」という意味となりました。また、それを中国語に訳す時に近い発音の「魔」という字を当てました。その後、意訳と音訳を合わせて「悪魔」と言うようになりました。
つまり、マーラが悪ではなく、死に導く悪しき者をマーラと呼んだのです。
そして、お釈迦様は心の中で度々マーラやブラフマンと討論していたのです。討論の結果はいつもお釈迦様がマーラを言い負かせていました。
また、ブラフマンの意見にも盲目的に従うのではなく、あくまで参考にするという立場でした。なぜなら、神よりもお釈迦様の方が悟りの境地に達しており優れていたからです。
また、お釈迦様は弟子たちに度々マーラに気をつけろと言っています。
肉体に、感覚に、表象に、意思に、意識に、マーラが潜んでいる。そのことをしっかり観察しなさい。観察することによって貪りから離れる事ができる。貪りから離れることによって解脱することができる、と言われたのです。

三宅 聖章 圓常寺

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つづく
http://www.asyura2.com/22/cult42/msg/171.html#c11

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