Re: メタファーによる経営破壊 つづき

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投稿者 IT趣味者同盟革命評議会そそう的破戒派転載係 日時 2000 年 10 月 07 日 14:31:08:

回答先: メタファーによる経営破壊 投稿者 IT趣味者同盟革命評議会そそう的破戒派転載係 日時 2000 年 10 月 07 日 14:17:59:

 アメリカを代表するリストラクチャリングといえば、J・F・ウェルチの率いるGEのそれが有名である。(11) 1981〜89年に90億ドルの資産を手放し、代わりに猛烈なM&Aで120億ドルを獲得する。その過程で篤くなかれ350の製品ラインが13の事業部門に統合される。この統合について特筆しておかねばならないのは、たんなる境界線の変更にねじ曲げられないためのチェックとして、業界で1位か2位の事業しか残さない原則が貫かれたことである。しかも、一見玉石混淆でまとまりのない行動の背後に実際は、Three Circle Conceptと呼ばれる戦略が存在していた。
 日本のリストラクチヤリングは、本来期待されていたものとちがう道をたどり、大掛かりな事業改善として広く実施されている。中心施策であるダウンサイジングは、あまり他の協力なしに手がけうる部分が多く、やってみればやっただけの成果が確実にあがる。不況色の濃厚な1998年3月期の決算において、半導体などの例外を除いた製造企業の多くは、売り上げの減少にもかかわらず大幅な増益を記録した。そして、この利益をもたらしたのが、人員削減や各種合理化からなるリストラである。サイズ減の余地が規模に比例するので、大企業ほど享受する利益も大きくなる。


【4】内層こおける(組織と業務の)中程度 の「破壊」:リエンジニアリング

 90年代に入るとリストラクチャリングよりは、むしろリエンジニアリングが大きな話題を呼んだ。(12) 前者に経営手法として特別の目新しさを覚えないからだろうか、あるいはあらゆるところでみられる通常の努力となったためか、一頭抜きん出ようとする野心的企業は後者に活路を探りはじめた。日本型マネジメントにとって後者が、前者より違和感なく受け入れやすいかもしれない。つまり、リストラクチャリングがリーダーシップの弱い日本のトップマネジメントに向いていない反面、リエンジニアリングはバランス感覚に優れるミドルマネジメントをうまく使えそうだからである。
 相性が悪くないと「破壊」にならない、と一刀両断批判されるかもしれないが、まずは実行に移してもらわないかぎり、効果の善し悪しについて論じられまい。ミドルたちにしても、風向き次第では自殺行為となりかねないものの、乗った船の沈没を座視するわけにはいかなかった。人件費による経営の圧迫がクローズアップされる低成長時代を迎え、みずからの居場所を正当化する組織構想が彼らにもとめられた。かつては発展の原動力ともてはやされた人材のなかから、金喰いの窓際族と陰口をたたかれる仲間が出ていたからである。まさしく進むは地獄、退くもまた地獄だった。
 好業績企業の工場長を対象として日本経済新聞が一昨年行なったアンケート調査によれば、工場の輸出採算レート(当時1ドル平均102円)は社内レート(同90円)を相当上回り、その原因として人件費の高騰・間接部門の肥大化・人事の硬直化を指摘する回答が目立った。製造技術と品質に自信を抱きつつも、他部門の不甲斐なさに苛立つ様子が、現実味を帯びたかたちで伝わってくる。ここでは欧米とくらべた生産性の内外格差を尋ねたわけだが、もしもアジアの追い上げに苦しむ価格競争をテーマとすると、いっそう厳しい批判が非製造部門の在り方に投げかけられたはずである。
 リエンジニアリングは、BPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)の略称であり、日本追撃に国を挙げて沸き立つ80年代のアメリカで編み出された。日本企業から製造現場における高生産性の秘密を学び取る一方、それをアメリカ企業の得意な管理サービス部門の活動とつなぎ、全体として業務の効率化/体系化を図ろうとするこころみである。TQCで代表されるように要素活動を一歩一歩洗練させる日本企業とくらべ、アメリカ企業の特徴はむしろ全体のつながりをたえず意識するところにあろう。それは、後者が情報技術の利用を与件と考えるからかもしれない。
 したがって、QCを工場の外へ広げようという発想から推進された業務改革は、多くの日本企業ですんなりBPRに合流していったらしいが、アメリカ企業を復活させた秘密兵器とは似て非なるものである。QCとBPRは、つぎの4点でことなる。第1に、顧客志向の程度が両者をわかつ。QCは、結果的にアウトプットの向上を生むけれども、直接の目的は業務自体の合理化にほかならない。第 2の相違としては、システムと要素のどちらを重視するかが考えられる。BPRは、全体にわたって事業の流れの円滑化を図るなかで、障害となる要素業務の発見にともない改善を講じる。
 第3に、業務の適否だけで終わるか、存否まで問うかが差を生じる。一般にQCのばあい、既存業務の維持を暗黙のうちに前提とし、現場の担当者たちから工夫や変更を導く。参加意欲の引き上げに役立つよう集団的取り組みを奨励するため、不要部分のカットよりも不足分の捻出を高く評価しがちとなって、至上命令であるダウンサイジングに反する組織の拡大をもたらす。第4に指摘しなければならないのは、情報技術のポテンシャルにたいする配慮の軽重である。インフラストラクチャー整備の度合いが大きく影響するにしても、日本企業における情報リテラシーの低水準ぶりはまったく情けない。
 大雑把に日米企業の経営比較というか、QCと BPRの特徴を一見するだけで、いずれが現在の環境に適応しうるかは、ほとんど議論の余地なく明らかである。いわゆる日本型マネジメントは、右肩上がりの経済成長を期待しうる時代には有利だったかもしれないが、量の縮小を品質の高さで置き換えるのが急務のときには困難きわまりない。そのうえ、時間と人力を事実上コストフリーとみなし、国内の仲間同士の過当競争で培った力を、海外において勝手放題に使い歩く行き方は、国内で外国企業をいろいろ縛る不公平さに加え、日本の国際的地位に照らすといっそう無理がある。
 リエンジニアリングは、リストラクチャリングより馴染みやすそうでありながら、実のところ日本企業にとって途方もなく受け入れにくい。ミドルマネジメントの位置づけにはじまり、非製造部門の在り方が抜本的に見直される、という意味で相当の「破壊」効果を秘める、ことから入念に検討すれば当たり前ではある。両者は自動車の前輪と後輪のような関係にあり、そもそも切り離して論じるのが問題かもしれない。事業の枠組みがきちんと設定されないかぎりは、いくら業務で頑張っても成果は低水準にとどまる。逆に、業務の裏づけを欠くと事業の成功はおぽつかない。
 二者択一を迫るのではなく、相補関係としてとらえたい。企業の計画にもとづく標準品の大量生産はどんどん後退し、顧客ニーズに合わせる多品種少量生産が主流の座を襲うと、リストラにおいては、いかなる製品やサービスを手がけるか(事業内容)にもまして、どうしたら顧客を満足させられるか(事業形態)が重要となる。BPRの支援いかんがリストラの成否を左右するようになるのである。そこで、多彩なニーズにたいする柔軟で素早い仕事ぶりと、それを可能とする組織の横造と運営が 切にもとめられる。この仕事と組織の開発こそ、まさしくBPRの使命にほかならない。
 BPRのポイントは、顧客と接する組織メンバーの裁量を広げるとともに、顧客とトップマネジメントの距離を縮めるところにある。大量生産/大量販売に好都合な職能別階層組織が、専門化を生かす分業の再考といったかたちで、ダウンサイジングの視点から厳しく批判される。製造業のばあい、工場は70年代以降ずっと合理化を重ねたため、人員削減の余地がほとんど限界まで狭まっていた。むしろ多品種少量に対応する方向でバブル期の過剰な自動化を緩め、組み立て工程のロボットを人間の手作業で代替するこころみさえある。しかも、製造時間がかなり切り詰められたらしい。
 批判の矛先はバブル崩壊後、肥大化のいちじるしい本社へ向かった。ミドルマネジメントの調整機能が、現場の声をトップヘ歪んで伝えるばかりか、やたらに不必要な時間と手間をかけすぎる、と垂直分業を弱める階層圧縮の対象にされた。もっとも、性急な本社組織のフラット化でミドルを無差別排除したりすれば、トップマネジメントの戦略的イニシアチブを根絶やしにしかねない。コーポレート・スタッフの中枢に座るミドルの補佐があって辛うじて体面を保ちえたのだから、戦略に不慣れなトップは、チャンスの前で自信をもてないまま右往左往するだけかもしれない。
 一方、専門化の利益をもとめる水平分業は、購入/財務/製造/販売などの職能として本来一貫する活動を分割し、それらの諸職能を部門化することで生産効率のレベルアップに努める。自分の担当分野にのみ注意すればすむので、経験の蓄積とともに製品の収率は高まるが、職能間の連携が安定せず調整にてこずると、いつまでも未熟練の損失に泣かざるをえない。環境の変化が激しかったり顧客の好みが極度に細かいとき、水平はもとより垂直の分業もつつましやかにしか起こらない。逆に、職能別階層をいったん築いた組織は、環境や顧客の動きに合わせて自己変革を迫られる。
 この自己変革では通営、外部の変化に接する部署やメンバーが独自の判断で行動しうるよう、変化の源ごとに主要な職能を網羅する包括的組織単位が形成される。職能別階層からなる集権組織を採用していた企業が、事業部制や分社制やカンパニー制という分権組織へ移行するのである。はっきり別形態の組織をつくりはしないが、新しい組織運用によって柔軟な対応を引き出そうと、特定の部署にたいして独立採算を認めもする。一連の分権化は、スピーディーで柔軟かつ細やかな動き方を自己変革した企業にもたらすが、ダウンサイジングとコストダウンにつながるか否かはさほど明らかでない。
 いくら分権化を行なったところで、多くのばあい業務の数は以前と同じである。職能遂行にともなう権限の分布は変わったけれども、そこで各々の担う業務の統廃合はあまり生じなかった。情報技術の進歩が文書のやりとりによる業務を短縮し、諸機能を貫く活動の流れにあらためて注目させるとき、先見性に富んだミドルたちは権限で働く無駄を知って、活動全体をうまく流すのが経営であることに気づいた。この活動の流れこそ、BP すなわちビジネス・プロセスにほかならない。そして、全体の流れにたいする貢献いかんを主な尺度とするかたちで、既存業務の在り方が先駆的企業で抜本的に検討されつつある。

【5】深層における(企業人の心のなかで起こる)大きな「破壊」:自己改造

 情報インフラの網がゆっくり社会を覆いはじめるにつれ、リエンジニアリングの波は企業内部を確実に「破壊」する。海辺で固めた砂山に少し開いた穴と同様、あっというまに大きくなり山を崩すだろう。たとえば、富士通の人事・総務部門は、300種類余の帳票を電子化し所定の部著や担当者に回覧する、ワークフロー管理によってホワイトカラーの生産性向上を図る。事務手続きはスピードアップし、人員も約25%削減しうるらしい。しかし、小さな本社の実現には時間がかかりそうにみえる。ある意味で自殺を強要されるミドルが、さまざまな機会に抵抗しつづけるからである。
 営業現場から寄せられた顧客の要望に合わせて見積もりを用意し、いろいろ意見交換したのち最終的に決めた注文書を送ってもらい、大ロだと製造計画の修正・小口であれば通常の配送手続きを行なう。計画の修正はもとより通常の手続きにおいても、諸部門を結ぶ活動は文書の交換でほとんど流れる。しかも、いったん受け取った文書は、所定事項を記入のうえ各部薯の台帳にファイルされる。注文品が無事到着した旨確認するや否や、送り状と照らしつつ請求を常客へ送り、代金の支払いに合わせて領収書を届ける。気の遠くなるほど多くのルーテインがくりかえされる。
 メーカーと顧客をつなぐVAN(付加価値通信網)が構築されれば、顧客は問い合わせや注文や入荷の連絡を端末で随時入力すればすみ、メーカーも品揃え/納期の回答や出荷の情報を間髪入れず送りうる。ペーパーレスの実現でリードタイムがいちじるしく短縮するとともに、聞き違い・記入滞れ・送付ミスなどによる信頼性の欠如はなくなった。このような動きを集大成するCALS(生産・調達・運用支援統合情報システム)の登場は、水平分業の再編成をとおしてスリム化や効率アップに貢献するものの、緒業務の統廃合でミドルばかりでなく第一線担当者を路頭に迷わせる。
 頒悶が抵抗スタイルで外へ向くかぎり、組織はコンフリクトに振り回されるが、企業にとって不健全なことがらではない。コンフリクトがイノヴェーションの温床だから、コンフリクトのある組織には発展の可能性が宿る。むしろコンフリクトのない状態は、非民主的な抑圧によって自由な発言が妨げられたり、矛盾や困難を内向化させる風土が存在する証拠である。そこで、ミドルや第一線担当者には、企業人である拠り所をもちろん全否定せず、社会性ある活躍の場を用意する必要がある。彼の経験や知識をじゆうぶん尊重しつつも、自己改造の不可避性は断固告げねばならない。
 ミドルや第一線担当者にまして困るのは、相変わらず旧世界ムードに浸るトップであろう。現在の地位を得た成功体験が、なにかにつけて過去のモノサシを持ち出して新しい時代の到来を頑なに認めようとしない。四面楚歌といったミドルの窮状にくらべると、彼はずっと居心地のよい雰囲気のなかで働く。しかし、先見性に富むミドルのまとめたBPRプランを、積極的にサポートする勇気ぐらいはぜひほしい。減点主義で生き残った者ばかりを後継者にせず、未完の企てや情熱を評価する姿勢があってよい。また、全社員の不安を一掃するためにも、率先して変身に挑戦すべきである。
 ひょっとするとリエンジニアリングの影響は、企業よりも人間においていち早く効果をあげるかもしれない。ビジネス・プロセスをつぶさに洗い出すなかで、不採算の指摘を受けても改善努力をしない部署が、みずからの業務を取り上げられて外注に回される。このアウトソーシングが日常の選択肢になったとたん、あらゆる仕事ぷりに競って値段をつける動きが現われる。モノや情報を自分でつくらずに外で買うのはともか く、昨日まで同僚の座った椅子に他所者がいるとなると、どうしてここで働くのかについて問わざるをえない。企業にたいする一体感がみるみる薄れよう。        
 ライバル企業に対抗する武器となるグループウェアを支える共同精神ではなく、ただ長期間いっしょに過ごしただけで自然と生まれた仲間内の馴れ合いは一見、相互の仕事をうまくやっていくうえで利用できそうに感じられるかもしれないが、生き馬の目を抜くような競争に耐え抜く覚悟があるならばぜったい排すべきである。(13)相手の能力にたいする敬意をともなう信頼は、おそらく狭苦しい利害の錯綜する企業組織の壁をはるかにこえ、一流専門家が自由に行き来する世界の通貨といえるかもしれない。たぶん近未来の企業は、専門家たちが集まるプロジェクトの提供母体となるだろう。
 インフォーマル集団は、人類の存続するかぎり組織において大きな影響をもちつづけると思われるが、外へ出ようとしないで一定の組織にしがみつく人びとを構成メンバーとする。とかく彼らは、パテイキュラリズムにもとづくスキルを珍重し、外部の組織や人間にたいして排他的な壁を築く。ユニヴァーサリズムに立つ専門家たちとは対照的な風土で働くのである。いずれ企業のマネジメントは、2つのグループが奇妙な協力をしながら担うことになろう。深く静かに潜行中の「破壊」は現在、この近未来企業の誕生準備に向けて既存のマネジメントを侵食しはじめたばかりである。
 専門家グループと非専門家グループを階層上の上下で区分けしないでほしい。営業や製造はもとより財務や人事ですら、外部専門家にアウトソーシングされるかもしれないし、危機に直面してトップマネジメントをショート・リリーフでスカウトするケースはありうる。また、アイディア溢れる中小ベンチャーが生産や販売を、過剰能力で四苦八苦の大企業に委託するのは、後者が前者を支配する従来の下請け制で想像もできなかった関係であるが、ヴァーチャル・コーポレーションをふくむ新しい組織像の予兆といってよい。(14) その意味で、「破壊」も創造(or想像)と無縁ではない。

むすび


 経営は多かれ少なかれ、バラドックスとしてくりひろげられる。ライバルに袴りうるコアコンビタンスをもたなければ、たちまち激しい競争にもみくちゃにされてしまうだろう。しかし、自己の保持に郁々となりすぎると、顧客に飽きられ脱落せざるをえない。どこまでも頑張り抜く意思と柔軟な適応性を、時間・空間の両面でバランスさせる必要がある。まったく同じことが、破壊と創造についてもいえる。たしかに破壊のための破壊であっては、創造の芽を摘んでしまいなにも生まない。けれども、ここではそのようなバランスをあえて考えないで議論した。
 バランス崩しに手を染めた理由は、“茹でガエル”状態が気がかりだったのである。危うく保っているつもりにもかかわらず、知らないうちに万事休すとなることもある。そんな破局をなにがなんでも避けようとすれば、陋習と決別し一刻も早く再出発する必要がある。だから、破壊なしには創造もありえない、という仮説をとりあえず設定した。メタファーにたいするこだわりは、既存のやりかたで驚くほど頑張る日本企業を目の前にして、経験至上主義以上のものを探りたかったところから生まれた。言語システムと経営の関係は、こんごの研究テーマとして大切にしていきたい。
 企業の手がける「破壊」については、バラドックスを感じないわけにいかない。すなわち、戦略や事業をめぐる取り組みは、環境とのかかわりで新しい動きを結構みるが故に、かえって「破壊」の程度は低く評価せどるをえない。利益に直接つながる問題が始終生じるため、現状維持が本来むずかしい領域なのである。企業人の心は、それの対局に位置する。企業といえども安易に操作できるわけはないし、環境の影響についても個人間でばらつきが多い。したがって、局外者には些細としかみえない変化ですら、途方もないインパクトをエスタブリッシュメントに与える。
 3つの層における経営「破壊」の実態は、残念ながら本論文ではとんど明らかにされていない。早急に取り上げてみようと考えている。この場ではさしあたり、組織のどこにいるかによって「破壊」の様相がことなる、ことを3層モデルとして提示したということになるだろう。さすがにいまはチャンドラーとちがい、戦略や事業で新機軸を打ち出したところで、組織や人間が連動して変わるとは思わない。逆もまた、真なりである。3つの層の相互関係も、われわれのチャレンジを待っている。どうやら宿題をあれやこれや確認しつつ、口惜しく筆を置くしかなさそうにみえる。

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(1)“茹でガエル”状態とは、熱い湯にカエルを放り込むとすぐ逃げ出して助かるが、徐々に温度が上がると逃れる機会を逸し死んでしまう、という現象である。
(2)クルーグマン,P.「<現在の延長>で測れぬ世界」日本経済新聞1998年1月6日号
(3)代表的なは論としては、以下の著書を参照されたい。
   野中郁次郎・竹内弘高『知識創造企業』東洋経済新報社、1996年

(4)キリスト教によれば、人間の思い上がりを戒めるため、神はことばを混乱させたという。「バベルの塔」創世記11、『旧約聖書』日本聖書協会、1997
(5)マーチ&サイモンは、イノベーションを3つの型にわけている。計画型とスラック型が正常な組織にみられるのにたいして、追い込まれ(distress)型は窮状打開の動きであ   る。
   March,J.G.&Simon,H.A.,Organizations,Wiley,1958(土屋守章訳『オーガニゼーションズ』ダイアモンド社、1997年
(6)シュムペーター,J.『資本主義・社会主義・民主主義』東洋経済新報社、1956年。pp.81-86(Schumpeter,J,A.,Capitalism,Socialism,and                Democracy,Harper&Brothers,1949    
(7)ピーターズ,T.『トム・ピーターズの経営破壊』TBSブリタニカ、1994年(Peter T.,The Tom Peters Seminar:Crazy Times Call for Crazy Organizations,Excel/A        California Partnership,1994)
(8)伝統的経営学を最初に体系化したファヨ―ルは、業務を遂行しうるのは担当者に権限があるからであり、また権限はそれに見合う責任をともなわねばならない、と語って   いる。彼のばあい、予測-組織-命令-調整-統制のサイクルのなかで権限と責任のバランスを測ろうとするが、われわれは逆に、責任を拒否することからはじまって権限や  サイクルの見直しをも とめるのである。
  ファヨ―ル,H『産業ならびに一般の管理』未来社、1972年
(9)リストラクチャリングについては、以下の3つの著書が多くを教えてくれた。
  野中郁次郎(監修)『リストラクチャリング』NTT出版、1989年
  加藤忠雄ほか(編)『リストラクチャリングと組織文化』白桃書房、1993年
  ベイドン-フラー,C.&ストップフォード,J.M.『成熟企業の復活』文眞堂、1996年
(10)この種の数字は、新しいほうが望ましいかもしれないが、いろいろな事情で資料が集まらなかった。しかし、リストラの性格を明らかにするという意図からすれば、円高を  背景とした1995〜96年ごろのほうが適切である。
(11)GEの再生戦略については、以下の著著が要領よくまとめている。
   Slater,R,.The New GE:How Jack Welch Revived an American Institution,Richard D.Irwin,1993
(12)ハマー,M&チャンピー,J.『リエンジニアリング革命』日本経済新聞社,1993年(Hammer,,M.&Champy,J.,Reengineering the Corparation,1993)
(13)組織メンバー相互や組織間におけるウエットな関係を、他の国々にはない日本企業の長所とみなす見解がある。それこそ、日本株式会社をめぐるステレオタイプといって  よい。世界50数ヶ国を対象とした比較調査は、集団主義が日本の特徴であることを否定し、むしろ不確実性回避や短期業績主義を強調する。
  ホフテード,G.『多文化世界』有斐閣、1995年(Hofstede, R, Culture and Organizations, McGraw-Hill,1991)
(14)ダビドゥ,W.H.&マローン,M.,S.『バーチャル・コーポレーション』徳間書店、1993年(Davidow,W.H&Malon, M.S.,The Virtual Corporation, 1992)


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参考文献


@Allen,T.J.&ScottMorton,M.S.,Information Technology and Corporation of the 1990s,Oxford University Press,1994
ABaden-fulluer,C.&Stopford,J.M.,Rejuvenating the Mature Business,Roudedge,1992(石倉洋子訳『成熟企業の復活』文眞堂、1996年)
BDavidow,WH.&Malone,M.S.,The Virtual Corporation,1992(牧野昇監訳『バーチャル・ コーポレーション』徳聞書店、1993年)
CDrucker,P.F.Managing for theFuture,Truman Tally Books Dutton,1992(上田惇生ほか訳『未来企業』ダイヤモンド社、1992年)
DHofstede,G.,Culture and Oraganizations,McGraw-Hill,1991(岩井紀子・岩井八郎訳『多文化世界』有斐閣、1995年)
EHoskisson,R..E.&Hitt,M.A.,Downscoping,OxfordUniversity Press,1994
F加護野忠男ほか『リストラクチャリングと組織文化』白桃書房、1993年
G菅野盾樹『メタファーの記号論』剄草書房、1985年
HLakoff,G.&Johnson,M.,Metaphoors We Live By,TheUniversity of Cicago Press,1980
I村沢義久『グローバル・スタンダード経営』ダイヤモンド社、1997年
J野中郁次郎(監修)『リストラクチャリング』 NTT出版、1989年
K野中郁次郎・竹内弘高『知識創造企業』東洋経済新報社、1996年
L佐藤信夫『レトリック認識』講談社、1981年
MSavage,C.M.,Fifth Generation Management,Degital Equipment Corporation,1990(島戸一臣ほか訳『第5世代マネジメント』朝日新聞社、 1990年)
NSchumpeter,J.A.,Capitalism,Socialism,and Democracy,Harper&Brothers,1949(中山伊知郎・東畑清一訳『資本主義・社会主義・民主主義』東洋経済新報社、1962年)
OScot Morton,M.S.(ed.),The Corporation of the1990s,Oxford University Press,1991
PSenge,P.M.,The Fifth Discipline,1990(守部信之訳『最強組織の法則』徳間書店、1995年)
QSlater,R..,The New GE:How Jack Welch Revived an American Institution,Irwin,1993
R利沢行夫『戦略としての隠喩』中教出版、1985年





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