「私が見た反権力雑誌『週刊金曜日』の悲惨な内幕」(『新潮45』)よりガス室該当部分

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投稿者 HELO 日時 2000 年 11 月 18 日 17:00:31:

『新潮45』2000年12月号より
「私が見た反権力雑誌『週刊金曜日』の悲惨な内幕」より
西野浩志

(途中から引用)
……
「リベラル戦士、リベラルに死す」
セクハラ問題で社内がゴタゴタした三カ月の間に、デスクや社員の退社、編集委員の降板が相次ぎ、編集部はガタガタした。三月三一日号を最後に井上ひさし氏が編集委員を降り、次の四月七日号から落合恵子氏が新メンバーになった。井上氏は平田オリザ氏を聞き手に演劇論を語った(九四年十一月四日号)のがほとんど唯一の登場だった。
本多氏は四月七日号の編集後記で井上氏降板について「超多忙」で「去年の暮れから辞意をお聞きしていた」と簡単に触れた。だが、井上氏が辞めたのは別の事情による。
本多氏が自分のコラムで大江健三郎氏を批判したのが原因なのだ。九四年の十二月二日号から三号続けて本多氏は「大江健三郎の人生」というテーマを扱った。かねてからこの二人は対立しており、本多氏は「貧困なる精神」で三号令わせて計十六ページという破格の紙数を割いて取り上げた。この結果、井上氏が「去年の暮れから辞意」を漏らし始めたのだ。
井上氏の最後の降板通告は郵便書留で会社のMデスク宛てに送られてきた。そこには、本多氏とも大江氏とも友人である井上氏が、その狭間で身動きがとれなくなったことを述べていた。また、友人である大江氏を批判する雑誌に関わることに二の足を踏むくだりもあった。間接的な本多氏への抗議だと読める。ただ、読者への責任についての記述はなかった。
井上氏の降板後、すでに退社を決めていたMデスクも去った。どんな人とも同じ目線で語る実直な人柄や本多氏らに諌言すべき時はする熱い心を持つ人柄が社内で抜群の信頼を集めていた。Mデスクが退社すると、本多氏らの独善をたしなめることのできる人がいなくなると思った。
Mデスクの退社に際して回ってきた色紙に私はこう書いた。「リベラル戦士、リベラルに死す。金曜日に欠かせない人が退社せざるをえない現状への怒りを私は持ちつづけます。いずれすべてを公にしますので、どうぞお楽しみに」
この時は「公にする」と本気で思っていたわけではない。ところが……。
連休合間の五月二日、私は本多氏に呼び出され、会社近くの喫茶店で、色紙に書いた文章の意図を聞かれた。本多氏は手帳を開き、私の文章を読み上げる。本多氏自身は色紙を見ていないのに、私の文章を知っている。告げ口のルートがあるのだ。
本多氏は色紙の言葉を社員への挑発と決めつけ、私を責めたてる。Mデスクヘの贈る言葉なのに、社員を挑発してどうするというのだろう。
本多氏はもう一つ言いがかりをつけてきた。「『リベラルに』といつも言う人(Mデスク)に、『木村愛二の原稿を載せるな』と言われた。編集長が副編集長に折れることがリベラルなのか」
というのだ。
これは簡単な説明が必要だろう。前年、医師の西岡昌紀氏が「アウシュビッツまぼろし説」の原稿を編集部員に軒並み郵送してきたことがある。私はタイトルを見ただけでごみ箱に突っ込んだ。しかし、本多氏は大いに興味を抱いた。西岡氏の集会に「編集長代理」としての出席をMデスクに求めたほどだ。木村原稿は西岡原稿と同じ「ナチのガス室はなかった」という論調だった。
木村原稿を掲載しないよう、Mデスクが本多氏に強く主張したのは、適切な判断だった。しばらくして西岡氏の寄稿が原因で『マルコポーロ』が廃刊に追い込まれた際、そのことを知った本多氏は編集部内でMデスクの方を見て「助かった」と漏らしている。この件ではMデスクは本多氏にとって〃恩人〃なのだ。逆恨みしては罰が当たる。Mデスクの退社後、さらに社員二人が退職を申し出た。本多氏は「嫌なら辞めてくれていい」と公言してはばからない。創刊から二年も経たないうちに、二〇人弱の社員のうち、解雇も含めると、なんと半数が退社していた。
ある時、本多氏にまた誘われて会社の近くの喫茶店に行った。朝日新聞の一線記者募集を受けてみてはどうかと勧めてくる。
「黒川さんを編集長にと考えている。あれだけ(黒川氏と)ぶつかったら大変でしょ。あらゆる権限が彼のところに行くのだから。こんな小さな会社だと配置換えもできないし」
と本音を漏らした。
しかし私は受験しなかった。本多氏はある社員に、「西野さんにそれとなく退社を勧めたけれど、(こちらの意図を)理解できなかったようだ」と言っている。社長兼編集長の権限を持つ人間が他社の受験を勧めるのは尋常ではない。しかし、本多氏はそうは思っていないようだ。後日、本多氏はある編集部員に声をかけ、私に朝日受験を勧めたことの是非を聞いた。部員が疑義を呈したところ、驚く本多氏。
「本多さんが自分は正しいと思っているのと同じくらい、私も自分が正しいと思っています」と言い切った部員に、本多氏は反論できなかった。

「弱者の味方」の本性とは
二度目の契約更新の秋、定期購読は二万八〇〇〇部と、少し減らした。書店販売を含めて計三万二〇〇〇部。思うように部数が伸びないまま、九五年十一月から三年目に入った。
本多氏はといえば、労組や私を激しく攻撃するようになった。例えば十二月六日、社内問題を話し合う会議が開かれた際、新入社員の〃歓迎会〃に労組員が誰も参加しなかったことを非難した。幹事役の編集部員が飲み会を開くという趣旨の文書を回覧したので、歓迎会は別途実施すると思って参加しなかったにすぎない。しかし、いくら説明しても聞く耳を持たない。
業務部長は労組の過半数割れを持ち出した。このころ社員(労組員)が相次いで二人辞め、中途入社の社員には本多氏らが労組と対立している趣旨のことを話していたせいか、労組に距離を置く人もいた。労組は少数派になっていた。だが、陰で激励してくれる社員が何人もいたので、私は「いずれ半数を超えます」と胸を張った。
すると本多氏は血相を変えた。
「過半数になったら会社を転覆させる気か」
凝り固まった先入観をどうほぐせばいいのだろう。
本多氏は本当に弱者の立場に立つ人なのか、と疑問を抱く出来事もあった。
『週刊金曜日』九五年六月三〇日号の「絵筆に託して──〃従軍慰安婦〃にされたハルモニの思い」という記事の中の、「何処か知らない世界に連れていかれる直前の一人の朝鮮の乙女の心情を、あたかも牛が屠殺場に連れていかれる直前の眼の光に似せた」
という部分が屠場労組から指摘を受け、話し合いを続けていた。
私の在職中、何度も話し合われたが、本多氏は一度も出席していない。これから社内で話し合いが開かれることを知りながら会社を出ていく本多氏や業務部長に、社内では「逃げている」という声が上がることもあった。本多氏が「いつまでそんなことを」と吐き捨てるように言ったのを、私は間近で聞いたことがある。
九六年に入った。いつからか本多氏の言葉に私への敵意と憎しみが明確に見えるようになっていた。団体交渉の議題を記した書類を渡すと、「会社をつぶさないでね」「あなただけが会社をつぶそうとしている」と 言う。沖縄のニュースを知るために『琉球新報』を読んでいたら、「やはり仕事もせず新聞を読んでいる」とくる。労組の三代目委員長を私が引き受けることになり、その挨拶状を手渡せば、「忙しくなるね。陰で牛耳るよりはいい」と言い放つ。
十二月二日、本多氏は最終攻撃に踏み切った。社員に配付した「全社員の皆さんへ」と題する文章がそれだ。小さな活字でびっしり書かれたB5の用紙は計二四枚。四〇〇字詰原稿用紙に換算すると八〇枚を超えるだろう。
非常にユニークで面白い本多文書からごく一部を紹介しよう。
本多氏は、「貧困なる精神」の連載が中断しているのは「『週刊金曜日』の存亡にかかわる」ことであるとし、中断の理由として私の名を挙げる。そして黒川氏の朝日新聞時代の経歴を紹介したあと、「そういう実績があり、かつ著書もあるような大ジャーナリストの黒川氏に対して、西野君にどんな実績があるのでしょうか」
と続けた。また、私や労組の言動を挙げ、「こういうことを日常的にやられているのでは、ライターとしての私の神経がとてももたないのです。それで『貧困なる精神』は連載ができなくなりました」
文書には、Mデスクヘの中傷も書かれている。M氏がデスクとして関わった「宮本顕治論」(九四年八月二六日号、筆者・菅孝行氏)や「拉致された坂本弁護士の周辺にただよう権力介在の疑惑」(九五年二月二四日号と三月三日号、筆者・池田昭氏)に関して、一方的になじった。だが、本多氏は意図的に自身に不利な事実を隠している上、日付や出来事の前後関係なども滅茶苦茶で、およそまともなジャーナリストが書くような内容ではない。
この文書が出た後、アルバイトの人から思いがけない激励を受けた。私は表向きは元気に振る舞っていたが、孤立感を時々味わってもいたので、本多氏の言動を冷静に見る目が少数だが健在であることを知り、心強いと思った。と同時に、自分に好都合な事実のつまみ食いや偏った表現で成り立つ本多文書を放っておいてはいけないとも思った。私ばかりか、すでに退社したMデスクにまで、事実を歪めて悪口雑言を浴びせているのだ。
九七年に入って、私は本多文書に対する反論を三度書き、社員に配付した。その中で、おびただしい誤りや悪意を指摘し、Mデスクの名誉回復を求めた。しかし、本多氏は一片の訂正を社員に配っただけで、社員会議では、
「日付の間違いは本質に関係ない。Mデスクの部分は削除してもいい。あれは(西野問題の)対策を相談するために書いたものであって、ルポでも記事でもない」
と恐ろしいことを言う。
ルポでも記事でもない?だったらウソを並べでいいのだろうか。名誉を傷つけていいのだろうか。「削除」すれば済む問題なのだろうか。人間として恥ずかしくないのだろうか。かつて愛読した本多氏の著書にも疑問を抱かざるを得なくなった。
本多文書は最後にこんな〃提案〃をしている。「もし『読者への責任』という点で私や黒川氏なしでも社員の皆さんが西野君と共にこの雑誌を継続かつ発展させることができるならば、私は編集委員も社長も編集長も直ちにやめようと思います。つまり私が一切手を引いた後の具体的な体制を西野君を抱えたかたちで示して下さい」「しかしそれができないで、かつ西野君を今のような状況のままかかえていくことは、私の力と神経ではもうできない」
本多を取るか西野を取るかと社長兼編集長が社員に迫ったのである。

退社
さらに一月一四日、社員会議で本多氏は、「社員の多くがこの人物を容認するのなら、私は重大な決意をしなければならない」
と述べ、社員一人ひとりに意見を求める愚行に出た。私への批判を述べない人には西野シンパと一方的にレッテルを張る本多氏だから、これは踏み絵そのものである。本多氏支持を強く打ち出す新入りの松尾信之デスク(現在、めでたく取締役編集長)のような人物もいたが、本多氏の期待に反して「この状態はやむを得ない」という意見が半数近く出た。とはいえ、私と本多氏の対立に全社員を巻き込むのは私の本意ではない。社員の口から私の退社を求める発言をさせようとしたり、私のシンハか否かで社員を敵味方に強引に分ける本多氏に、私は心身ともに疲れ果てた。
そのせいか、まさかと思うような仕事上の失敗を犯すようになっていた。夜中には足の裏がかゆくなった。身体に変調をきたす社員はほかにも数人いた。これが私にもやってきたようだった。読者への責任を考える余裕はすっかり失った。
目の前で本多氏のでたらめぶりを見ると、これでは普通のジャーナリズムさえできないと確信せざるを得ない。これ以上閉わると、身も心も腐敗する。
踏み絵の三日後、私は退社の意思を上司の松尾デスクに告げる。そそくさと受理され、九七年三月三一日付で私は退社した。私の退社に前後して、中途入社していた編集部員が二人辞めた。
社員が辞めていくことに対して黒川氏は「権力抗争に敗れたからだ」とある社員に語ったことがある。本多氏が「西野とKデスクを追い出す」と社員の一人に語っていたことを私は退社後知る。ここでようやく、「権力抗争」と「追い出し」がすべてを解くキーワードだと私は気づく。気に食わない者にはマイナスイメージを植えつけて孤立させる。あるいは先入観で話を曲解し、ほかに意図があるかのように邪推する。自分の主張や正当性を守るためには事実をゆがめ、他人を傷つけても平気な人がいることを身をもって知った。私には想像もつかない世界だった。


「日本のマスコミ(情報商売)が、政治と比例してますます堕落している昨今の風景を、皆さんも痛感しておられるでしょう。かれらに自浄能力を期待するなど、ブタにウグイスの囀りをさせる努力のようなもの。重大化する時局の中、真のジャーナリズムが欠落した日本で孤軍奮闘する『週刊金曜日』を応援して下さい。本多勝一」
という広告が今年の五月二六日付『毎日新聞』朝刊に掲載された。六月二日付『朝日新聞』朝刊に出た広告には椎名氏が、「この雑誌には強烈な牙があります」と、書いた。牙?社員に向けられたアレのことだろうか。それなら確かにあったが…。
人の評価は棺を蓋ってから定まると言われる。この考え方でいくと、現存する『週刊金曜日』について評価を下すのはまだ早いのかも知れない。しかし、編集委員の名前で読者を集めたにもかかわらずその関わり方の稀薄さに鑑みると、これだけは言える。
『週刊金曜日』は詐欺である。そして自分が正義だと信じて疑わない、独善的な雑誌である、と。
駆け足ながら見聞の一端を刻んだのは、かつて『週刊金曜日』に期待し、お金を払ってくれた人たちに、金曜日が抱える問題点や体質を説明する義務があると思うからだ。これでいくらかの事実を伝えられたとすれぱ、読者への責任をわずかだが果たしたかと思う。
昨年、『買ってはいけない』が二〇〇万部近く売れた。社内はわき、担当編集部員は取締役編集長代理に〃出世〃した。社内ではこの本を批判できる雰囲気はなかったようだ。
私が当事者なら、日垣隆氏らが指摘した誤りや偏りに深く恥じ入り、責任を取って辞めるだ ろうし、いち早く絶版にする。しかし、株式会社金曜日はそう考えなかったようだ。ここに私はジャーナリズム感覚の致命的欠如を見る。誤りの多さと事実のつまみ食いで一方的に私やMデスクの名誉を汚したにもかかわらず開き直った本多氏の体質そのものである。
株式会社金曜日は現在、本多氏が代表取締役兼編集委員、黒川氏は代表取締役社長である。社長兼編集長を降りた本多氏は企画会議に出たり出なかったり、だ。
部数の長期低落傾向は止められず、定期購読は約二万五〇〇〇部。創刊時の半分だ。書店販売を拡大したものの伸び悩み、合計しても三万二〇〇〇部ほど。創刊時に五万人もの読者が期待した新しい何かは未だに生まれていない。なぜなのか、特に編集委員は胸に手を当てて内省したほうがいい。
「真のジャーナリズム」という言葉を臆面もなく使える神経と、自身が「真のジャーナリズム」だと信じて疑わない〃大本営的体質〃こそ、定期購読以外の大多数の人々の心に本多氏らの言葉が届かない最大の原因だが、彼らが理解することは永遠にあるまい。これを「裸の王様」と言わずして何というのだろう。
(にしのひろふみ・元『週刊金曜日』編集者、ジャーナリスト)





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