オカルト業界の懲りない駄々っ子たち(ジャパン・ミックス編『歴史を変えた偽書』)

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投稿者 SP' 日時 2000 年 12 月 28 日 17:36:20:

回答先: 2001年この世に地獄が出現する! 投稿者 SP' 日時 2000 年 12 月 28 日 17:33:45:

怪しい企画・セコいトラブル・意味不明の「霊的著作権」……奇妙な人々の織りなすアブない世界。彼らはなぜ青少年層に影響力を持ちえたのか? オカルト界の裏面をここに公開。

作家      
朝松 健
 ホラー小説の旗手・朝松健氏がかつて同人誌上に発表した回想録「魔都物語−オカルト界で今何が起きているか」(『イスカーチェリ』二八号、一九八七年三月初出、後に短縮版が『ホルスの槍』四号、一九八八年一月に再録)は当時のオカルト界の状況をつぶさに描いた貴重な資料であり、またオウム真理教事件を予見するかに見える箇所があることで近年、次第に注目を集めつつある。しかし、現在の出版情勢では「魔都物語」をそのまま商業出版の書籍に掲載することはきわめて困難である。そこで朝松氏に「魔都物語」の対象となった時代およびその後のことについて改めて回想していただくことにした。
(聞き手:原田 実)
オカルト業界との出会い

 オカルトに関心を持ったきっかけですか。もともと、うちの父親が澁澤龍彦ファンで、『黒魔術の手帖』とかを子供に買い与えるような人だったんですよ。それに黒沼健の実話シリーズとかも読まされていました。まあ当時は自分が商売にするとは思っていませんでしたね。
 私は一九七二年からホラー小説とファンタジー小説の同人誌を起こしたのです。名を黒魔団という。この黒魔団の後見人が故平井呈一先生、紀田順一郎先生、それに荒俣宏さんの御三方だったのです。オカルト界に接近したのは荒俣さんの紹介でした。一九七六年ですが、荒俣さんの監修された『世界神秘学辞典』(平河出版社)、あの中の仏教の項をやらないかという話があって、やってみたんですよ。中間搾取があって、金になりませんでしたけどね。
 それから、同じ頃、みのり書房から出された『オカルト時代』という雑誌。これも一九七六年のことですが、荒俣さんはその雑誌の創刊号から後見人というか、相談スタッフという立場で、やはり彼の紹介でその仕事をすることになったんです。当時は湯島に会社があって湯島会館で打合せをした。最近、廃刊になった『アウト』という雑誌があります。その前身が『オカルト時代』だったんです。メンズマガジンに刷新するということで『アウト』と誌名を変えましてね。ところがその『アウト』が確か『宇宙戦艦ヤマト』特集をやった時に非常に当たったんで、そのままアニメオタク雑誌に衣替えしたんです。
『オカルト時代』ではライターの真似事をしてました。たとえば荒俣氏の企画で「都内易者巡り」っていうのをやってくれ、と。こんなのをやんなきゃいけないのか、と都内の易者を巡って、当たる当たらないとレポート作りましてね。その次、やはり荒俣氏の企画で都内おふだ巡りって企画がきた。冗談じゃないって私は、もう撤退したんです。その辺がオカルトプロパーの仕事のごく初期ですね。まあ、オカルト界に、気がついたら、どんどん深みにはまっていたという感じですか。
 仕事抜きでは、私は東洋大学で、神秘思想研究会というのを主宰してまして、そこで奇妙な仲間と色々楽しんでいたんですよ。降霊会やったりとかで非常に楽しかった。その時、一人だけ、神がかった男がいましてね。当時、私は、大学三年生。彼は大学一年か二年だったと思います。その彼が、急に大石凝真素美ということを言いはじめた。
 琵琶湖で人類が発祥したとか、日本の霊性の復興がなんたらかんたら、とか言いはじめたんですが、私はそのころそんな人のことは知りませんから、お前、正気か? と聞き返しましたね。で、彼は大石凝真素美全集刊行会というところに行ってきた。そこで『大石凝真素美全集』のパブリシティの為に講演会があったんですよ。当時有名だった白山神界の金井南龍氏が講師でしたが、その後輩が、それに行ってえらく感銘を受けちゃったんですよ。武田崇元氏のことはその後輩から聞かされたんです。
 武田氏は『オカルト時代』のライバル誌『地球ロマン』の編集長になりますが、その前の『地球ロマン』は双葉社からオカルト関係の記事を買っていたんです。最初の一号二号ですね。ところが三号から急に政治色の強い怪しげな記事になってきたんです。私は危険なものを感じました。で、その後輩は、どんどん傾いていくんですよ。結局、卒論に大石凝真素美を選んで、卒業した後に、大阪の右翼結社に入ってしまった。その後、消息は判りません。その頃、武田氏については『地球ロマン』の編集長であり、『迷宮』の編集長であり、大石凝真素美全集刊行会の会長であるという、その程度の認識しかなかった。それから伝聞情報ですが、武田氏は山本白鳥という人を自分のグル(導師)と信じ、嫌がる山本氏をなんとか説得して、いろんなことを習ったという話を聞いています。この山本白鳥氏については『アサヒ芸能』の一九八八年四月二一日号に面白い記事が出ています。この時、武田氏は『アサヒ芸能』編集部に乗り込んだり、その記事に関わった、たま出版を襲撃したりしています。もっとも一九八八年ごろには武田氏は私にはまったくなしのつぶてで、たまに無言電話がかかってくるぐらいでしたね。それも無言電話だから本当のところ誰からかかったかはわからない。
 話は前後しますが、私は一九八一年に国書刊行会に入りまして、『真ク・リトル・リトル神話大系』(以下「真クリ」)の第一巻と第二巻の編集を担当したんです。
 当時、私は広告部員だったんですが何か手柄を立てたいと、焦りに焦りまして、自分から編集をやらせてほしいと言ったんです。そこで、その頃、創刊間もなかった『ムー』でパブリシティを打とうと考えた。八二年頃です。
 これは瓢箪から駒だったんです。当時、国書刊行会は三大紙にガンガン広告を打っていた。それが『ムー』の太田雅男編集長(現学研取締役)の目に留まり、回りまわって私のところに話がきたんですよ。
 私は、その時、ブラックマンからUFOからオーパーツまで絡むような話なんだ、って吹きに吹きまくりまして、太田編集長も乗り気になり、渋谷で会うことにした。名刺交換した、その場で『ムー』に「真クリ」特集を載せるという具体的な話になりました。
 まだその当時、国書刊行会の社長は、雑誌広告の効果というのを疑っていたんですが、いざ、それが『ムー』に出たところエライ評判になったんですよ。パブリシティとしては、多分、最高だったんじゃないですか。ムーが当時既に公称三五万部で部数がグングン伸びている頃です。
 当時、国書刊行会の社長の息子が中学生で、息子のクラスで「お前の親父が会社でこんな本出しているんじゃないか」と評判になったらしいんですよ。社長は子供からその話を聞いて、鼻高々になっちゃった。それから『ムー』のパブリシティの効果が認められるんです。

< FONT SIZE = +1>武田崇元、武邑光裕氏との攻防

 ところが、そのちょっと後、ある広告社の人、仮にIさんとしますが、かれが面白い人物を紹介するといってきた。その人物はまだ三〇代前半、Iさんとおんなじ世代で出版社をやってるという。じゃあ、会ってみようかなと。彼の紹介で会いに行ったのが武田崇元氏なんです。渋谷の喫茶店で名刺交換して、彼の車に乗って、Iさんの待つホテルに行こうって言って飛ばしたんですよ。
 その車の中で交わされた会話の話題が例の「真クリ」の特集記事。武田氏はあれを抜群のパブリシティだと言って、売れただろうと聞くんです。私はまだ二五、六で鼻高々の頃ですから、色々とテクニックを、言わなくともいいことまで喋ったかも知れません。その内、ホテルでIさんらと合流して、飲み会になって、その日はうやむやです。で、その後、武田氏から電話があって、ゆっくり話しせんかとなった。
 武田氏は武邑光裕氏を紹介してやろうと言ってきたんです。私はその頃、『世界魔法大全』という本の企画を進めていたので武邑氏が推薦者になればありがたい、是非、お願いしますということで今度は目白の喫茶店に行ったんです。
 私はその時、『世界魔法大全』の中の「黄金の夜明け」のゲラを持っていったんですが、それを見た武邑氏の顔色がどんどん、変わっていくんですよ。見る見る痙攣するような感じで、ページをめくる度に武田氏に見せるわけですよね。すると武田氏は、むぅっとした顔をするんです。だんだん険悪な雰囲気になってきた。
 で、武邑氏がいきなり「まずこのシリーズを出す理念を聞きたい」と切り出した。理念なんて編集者に聞かれても困る。それは編集者ではなく監修者に聞くべきなんです。
 で、武邑氏がその時言った言葉というのが、「君たちがやろうとしていることは、千葉県の何だかわかんないオヤジが、出口王仁三郎の研究書を出すようなものだ。ここにいる武田君が、出すならともかく」というわけです。「えぇぇっ?」と私は驚きました。
 更に今後の刊行予定でアレイスター・クロウリーの『マギック』(邦題『魔術−理論と実践』)が入っていたんですが、武邑氏は「この『マギック』は私が訳そうと思っていた」と言うんです。武邑氏は訳そうと思っていただけで、まだ訳していなかった。国書刊行会の企画では、もう訳稿も上がっていたんです。だから武邑氏にとやかく言われる筋合いはないのに、何やらブチブチブチブチ同じことを繰り返して言うんですよ。
 この人は、あんまり楽しい人じゃないなと思って、私が適当に切り上げようとしたら、二人は「最近の出版界は、なんだかわかんない」とか言って、机蹴っ飛ばして出ていったんですよね。それで、私は武田氏、武邑氏とは、どうも付き合いたくないなぁと、思って目白を去ったわけです。
 で武田氏、武邑氏が、そういうことを言い出す根拠というのが大笑いなんですけれども、武邑氏は私の企画が“霊的著作権”に触れる、と言うんです。「これがもし刊行されたら霊界にいるアレイスター・クロウリーが黙っていない」とか大マジメに言うわけです。私は、この人大丈夫かなと思いましたよ。
 それで『世界魔法大全』の監修者に電話をかけたんですよ。武邑さんが「クロウリーが黙っていない」と言ってるんですけど、と。そうすると監修者は「黙ってないなら、なにか喋るだろうねぇ」と言っていましたよ。まあ、それで結局、なんの崇りもなく、すらっと『魔法大全』を出しまして、その間にも、武邑氏にウィリアム・バロウズの監修を頼もうという話もあったんですが、結局はああいう腹の立つ相手と仲良くすることもないということになったんです。後で、この霊的著作権っていう言葉を、南山宏さんに話したんです。武田さんと武邑さんが霊的著作権ということを言っていますと。すると南山さんは啜りかけていた紅茶を思わず吹いてしまったんですよ。他にも何人かに話しましたが誰も霊的著作権なんてものはとにかく聞いたことがない。
 で、今にして思いましたら、つつがなく『世界魔法大全』が出たということは、霊的著作権というのは、私の方にあったっていうことになりますね。実はここで初めて発表しますけれども、私は当時、武邑氏と武田氏に対して腹を立てまして、独自のルートで、アメリカOTO、イギリスOTOすなわちオルドテンプルオリエンタキス(東方聖堂騎士団)という魔術結社と連絡をとっていたんです。で、向こうの方に相談すると、お前がクロウリーの本を出すとはでかしたでかした、これから手を結びましょうと言ってくれた。その上、一人はアメリカのシカゴに住んでいるマイケル・Bという、妹が魔女で自分は魔術結社の主宰という人、それからもう一人はケネス・グラント。こちらはクロウリーの最後の弟子と言われている人で、近現代魔術史には必ず出てくる人物なんですが、この二人と奇しき因縁で文通を始めたんです。ケネス・グラント氏に「貴方のことを『ユリイカ』という雑誌で紹介してもいいか」と質問すると、OKの返事が返ってきた。それどころか「私の著作を日本で出版する権利を君にあげよう」と言ってきたんです。つまり、またしても霊的著作権は私のものになったわけです。
 ところが武田氏はそんないきさつを知らない。ある時、武田氏が声をひそめて、私に電話をかけてきたんです。その内容というのが、「今度、武邑がニューヨークに行く。ついては、OTOと接触するらしい」というわけです。武田氏の頭の中では、OTOっていうのは、ほとんど連合赤軍みたいなものなんでしょうね。だからハッタリのつもりで言ってきた。ところが世界の常識では、それはさながら同人界、コミケに集まる連中と、かわらないわけです。まあ武田氏は私の動きを全く知らなかったから、不気味に思っていたんじゃないですかね。
 もっともその後、別口でクロウリーの著作管理をやっている、ジョン・シモンズという人物と話をつけられないかと手を尽くして、電話連絡は取れたんですよ。ところがシモンズ氏は「俺はクロウリーは大っ嫌いだ。ヤツの話はしたくない」と切ってしまった。これで私の霊的著作権も消えてしまったようですね。
 武田氏のことに話を戻しますと、彼のはったりには、一方的に関西弁でまくしたてるという、ヤクザがケツ捲くったみたいなところがあります。その手口で出版社に抗議しますと、相手は大体引っ込みますね。
 その上、「わしのバックには右翼結社がついているんやぞ」ということを言えばですね、普通の出版社ならばあんまり関わりたくないわけですよ。
 今となっては私、本当に反省しているんですが、私は武田氏のはったりに対抗するために右翼ジャーナリストの方に連絡を取りまして、さる右翼の大物に紹介してもらったことがあるんです。後に私が武田氏の話をしていると、『ムー』編集部のM2氏が「あんた、そんな事言ったら、武田氏のバックには右翼がついているんだよ」と言ってきた。それで私にも右翼の知り合いはいるというので、その大物の名前を出したら、向こうは、すぅっと引っ込みましたね。まるで中学生のケンカです。

武田崇元氏の出版戦術

 武田氏がなぜ復刻にこだわったかなんですが、それは資本がない人間が出版社を興すときに、なにを始めると手っとり早いか? ということなんです。復刻本は元手があまりかからない。そこで滅多に手に入らない本の復刻に法外な値段をつける。この商売というのは、結構うま味が厚いんです。武田氏本人は未来のハイテクノロジーがどうとか言っていますが、本当に未来を志向しているならば、誰かに原稿を頼んで、新組みで起こすべきだと思う。それは電算写植でも活版でも高くつくわけです。で「わしゃ未来を志向してんねんぞ」と言いながら、まず復刻でガンガン稼いで、うま味を出していかないことには身動きがつかない。それにハイテクノロジーとか何とかって言ったって、今は、そんな時代じゃないでしょう。バブル前の発想ですね。今はWINDOWS95だって「買ったはいいけど、どうしたらいいんだろう」と呆然としているオジサンたちが多いわけです。だから、人間がこれから先目指すのは、ハイテクノロジーとの結びつきなんかではなく、その辺のアスファルトをもう一遍土に戻したりすることではないか。私はそう信じてます。
 八幡書店で出している『竹内文献』『九鬼文献』とか古史古伝の類。私は一切信じていません。私の作品で『帰ってきた私闘学園』という文庫本の中に、滅法という謎の格闘技の先生を出したんですが、その先生が、オカルトと格闘技は結びついている、で、ハラヒレ文書という物があって、これは今を去ること、三億六千万年前に、ワシの御先祖のハラヒレのフトマキという者が作ったもんじゃ、という事を言うわけですよ。そうすると、別の人物が三億六千万年前に、どうして日本列島があるんだというツッコミを入れる。これが、当時、私の作品を読んだ高校生たちの間で流行った。『ムー』を読んでかぶれた連中に、そういうツッコミを入れるというんです。
 私には前からひっかかっているのですが、たとえば神代文字、あれはイロハの数だけ文字がある。それは変でしょう。言語学的に言えば、昔の言葉の音韻が今と一致していてはおかしい。それに半音や鼻濁音も入っていない。別に勉強してもっと完璧な偽書作れとはいいませんけど、あの古史古伝というのは明治大正の頃にお爺さんたちが神がかって作ったものだけに、もう面白くなってくるくらい科学的ではない。せめてもう少し言語学を勉強してくれとか、ゴンドワナ大陸くらい持ち出してくれとか言いたくなります。
『東日流外三郡誌』というのも、一九七六年、市浦村から出たばかりの頃、私の友人が、とんでもねぇ文章があるというので買ってきたことがある。これは何だろうっていうことで、皆で検討したのですが、どう考えてもおかしい。
 私の手元には明治三年に作られた古地図があります。これがかろうじて北海道の形はあるのですが、内陸部がないんです。中身の抜かれた皮みたいな北海道が描いてある。それで明治なんですね。ところが、それ以前に作られたという地図に細かい所まで描かれている。これは現代の中学生程度の地理学の知識がないとできない。大昔の人がその知識を持っているはずはないんです。

科学教育は潰された?

 八〇年代始めの頃、科学教育というものを巧妙に骨抜きにしようとする動きがあったんじゃないか、そんな気がしませんか。それは中曾根康弘さんが日教組を潰す為にやったのかも知れないし、もう誰がやったのかも判らないのですが。本来、小学生に対しては、科学教育がなされるべきなんです。それが微妙に巧いこと巧いこと骨抜きにされて、気がつくと小学生高学年から中学生高校生に至るまで、活字に書いてあることを丸ごと鵜呑みにするような教育になっている。
 その頃、子供の自殺がやたらと増えました。RPGゲームならいっぺんクリアにしたらもう一回できるわけで、このクリアにするという発想が広まった。とにかく八〇年代初頭はおかしな時代でしたよね。それがだんだんバブルが膨らんでいき、一方では八六年から八八年頃にファンタジーブームというのが起きる。
 ここでブームになるのが英国本来のハイファンタジーに慣れた人にはかえってなじめないような変てこなファンタジーだった。誰かがそういう仕掛けを作って何か危険な方向に子供たちを引っ張ろうとしたのじゃないかと。
 ところがベルリンの壁が壊れたり、ソ連が潰れたりで、そういう連中がやろうとした事も潰れてしまった。そこで、連中が手を引いたので現在の状況が生まれたのじゃないか、そんな気がするんですよ。これはあくまでも私の思い過ごしかも知れませんが。
 しかし、八〇年代の頭といえば教科書問題が起きた時期ですし、科学的思考というものが、この頃、もの凄い勢いで、小学生たち、中高校生たちの頭から消えていったということだけは明らかですね。

麻原彰晃との遭遇

 オウム真理教事件に関してはこんなことがありました。私は、かつてあるオカルト雑誌のメインライターだったのですが、ある時、原稿をその編集部に届けにいくと、なにやら髪の長い、妙な匂いを放つ男とすれちがった。で、編集長が「おい、今誰かとすれ違わなかったか」と聞く。そこでさっきの男のことをいうと「そいつは今、売り出し中のライターなんだ」と。それで、なんという人ですかと聞くと、千葉に住んでいる松本という人だというんですね。で、編集長が見せてくれた写真が例の麻原彰晃が脚を組んで宙を飛ぼうとしているものだったんです。
 事件が起きてから、私は、何度も「頼むからやめてくれ」と叫び続けたことがあります。私が八九年頃から発表し始めた作品で『マジカル・ウォーリアー魔術戦士』というのがあるんです。我々の知らないところで、光と闇の勢力が戦争を始めているという内容です。その闇の戦士たちの略称がワーム。ワームとは蛆虫のことなんですが、符号があまりにもオウムとあい過ぎるわけです。作品ではワームと闘うために既にカトリックの神父さんたちが口裏を合わせて、密かにあちこちの教会の地下に秘密基地を作り、バズーカ砲とか機関銃まで用意しているという話でした。
 で、ワームの人間と闘う時に機関銃を乱射する。何してるんだと、一般人は聞くでしょう。そうするとこう聞き返すわけです。「貴方こそ何していたと思いますか?」
 機関銃乱射してたんじゃないか、と言われようものなら「こんな町中で機関銃をうてると思いますか? そんな人間がどこにいるんですか?」と。
 この手の居直りというか、ロジックをオウム真理教の連中はしょっ中、使ったじゃないですか。こいつらは絶対『マジカル・ウォーリアー』を読んでると思いましたね。私は、オウム真理教に対して著作権を主張したいくらいですよ。

『魔都物語』の反響

 私は『黒衣伝説』という小説でオカルトライター朝松健を知っている人たちに「俺はもう辞めたんだよ」と宣言したつもりだったんです。これは、オカルトなんかに狂っていると、だんだん頭が おかしくなってきて、気がつくと変てこ宗教に巻き込まれるぞ、ということを記した本でした。それに私の分身というべきオカルトライターを登場させた。
 ところがその意図は少しもわかってもらえず、今でも私の作品が実録だと思いこんでいる人がいますね。
『ムー』の場合、はっきりこれは頭のパズル、エンターテイメントなんだ、あるいは『X−ファイル』をより楽しむためのテキストなんだという売り込み方が必要だと思うんです。ところが一時期の『ムー』には「『ムー』を読んでいる君こそが霊的エリートだ」などと書かれていたことがある。この論調がずっと流れていくと「オウム真理教を信じている君こそが霊的エリートだ」という方に果てしなく重なっていってしまう。
 私は作品の中で何度か『ムー』もどきの雑誌を出して、そうした傾向を注意したことがあるんです。ところが『ムー』編集部のM2氏はそれを読むと私に食ってかかる。『魔都物語』が発表された時には、M2氏は『ホルスの槍』の発行者に「全部回収せよ」という電話をかけているんです。発行者も怒って、「何の権限があって同人雑誌を回収しろと言うんだ」と答えたんです。もっと酷いのは『イスカーチェリ』ですよ。
『イスカーチェリ』はSFファンジンで中国やソビエトのSF作家、それにアイザック=アジモフにも、送られているんですよ。M2氏は『イスカーチェリ』の事務局にも電話をかけて、回収しろと言ったそうです。ならば、M2さんは、かれの名前でアジモフに回収すると連絡するのだろうか、なんとも言いがたいですね。
『イスカーチェリ』に「魔都物語」が掲載された時には、何人かの、現在は、シミュレーション小説を書いている人たちから、オカルトって世界は物騒だな、あんまり近づかないようにしようという声が聞こえましたね。『ホルスの槍』の読者の人たちは、みんな魔術師ですけど、その彼らもこういうのは勘弁してよと、そういう意見でしたね。
 私は会社辞めてから、小説家としてデビューするまで『ムー』には、オカルトライターとして食わせてもらったわけですよ。生活の糧をいただいていた。『ムー』の編集長だった太田さんには恩義を感じているし、現編集長の大森崇さんは、いい人だと思っているんです。だから『ムー』に対しては悪口は言いたくないんですね。それなのに「だから『ムー』は……」と私に言わせてしまうような人がいる。そういう人さえいなければ、私はまたニコニコして学研での仕事ができるんですけれどね。
 まあ、さすがに太田さんも大森さんも大人だから、このインタビューを読んだからといって私の本を絶版にする事はない、と思いますけど。

『ムー』と日本オカルト

 八〇年代中頃の『ムー』といえば日本オカルトのめじろおしでした。なぜ、日本オカルトが誌面で急に伸びていったかといいますと、まず『ムー』は、創刊一年目にしてすでに自家中毒症状をおこしているんですね。つまりUFO、超能力、予言とこんなタネだけをいくら転がしてもいい加減、尽きるんですよ。去年おなじ事やったじゃんかって子供にタカくくられるのがオチなんです。こういう時にカンフル剤として利くのが日本オカルト。たとえば、木村鷹太郎とかですね、これは結構ネタ的におもしろいから、子供が食いついてくる。『ムー』の読者アンケート調査というのは『少年ジャンプ』並の厳しさですから、それでいいセンいったとなるとセンセイ扱いです。で、全然結果に出なかったとなると後がない。私の場合には、ク・リトル・リトル神話と魔術という、この二本のネタで何とか食い込んだんですよ。武田氏の場合には持ち札は日本オカルトという同じ色の札でしたが人物札が多いわけです。日本オカルトの世界には変てこな人物がたくさんいますからね。それだけでも一年以上は持つ。
 だから、それで、日本オカルトがあの当時、『ムー』編集部から注目された。ところが日本オカルトには、恐ろしい毒があるんですよ。そこには日本人の潜在的無意識に眠っている衝動を揺り動かす何かがある。つまり日本人こそが、根源民族、単一民族で神に選ばれし民だという妄想です。この種のものは多分あらゆる東洋系の民族の潜在意識に眠っているんじゃないかと思います。中国人もそうでしょう。韓国人もそうでしょう。その眠っているものを目覚めさせる起爆剤というか、スイッチというか、それが民族主義オカルトなんです。それをいったんカチッと外しちまうと、ドカンとくる。それがおとなしい形で出ると『ムー』が三五万部出て、やった、万歳と。
 ところがこれが大きくなってごらんなさい。戦争で、進め一億火の玉だ、とこうなるんですよ。
 同じ頃、荒俣さんの『帝都物語』が売れてきていた。あの中に描かれたものはまさしく日本オカルトで、しかも八幡書店のフィールドと重なる部分を微妙にかわしている。あれも何かあったような気がしますね。荒俣さんと武田氏、武邑氏の間には『世界神秘学辞典』の時、ちょっとした金銭トラブルがあったんです。
 ちょっと話は変わりますが、私の作品の『逆宇宙ハンターズ』第三巻(『黄金鬼の城』ソノラマ文庫)に梅宮元京というキャラクターを作ったんですよ。これは日本人こそ世界を支配するべき選ばれた民族で、自分は来るべきハルマゲドンを救う救世主と信じている頭のおかしい人なんです。最期は生きている遮光器土偶に囲まれて、アラハバキ様万歳とかいって終わるんです。
 このキャラクターを書いている内に、だんだん喋り口調とかが武田氏に似てきて、気がつくと武田氏そのものになってしまった。で、本が出てから、ああ、やばいな、こりゃまた、朝日ソノラマに武田氏から、なんか言ってくるかなと思っていたら、幸い何もありませんでした。
 武田氏は一九七六年から『地球ロマン』編集長になるんですが、その版元になった絃映社というのは、もともと『幻影城』という探偵小説雑誌を出していた会社です。雑誌が潰れてから、その社長がマニアックな人間を編集長に据えると『幻影城』の夢がもう一回味わえるんじゃないかと思ったんですね。で、探しに探して武田洋一を見つけて、そうしたらかえって会社が傾いてしまった。
 そこで武田氏が建て直し作として出したのが『HEAVEN』や『少女アリス』などの自販機本です。自販機本というのは汚いんです。フリークスとスカトロジーの話ばっかりですよ。だからそのころの汚い物、うさんくさい物の話というと絃映社と編集人武田洋一という名前がよく出てくるんです。何でそんなことを知ってるかというと、神秘思想研の後輩にこの手の本のコレクターがいるからなんですが。
 ところで『幻影城』といえば田中芳樹、泡坂妻男、連城三紀彦の諸氏がデビューした雑誌で、編集長は膨大な探偵小説の蔵書を持っていたんですが、雑誌が潰れてから、編集長は台湾に渡り、蔵書は借金のカタに抑えられて、どこにも残っていません。それから絃映社周辺でやっていた人たちが、一つはアニメオタクからゲームの方に行き、あるいはSF、オカルト、ホラー映画、伝奇バイオレンス小説などの方に行くということで それぞれ別れていく。その流れの中で武田氏は竹熊健太郎さんとか、友成純一さんとも関わっています。みな、いろいろ面白い話を抱え込んでいるはずですよ。

鎌田東二氏のこと

 私が国書刊行会にいたころのことですが、鎌田東二という方が『水神伝説』という本を送ってきた。それから鎌田氏本人がわざわざ国書の編集部に来たんです。オカルトに理解のある編集者に会いたいということで。その時、私、クロウリーの本を訳された先生と打合せをしていたんですが、その先生は鎌田氏の名を聞くなり、「じゃ、そういうことで俺帰るからさぁ」と引き上げてしまった。で、鎌田氏は私と会うなりこう切り出すわけです。
「ひとの思いというものは、月に満たされて、月の食い物になる」と、初対面でいきなりこう言われて、私は次になんと応えたらいいのか困ってしまいました。
 それから、鎌田氏がギリシャに行った時、朝焼けのオリンポス神殿で神々しい気分になり全裸になって、思わず祝詞をあげてしまった、とか聞かされて、あんまり、こういう人と御近づきになりたくないなぁ、と思った。
 で、この鎌田氏が新進神道学者として売り出すと、武田氏が一方的にね、鎌田氏を攻撃するわけです。ところがその時、武田氏が流したといわれる怪文書の内容というのが「鎌田東二は、共産党員である」と。今時、そんなこと攻撃の対象にはなりませんよね。
 鎌田氏は鎌田氏で、なんかねぇ、私に焚きつけるんですよ、復刻ネタをやろうと、大本教の機関紙の『神霊界』がいい、その復刻をやろうと。
 やだなぁ、それやったら、武田氏からまたなんか、言われるだろうなぁと思いながらも、大本本部に連絡して、いざ行こうとすると、鎌田氏は「いや。その日は用事がある」と。しょうがないから、私は皇学館大学出身の同僚と二人で大本本部まで行って、幹部の方と話をした。すると「『神霊界』という雑誌は大本本部にもない」と。そこで、あぁそうですか、と帰ろうとしたら、「待ちたまえ。武田という人物が持っている」
 そんなことならもういらないと、ほとんどギャグですよ。オカルトギャグというか、そういうセコい滑稽な話しか出ない。
 これを読んだ人が、大いに目から鱗を落として、オカルトなんかちっとも凄くないメディアなんだということを知ってもらえばありがたいですね。
 武田氏にしろ、鎌田氏にしろ、荒俣さんにしろ、みんな賢しい駄々っ子という感じです。今の私はオカルト界から足を洗って、小説界で大人を相手にしているわけで、この方が本当に楽しいと思う。
 と学会の人たちにしても、自分のかつてやっていたことに口を拭って人のくだらない記事の揚げ足取りをやっているようなところもある。私はオカルトなんてネタで一年半ばかり生活の糧を得ていた、そのことについて逃げも隠れもしないし、隠しもしない。
 と学会の人、トンデモ本の読者の人に忠告しますが、それを対岸の火事だと思って笑っていると、貴方の後ろに火のついた松明を持ってる奴がいるかもしれない。とにかく危ない本を書く人は危ない人であり、その本を読む人の中にも信じている人はいるということなんです。オカルトはシャレにしやすいけど一方ではシャレにならない部分、オカルトの毒というものがある。皆、オカルトで遊ぶのもいいけれど、あんまりオカルトいじくるとゾンビと遊ぶようなもんで、いきなりバクッとくるよ、ということをですね、私は言っておきたいんですよ。(談)




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