第三章 日本フリーメーソンの内幕(赤間剛『フリーメーソンの秘密』三一書房)

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投稿者 SP' 日時 2001 年 4 月 24 日 09:51:19:

回答先: 10,000 Famous Freemasons 投稿者 SP' 日時 2001 年 4 月 01 日 08:45:49:

〈1〉 メーソンへの直撃インタビュー

 フリーメーソンの実態を知るためには是非、メーソンに直接インタビューする必要がある。フリーメーソンが果たして門戸を開いてくれるだろうか? 不安だったが、ともかく再度インタビューを申し込んだ。すると思いもかけずOKの返事がきた。以前、申し込みをしてから一年目のことだった。
 日本グランド・ロッジは東京・港区芝公園の旧水交社がマソニック・ビルと聞いていた。しかし、「現在建てかえている」とのことで港区虎の門の第六森ビルに出かけた。応対してくれたのは東京メソニック協会の述丈夫事務局長と三人の“高級メーソン”である。
「東京メソニック協会とは、日本グランド・ロッジ傘下の二、三の有志ロッジによって作られた団体です。昭和三十年に財団法人・東京メソニック協会の正式名で厚生省に設立許可された慈善団体としての公益法人です。日本グランド・ロッジは、昭和二十九年の宗教法人法改定までは宗教法人として登録されていましたが、フリーメーソンは友愛団体ですから、宗教法人ではおかしい。現在、日本グランド・ロッジをはじめメーソン団体は私的な団体です」(述事務局長。三十二位階)
「アメリカにはメーソンは四百万人いますから、二億のアメリカ人口中、およそ二十人に一人の割合でメーソンがいます。フリーメーソンは秘密結社ではありません。そのように宣伝したのは戦前の軍国主義者でした。確かに一部に秘密があります。それは儀式の内容と入会者のメンバーをみだりに外部に明かさないことで、仲間うちだけにメーソンの兄弟だと通じるサインとか言葉などがあるのですね。
 フリーメーソンは個人の道徳性を高めるのが目的で、入会者の条件として、無神論者でなく、何かの超越的な神を信じ、家族を愛し、国家の合法的規約に従うという規約があります。メーソンになるには、まず二十歳以上の成人男子で、手足が不自由でない(儀式と“合図”のため)、酒を売る人は原則としてお断りするなどの規約がありますが、基本的にはジェントルマンであることが入会の条件ですね」(片桐三郎氏。某大会社役員。三十二位階。横浜ロッジ支部長)
 説明によると入会希望者は自分から進んで、「メーソンになりたい」との意志をのべ、ロッジのメンバー二人に推薦してもらう。するとロッジからフリーメーソンの願書(履歴書・身上書)が渡され、その資料を基にロッジから別の二人が面接調査する。そして、「家族のめんどうをみているか」とか「アルコール、賭博の常習者でないか」などの生活態度ほかを詳細に調べられる。しかし、実際には、「入社試験よりやさしいですよ」(片桐氏)という。このレポートにより、ロッジのメンバーが全員一致して賛成すれば入会が認められる。すると、全国のロッジに新人紹介の回状が廻るという。入会金は三万六千円、年会費が四千円と安いが、ロッジでの各種の催事などの費用は自前の持ち寄りが原則。会費を二年間滞納すると権利停止の資格剥奪を受け、またハレンチ罪や非合法な罪に問われると追放処分される。このような裁定は内部の審判員が公平に判断し、被告はメーソン仲間の弁護人を選ぶことも可能で、民主的である。
「フリーメーソンは国家の組織に似た制度を持っています。日本グランド・ロッジは諸外国のフリーメーソンと外交関係で相互条約を交し、友好条約を結びます。日本グランド・ロッジ内部では、司法・行政・立法の三権分立機構を持っています。統轄権を持つロッジ・マスター(支部長)、グランド・マスター(本部長)も民主的に選挙されます。
 各国のグランド・ロッジ間は独立国の関係と同じで平等です。日本グランド・ロッジはフィリピンのグランド・ロッジ傘下から一九五八年、独立しました。内部ではメンバーが除名されると傘下ロッジに回状が廻され、まあヤクザ組織と同じです。フリーメーソンの組織員は、変な意味でなくいうとヤクザ組織に似ていますが、崇高な目的があり、そこが違いますね」(安藤一夫氏。早大講師)
 以下、一問一答をした。
〈なぜ、秘密を持つのか?〉
「フリーメーソンの歴史は何千年も前に始まるメーソン(石工)の口伝を起源とします。中世の職人ギルドでは、その高度な技術が財産でした。メーソンは徒弟、職人、親方の三段階で一人前になります。その当時の石工はヨーロッパ各地をめぐる渡り職人でした。そのため各地のメーソンはギルド(同業者組合)の秘密的な暗号や儀式を踏み、仲間と認めてもらい修業したのです。
 一九一七年に近代メーソンが起ると、このメーソン組織の職業と思想が、近代人の精神になり、いわゆる“思弁メーソン”としてインテリやエリートの間に広まります。しかし、メーソンの秘密は残ったのです」(同)
〈日本のフリーメーソン史について?〉
「幕末に横浜の居留地に英国が持ち込み、神戸、長崎の開港地に英米系のフリーメーソンが生まれます。明治維新後、伊藤博文が駐英公使の林董にフリーメーソンの何たるかを知るために英国で秘かに入社させましたが、この結果、日本では外人のみに入社を認め、日本人の入会を禁じる交渉を日本にきていたフリーメーソンと交します。だから、戦前は日本人のメーソンはいないことになっています。しかし、外国生活をした日本人が外国でメーソンになるのは自由ですから、かなりの日本人がフリーメーソンになったと思います。推測でいうと現在まで、外国のフリーメーソンに入社した日本人は千数百人はいるのではないでしょうか。
 たとえば、幕末に徳川幕府によってヨーロッパへ留学させられた西周がオランダのライデン市のロッジに入会している事実があります。また津田真道(福沢諭吉らと明六社を作り、文明開化に貢献)もそうですし、他にも英語学校を開いた神田乃武(YMCAの創設者)もメーソンでした。
 日本のフリーメーソンは戦後のものです。GHQのマッカーサー元帥の働きで花開き、GHQの軍人や外人を中心に昭和二十二年ごろから全国にロッジができました。その後、英語のできる国際的な日本人が参加し、現在、四千人、日本人がこのうち二百五十人の規模になりました。フリーメーソンはハイソサエティな人々が多いのです。アメリカなどでも高級将校や政府の役人、外交官などが多数入ってますよ。
 昭和二十五年に旧水交社を大蔵省より払い下げてもらい、日本グランド・ロッジを独立させました。日本人のメーソンとしては、東久邇宮(元首相)、鳩山一郎(元首相)ほか、二十人余の国会議員(経験者)がいます」(安藤一夫氏)

〈2〉 複雑怪奇な内部組織

 さらにインタビューを続けてみよう。
〈フリーメーソンの内部はどうなっていますか?〉
「基本的には一〜三の位階を通過すれば、一人前のメーソンです(第二章のスコティシュ・ライトの図を参照するとよい)。四〜三十三位階を総称してスコティシュ・ライト(スコットランド・儀礼)といいます。この位階は上下の階級的関係でなく、いわばマスターする“学位”のようなものです。一〜三が一 般メーソンでブルー・ロッジ。四〜十四を十全会。十五〜十八をバラ十字会。十九〜二十九を神聖会。三十〜三十二を宗門会議。三十三を最高会議といい、それぞれブルー・ロッジを通過したメーソンが位階に応じてグループを作っています。
 一人前のメーソン(三位階)になるとスコティシュ・ライトの各グループがそれぞれの会にメンバーをスカウトできます。四位階以上からは縦の階級でなく、横一列の関係で、内部の勉強会と思って下さい。一〜三のプロセスがメーソンの基本型で四〜三十三はその枝葉です。しかも、いわゆる階級ではなくメーソンとしては三位階以上はみんな平等です。儀式と秘密はこの位階の昇進時に行なわれ、また年に何度かの聖書(旧約)にのっとって決められた日に行ないます。
 秘密はそれぞれの位階に応じてあり、メーソンの仲間うちでも自分が何位階か教えてはいけません。儀式はそれを通じての兄弟愛と真実をきわめるために行なうもので、一言でいうと人間修養のためのものです。
 勉学内容は、象徴や儀式であらわされ、時には芝居みたいな演技をします。ふつうおよそ六カ月で一人前のメーソンになりますね。この修養の内容を言うわけにはいきません。それが一番の秘密なのですからね。
 フリーメーソンは各ロッジで月に四回、集会を持ち、それぞれのグループで月例会、ミーティング、勉強会の日を決めます。集会日はふつう夕方の六時ぐらいから夜十時ぐらいまで、夕食会を催しますが、ロッジ内での飲酒は厳禁、集会中は政治や宗教、ビジネスの話は禁じられています。もちろん、メーソンは個人主義ですから、ロッジ外では全くフリーですし、兄弟愛を通じ、メーソン同士が仕事の助け合いや政治的理想を語るなども自由です」(片桐三郎氏)
〈外郭団体や人脈的に近い団体を教えて下さい〉
「スコティシュ・ライトでは、メーソンだけの慈善団体註1をもち、これをシュラインと呼びます。シュラインは回教儀式のテンプル(寺院)を集会所とし、主に身体障害者相手の病院を経営しています。アメリカではこのシュラインが盛んで、このメンバーになるのは非常に名誉なこととされていますが、日本では資金的な余裕も、メンバーも少なく盛んではありません。
 外郭団体としてメーソンの子弟たちのために『オーダー・オブ・デ・モレー』というボーイスカウトがあります。ふつう『デ・モレー団』と呼びますが、デ・モレーの名は十字軍時代の有名な聖堂騎士団の最後の総長、デ・モレーから由来するもので、第一次大戦後、アメリカのメーソンが青少年運動のために興しました。世界の本部はアメリカのミズリー州のカンサス市にあり、現在世界中に数十万の団員を持っています。日本では支部が東京、福生、沖縄の三カ所にあります。
 このガールスカウト版が『オーダー・オブ・レインボー・ガール』です。そしてメーソン家庭の夫人連の団体が『オーダー・オブ・イースタン・スター』(東方の星結社)です」(述事務局長)
〈日本グランド・ロッジと諸外国との関係を具体的に説明すると?〉
「日本グランド・ロッジはブルー・ロッジの管轄権を持っています。フィリピンから独立したとき、“既得権”としてすでに存在した英国やフランスのロッジは管轄外として認めましたが、今後は日本グランド・ロッジが日本のフリーメーソンの最高機関として、進出を許可します。
 交友関係にある外国グランド・ロッジは現在、百以上あり、国としては四十三カ国です。この相互友好条約が結ばれますと、互にメンバー同士を紹介したりします。諸外国のグランド・ロッジが集まって一般的問題を討議する場をグランド・マスターズ協議会(各州、各国のグランド・マスターが参加)といい、日本はワシントンでの会議に参加します。また、スコティシュ・ライトでは同じく世界最高評議会があります。
 日本のグランド・マスターはブルー・ロッジ(三位階まで)の最高指揮権をもち、スコティシュ・ライトとは上下の関係でなく、併行した二重の組織です。東京メソニック協会(財)はスコティシュ・ライトの組織です。日本グランド・ロッジは私的団体ですので、東京メソニック協会からビルを借り、家賃を払う形です。日本グランド・ロッジも慈善事業をしておりますが、厚生省の役人に似た二つの法人はいらないとされ、日本グランド・ロッジとフリーメーソンは私的団体とされたのです」(同)
〈メーソンになったらどんなメリットがあるのでしょうか?〉註2
「世俗の物質的な利益はありません。フリーメーソンはそれを考えない団体なのです。ロッジはいわばメジテーション(冥想)の場で、精神的な向上だけを目指します。ただ、あらゆる階級、国籍、人種が異なるとしてもメーソンは皆兄弟ですから、非常に暖かい団体だといえますね」(安藤一夫氏)
 取材中、「フリーメーソンの正体は何だろうか」との問いが頭を悩ませた。この問題を、イタリア、イランの事例をひき、尋ねてみると、
「イランは情報がなく判りません。イタリアの例でもフリーメーソン自体は陰謀結社とされていません」
 との答えだった。また、「メーソンの仲間にも個人的にはいろいろいるでしょう。なかにはCIA的な人間もいるでしょうが、フリーメーソンを陰謀結社として利用はできない。フリーメーソンの陰謀説はナチスやローマ・カトリック側からむかしはいろいろやられましたがみんな嘘ですよ。最近でも、M資金の関係とか、我々の本部は“表メーソン”で実は“裏メーソンがある”とかいう人もいます。以前も、“裏メーソン”から聞いてきたという二人連れがやってきて、奇怪な話をするので『そんなことはない』と否定すると、“裏メーソン”を名のる人から、その否定が合図なのだ、と説明されたそうです。結局、どう答えても信じてもらえなくて困ります。
 最近、日本にカリフォルニアに本部をもつ『バラ十字会』と名のるメーソンの類似団体が進出してきて、我々と友好関係があるかのように訪問してきましたが、オカルチックな団体で本物のフリーメーソンではありませんので断わりました。フリーメーソンを真似た類似団体はアメリカやヨーロッパには多く、間違われるので困ります」(述事務局長)
 という。「何のメリットがあるか?」とさらに問うと、「結果論として」の前提で、
「たとえば外人と一緒にゴルフをしており、偶然互いがメーソンとわかったときには、ガラリと態度が変り、親密になります。何となくメーソンらしいと察したときには、“合図”や“サイン”がありますからテストできます。メーソンの兄弟と知ったときの親密感は同郷の出身者などの感情をさらに強くした感じでしょうね。相互扶助の義務がありますから、そういうことでビジネスにプラスになることも結果的にあるでしょう。
 しかし、相互扶 助だけが目的でフリーメーソンに入会するのじゃあない。私も困ったメーソンの何人かに職を紹介しました。メーソンは個人主義的ですので、困った仲間のメーソンが自力でダメなら助けてやるという順序になります」(片桐三郎氏)
「日本人として初めてピューリッツアー賞を受けたカメラマンの沢田教一氏がメーソンでしたが、彼はいつもメーソンの指輪をしていましてベトナム戦でもそれを見た米軍人メーソンがヘリコプターに乗せてくれたりいろいろ助けてくれたし、メーソンの仲間が世界中にいることがありがたい、と言ってました。いいメーソンでしたが亡くなりましたけどね」(安藤一夫氏)
 という。

〈3〉 入会者の話

 フリーメーソンが「秘密結社ではない」註3の証拠として、私は日本グランド・ロッジの殿堂に案内され、儀式の会場見学を許された。カトリック教会の厳粛さとまた全然違うエキゾチックな雰囲気だ。
 三人のメーソンが議長の席、会員の着席順、位置他を説明してくれる。儀式のときは、入口に門番の衣裳で槍を持った男が、謎の問いを発し、正しく答えないと入室できない、という。許しをえて、メーソンのエプロン、帽子ほか衣裳を身につけてみる。何となくテレ臭いが何となく愉快でもある。それで、「勲章とかエプロンとかにテレる人はいませんか?」と聞く。「いません」と心外そうだった。
 儀式のときは、真中の台座上にそのメーソンが信仰する“聖書”を開き、右手をおきメーソンの誓いを口にし、ひざまずく。日本人ならこの“聖書”は仏典でもよいが、ふつうは旧約聖書(ユダヤ教)だ。というのは、メーソンの行事は独自のメーソン暦からなるユダヤ教から由来しているからである。儀式の用語は今では日本語でよいが、儀式の行事などはあくまで古来からのフリーメーソン様式を踏まえるという。
 会場の模様は四方に黒い幕がおろされ、外光から遮断されている。中央に祭壇。三隅に奇妙な形のランプ、スイッチを入れると赤紫色の神秘的な光を発する。席は正確に東西南北に配置されており、東側に祭司長の席。その上には木槌がある。机の前に垂らした幕には、海に昇る太陽とメーソンとは切り離せない直角定規の刺しゅうがしてある。
 祭壇をはさんで西側の祭司補席には、山あいに沈む太陽と水準器。椅子の背もたれには、フリーメーソンの象徴である直角定規とコンパスの組み合わせた飾り、述事務局長らメーソンの説明によると、この道具立てのひとつひとつに意味があるのだと説明をしてくれる。たとえば、祭司長席後方の垂れ幕にある「G」の文字はジオメトリー(幾何)のG、ゴッド(神)のG、というようにだ。さらに直角定規とコンパスを組み合わせたマークのある帽子、位階を示す模様のついたカラー、直角定規と神の「眼」が描かれた羊皮製エプロンからなるフリーメーソン独特の服装など、ムード的にいうといかにも秘密結社的である。
 日本グランド・ロッジの殿堂内を訪問した外部のジャーナリストは、「あなたが初めて」といわれる。これはジャーナリストが知らないの意ではない。朝日、毎日、ジャパンタイムズなどかなりのジャーナリストが日本人メーソンだからだ。
 フリーメーソンは独自の図書館を持っている。それを「フリーメーソン・ライブラリー」といい、全世界のフリーメーソン関係の書物がある。
「フリーメーソンだけの印刷される書を総合すると聖書の発行部数を軽く越えるといわれます」(安藤一夫氏)
 この図書館を利用できるのはメーソンの会員のみだが、私は特別に資料を見せてもらった。メーソンの機関紙には『マソニック新聞』があり、各国ロッジの活動などが記載されている。図書館の書物はほとんどが英文で、機関紙も英語と日本文の半々だ。
 全国の会員名簿はなく、「各ロッジがそれぞれ持っている」が本部のグランド・ロッジ内にある「名前・生年月日・入会年月日・ロッジナンバー・死亡・退会年月日」という断片的なカードを閲覧する許可を与えられた。このデーターから著名なメーソンを割り出し、入会の動機やフリーメーソンについて取材してみた。
 大日本製糖会長の藤山勝彦氏はいう。
「入会は十七年前。メーソンでした田中元彦(勝彦氏の実弟。NCRの元社長)に、国際的組織ですし、いろんな有名人が入っているからとすすめられました。昇進試験が難しくて私はいまだにメーソンの一番下です。メーソンは社会奉仕をやり、メンバーが兄弟的な団結をもつ立派な団体です。いわゆる社交的なクラブと違い、一つの使命をもって固く結ばれています。しかし、メンバーを拘束することはありません。
 国際的な奉仕活動をやっており、ベトナム難民救済とか身体障害者のいろんな問題を取りあげ慈善活動もします。ロータリー・クラブは職業を通じての社会奉仕だが、ロータリー・クラブなどとは違います。メーソンは日本人になかなか理解しにくい規定があり、ポピュラーになりづらい面があります。メーソンは古い歴史を持ち、兄弟の団結で困難に立ち向かい、理想を追求しています。
 世俗の面でも助け合いますが、この兄弟愛はふつうの友情以上に深いものでメーソン流の摂理を通して結ばれています。だから、手紙なんかでも必ず『ブラザー』をつけます。社会的にどんなに偉い人でもメーソンなら平等な兄弟です。戦後の加入者の多くは進駐軍の方でした。メンバーを公開しないので、何か大秘密結社のように思われていますが、そんなことはありません。私は一兵卒で、怠け者なので進級もしてないし、最近は忙しくて出席もしないが、メーソンはもっと一般に理解されてよい団体ですね」(勝彦氏の実兄が元外務大臣の藤山愛一郎氏であり、“藤山財閥”の一員である)
 また、TAC建築設計事務所の高橋真一郎氏は、次のように話す。
「およそ三年前(昭和五十一年)、日本のグランド・マスターの住宅を建築したのがきっかけで入会しました。その人は退役軍人でして横田基地の人で、私も米軍人の知り合いが多くいました。フリーメーソンは勧誘するものではなく、私に対しても軽い“どうだい”ぐらいの調子でした。私の入会推薦人は、同じくグランド・マスターだった山田精夫さんでした。
 入会動機はその退役軍人が仕事に関しても、また人格的にも立派な人で、信じられたからです。レオパー・ベッチオさんといいますが、すでにニューヨークで亡くなられました。本人の希望で横浜の墓地に眠っています。そこはメーソンの墓地で、墓までめんどうをみるのかと驚きましたね。
 入会する前の私の印象は、社交団体であり、いろんな職業の人が集まる団体の中で、互いに兄弟という程度のものでした。会員になる前、他の外人から横浜のメソニック・テンプルの設計を依頼されていましたが、設計前におよその知識を持つ必要があり、百科事典などで調べましたが、フリーメーソンは秘密結社の項にありました。ベッチオさんを信じて入会した のですが、秘密といわれるものがなかなかわからない。私が読んだフリーメーソンの案内書にも書いてないし、入会後一人前になってやっと解明しました。
 秘密といわれるものは、ひとつの権威づけなんです。しかし、それを明かしてしまうと何もなくなってしまうそういう祭祀で、それがすべてですね。私がグランド・マスターならそれを明かしても何ともない、と思うね。フリーメーソンの秘密とはそういうものです。
 今は月一回、東京友愛ロッジに出席します。平日で夕方七時から夜十時ぐらいまでです。このロッジでは日本語でミーティングをやっています。フリーメーソンは長い歴史がある。次にメンバー間に深い信頼関係があります。名士、大学教授、経済界の人、政治家と各層のトップが割と多いよ。話してみてもふつうの会話でなく、フリーメーソンの用語や教義を話します。この内容はいえませんが、たとえば悪いことはしてはいけないとかの道徳とか宗教の規律などです。
 これが秘密といっても、子どもがガラクタを集めて“いっちゃいけないよ”という他愛もないことかも知れません。しかし、それを守ることが人と人とのつながりを深めるのではないでしょうか。メーソンの人は指輪、ネクタイピンとかメーソン独自のものを身につけています。米軍では陸、海、空軍にいろんなメーソンがいて、こちらがメーソンだとわかると初対面でも急に親密な連帯感を示してくれます」
 高橋真一郎氏は、米陸軍技術本部日本司令部特殊顧問をへてDMJM設計事務所勤務、TAC建築設計事務所長。韓国大使館、韓国国連ビル、インドネシア、サウジアラビア、アブダビ石油プラントなどを設計しているキャリアの持ち主だ。
 私は数十人の現存する日本人メーソンに連絡、取材を申し込んだが、多くの人々が、「入会しているが、話せない」(保険会社代表取締役、匿名希望)とか、「名を伏せてほしい。現在の日本では、誤解を与える可能性があるので困る」(元経済企画庁、アジア経済研究所理事)とか“逃げ腰”であった。メーソン歴が長い前出の安藤一夫氏は、
「それがメーソンの知恵なのです。ハイソサエティのエリートで占められている英国でさえ、チャーチル首相がメーソンであったと発表されたのは死後でした」
 という。もちろん、現存する日本人メーソンの人々も誤解を恐れず取材に応じてくれた。それらは追って記していきたい。現在、日本グランド・ロッジに所属するメーソンは四千人で日本人は二百五十人と少数である。「外人メーソンの多くはアメリカの軍人であとは在日実業家、ほかはヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、韓国、台湾と世界中の人がいます」(述事務局長)。日本人メーソンはそれこそ職業の全分野にわたっているが、在日米軍の軍属二世が比較的多いのが特徴だろう。

〈4〉 日本の著名メーソン

 フリーメーソンの“カード”から、すでに故人となった著名な日本人メーソンを拾ってみよう。
 ▽鳩山一郎。一九五一年三月二十九日入会。No.2(ロッジ番号、以下同じである)、元首相、昭和二十九年、青年運動の「友愛同志会」(現薫子夫人会長。クーデンホーフ・カーレルギー伯が名誉会長)を結成。「友愛同志会はフリーメーソンの精神を基礎にしている」が鳩山氏の口グセだったという。ちなみに、“パン・ヨーロッパ主義者”でEC創設者の一人、カーレルギー伯はオーストリアのメーソンといわれている。
 ▽浅野良三。一九五一年九月二十日入会、No.2。浅野財閥の当主。戦後、経団連結成に参加、小林中などと“新番町会”を結成、池田内閣などとつながった財界人として知られる。
 ▽加納久朗。一九五〇年四月三日入会、No.2。吉田元首相の親族として財界側のスポンサー、「不明の外資を導入する男」(『真相』)といわれた。子爵、元横浜正金銀行重役などの戦後財界人。
 ▽河合弥八。入会、ロッジ番号不明。元参議院議長、鳩山自由党に参加した保守政治家として有名。
 ▽弘世源太郎。一九六一年四月十日入会、No.1。元日本生命常務、父・現氏が同社社長、妹の正子さんは旧皇族の久邇宮朝融王氏の子息、邦昭氏と結婚。財界の“名門”といえよう。
 ▽小松隆。一九五〇年八月八日入会、No.2。元日本鋼管重役、吉田茂日米協会会長時の副会長、後に同会長。ロータリー・クラブの評議員、会長でもある。
 ▽田中元彦。不明、No.11。前出の藤山愛一郎氏の実弟、日本NCRの顧問、菱和航空サービス(株)会長、日本アドレソグラフ・マルティングラフ(株)取締役。プリンストン大卒の知米派だった。
 ▽村山有。一九五〇年九月八日入会、No.11。元朝日新聞記者、ジャパンタイムズ編集長、幣原首相のGHQとのパイプ役といわれた。戦争中は陸軍中野学校と組み、対米謀略放送に従事、戦後、ボーイスカウトの再建に活躍、アメリカ生まれの二世。
 ▽村田五郎。一九五〇年九月八日入会、No.2。ジャパンタイムズ重役、元群馬県知事、元内閣情報局次長、日本会会長。
 ▽松本滝蔵。一九五〇年九月八日入会、No.2。広島県出身の代議士。マッカーサー元帥後援の日米親善野球の日本側委員長。
 ▽佐藤尚武。一九五〇年一月五日入会、No.2。終戦時の駐ソ大使、戦後代議士。元衆院議長、元外相で、外交界の長老であった。神社本庁の総代会会長に就任、国家神道の再建に貢献した。
 ▽野田俊作。一九五〇年三月二十八日入会、No.2。政友会の父、卯太郎の地盤を継ぎ、代議士。松野鶴平代議士と義兄弟の間。
 ▽山下太郎。一九五〇年四月三日入会、No.2。俗に“満州太郎”“アラビア太郎”との異名を持つ財界人、山下汽船の社長。
 ▽下条康麿。一九五〇年三月三日入会、No.2。元文部大臣。子息が下条進一郎現代議士である。
 ▽植竹悦二郎。一九五〇年一月五日入会、No.2。長野県出身の代議士、戦前の内務大臣、戦後憲法をGHQと会談、作成に協力した。吉田、鳩山政権に参加、リベラリストだったが反共主義者としても有名。
 ▽山岡萬之助。不明、No.11。元貴族院議員、日本大学の“中興の祖”といわれる名総長だった。戦後、GHQにより公職追放。
 ▽高橋龍太郎。一九五〇年一月五日入会、No.2。元商工大臣、元通産大臣。元東京商工会議所会頭、ビール会社の社長として財界人。
 ▽梁瀬長太郎。一九五〇年四月十九日入会、No.2。ヤナセ自動車の元社長、同社は日本初の自動車ディーラー、ヤナセ商会が前身で、世界の高級外車を輸入販売して有名。ちなみに、鹿島守之助(鹿島組会長)と親族。「守之助氏はフリーメーソンに十分な理解があり、『鹿島平和研究所』を創設、“パン・アジア”運動や世界連邦運動で有名です。カーレルギー伯やハンフリー副大統領(メーソン)、鳩山薫子ほかに創設した鹿島平和賞を贈呈しています。日本のフリーメーソンに入会を頼んだが、なぜか入られませんでした」(日本のグランド・マスターの話)という。
 ▽三 島通陽。不明。旧伯爵、戦後代議士。戦前、戦後ボーイスカウト運動に活躍、日本ボーイスカウト連盟総長。
 このほか▽岡本礼一(一九五〇年入会、No.2。ボーイスカウト運動の役員)▽青木義久(一九五九年五月二十日入会、No.11。元満映、記録映画など学術物の映画プロデューサー)▽星島二郎(不明。元商工相、サンフランシスコ講和会議全権委員、鳩山自由党に参加、元衆院議長として自民党の長老)などがいる。これらの人々をみると戦後社会でそれぞれに重要な働きをしている。戦後の占領時代の混乱のなかで、日本のフリーメーソンが根づき定着していくころが最も華やかなフリーメーソンの歴史であろう。
 日本グランド・ロッジ創設(昭和三十三年)に至る初期の日本人メンバーに村山有氏(前出)という人物がいた。『終戦のころ・思い出の人々』(時事通信社刊)の著作があり、そのなかに「フリーメーソンと日本」という章があって興味深い事実が載っている。
 戦後、村山氏と三島通陽氏らはボーイスカウトの再建に動いていたが、GHQではマッカーサー元帥はじめ高官の多くがメーソンと聞き、「今後は真にデモクラシーの兄弟愛で行こう」とフリーメーソン参加の仲間を集めた。賛同したのが、佐藤尚武氏、星島二郎氏、植竹悦二郎氏、高橋龍太郎氏、松本滝蔵氏らでマッカーサー元帥あてに手紙を出した。その結果、OKが出たが日本人の入会宣誓をどんな方法でやるか問題になった。結局、アメリカ軍将官を前に演説、「要するに、富士山に登るのに道はたくさんあろうが頂上は一つであると同様に、神は一なりの精神を論じ」「聖書をもって日本の各宗派の聖典または教典に代えて宣誓する案」に決した。この案をマッカーサー元帥に提出、アメリカ本部の承認を得た。村山氏は「日本人にフリーメーソンの門戸を解放することの意義は、日本人の人種差別待遇を取り除いて兄弟愛の結合を深めることだった」という。入会式の模様はこうだった。
「一九五〇年一月五日に佐藤尚武、植竹悦二郎、三島通陽、高橋龍太郎、芝金平(後述)の諸氏に筆者も加わって、荘重なフリーメーソンの入会式が行なわれた。GHQのウォーカー少将ほか多数の人が参列してわれわれを祝福してくれた。越えて四月六日には芝金平氏と筆者に、日本で最初のマスターメーソンになる栄誉が与えられ、その儀式は占領軍各国の高官など四百名以上が参列して盛大に行なわれ、マッカーサー元帥はとくに最高副官ハフ大佐を代理として出席させたほか、フィリピンからグランド・ロッジ代表ら二十余名も来日して参加した」(同)
 四月八日、参議院議員官舎でフリーメーソンのフィリピン代表の歓迎会が開かれ、日本の政財界の名士も多数集まったが、席上、フィリピン代表の一人で後に国連大使や中南米、アフリカの大使として活躍し、教育家としても有名だったマウロ・バラディ氏が大演説した。
「フィリピン人は、果たして日本人をメーソンの兄弟として手を握れるかどうか、私は泣きながら神に祈った。フィリピン代表が日本にくるまでの決意は、悲痛なものであった。今日ここにいる二十人の代表のほとんどが、自分の目の前で、その親兄弟を日本軍のために殺され、家屋を焼かれた悲惨な経験の持ち主である。フィリピン人はみんな日本人を呪っており、憎んでいる。しかし、我々は子孫にこの憎悪を永久に伝えてはならないと要請され、メーソンの博愛精神にしたがって日本人をメーソンに迎え入れよと決意を促されて、我々は親子、夫婦相抱いて泣いたのであった。
 日本人を兄弟として握手しようと決心し、過去の罪を許してメーソンとして迎える決意をした。しかし、日本人は我々のこの厳粛な気持をわかってくれるか。“汝の敵を愛せよ”と教えているその精神を実行して生きるために、我々は日本にきたのである。この貴い決意こそ我々は子孫に知らせ、そして人類のために最高の友愛の表現として喜んでくれるものと信じている。日本人の責任は大きい──諸君こそが世界の偉大なる期待をもって迎えているパイオニアだ。フィリピン人はひとしくフリーメーソンが日本で伸び、そして我々と兄弟として握手できる人が多くなることを心から願っている」
 バラディ氏に対し、日本側から星島二郎氏が、「我々日本人は戦争責任を痛感している。今後は世界平和のために貢献することをみんな望んでいる。日本国民の名において、フィリピンにおける行為について謝罪決議を行なうことを望んでいる」とのべた。そして、星島氏は国会に謝罪決議案を提出、満場一致をもって可決され、それが直ちにフィリピン政府に打電された。これがフリーメーソンの日本でのひとつの働きである。

〈5〉 フリーメーソンの宮中工作

 村山氏の本からもう少し続ける。
 鳩山一郎氏は公職追放中だったが、マッカーサー元帥の肝入りでフリーメーソンの門戸が開いたと聞き、村山氏を訪ねて入会を希望、「フリーメーソンの精神を日本人にも大いに理解させなくてはいかん」と大変に力を入れた。やがて公職追放がとけ、総理大臣になるとメーソンの第三位階に昇進、水交社で二百人近いメーソン兄弟の祝福を受けた。そのとき鳩山氏は次のようにあいさつした。
「戦後日本において幾多の社会的変化がありました。そのなかでフリーメーソンの門戸が開かれたことは最も大きな出来事であります。私は世界幾多の指導者や元首が対等の資格で会員であるフリーメーソンの一員として、日本グランド・ロッジの年会に出席する機会を光栄に思います。
 フリーメーソンが民主主義精神の根本を教え、アメリカの独立をはじめとして自由と平和のために闘ってきた数多くの先覚者は、みなメーソンでした。この友愛精神が新しく日本をもつなぐ大きな力となったことを考えましても、この精神を讃えずにはいられません。マッカーサー元帥は私ども日本人にこの友愛結社の門戸を開き、また占領軍の多くのメーソンは実際に兄弟愛の何物であるかを実践してくれました。
 占領初期から今日に至るまでのマッカーサー、リッジウェイ、クラーク、ハル、レムニッツアならびにアリソン大使は、いずれもメーソンであります。日本にこの会が結成されて数年を経ていますが、この間に日本語のみの関東ロッジが認められたことを喜ぶものです。四千年の歴史を有するフリーメーソンが日本で実を結んで、今日に至ったことを誇りに思います」(昭和三十一年六月五日)
 村山氏があげている初期の日本人メーソン(前出の他)では、浅地庄太郎(日本ビルサービス株式会社社長)、二宮順(朝日新聞記者、ボーイスカウト運動)、李垠(旧皇族の李王)、東ヶ崎潔(一九五〇年入会、No.2。ジャパンタイムズ社長、ボーイスカウト運動に活躍、ロータリー・クラブ国際会長。一九六〇年日本のグランドマスター)、植田優、吉井寿雄(貴族院議員吉井勇の息子、松本滝蔵の親族)、武田修、島内敏郎(外交官、サンフランシスコ講和会議の委員)、長田政次郎、北川正恵、小田春海、犬丸徹三(元帝国ホテル社長)、堀内貞一 (神奈川菱油取締役、新日本産業設立、社長。一九五九年日本のグランドマスター)、山本勝夫、増山吉成がいる。
 村山氏ものべているように日本のフリーメーソンは、マッカーサー元帥はじめ占領軍高官とアメリカの戦後政策(新日本建設)が合致して強力に推進させられたと考えられる。“フリーメーソン・ライブラリー”所蔵の『日本のフリーメーソン百年史』(日本グランド・ロッジ編)のなかでもそのあたりの“政治の裏面”が記録されている。以下、同書にそって追ってみたい。
「フリーメーソンに対する嫌悪感を生ませた軍国主義者のやり方を私はアメリカのメーソンに説明した。アメリカのメーソンの人々は、日本の若い世代の心にヒューマニティとデモクラシーの精神による日本の再建策として非常に重要な戦後計画であるスカウトを支え、援助することを日本の指導者と政府の役人に約束した。私はフリーメーソンの真実の姿を、日本の皇族とトップ・リーダーに紹介するために働きかけた。
 そして東久邇宮(天皇の叔父、戦後の首相)が兄弟、友愛の真実を学ぶためにフリーメーソンの“忠実な奉仕者”になることを表明した。彼は少数の日本人希望者と共に、加入申請書を出し、最初の日本人となった。プリンス・李垠(夫人は皇后のイトコ)も私どもと共にメーソンとして歩んでいる。このことが佐藤尚武、高橋龍太郎、鳩山一郎、河合弥八、三島通陽ら日本人リーダーを含む人々の入会を納得させるのに役立ったのである」(同、一九五五年、ワーナー・P・シュトリング氏記述、日本のメーソン指導者)
 マッカーサー元帥は、フィリピン管轄下の日本のフリーメーソン組織をフィリピン側の反対を押し切る形で独立させる働きをした。 「日本人にまかせるようにしなければいけない」と考え、そのため日本人フリーメーソンを「これこそ一晩で上級位階にする処置を取った」(芝金平氏。後述)。日本のフリーメーソンを発展させるため、マッカーサー元帥はまず皇族を入会させ、次に日本の指導層を獲得、最後に天皇を会員とする腹であった。
 戦前からアメリカのメーソンで日本通の人々は、「アメリカ人に対し、天皇を理解せよ」と説いたが、今度は天皇の方からフリーメーソンに対して「大いに興味を持たれた」という。天皇の耳にフリーメーソンを吹き込み、すすめたのは次の人々である。
「日本のエンペラーに接近するため皇族の東久邇宮、李垠、宮中の伯爵と男爵、政府のトップに接近した。一九四九年ごろである。この工作を小松隆、三島通陽が二年前から行なっていた。工作の中心はマッカーサー元帥が中心で、アメリカ側にも働きかけていた。天皇への工作は、反共政策とフリーメーソンの普及を同レベルで位置づけるためである。メーソンでは、リビイスト他がこれに当たっている」(同)
 宮中の伯爵と男爵とは、村山氏によれば英国のフリーメーソンであった松平恒雄氏(宮内大臣、衆院議長、伯爵、元駐英大使)と幣原喜重郎(元首相、男爵、元駐英大使)の二人であった。松平恒雄氏は一九五〇年四月、マスターメーソンの最高階級のミーティングに出席、
「私はよくメーソンを知っている。人類愛、同胞愛があり、それを尊重している。破壊からこの世界を救うのは、フリーメーソンのみであると信じています。マスターメーソンの崇高な会議に出席できたことを喜びます。マッカーサー元帥がとくに日本のフリーメーソンに好意を寄せ、門戸を開いた。日本の社会革命は疑いのないところです。そして日本に自由と平等と兄弟愛が訪れるわけで、すばらしいことです」(同)
 と熱烈な言葉を贈っている。幣原喜重郎氏も列席者として、
「私はロンドンで日本大使の林董(メーソン)から聞き、ひきつけられました。私は加入することを望んだが入会する前に任地を離れ、残念でした。日本ではフリーメーソンは、破壊活動をする団体とみられていましたので、日本人は加入を禁じられていましたが、マッカーサー元帥が日本人にメーソンを開き、ありがたく思ってます」(同)
 と語っている。
 フリーメーソンとは、「宗教を基礎にしたいろんな有神論者が集まる団体」(北村安忠氏。一九八〇年グランド・マスター)である。だから、大局的にみれば全世界の多様なフリーメーソンは有機的な“世界反共同盟”ともいえるのだ。この意味を正直に語っているのが一九五五年の同書の次のような記述であろう。
「五月二十五日、鳩山一郎、河合弥八の二階級の昇進が行なわれた。河合は東京テンプルで午前八時、特別グランド・ロッジが作られ、私どもの代表団により組織された、選ばれた比国代表のグループと地区グランド・ロッジの四人の主だった役員、東京ロッジ、関東ロッジの主だった役員、そしてブラザー・ハル将軍、ブラザー・マックノートン将軍、ルースト将軍が特別ゲストとして出席。もう一方では、臨時に作られた祭壇がおかれている鳩山邸で午前九時から厳粛な儀式が始まった。
 午後四時、ブラザー・河合と鳩山は日本のすべてのメーソンとその婦人と共に東京テンプルでのティー・パーティーに招待され、祝福された。特にマッカーサー元帥、ハリー・S・トルーマン前大統領のような著名なメーソンからの祝辞が披露された。ブラザー・鳩山はメーソンの兄弟愛に深く感動し、これからのどんな活動もフリーメーソンの教えに導かれるであろうと私たちに語った。ブラザー・河合も、同じく世界の平和を得ることが、唯一の人類の願いという私たちの友愛精神の崇高な意志を高く評価すると表明した。
 五月二十八日、午前九時、私どもの代表団は司令部でブラザー・ハル将軍に迎えられた。そして、極東における共産主義の潮をくいとめることが、フリーメーソンの重要点であるとの見方を交した」(同)

〈6〉 グランド・ロッジの創設

『日本のフリーメーソン百年史』にそって日本のグランド・ロッジ創設(一九五八年)までのいきさつをみたい。
 戦後、日本にフリーメーソンを進出させたのは極東地域で唯一のグランド・ロッジを持っていたフィリピン(マニラ本部)のメーソンだった。フィリピンのフリーメーソンは中国の同胞を援助すると同時に、戦後すぐに日本にロッジを結成した。一九四七年九月二十三日、横須賀海軍マソニックロッジを設立、同年十月十六日、ファーイーストロッジ(横浜)を、一九五〇年四月五日には東京アメリカン・マソニックロッジ、スクウェアー・コンパスロッジ、同年同月、九州ロッジ、同年十二月、トリイ・マソニックロッジ(名古屋)、一九五一年二月二十七日、京都ロッジ、同年十月十七日、東京グランド・ハイツロッジと開設していき、独立に至るまで十六のロッジを全国に拡大した。
 フィリピンのグランド・ロッジは当時、
「地球のこの片隅には我々の組合(メーソン)の理想を吸い込むことの必要な人間が五千万人以上も住んでいる。合州国には四十一のグランド・ロッジがあるが、日本では我々のグランド・ロッジだけである。八千人のマスターメーソンたちが五千万人以上の住民の中で普及に努力しなければな らない。我々メーソンの活動がいかに困難で苦しいものかわかるだろう」(同)
 と語っている。日本にフリーメーソンを進出させたのは、米軍人が主であり、それを助けたのはマッカーサー元帥はじめ占領軍の高官メーソンだった。一九四九年の後半から日本国民にメーソンを開くことがグランド・ロッジ(比国)で問題になり、それは個々のロッジの自由と決められた。一九五一年四月二十七日、グランド・ロッジから代表団が日本を初訪問したが、すでに日本では政府高官、実業界の大物たちが多数参加していた。グランド・ロッジは、日本人の多くなることを「我々の組合が強くなるし、将来の核になる」と歓迎した。当時、メーソンの間で討議されたことは、「短い期間でフリーメーソンの教義が日本人に吸収できるか」だったが、「日本に民主的な生き方が導入されたので、メーソンも握手し、日本を民主主義の側におかなくてはならず、そのためにメーソンは決定的な役割を果たさなければならない。メーソンの教えによって共産主義の侵略を阻止する助けとなる」(同)ということである。
 マッカーサー元帥(フィリピン系のロッジに属する)は、「日本はフィリピンを武力で征服したが、今度はフィリピンがメーソンの教えで日本を征服するのだ。それは日本人のイデオロギーを改めるだろう」と提案した。フリーメーソンの日本での発展は、「我々が占領していることに関係する民主化目標にとって根本である」とされた。
 一九五七年、十五のフィリピン系ロッジが全会一致で日本グランド・ロッジの創設を決議した。東久邇宮は、「フリーメーソンの活動が日本の民主化と社会の道徳意識の向上を目ざすため促進せねばならない」と会議で演説した。日本グランド・ロッジの独立は、フィリピン側からの「時期尚早」とか「指導者はクリスチャンでなくてはならない」とかの反対があったが、アメリカのサウスカロライナ・グランド・ロッジ(メーソンの世界では最高の伝統を持つ)からの援助もあり、独立の方向で全世界のフリーメーソンのグランド・ロッジに承認を求めた。一九五七年当時、承認の方向で動いてくれたグランド・ロッジは、サウスカロライナ、ベネズエラ、イタリア、ミズリー、ジョージア、アラバマ、アーカンサス、ルイジアナ、カリフォルニアなどだった。
 承認の旅では、カリフォルニア・グランド・ロッジの外交委員会議長、アーサー・M・ウォーレン(カリフォルニア銀行副頭取)が、「我々にとって大切な点は、米国駐留軍が去った後でも、十分な数のメーソンがいるか、日本の同胞を育てられるか」と聞き、英国(イングランド)グランド・ロッジは、「承認の数より質である」とアドバイスされた。一九五八年の独立までに、アメリカの二十九のグランド・ロッジ、ヨーロッパの六、南アフリカ三、メキシコ五、オーストラリア一が承認してくれ、日本グランド・ロッジ創設の正当性が国際的なフリーメーソンの間で認められたのだ。当時マッカーサー元帥は、アメリカのサウスカロライナのグランド・マスターだったが、ニューヨークのグランド・ロッジに対して次のような手紙を出している。
「先頃、結成された日本グランド・ロッジが、他に先んじてサウスカロライナ古式フリーメーソン・グランド・ロッジによって承認されんことを私はためらいなくすすめます。日本に滞在中、私はフィリピン・グランド・ロッジの管轄下のフリーメーソンの発展を促すため、いろいろな措置をとりました。急速に発展し、やがて会員の中に日本の優秀な指導者たちを加えることになりました。彼らは非常に献身的であると私には思われました。日本での活動がそのメンバーたちによって彼ら自身のグランド・ロッジを求めるまでになったことは健全かつ当然なことであり、私の意見を申しあげれば、合州国のメーソン組織によって心から支援されるべきであると思います。この件につき、私の助言をのべる機会を与えて下さったことを感謝すると共に、あなたとあなたの同胞たちに兄弟としての祝辞を送ります。一九五七年七月十九日。ニューヨークのロッジ一三〇三のテンプル殿。敬具」
 一九五八年の創設大会で、日本人メーソンの指導者、小松隆氏は演説している。
「混乱と無秩序の状況の中で、フリーメーソンの教義は、人間社会の礎として理想と同胞愛を促進する根本的な解決法を提示しています。フリーメーソンの教義をあらゆる個人の心の中に浸透させることが、このような危機の時代に必要です。フリーメーソンが日本に開かれた今、日本人の心の中に根づくことが重要だ」(同)
 同書はグランド・マスターの年次報告の形をとっており、第一章「第二次大戦前の日本のフリーメーソン」、第二章「フィリピン・グランド・ロッジ管轄下のフリーメーソン」、第三章「日本グランド・ロッジの創設」、第四章「付属団体」に分かれている。フリーメーソン内部のロッジの活動、名誉者ほか専門的な用語と内容が多く一般向けでないので大部分を省略する。メーソンの会議などで常に出てくるのは、「自由や平和、民主主義」運動体としてのフリーメーソンで、「永久の平和は我々の教えが実行されるなら解決される」とか「我々は世界で最も偉大な団体のメンバーである」とか自画自賛的な言葉である。しかし、その具体的な行動となると、
「我々はフリーメーソンの教義を日常生活で実践する。一人一人が行動的なメーソンとなり、メーソンの教えを言行一致させる。具体的には@すべてのメーソンが兄弟としての連帯を図るためロッジ集会に出席する重要性を自覚するA十分練られたプログラムを通じて、メーソンの歴史、組織、活動をよく知るBすべてのメーソンはロッジ内外で、あらゆる人間関係を通じ、兄弟愛、救済、真実を伝える。こうしてメーソンの教義を広く世界に普及する」(同、小松隆氏の演説)
 ぐらいで、外部への働きかけは弱い印象がある。外部への活動としてわずかにボーイスカウト運動がメーソンと密接な関係があることがわかるぐらいだ。
「フリーメーソンはボーイスカウト運動と共に日本へやってきた。この運動は若者を訓練し、将来の市民を作ることが目的であるが、これはメーソン主義でもある。戦後、すぐ我々は一九四五年十二月、日本のボーイスカウト運動を再開することにつとめ、翌年マッカーサー元帥に許可を申請した。一九四七年、彼の許可を受け、日本のボーイスカウト活動を展開した。このころ多くのアメリカ人メーソンと知り合ったが、彼らの多くはアメリカの元スカウトであった。彼らはこの運動を支援すると同時に、人間性と友愛のメーソンの教えを我々に伝えた。メーソンたちは日本の指導者、高官たちにスカウト運動の支持を伝えてくれた」(同)
 日本人メーソンとしてこのボーイスカウト運動に活躍したのは、三島通陽氏、村山有氏、岡本礼一氏、東ヶ崎潔氏、二宮順氏などである。前出の村山氏の本では、戦後すぐ三島通陽氏らとボーイスカウトの再建のため、GHQに働きかけたところ、「予想以上の強い関心を示した」と書いている。GHQの高官メーソンたちの間ですでに「戦後の重要計画」としてボーイスカウトが決められていたからであろう。
 一九四七年、三島通陽氏 が参議院議員に当選、ボーイスカウト日本連盟総長となり、皇太子殿下を迎え、戦後初のラリー、キャンプ・ファイヤーが明治神宮外苑で催された。一九四九年、GHQの正式認可で財団法人・ボーイスカウト日本連盟が誕生、第一回通常総会でマッカーサー元帥を名誉総長に推挙、天皇・皇后の臨席で戦後初の全日本ボーイスカウト大会を皇居前広場で催し、郵政省から大会記念切手を発行した。このようにボーイスカウト運動は着々と進み、フリーメーソンとの協調も多かった。(フィリピンの例など人脈が大体メーソンである。)
 初期の日本人メーソンの参加者に対して奇怪な事実がある。それは、
「FBIならびにCIC(陸軍防諜部)のエージェントたちは次のことを確認するため我々を審査・再審査した。日本人のメーソン入会希望者が世界の同胞の多くと手を結ぶためにフリーメーソンの高尚な教義と理想に従って行動できる者たちであることを確認するためである」(同)
 との記述だ。フリーメーソンは当時、宗教法人だったが、FBIやCICのアメリカ政府機関の関与はなぜだろうか。ただ、占領時代、ボーイスカウトなど青少年団体はCIE(民間情報局。教育、宗教、マスコミの三部門を担当)やCIC(各分野からの超国家主義者の追放と活動の監視に当たったが、後に反共諜報活動をなした)の指導を受けていたので、そのせいかも知れない。

〈7〉 失敗した天皇入社

 日本人のフリーメーソン創設期の事情を知る一人に芝金平氏(朝日イブニングニュース社相談役)がいる。
「私とか村山有さんなんかが始めたとき、日本人はほんの五、六人でした。フリーメーソンということではなく、日米親善の組織として集めました。当時、水交社にアメリカのメーソンがたむろしており、中心人物はマイク・リビイスト氏たちだった。彼らから日本人のメーソンを作らないかと話があり、村山有さんがGHQにかけあいに行き“宗教団体としてならよろしい”となりました。
 それで私らが日本のメーソンの発起人になり、東久邇宮さんとか主だった人々を集めたのです。私たち初期メンバーは一位階のメーソンでしたが、一晩で昇進させられました。英語で儀式用語を暗記するんですよ。今は日本語でいいが当時はあくまで英語でした。それから水交社を払い下げてもらったが、これは正確にいうと“盗んだ”みたいなもので後に水交社側と示談になりました。マイク・リビイストたちが仕組んだことです。そういうやり方が私はおかしいと思ってトルーマン大統領がメーソンだというので直訴したんだ。すると日本のメーソンはフィリピンの管轄下だからそちらへ言えと返信がきた。そしてフィリピンから調べにきたが、結局ウヤムヤになってしまった。
 日本人のメーソンといったってコントロールしていたのは一部の外人でした。イタリア人のリビイストとかが水交社ビルを使って金儲けをしており、“話が違うじゃないか”と私はやめました。当時、日米親善といえばみんな乗ってきましたし、東久邇さんや鳩山さんにしろ他の政治家の多くもうまいことがあると思って集まったのですよ」
 フリーメーソンの高尚な教義にもかかわらず、日本人メーソンも外国メーソンの指導者たちもかなりいかがわしい行状があったようである。フリーメーソンを日本で定着させ、拡大させるには天皇の入会がキー・ポイントであった。前出の宮中工作と同時期、日本人メーソンの笠井重治氏のもとにもマッカーサー元帥からの次のような要請があった。
「マッカーサーから手紙がきて“メーソンのアジアというものを作りたい”といわれた。私は“いいと思う。日本ではメーソンは誤解されているが、世界との友情に必要だ”と答えた。するとマッカーサーが、“重要な会合なので天皇を加えたい”という。私は“それは無理だが皇族なら何とか”と答え、当時総理大臣だった東久邇宮を訪ねた。
 マッカーサーがフリーメーソンに天皇や皇族を加入させたいという意図は、日本の支配者だからというものでした。私が当時無理だといったのは、フリーメーソンへの悪いイメージがあったからで、今ならおかしくないし、反対もしません。東久邇さんのもとへはリビイストを連れていって話をしました。東久邇さんが入会してから二、三年後、佐藤尚武、植竹悦二郎他が入会したが、みんな私が説得したんですよ。もう一方では芝金平さんが日本人メーソンを集めていました。ちょうどそのころ、アメリカの将校たちが旧海軍の水交社にいたので、私が日本政府に交渉して日本グランド・ロッジにしたのです」(笠井重治氏の話)
 笠井重治氏は山梨県出身の代議士で、一九五〇年一月七日入会、No.2ロッジに属した。国際産業(株)社長、日米文化振興会会長、フィリピン協会理事などをしている。戦前、シカゴ大政治学科、ハーバード大学院を卒業、親米派の人物だ。『マッカーサーの二千日』(袖井林二郎)によれば、笠井氏は戦後すぐGIIのウィロビー部長への有力な情報提供者であり、占領政策の「友好的日本人」と評価されていて、マッカーサー元帥とも知人であった。また、マッカーサーの記念館を作ろうとの運動を起した人物でもある。笠井氏の話では、
「メーソンの資格はこれといってないが、戦前の日本人でメーソンになれる人は少なかった。アメリカでは銀行の頭取とか社会的有力者ばかりが入会していました。私がマッカーサーと話して日本のメーソンを独立させたのです」
 ということである。芝金平氏、笠井重治氏の談話にも二度名前が出てくるマイク・リビイスト氏とは前出の天皇入会の宮中工作を担当していたメーソンの大物だ。一九四九年にアメリカからフリーメーソンの視察官として来日、マッカーサー元帥の腹心の軍人(大尉)であった。天皇工作がなぜ実現しなかったかについて、次のような推測がある。
「天皇とフリーメーソンを接近させたくない勢力があってマイク・リビイストの行状を洗って警察にたれ込み、事件を作った。推測ですが、私は当時、天皇の入信工作をしていたバチカンとCIAが臭いと思う。フリーメーソンに詳しい人は反フリーメーソンとしてバチカンをあげます。マッカーサー元帥もプロテスタントですし、プロテスタントは親メーソンです。また“犯人”は日本の右翼勢力かも知れません」(当時の新聞記者)
 この事件とは『読売新聞』昭和二十九年九月十五日付の記事である。リビイスト氏がキャノン少佐帰米後の莫大な日本での“隠匿私財”の管理人、シヤタッタ軍曹を可愛がり、フリーメーソンの三十二位階にしたが、警察はリビイスト氏とシヤタッタ軍曹の関係を洗っているとの内容だ。その後、リビイスト氏はメーソン内部でも問題になり、沖縄に“追放”されたという。
 天皇の入会工作が成功していたら、
「日本のフリーメーソンは創立当初と余り変わらない勢力ですが、天皇が入っていればみるみる大きな力を持ったでしょうね。政財界人などがこぞって入会したでしょうから」(矢野文雄氏。翻訳家、メーソン)
 といまだ残念な口ぶりである。
 天皇への入会工作は戦後占領期の混乱のなかで の一時的なことだったのであろうか。この問題は同時期のキリスト教の布教を喜んだマッカーサー元帥の政策と似ているかも知れない。東久邇宮の終戦内閣でキリスト者の賀川豊彦氏が閣僚に入り、総理大臣を待望されたり、翌四七年の片山哲内閣誕生で、マッカーサー元帥が、
「歴史上はじめて日本がキリスト教徒によって指導されることになったのは特別に重要だ。キリスト教は圧政を求めるイデオロギーに対する無敵の精神的砦である」
 と歓迎声明。マッカーサー元帥にとってキリスト教とフリーメーソンはともに、日本人のイデオロギーを変える自由と民主主義の文明だったからである。

〈8〉 日本メーソンの敗北

『人間と世界の改造者(楽園を創るフリーメーソン物語)』(仙石太郎)という本によると、ユダヤ・フリーメーソンがニューヨークで戦前からすでに“日本解放会議”をもち、「専門職のメーソンを三百名くらい集め、日本の解放指導者に教育して解放軍に編入する」ことを決定。これはルーズベルト大統領(オランダ系メーソン)と直結するものだったという。
 いわゆるニューディール派のユダヤ人は、戦後日本の解放政策を採用したGHQ内の軍人で、フリーメーソンだった。フリーメーソンにとって解放後の日本が未来の「人間と世界の縮図、理想」と考えられたからだとのべられている。同書によると、
「ニューヨークで一九四三年に選び出された日本人の解放指導者には、首席候補が幣原喜重郎以下十数名、進歩系の片山哲以下十数名、そして吉田茂がロンドン駐在中にスコッチ・メーソンになったから特別に育成すると決まった。そして、解放要務員のメーソンが三百名軍籍に入れられ軍政顧問として新日本建設の各分野に配属された。
 一九四九年に復活した東京ロッジがスコッチライト・テンプルとして日本人だけのメーソンを形成、サンフランシスコの講和会議に活躍した」
 という。天皇の人間宣言からGHQの諸政策もフリーメーソンの政策という驚くべき内容だが、もちろん真偽は判らない。この話を日本のメーソンに聞くと、「そんなこと判りません。聞いたこともないから、おそらく嘘でしょう。フリーメーソンは政治とは無関係ですからね」と否定する。たぶん、そうだろう。政治評論家の戸川猪佐武氏にフリーメーソンについて聞いても、「戦後政治をフリーメーソンが動かしたなんて聞いたこともありませんよ」というからである。
 戦後政治の中で、日本のフリーメーソンが大きな役割を果たすには余りに人数も少なく、規模も小さい。しかし、天皇入社を成功させ、支配者層の獲得をしていれば、話も違ってきたかも知れないのだ。しかし、現在に至っても、フリーメーソンの日本人はほとんど参加人数が変わっていない。その理由について、ある日本のグランド・マスターは次のように分析する。
「フリーメーソンは宗教と違って仲間を勧誘しない。これがフリーメーソンがもともと何か知られていない日本では決定的に弱い。欧米では、メーソンになるのは名誉ですから、あちらから押しかけてくるからね。
 第二に日本人の精神がメーソンの個人主義を受けつけないし、自由の精神が薄いことです。第三に、日本の社会がいわゆる“タテ型”になっており、大会社の人間はそれこそ結社のようにバッジとか入社式があり、一生会社人間でフリーメーソン結社と同じ構造です。だから、日本人にはことさら別の社外組織であるクラブとか秘密結社に入って同胞愛を確かめる必要がないのだね。私は日本人がフリーメーソンの精神を受け入れ、国際的な同胞愛に目ざめるには、あと一世紀はかかると思う。日本にはまだ真の個人主義も、真の民主主義もないのですよ」
 フリーメーソンが日本で発展しなかったのは、逆説的にいって日本が世界の中で、“秘密結社”のように閉鎖的で、内部の平等と同胞愛を持っているからだというのである。この意見は貴重だ。欧米の「ヨコ社会」(差別的な階級社会)に対して、日本は同人種の国家であり、フリーメーソン的な高位階級制度が社会の中に存在するから、秘密結社が育ちにくいのである。もちろん、フリーメーソンの日本での発展がなかったことは、他にもいろいろな要因が考えられるが、何といってもフリーメーソンの教義註4、創造の神を一神とする)が持つ宗教性が、キリスト教と同じく日本人に適さなかったのであろう。
 現在、日本にはグランド・ロッジの下に二十のロッジ(支部)がある。これは、横浜(No.1)、東京(No.2)、国立(No.3)、同(No.4)、京都(No.5)、名古屋(No.6)、国立(No.7)、同(No.8)、佐世保(No.9)、三沢(No.10)、東京(No.11)、神戸(No.12)、座間(No.13)、福岡(No.14)、福生(No.15)、岩国(No.16)、千歳(No.17)、東京(No.18)、沖縄(No.19)、横須賀(No.20)であり、米軍基地周辺に多い。
 このほか日本グランド・ロッジに属さない外国のロッジがいくつかある。それらは、神戸(No.1401、イングランド系)、大阪(No.496、スコットランド系)、横浜(No.640、スコットランド系)、東京(No.6、マサチューセッツ系)、座間(No.151、フィリピン系)、沖縄(No.118、フィリピン系)などだが、これらは明治以来の伝統あるロッジで“既得権”として日本グランド・ロッジの管轄下に入らなかった。こちらの方は取材に応じてくれず、その内容はわからないが、「日本人はほとんどいない」(日本のメーソン)という。
 日本グランド・ロッジ創設後の、グランド・マスターは次の通りだ註5
 カルロス・ロドリゲス・ヒメネス(一九五八)、堀内貞一(一九五九)、東ヶ崎潔(一九六〇)、カール・T・ナカムラ(一九六一)、ノヘア・O・A・ペック(一九六二)、ジョージ・B・モーグリス(一九六三)、ジョージ・H・ブース(一九六四)、北村三郎(一九六五)、ノーマン・コーエン(一九六六)、マサジ・マツモト(一九六七)、チェスター・O・ニールセン(一九六八)、フロイド・J・ロバーソン(一九六九)、山田精夫(一九七〇)、フローレン・L・クイック(一九七一)、フレデリック・S・カシワギ(一九七二)、チャールス・P・ウェザーマン(一九七三)、山田彝(一九七四)、レオ・N・パーラヴェッキオ(一九七五)、西山茂(一九七六)、ロイ・ベーカー(一九七七)、ロナルド・E・ネイピア(一九七八)、ハワード・M・ヴォヌ・ジュニア(一九七九)、北村安忠(一九八〇)、高野清(一九八一)
 圧倒的に外人が多いが、日本人でも二世の人が目立つ。現在の高野清氏も二世である。私はこれらのグランド・マスターから四人を取材した。それぞれ興味 ある話もあるが、すでに出てきた資料と大同小異なので記さないが、後に必要部分を語らせることにするつもりである。
 註1フリーメーソンの慈善」フリーメーソンは慈善団体ではないが、日本ではグランド・ロッジや有志のロッジが寄金で作った「東京メソニック協会」を通じていろいろな慈善行為をしている。昭和五十三年度の同協会事業概況をみると、@各種養護施設への寄附として次の施設があげられている。二葉保育園、なおみ会、白峰会、エリザベス・サンダース・ホーム、日本肢体不自由児協会、ベセスダ・ホーム、清明福祉協会、神戸少年の家、青少年福祉センターなど。
 A各種団体、機関を通ずる慈善寄附。日雇労務者たすけあい会、眼球銀行設立委員会、孤児救済合同委員会、村山学生サナトリウム、軽井沢診療所、国立第一病院、ジャパンタイムズ社、アサヒイヴニングニュース社、東京衛生病院他六団体。B災害被災者救援寄附。ニッポンタイムズ社、日本赤十字社、日本放送協会、ペルー大使館、フィリピン大使館他二社。Cその他の公益に資する寄附。日本点字図書館、清里農村センター、東京都知事、日本YMCA、デ・モレー少年団。D直接の慈善活動がその他ある。
 フリーメーソンは原則として慈善活動を隠れて行う。だから余り宣伝しないが、日本以外の資金的余裕のあるアメリカ、イギリスなどでは、メーソンの社会への寄金は、そうとうな額に及んでいるという。なお、フリーメーソンの財政は、ふつうは各ロッジごとの会計で、グランド・ロッジへの寄金行為はあるが、それほど多くはない。裕福なロッジでは、余裕の資金を株や証券にして増収を図っている。
 註2メーソンのメリット」メーソン同士の兄弟愛と相互扶助は、さまざまな形である。たとえば、代議士の植竹春彦氏(メーソン)は、「国際会議などでメーソンだとわかると急に親切にしてくれ、交渉がうまくいった」という。また、外国での話だが、戦場で敵味方となり、銃殺寸前のときメーソンとわかって助かった例などがあるそうだ。小さな話では、羽田税関にメーソンがいて、「メーソン同士だと楽に通してくれる」(日本のメーソン)といい、匿名となるともっとさまざまな便利さもあるらしい。
 註3秘密結社ではない」秘密結社の日本語ニュアンスでは、会員も所在も判らない地下組織のイメージだが、ここでフリーメーソンを秘密結社とするのは、入社儀礼を持ち、秘密の儀式を有するという意味でいうのである。もちろん、権威ある各辞典でもフリーメーソンは、秘密結社とされている。フリーメーソンの人々は、秘密結社と呼ばれることに抵抗があるようだが、日本グランド・ロッジ発行の『憲章・古来の道標・布告・其の他』(メーソンの手帳のようなもの)でも、「フリーメーソンは漏洩すべからざる事がらのため、一種の秘密結社ともいう」と自ら認めている。
 註4メーソンの神」「メーソンは凡て宇宙創造の神を信ず」「メーソンは凡て霊魂の不滅を信ず」(『憲章・古来の道標・布告・其の他』)と誓う。フリーメーソンは「万人の一致する宗教」を目指すが、それは必ずしも同一の宗教でないが、「一神論である」(日本グランド・ロッジ・メーソン教育委員会、フローレン・クイック委員長)。その神はどうやらユダヤ・キリスト教的な神であることは、フリーメーソンの精神や儀式にはっきりあらわれている。儀式はユダヤ教(旧約聖書)にしたがって催されるのだ。
 註5日本のグランド・マスター」『日本のフリーメーソン百年史』から、代表的な日本のグランド・マスターをとりあげ、その人物像をみよう。
 ▽カルロス・ロドリゲス・ヒメネス(初代グランド・マスター)。一八九八年ヴェネズエラ生まれ。カラカス大法学博士、一九二〇年から政府文官、一九三〇年から外務省に移り、駐日ヴェネズエラ総領事として一九四一年まで勤める。一九四五年、サンフランシスコの国連会議で同国代表、その後、各国の大使を歴任。メーソンには一九二九年カラカスで入会。一九四七年、ヴェネズエラのグランド・マスター、同国の最高評議会のメンバー。日本では、一九三七年後三つのロッジに加入、英国滞在中にロンドンのロッジにも入っている。各国のメーソンであって、一九五七年の日本グランド・ロッジ結成に活躍、満場一致でグランド・マスターに選ばれた。その活躍で「日本のミスター・メーソン」と名づけられている。
 ▽堀内貞一。一八八七年岡山県生まれ。シアトルのワシントン大で法学博士を受け、ニューヨークの法律事務所に勤務。一九二五年に日本に帰国して法律事務所を開設。新日本産業、神奈川リョーユー社の社長ほかいくつかの会社を経営。一九五一年、日本でメーソンに加入、一九五九─六〇年のグランド・マスターに就任。一九五三年、東京スコティシュ・ライトのメンバーとなり、一九五七年に三十三位階の名誉を受ける。東京ヨーク・ライトのメンバーでもある。彼は身体障害者救済事業で目ざましい働きをなした。
 ▽ノヘア・O・A・ペック。一九〇〇年ハワイ生まれ。米海軍の工兵隊に入り、朝鮮戦争に参加、後駐日米軍の文官となった。一九三七年マスター・メーソンになり、現在フィリピンと日本の六つのロッジの名誉会員。一九三八年ホノルルでスコティシュ・ライトのメンバー、一九六〇年に三十三位階の名誉を受け、最高評議会のメンバーでもある。日本で四つのヨーク・ライトに入っており、一九六二─六三年のグランド・マスターとなった。
 ▽カール・トヨミ・ナカムラ。一九二四年ネブラスカ州生まれ。日本人収容所生活をし、一九四四年米軍に入隊、通信隊の文官。一九五二年、日本でマスター・メーソンとなり、その後スコティシュ・ライト、ヨーク・ライトのメンバー。一九六一年満場一致でグランド・マスターに選任される。「メーソンに加入して以来、彼は惜しみなくメーソンの理想を日本に普及させるため人生を捧げてきた」といわれる。
 ▽東ヶ崎潔。一八九五年カリフォルニア州で生まれる。カリフォルニア大を卒業後、米軍に入隊、一九二〇年復員して外国貿易会社へ勤務。サンフランシスコのキリスト日曜学校日本人教会の校長、YMCAの支部理事会会長、ボーイ・スカウト運動に参加。一九三三年日本へ移り、教育協会世界連盟の会議に参加、戦後は日経連でアメリカ経済ミッションを補佐、米日協会の役 員などした。一九四六年、ジャパンタイムズの社長(一九五六年まで)をやり、そのほか肩書きも多い。国際基督教大理事会会長、米日協会理事、日本聖書協会理事、聖ルカ国際病院理事、国際教育協会理事、国際社会福祉事業協会理事ほかをもつ。メーソンとしては、日本でマスター・メーソンになり、一九五一年からスコティシュ・ライトのメンバー。一九五五年三十三位階の名誉を受け、一九六〇─六一年のグランド・マスターである。アメリカのデラウェア州のメーソンでもある。
 以上の五人のグランド・マスターをみてもわかるように比較的社会的地位も高い。それは他の人でも同じである。グランド・マスターであることは、フリーメーソンの盛んな国では大変な名誉だという。





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