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投稿者 DC 日時 2001 年 9 月 02 日 14:44:36:

回答先: いまごろ追加してもだれも読まないか(笑) 投稿者 DC 日時 2001 年 9 月 02 日 14:27:00:

http://www.world-reader.ne.jp/renasci/another/yawata-010814.html

『日本・世界の再生』・もう一つの視点

WR0911 靖国問題の不思議 −靖国神社に小泉首相が参拝することをめぐっ
て、國の内外で議論が起こっているが、この問題にはいくつかの「不思議」がつき
まとっている。議論のされ方がおかしいだけではなく、まことに摩訶不思議なこと
も行われている。それが、今回の問題を難しくしている最大の原因である。
(2001/8/14)
元上智大学教授・ザンクトガレン大学客員教授:八幡康貞


靖国神社への小泉首相の参拝をめぐって、國の内外で議論が起こっているが、
この問題にはいくつかの「不思議」がつきまとっている。議論のされ方がおかしいだ
けではなく、まことに摩訶不思議なことも行われている。それが、今回の問題を難し
くしている最大の原因である。


 自由世界で、もっとも反宗教的な日本

最初に確かめておきたいことは、全国民を巻き込んだ戦争の犠牲者の霊に対し、政治
の最高指導者が、敬意と感謝の念を表すために参拝することは、当然、宗教的意味合
いの行為ではあるが、国家の政教分離の原則とは矛盾しないということだ。
政教分離とは、まず第一に、宗教団体の政治への介入や影響を排除すること、第二に、
国家が特定の宗教団体に偏った支援をしないことである。国家或いは地方公共団体が、
宗教的なものと一切関係してはならないという解釈は、政教分離ではなくて、むしろ
「反宗教主義」でしかない。国家がある人物の死を国葬をもって弔う場合も、その人
物が属している、あるいは信奉していた宗教の儀式で行っても問題はないはずだ。

人の死を弔うという行為はそれ自体宗教的な事柄である。それはむしろ特定の宗教以
前の、普遍的な人間的行為(人間は、宗教的動物である)であり、宗派を問わず行わ
れていることである。旧ソビエト連邦は、反宗教主義と無神論をイデロギーの基礎に
した共産主義国家であったが、その旧ソ連が、ベルリン攻防戦のソ連軍戦没兵士追悼
のために建設した広大な記念施設には、特定の宗教色こそ表現されていないにしても、
きわめて荘厳で宗教的な雰囲気が満ちあふれていた。あのような国家においてさえ、
民族の戦争の犠牲になった兵士を祈念するにあたっては、どうしても、「宗教的」に
ならざるを得なかったのである。従って、死者を弔う公式行事を、いっさいの宗教色
を払拭した様式で行うというのは不思議なことであり、死者に対する非礼でさえある。
日本ほど、政教分離を曲解し、事実上反宗教的である国家は、自由世界では他にその
例を見ないといって良い。


 厚生省が「霊界住民票」(?)を発行するというルール違反

次に、今問題になっている靖国神社であるが、「A級戦犯の合祀・分祀」をめぐって
議論がなされている。靖国神社は、墓地ではない、従って、合祀・分祀と言ってみて
も、死者の骨を動かすことを意味しているわけではない。死者の「霊」を合祀・分祀
するといっているわけだ。しかし、合祀される「霊」は、厚生省(現厚生労働省)に
よって公務死と認定された人(遺族年金の支給など、遺族援護法の対象となる人々)
の「霊」なのだそうである。宗教法人靖国神社は、誰が合祀されるかを、厚生省が作
成する「祭神名票」の「通知」を受け、それに基づいて決めているということだ。
しかし、これは、「摩訶不思議」なことだ。いつから、厚生省は、「祭神名票」とい
う、いわば「霊界住民票」のような文書を靖国神社に発行し、神社にまつられるべき
「霊」の「居住資格」(公務死)の認定までやるようになったのか。いったい、いつ
から、厚生省は、「あの世」のことまで決められるような、「伏魔殿」ならぬ「大魔
王」的な力を付けるようになったのか? 厚生省は行政官庁なのか、それとも冥界の
霊まで取り仕切る宗教的な機関でもあるのか?

また、厚生省の通知を待って祭神を決めるという宗教法人というのも不思議な存在で
ある。いったい、「八百万の神々」が「知ろしめす」向こう側の世界、この世ならざ
る世界の事柄を、一介の行政官庁が決定できることを容認し、その通知を、あたかも
区役所の住民課のように、忠実に執行する宗教法人とはどういう存在なのか。ひょっ
とすると、未だに国家機関であるかのような錯覚が残っているのではないか? この
様なやりかたこそ、まさに政教分離の原則に反する行為ではないのか?

「あの世」での問題を、政府機関の「通達」や、神社側の人間の「決定」によって、
まるで日常世界の中で物事を決めるように操作できると考えているところが、いかに
も可笑しい。さすがに、靖国神社側も、昭和41年に厚生省から届いた、A旧戦犯を
ふくむ「祭神名票」に対して、実に12年間なにも反応せず、宮司交代後の昭和53
年になって、はじめて「A旧戦犯」を合祀したのだそうだ。もっともこの沈黙は、現
世の中での様々な利害の衝突を勘案してのことであったのかもしれない。


 「王のものは王に、神のものは神に返せ」

そもそも、神社は墓所ではない。死者の霊に祈り、死者の霊と出会うところである。
しかし、そこには、死者の霊と直接関係のある「何か」があるわけではないのだから、
神社に参拝してどのように死者の霊と相対するか、ということは、参拝する人それぞ
れの自由な想念の問題である。靖国神社の場合も、戦没者という大枠以外に、参拝者
の想念を規定する要因は何もない。従って、「祭神名票」に基づいた「合祀」という、
きわめて思慮に欠けた出来事さえなければ、小泉首相も、「死者の世界がどうなって
いるか、生きている者にわかるはずがない。従って、戦争でなくなった人々の霊をま
つる靖国神社に戦犯になった人々の霊が一緒になっているのかどうか、知ることがで
きるわけもない。それは、神々が決めることだ」、と言ってのけることができたはず
だ。

ちなみに、世界中のカトリック教会では、西暦10世紀の末以来、11月2日は、
「すべての死者の日」(All Souls Day ; Allerseelen)と定められており、「すべ
ての」死者の霊を弔う行事が行われる。しかし、どのような死者の霊を対象とし、ど
の種類の死者の霊をはずすかなどという議論は聞いたことがない。ましてや、特定の
官庁が、その対象者のリストを作って教会に通知するなどということなど、あり得な
い。死後の世界で、死者の霊がどうなるのか、それは神のみが知る問題である。ヨー
ロッパでは昔からいわれているように、「王のものは王に、神のものは神に返せ」と
言うことなのだ。

靖国神社の前で、朝鮮半島出身者の一団が座り込みを始めているというニュースを見
た。戦争中に日本軍人として従軍した戦没者の遺族だそうである。一方的に靖国神社
に合祀されていることに抗議してのことだそうである。考えてみると、終戦後に、日
本国政府は、当時日本に居住していた朝鮮半島と台湾の出身者に対し、一方的に、彼
らを外国人と見なすことを告知した。一方的に日本国籍を与えられ、また一方的にそ
れを剥奪されたわけである。ナチ・ドイツはオーストリアを併合し、オーストリア国
籍を廃してすべてドイツ国籍にしてしまった。戦後、西ドイツ政府は、ドイツ国内に
居住していた旧オーストリア出身者に対し、ドイツ国籍にとどまるか、或いは復活し
たオーストリア国籍を取得するか、自由に選択させた。その結果、ドイツには、いわ
ゆる「在日」のような問題は存在しない。戦後日本政府の(日本国内に居住する日本
人住民に対しても)一方的な措置が、「在日」問題を生み、今また「朝鮮半島出身者
の靖国合祀」問題を生じさせているのだ。

(2001/8/13 原稿作成)


八幡康貞:
上智大学大学院(哲学)で学び,1960年渡独,ミュンヘン大学(社会学)に学ぶ。
「Ostasien-Institut e.V.:東アジア研究所」(ボン)代表理事,「Die Wirtschaft
Ostasiens:東アジア経済」(週刊)発行。「Nachrichten fuer Aussenhandel:貿易 ニュース」(ケルン,日刊紙)編
集部記者。
1977年帰国,日本大学国際関係学部助教授,上智大学比較文化学部教授。その間
(1992−1997)ザンクトガレン大学,チューリヒ大学,ハレ=ヴィッテんベルク大学
客員教授。
上智大学を定年退職後,ザンクトガレン経営大学院(在日代表),日本大学大学院,
日本大学経済学部,上智大学文学部,同外国語学部兼任講師。
SWISS-JAPAN JOURNAL(Zuerich) 共同編集人。

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