フリーメーソンの日本侵略計画(『WL』第22号)

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投稿者 SP' 日時 2001 年 2 月 28 日 09:36:05:

回答先: ぼいす OF ワンダー(『ワンダーライフ』第22号) 投稿者 SP' 日時 2001 年 2 月 28 日 09:34:20:

「神秘の日本」第二章より抜粋。


 フリーメーソンの存在そのものに疑問を持つ人はさすがにいなくなった。だが、フリーメーソンが世界を牛耳っているという説に否定的な意見を持つ人はまだ少なからず存在する。
 フランス革命がフリーメーソンによる革命だったことはご存知だろうか。この革命を期に世に出てきた「自由・平等・博愛」とは、ほんらいはメーソンのオカルティックな秘義だったのだ。メーソン員は現在でも、自分たちの誇りとして、フランス革命を語っている。アメリカの独立戦争もメーソンの業績で、初代大統領ワシントンの就任式には、在米メーソン員全員が、メーソンの正装で列席している。
 以降メーソンは、ほとんど世界中を手に入れてきている。ロシア革命もメーソンの手によるものだし、ソ連の解体もメーソンが目論んだものだ。
 フリーメーソンは、世界のすべてを自分たちの思い通りに動かそうと考えている。
 メーソン入会の秘儀の中に、死と再生の儀式がある。入会する者は一度死を擬似体験し、生まれ変わった者として現れる。一度死んだのだから、すべての記憶、知識はなくし、まったく新しい知識のみ手に入れるというものだ。メーソン員はこれを「荒削りの石が、ピカピカに磨かれた立方体の石に変化する」と表現する。つまり、世界中の人間すべてが、ツルツルの立方体になれば、それを組み合わせてあらゆる形が作れると説いているのだ。
 彼らがいう「平等」とは、そういうものなのだ。石がでっぱっていたりへこんでいたり、歪みがあれば組み合わせにくい。世界中の人類がピカピカの立方体になれば、世界完全平和の至福の世が来るとしている。
 フリーメーソンはまた、自分たちの手を汚さず、影にまわって動くことが多い。
 国家とか民族とか主義のために働く人々の存在は、彼らにとっては邪魔なものだ。こういった国家、民族は徹底的に内部から混乱させ疲弊させる。彼らにとっていちばんいいのは、国土だけ残して国民がいなくなることだが、そうもいかない。そこで国体の弱化を謀る。物質文明が栄え、国民が個人の欲望に走ることは歓迎するが、国家国民がまとまることを否定する。イランのパーレビ国王がメーソン員で、ホメイニ師もメーソン員だったことを知ると、フリーメーソンが少し見えてくるだろう。
 こんなフリーメーソンが、日本と関わりを持ったのは、かなり古い時代からだったと思われる。だが、記録としてはっきり残されているのは、明治維新直前からだ。
 それから現在まで、フリーメーソンが日本でどんな動きをしてきたのか、ポイントを追ってみることにしよう。

幕末〜明治維新のチャンスにメーソン日本侵略作戦は失敗した

 近代的フリーメーソンは一七一七年にイギリスで誕生した。その後続々と世界各国にメーソンが誕生していったが、イギリスでは貴族階級を中心とした結社として、国力膨張・他民族操縦の方針がとられていった。
「英国旗の下、日の没するところなし」と豪語したのは、イギリスのメーソンなのだ。
 イギリスに遅れること数年〜十数年で、フランス、スペイン、オランダ、ポルトガルにもメーソンが誕生している。これらは争ってアジアに侵略してきた。
 メーソンのアジア侵略で、いちばんわかりやすい例が、イギリスのインド支配だろう。
 英国メーソンはまず、土侯懐柔策をとり、彼らをメーソン員として迎え入れた。次に、インドのあらゆる階層に彼らの秘儀「自由・平等・博愛」を植えつけていった。もちろんそこに、ブラバッキー夫人率いる神智学協会もからんでいた。こうして生まれた混乱に乗じて、メーソンはインドを手に入れたのだ。
 その他のメーソンも、もちろん活発にアジアに入り込んでいった。インドネシア、フィリピン、中国…。そして日本が最後に残った。
 それはまるで、さまざまな登山口から登った登山隊が頂上目前で出会ったようなものだった。日本を前にして各国メーソンは初めて協議を行った。日本攻略方法についてである。
 時は江戸末期。日本は鎖国のまっただ中。徳川幕府のもと、完全なピラミッド型の体制を強固に持っている。
 当時のメーソンは、まだ四か国の実権しか握っていなかった。英・米・仏・オランダである。ロシアはいちおうメーソンの手には落ちていたが、他のヨーロッパ諸国同様、思うようには動かなかった。
 このときメーソン指導部は、上海で日本征服の会議を開いたと伝えられる。その時期や場所、内容はわかっていない。おそらく、日本と接触を続けていたオランダ結社がその主導権をとったものと思われる。
 武力による日本制圧はまったく討議されなかっただろう。英、米、仏、オランダの海軍力では、日本に攻め込めない。本国から遠すぎるのだ。だいいち、彼らの流儀「自らの手を汚さず」に反する。
 では、どのような作戦がとられたのか。それは、幕末から明治維新に至る歴史を見れば明らかだ。
 まず、長崎の橋頭堡を利用して、日本人内部にメーソン思想を流し込む。ついで、日本に二つの勢力を作りあげ、それを戦わす。──これが基本的戦略だったろう。
 具体的にはどうしたか。アメリカが正面から開国を迫る。フランスは徳川幕府を援助する。そしてイギリスが薩摩・長州を支援する。主導権を持っていたオランダは、徳川幕府の金をそっくり頂く──こんなものだった。
 話は少し外れるが、徳川幕府が膨大量の金を保有していたことは事実である。それが幕末に江戸城を開城したとき、金は全然なかった。このため赤城山の埋蔵金伝説などが生まれたのだ。もちろん、僅かな量はほんとうに隠されたかもしれない。だが、かつて徳川幕府が持っていた大量の金は、オランダのメーソンによって海外に運び去られてしまったのだ。
 話を戻そう。イギリスに支援された薩長を中心とする官軍と、フランスの応援を受けた幕府は当然対立する。そこに正面から開国を迫るアメリカがいる。このままいけば、日本は内乱で崩壊し、インドやフィリピン、中国のように、フリーメーソン支配の国になってしまったはずだ。
 ところが、メーソンの計画は思わぬところで破綻した。薩摩の西郷隆盛と幕府の勝海舟のためである。この二人は、フリーメーソンやその謀略を知っていたわけではないだろう。だが、日本という国家とその未来を見通す能力があったのだ。
 勝海舟と西郷隆盛の会談で、江戸城無血開城という大英断が行われ、日本はその後、わずかの戦乱だけで、明治新政府へと変わっていったのである。
 明治維新時に日本を荒廃化することに失敗したメーソンは、その後も次つぎと新たな手で日本に侵略しようとしてきた。いや、明治維新時の失敗は、彼らにとっては予定どおりだったのかもしれない。日本が彼らにとって山頂だったのは、偶然ではなく必然だったのかもしれない。
 日本でフリーメーソンの最初の集会が行われたのは一八六六年(慶応二年)一月のことだ。このときには、フリーメーソン
前西インド地区副大棟梁のカートライトも 来日している(ヨコハマ結社第一回集会)。その後、激動する日本の中で次つぎと結社を作りあげ、一八七三年(明治六年)には、日本中の結社をまとめる『日本地区大結社』が設立され、チャールス・ヘンリー・ダラスが、初代地区棟梁に就任している。もちろんその後も、メーソンは活発な活動を続けるのだ。

フリーメーソンと対決した男たちが存在した

 明治新政府は、長い鎖国の期間に日本が「文明的に」立ち遅れてしまったことを痛感し、近代化の使命に燃え、欧米の科学技術、学問、思想をどんどん取り入れていった。それこそじつは、フリーメーソンの罠であったのだ。当時の日本の指導者たち、とくに学界や知識人、文化人といわれる人たちの間に、フリーメーソンの教義が浸透していった。もちろんそこには、メーソン側からの見えざる手が働いていたのである。とくに、政財官界のトップに立っていた西園寺公望などは、こうしたメーソンの攻勢にまったく無知で、ひたすら親米、親英の態度をとりつづけた。
 しかし、日本の指導者たち全員が、このメーソンの動きに気づかなかったわけではない。時がたつにつれ、フリーメーソンの陰謀を恐怖しだす人々も現れてくる。この間の流れは、メーソン側の以下の文書に表れている。
「一八九五年(明治二八年)の条約改正に際し、地区棟梁は、メーソンの存在に関して日本当局と交渉した結果、不干渉の保証を得た。たまたまメーソン員正装の結社員の告別式執行中に日本政府官吏の出席があったが、棟梁以下各役員は、メーソンの定跡どおり振舞っていた。このように、事実上、日本のフリーメーソンは認められていたのであるが、時移って、近年はメーソン禁止の危機を感じるにいたっている。」(一九四〇年『横浜結社創立七五周年記念記念パンフレット』より)
「日本の外務省は一八九七年(明治三〇年)、フリーメーソン不干渉を約束し、また『この団体は世界のあらゆる部門に巨大な政治的支配力を有するもの』と認めた。しかるに、神奈川県警欧米人係刑事は、メーソン活動の制御に重要な手配をしたと伝えられている。(中略)憲兵隊その他官憲が最近、フリーメーソン結社の本質調査に着手した。しかし、横浜警察が事件を取りあげたことはない。」(一九三六年七月一日付『上海イブニング・ポスト&アーキュリー紙』より)
 また一九三五年(昭和十年)に秘密文書として配布された小冊子『外事警察資料』には、次のような一文が見える。
「フリーメーソンは物質と金、すなわち生産と機械のみが人類の幸福を生むと考えている。(中略)その具体例が、米国の資本主義とソ連の共産主義である。」
 大正末期から昭和初頭にかけて、フリーメーソンの陰謀に気づいた人物たちは何人かいた。しかし彼らは、それぞれの分野で孤立しており、対抗する勢力も持たないでいた。それぞれは独自の活動を通して、メーソンの秘教知識から日本を守ろうとしてきた。そうした人物の中には、宗教家の出口王仁三郎、軍人の石原莞爾、思想家の北一輝などがいた。だが残念ながら、彼らはそれぞれの分野でフリーメーソンの包囲網にあい、壊滅してしまったのである。
 ここでひとつ、興味深いことに気づく。フリーメーソンの秘教イズムに対抗しようとした人々が持ち出したものが「日本」そのものだったということだ。そしてフリーメーソン側は、それを「日本の秘教」と受けとめた。王仁三郎や石原莞爾、北一輝をもし『オカルティスト』と位置づける人がいたら、その人はフリーメーソンの教義にすっかり染めあげられた人間といえるだろう。
 その人の中には、『日本』はすでに、遠い秘教の彼方に行ってしまったのだから…。

太平洋戦争から現在までメーソンは活動を続けている

 一九三二年(昭和七年)、中国東北部に皇帝溥儀を頂く満州国が誕生する。満州国といえば、日本の傀儡政権のもと、日本人が大陸進出を果たした国で、その背後に石原莞爾がいたと一般的に考えられている。それを全面否定しようとは思わないが、一部に誤解があるかもしれないので、石原莞爾の動きについて少し触れておこう。
 満州国建国の筋書きが決定されたと知った石原は、ただちに単身、趣意書を持って満州から東京に飛んだ。趣意書の内容は現在も残っているが、その一部をご紹介してみよう。
「満蒙問題の解決は、目前の小利、小益に走ることなく、世界大勢の推移と東方アジアの将来とを考慮して、善処しなければならない。」
「その第一着手として、満州国を理想郷としなければならない。新たに建国される国は日本のための領土に非ず、独立国家であると共に諸民族協和の理想郷。」
「在満日本人は、裸一貫となって諸民族の間に伍し、闊達な競争によって生存権を確立すべきであって、満州国成立と同時に、治外法権や付属地行政権などの特権は、即時撤廃しなければならない。」
 石原は満州国の政治に日本が関わることを一切否定した。それは縄文古代人が外国諸民族と接するのと同じ態度だった。その石原はまもなく満州を追われる。その後も彼は、日独同盟締結の動きを批判、「英米と組んでドイツと開戦すべき」と主張し、やがて対立した東条英機に敗れ去ったのである。
 当時の中国は、英米のフリーメーソン進出の結果、国は二分され混乱の中にあった。中国のメーソン結社はいちおうフィリピン大結社のもとにあったが、英系大結社とも結びつきがあった。この事実は当時の中国人メーソン梅華銓と、フィリピン大結社機関誌編集長レオ・ファッシャーとの手紙のやりとりや、スコットランド大結社との手紙が語っている。
 政治の表舞台では蒋介石は反共、反英政策を変えようとしなかった。中国を混乱に導いた英米メーソンにとって、それは目的どおりだったのだが、日本の侵略は計画外だった。かくて国府側の王正延外相と張学良を使った、蒋介石・周恩来による国共合体という演出がなされたのだ。王正延はこの功績により、スコテッシュライト第三三階級(メーソンの最高位)に特進している。
 フリーメーソンの背後からの力で、中国はいちおう反日でまとまった。だがなお、日本は強力な存在として残っている。世界を掌握しようとするメーソンにとって、その頂上は日本なのだ。日本を潰さなければ、メーソンの秘義は達成されない。
 このメーソンの罠に嵌ったのが東条英機だった。予定された路線に乗って『日独伊三国同盟』を締結(一九四〇年)し、英米との対決の準備を整えていく。
 かくして一九四一年(昭和十六年)十二月八日の真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争の幕が切っておとされたのである。
 太平洋戦争がフリーメーソンの手引きで始まったことは、今となっては絶対の真実である。大西洋上でチャーチル(英首相)とルーズベルト(米大統領)が何度も会談している。この二人のメーソン員の目標は、日本を戦争の表舞台に登場させることだった。しかし当時のアメリカは、反戦ムードがいっぱいで、とても戦争など起こせそうにない。米国民が一丸となって反日にな るための演出が必要だった。それが「真珠湾攻撃」であり、米国民は「リメンバー、パールハーバー」でまとめられたのだ。
 真珠湾攻撃を米側が知っていたか否かは、未だ謎とされている。しかし、事実は残っている。
 当時米国最大の基地真珠湾を奇襲した日本軍は、老朽艦アリゾナ、オクラホマなど四隻を撃沈したが、そこには航空母艦は一隻もいなかった。また当時、英艦隊はハワイに向かう日本全艦の動向を察知、暗号無線もすべて傍受解説し、リアルタイムでチャーチルのもとに送っていた事実がある。チャーチルは自伝の中で、日本の真珠湾攻撃を聞き「ヨーロッパで戦争が開始されて以来はじめて熟睡した」とその喜びを語っている。
 明治維新以来、日本を取り巻いてきたメーソン中軸国包囲網の中で、日本はついに敗れ去った。その終焉を決定したのが、メーソン機関の科学者の手による原子爆弾だったことも象徴的だったといえよう。ちなみにこのとき原爆を運んだ爆撃機の名は『エノラゲイ』(天皇を屠殺せよ)という名だった。
 日本は敗れた。次の計画は日本のフリーメーソン化であり、それはアメリカに一任された。フリーメーソン最高位のマッカーサーは、戦前からの筋金入りメーソン員幣原喜重郎を首相に任命し、現在までに至る戦後日本の体制を、この幣原内閣に決定させたのである。
 フリーメーソンの計画は、ゆっくりと確実に現在も進行している。彼らは「日本の秘義」の存在を破壊するために、あらゆる手を打ち続けている。その第一目標は「自由・平等・博愛思想」の固定である。そのために欧米型の教育制度を導入し、食習慣までもを変えさせてきた。
 次には、日本の農業、漁業、林業の構造を破壊することが必要となってくるだろう。


 本特集19ページからの記事中に、日猶同祖論を初めて唱えたのは、N・マクレオドだと紹介した。
 日猶同祖論についてはすでに見てきたとおり、同祖とするには無理がある。もちろん、人類すべては同祖といってしまえば日猶もまた同祖ではあるが…。
 たしかに日本には、ユダヤの痕跡が残されている。信じられないほど大量に。だが古代の日本が中東と活発に文化交流していたこともたしかである。ユダヤに限らず、中東産の文化は日本中に見られるのだ。
 ここではもう一つ、マクレオドがまたフリーメーソン員だったことをご紹介しておこう。
 現在日猶同祖論の証拠として提出される多くのものは、マクレオドがあげた証拠である。マクレオドはまた、信じられない話も残している。それは、神武天皇陵や仁徳天皇陵の中に「花瓶もしくは水差しと見られる陶製の器」が埋められているはずだというものだ。
 もちろん神武天皇陵は特定されていないし、仁徳天皇陵はご存知のとおり発掘はおろか立ち入りも禁止されている。なのにマクレオドは、わざわざ図版入りでその陶器を説明し、それがダビデ王のものだと言っている。
 なぜフリーメーソン員の彼がそんなことを言うのか。まったくのデッチあげか。否。そうではない。おそらく古来に、ダビデ王ゆかりの陶器が日本の天皇に献上された事実があったのだろう。それを古代からの秘義として、フリーメーソンが知っていたと推察される。ということは同時に、フリーメーソンという秘教団体自身も、太古からの秘義を継承している秘教団体としか考えられない。
 そう──。古来から日本は、世界中の秘教集団から狙われてきていたのだ。なぜか。それは「日本」だから──。では日本とは何か。私たちは、またも最初の命題に戻ってしまう。
 アジアのはずれの小さな島国という認識は、フリーメーソンの平等論から生まれた教義でしかない。日本は古来から、秘教主義者の目指す頂点だったのだ。それを見てみよう。





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コメント
1. 2021年2月27日 13:10:54 : Pt2bgnffSE : M2dvamQ1Z1Z5YzY=[5] 報告
彼はGMPの最も大胆な覆面捜査官でした。今、彼は警察のフリーメーソンが彼の人生を台無しにしたと主張している
https://www.manchestereveningnews.co.uk/news/greater-manchester-news/gmps-most-audacious-undercover-detective-18876681

For years, questions have been asked about the relationship between Freemasonry and police.

As recently as 2018, the then-retiring head of the Police Federation, Steve White, said he suspected Lodge members were obstructing reform from within police services.

And in the 1980s, a decade when Freemasonry's influence on policing, the judiciary and local government came under intense scrutiny, a high-profile scandal raised the question of Masonic influence on Greater Manchester Police.

That was the so-called Stalker Affair - in which John Stalker, a veteran detective who rose to the ranks of Deputy Chief Constable of Greater Manchester Police, was accused of associating with criminals, including members of the city's notorious 'Quality Street Gang'.

At the time, Stalker was two years into an inquiry he was heading into allegations that the Royal Ulster Constabulary had used a 'shoot to kill' policy in Northern Ireland.

The late Mr Stalker strongly denied, and was later cleared of allegations that he fraternised with gangsters. Speculation swirled in the media that the well-respected officer had been the victim of smear campaign - orchestrated by Masons within GMP and the RUC - as a result of his work in Northern Ireland.

This claim was strongly denied by the Freemasons, who raise millions for good causes every year, and define themselves as a social group which merely encourages self-improvement in a spirit of respect, integrity, friendship and charitable giving.

But now, a new book has raised questions about the influence of the brotherhood within Greater Manchester Police in the more recent past.

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