スフィンクスの謎はアトランティスへ続く

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投稿者 SP' 日時 2001 年 11 月 03 日 20:31:22:

『超古代文明 奇跡の真相 ピラミッドが知っている人類創生の秘密』(佐和宙著、KKベストセラーズ、1997)2章。


 ◆スフィンクスの謎に挑んだルービッチ

 人間の頭部にライオンの胴体、旅人になぞなぞを出しては次々と食い殺していたと伝えられるスフィンクスは、ピラミッドと並んでエジプト文明を代表する遺物と考えられてきた。
 実際のところ、スフィンクスをバックにして砂漠を行くラクダのキャラバンの構図は、エジプトという国を端的に示すステレオタイプ的なイメージとしてさまざまな媒体で使用され続けてきた。しかし、スフィンクスは本当にエジプト文明特有の文化遺産なのだろうか。
 史上はじめてスフィンクスの建造年代に疑問を抱いたのは、R・A・シュウォラー・デ・ルービッチというフランス人科学者だった。彼は一九四〇年代、著書『SACRED SCIENCE』(聖なる科学)の中でスフィンクスの本体に水による侵食の痕跡があるという事実を指摘していた。この侵食痕はエジプト文明発祥のはるか以前に残されたものであり、したがってスフィンクスはエジプト文明独自の遺跡ではないというのが彼の持説だった。
 しかし当時の考古学界は、当然のことながらルービッチの学説を一蹴した。圧倒的な砂漠気候が占める国の遺跡に、水分による侵食痕など認められるわけがない、というのがその理由である。
 ルービッチはまずエジプト南部に位置するルクソールで徹底的な現地調査を行った。
 この時の調査では、現地に数多く残されている遺跡の配置の独自性も明らかになった。ルクソールの遺跡は寺院が多く、すべてが幾何学的配置となっている。大きな謎とされていた遺跡の配置そのものに研究の先鞭をつけたのがルービッチだったといっていいだろう。遺跡全体にわたる調査を一通り終えたルービッチは、一九四七年に第一次報告書をまとめた。この報告書をもとに、一九五七年にはさらに踏み込んだ論文の形式にして自説を発表したが、見向きもされないままに終わってしまったのである。彼の意図は、ルクソールの遺跡では見られない水分による侵食のパターンがスフィンクスに残されているという事実を明らかにすることにあった。
 さらに確証を求めてエジプトに旅立ったルービッチは、ギザの大ピラミッドにも調査を加えることにした。
 ピラミッドとそれを守るとされるスフィンクスの風化の度合に大きな差があることはわかっていた。今回の調査の目的は、大ピラミッドとスフィンクスの風化の差を調べることにある。現地における綿密な調査の結果、スフィンクスには水分による侵食の痕跡があることが確認されたのだ。ピラミッドやルクソールの寺院の遺跡ではまったく発見できなかった侵食のパターンが、スフィンクスにはくっきりと残されていた。
 ルービッチの学説発表から三〇年ほど経過した時点で、それに大きな興味を抱き、大々的な現地調査を実施しようという人物が現れた。ジョン・アンソニー・ウェストというアメリカ人研究家である。スフィンクスの謎について語る際、彼の名を外すことはできない。
 ウェストは『SERPENT IN THE SKY : THE HIGH WISDOM OF ANCIENT EGYPT』(天空の大蛇:古代エジプトの叡智)という著書の中で、ルービッチ説について詳しく触れている。彼がこの本を書いたのは一九七二年だったが、それでも決してルービッチ説が快く受け入れられることはなかった。当時の主流派エジプト学者たちはあえてウェストの主張と著書を無視するような行動をとったのである。
 主流派学者の冷たい態度には目もくれず、ウェストは独自の研究を着々と進めていった。やがて一九八〇年代後半、千載一遇のチャンスが訪れる。ボストン大学の著名な地質学者、ロバート・M・ショーク博士がエジプト現地調査に同行するのを快諾してくれたのだ。
 かくてウェストは、ルービッチが行ったのと同様の調査を再現できることになった。最初の調査からは約四〇年が経過している。この間科学技術は飛躍的な発達を遂げた。ルービッチの調査ではわからなかった事実も明らかになるかもしれない。ウェストの期待はいやが上にもふくらんだのである。

 ◆衝撃の新事実

 ウェストが一九九〇年に行った現地調査の結果明らかになった事実は、まさに衝撃的と呼ぶにふさわしいものだった。スフィンクスの本体には、やはり水による侵食痕が歴然と刻み込まれていたのである。ルービッチ説は正しかったのだ。
 しかし、この時点でスフィンクスに関する命題ともいえる疑問がウェストとショーク博士をとらえた。砂漠が国土の大部分を占めるエジプトの歴史的建造物に、水による侵食痕があるというのはどういうことか。スフィンクスは、エジプトが砂漠に覆われるはるか前の時代から存在していたのだろうか。
 エジプトに最後の大規模な雨期が訪れたのは、紀元前五〇〇〇年である。水による侵食を受けるためには、スフィンクスが紀元前五〇〇〇年より前の時代に造られていなければならない。しかし、最後の雨期からエジプト文明発祥までには、何千年という単位の歴史的ギャップがあるのだ。
 九〇年代の最新エジプト学では、スフィンクスの建造年代がこれまで考えられていたよりもはるかに昔だったということが科学的事実となっている。その建造年代は、紀元前七〇〇〇年から五〇〇〇年くらい前ではなかったか、というのが現在の学術的コンセンサスとして認められているのだ。この数字は放射性炭素年代測定法を使って算出されたもので、信頼性はきわめて高い。これがもし事実であるならば、にわかには信じがたい話ではないか。脈々と研究され続けてきた考古学という学問分野に、疑念が生じてしまうことになりかねない。今から何世紀か前の時代のスフィンクスは、頭部だけを砂の上に突き出した姿だったということが考えられる。
 ライオンの形をした胴体は、後の時代になってから掘り出されたものなのだ。スフィンクスの顔は東に向いているが、その視線の先には“スフィンクスの寺院”と名づけられた遺跡があり、南方向に向かって続く寺院と一対で“カフラの谷の遺跡”と呼ばれていた。
 さて、ウェストとショーク博士はスフィンクス本体、そして隣接する寺院の風化状態を比較することから調査を開始した。本体および周囲の壁の状態はひどく、風化が激しいことは見た目にも明らかだったという。風化で特に目立ったのは、建材として使われている岩の角の部分が丸くなってしまっていることだった。エジプトの遺跡の特徴として挙げられるのは、砂まじりの風が強く吹きつけるために生じる直線的・鋭角的な風化の痕跡である。
 現在の地球の気候分布は、氷河期の後に完成した。氷河期前の時代におけるサハラ砂漠は、青々とした草原に覆われたアフリカのような気候帯に属していたのだ。氷河期の後に急速な砂漠化が進行し、現在のエジプトの砂漠気候が完成した。こうした気候的変化が起こったのは、紀元前一万年から五〇〇〇年くらいの間ではなかったかと考えられている。
 調査では、水による侵食痕が一番顕著なのはスフィンクスの上部半分であることが明らかとなった。この事実は、スフィンクス全体が長い期間雨にさらされていた事実を示すことにほかならない。水分による侵食の痕跡は、頭に近づくにつれてきわだっているのだ。
 翌年の調査には、地球物理学者トーマス・ドベッキも同行した。スフィンクスの土台部分に対し、ドベッキの専門である音波による測定を加えるためだ。こうした調査を行えば、土台の部分にも降雨による侵食の痕跡が存在するかどうかを確認できる。岩石の内部にできた亀裂や侵食の痕跡は、全体に音波を当て、反響を測定することによってその存在を知ることが可能なのである。
 検査の結果、スフィンクスの正面から側面を囲っている壁に残された痕跡の深さは一五〜二〇センチに達していることがわかった。
 ところが、真後ろの部分を囲う壁の岩に残された傷の深さはせいぜい一〇センチ程度である。ショーク博士は、スフィンクスの後ろを固める壁は比較的新しい時代に造られたものであるという結論を下した。前にも述べたとおり、現在のエジプト学においては、スフィンクスの建造年代は紀元前七〇〇〇年から五〇〇〇年ということになっている。これまでいわれてきた建造年代は、せいぜい紀元前二五〇〇年程度だった。
 七〇〇〇年も昔からエジプトを見つめ、人類の発達を見守ってきたスフィンクスを造ったのは誰だったのか。
 これまで明らかになった科学的事実を見る限り、それが古代エジプト人でなかったことだけは確かだ。どうやらわれわれは、人類の歴史や世界最古の文明という概念を根本から見直さなければならなくなりそうだ。

 ◆隠し部屋とケイシーのリーディング

 スフィンクスに隠し通路があるのではないかという疑問は、研究家の間ではずいぶん話題に上ってきたことだ。実際、一九二六年に行われた大改修工事の際に塞がれた通路が発見されていたのは広く知られている事実である。しかし、その場所を明記した記録の類が一切存在しなかったことにより、隠し通路の研究は一向に進展を見なかったのだ。
 現在行われている調査でその存在が明らかになったのは、スフィンクスの前足から尻尾にかけての曲線部に切り込まれたもので、本体のかなり深部にまで達する長いものだ。スフィンクスの側面部の長さは約七二メートルあるが、隠し通路はこの側面のほぼ全体をカバーするくらいの規模を持つ。
 これまでの調査の結果、通路が造られたのはエジプト王朝時代らしいことがわかっている。問題は、この通路が誰の手によって何のために造られたものであるのか、そしてこの通路の先には何があるのかということなのだ。
 エジプト考古庁のザヒ・ハワス長官は、通路の入り口を塞いでいる石板を撤去して、すぐに内部を調査するという行動には出なかった。隠し通路の存在が明らかになって最初の記者会見の席で、ハワスは新発見にそれほど期待はできない、ということを暗に匂わせていた。そしてそこには何か意図的なものが感じられたのも確かである。スフィンクスに隠し通路があったというのは驚愕すべき新事実だろう。だからといって、これまでのエジプト歴史観が根底から覆されるようなことはない、というのが彼のスタンスだったようだ。
 昨今エジプト考古庁の意向を無視するような形での“斬新”な調査がエジプト各地で行われている。自称研究家の数をこれ以上増やさないためにも、ハワスは何らかの予防措置を取らざるをえなかったのだろう。
 確かに、今まで以上の副葬品の類が発見されるとも思えないが、通路に転がっている石、それこそが研究家にとっての一番の宝ではないだろうか。隠し通路に転がっている石を分析すれば、スフィンクス内部で起こっていたことを知るのに大きな手がかりとなることは間違いないのだ。
 初期のエジプト王朝について記された文書は、現在ほとんど残されていない。こうした文書がスフィンクスの中に隠されているのではないかと考える研究者は多い。隠し通路はスフィンクスの内部へと続き、その先にある隠し部屋に初期のエジプト王朝に関する記録がしまい込まれているのかもしれないのだ。
 一九九四年の夏、補修工事に当たっていた人物が通路を進み(この通路はスフィンクスを正面から見て左側にあたる)、行けるところまで行ったが、それから先は積み上げられた石に行く手を阻まれてしまった。
 過去の記録を調べてみると、一九二六年の補修作業は、スフィンクス本体が砂の中から掘り出された直後に行われている。隠し通路の入り口に立ってポーズを取っている男の写真も見つかった。入り口はその後密閉されてしまったのだ。また、この時新しい発見があったかどうかについての記述は何もなかった。
 スフィンクスの内部には隠し部屋があるのだろうか。もしそれが存在するならば、中に収められているものは何なのか。
 実は、スフィンクスの隠し部屋とそこに収められているものについて詳しく語った人物がいる。今世紀最大の霊能者と謳われたエドガー・ケイシーである。
 ケイシーはリーディング(トランス状態に陥って特定の時代の出来事を目撃すること)の際、スフィンクスの右手の下に隠し通路の入り口があると語ったことがある。この通路はスフィンクス本体を通過してナイル川の方向に延びている。そして、スフィンクスとナイル川のちょうど中間にある地下施設が“アトランティスの大記録庫”だというのだ。
 ケイシーは、スフィンクスの秘密に関するリーディングをいくつか残している。ここでその主なものを紹介しておこう。
「アトランティスの叡智は、世界各地に分散した記録庫に収められている。一つは海の底に沈んでしまったアトランティスにある。アトランティスは再興するだろう。再興のプロセスはすでに始まっている。エジプトに残された記録庫は、スフィンクスの内部に作られた通路を通ってたどり着くことができる。記録庫はメキシコのユカタン半島にも存在する。ここでも、大きな建造物がカモフラージュとなるような構造となっているのだ」(一九三九年九月二五日のリーディング)
「初期のエジプト王朝の記録は、確実に存在する。記録庫の扉が開くのも、時間の問題だろう」(一九四一年七月一七日)
「スフィンクスとピラミッド群は地下通路でつながっている。記録を保存するため特別に造られたピラミッドもある」(一九四四年一月二〇日)
「記録庫は現在のところ密閉状態にある。ここに収められているのはアトランティスの叡智のすべて、そして人類の進化に関するすべてだ。地球上を襲った大災害、そしてその後に建設された新世界についての記録もある。地球の各地での人々の暮らしやそれぞれの国の特徴、記録が収められているピラミッドのこと……。すべてが明らかになるためには、アトランティスが再興しなければならない。すべての叡智に通じる道は、スフィンクスの右足から続いている。スフィンクスとナイル川の中間地点には、人類の叡智の記録が眠っているのだ」(一九三三年一〇月二九日)
 ケイシーはこのように、隠し通路と“記録庫”と呼ばれている隠し部屋の位置、そしてそこに収められているものについて、実に具体的な言葉で語っているのである。

 ◆記録庫は実在するのか?

 ケイシーが語った“アトランティスの叡智”を収めた大記録庫の存在は学術的に証明できるだろうか。
 この問題について集中的な研究を行っているジョゼフ・ロバート・ジョクマンズという学者がいる。彼は記録庫に関するありとあらゆる文献をあたり、その発見の可能性について述べた論文をインターネット上で発表した。以下はその論文の抜粋である。
 彼がまず驚くべき事実として挙げているのが、ごく最近見つかった王家の谷の集合墓地だ。この墓地はエジプト王ラムセス二世の息子たちが葬られている場所である。王家の谷には一世紀以上にわたって綿密な学術的調査が行われているが、なぜ今までこのような大規模集合墓地が発見されなかったのか。
 王家の谷は古代エジプト研究の出発点と呼べる遺跡であり、すでに十分すぎるほど研究されていたはずなのだ。これまで王家の谷で調査を行った何百人というエジプト学者たちの目は節穴だったのか。ツタンカーメン王の墓が発見されたのも、この王家の谷だった。大規模墓所でさえつい最近になって発見されたのに、伝説の記録庫がそうそう簡単に見つかるはずがないではないか。
 エジプトが国として発祥するはるか昔から栄えていた古代の超先進文明の叡智を集約した部屋が、まるでタイムカプセルのように存在している──多くの文献が、ギザの大ピラミッドとスフィンクスの間のどこかに隠されている大記録庫の存在を指し示しているのは事実なのだ。
 ジョクマンズ博士が最初の手がかりとしたのは、スフィンクスの近郊で見つかった数枚の粘土板だった。今から三〇〇〇〜四〇〇〇年前に作られたものと思われるこれらの粘土板には、台座の上に乗せられた大きな動物の絵が描かれている。この年代のエジプトの絵画には、背景には何も描かないというのが主流を占めていた手法だった。それにもかかわらず、ジョクマンズ博士が発見した粘土板には、ピラミッドを背景にした動物の姿が描き込まれていたのだ。ピラミッドを背景にして立つ大きな動物。それはスフィンクス以外に考えられないではないか。
 さらに粘土板の検証を進めたジョクマンズ博士は、合計八枚の絵に関連性があることに気づいた。つまり、一枚目はスフィンクスの全体像、その次は少し寄った絵という具合に、カメラが徐々にズームアップして特定の場所を示すような構成になっているのだ。
 一連の絵には、スフィンクスの台座に作られた扉も、前足の間に立てられた有名なトトメス四世の石碑もしっかりと描き込まれていた。さらには、スフィンクス本体が巨体を横たえる台座の部分にも入り口様の部分が見られるではないか。
 この絵の信憑性を裏付ける材料はこれだけではない。現在ルーブル博物館に保管されている“ナゼムの石碑”という遺物があるが、この石碑までが描き込まれていたのだ。ナゼムの石碑の前には、六段の階段が備え付けられていた。
 主流派エジプト学者たちは、この階段はスフィンクス本体の近くにある“スフィンクスの寺院”を描いたものだと主張した。粘土板を真正面から見ると、確かにスフィンクスはこの階段状構造の真上に座っているようには見えない。遠近法を使って描かれたものなら(この時代に遠近法を使って描かれた絵が存在すること自体驚きだが)、スフィンクスの寺院が前に来ているように見える描写法は理にかなっている。
 しかしこの絵を描いた人物は、スフィンクスの真横に立ち、下から見上げた場面を粘土板に残したのだ。

 ◆すべてを記した“寺院の聖なる書”とは

 スフィンクスの周囲を埋めていた砂が完全に取り除かれたのは、一九三〇年代のことだった。この時はじめて、スフィンクスが台座の上に据えられていたことが明らかになったのである。この台座が粘土板に残されたものと同じだとしたら、台座の南面には階段状構造があるはずだ。この階段状構造を探すことが、秘密の大記録庫へ到達する第一歩となる。
 大記録庫の秘密を語る古文書は、“ビルディング・テキスト”と呼ばれている。この文書が見つかったのは、エジプト南部エドフの“ホルスの神殿”だった。ビルディング・テキストは、今は行方がわからなくなってしまった多くの古文書に関する目録“寺院の聖なる書”について詳しく触れたものである。
 この“寺院の聖なる書”という古文書を発見し解読することが可能であれば、エジプト文明に関する謎はほとんど解明できるだろう。なにせ、初期のエジプト文明まで溯る形で、ありとあらゆる寺院の歴史と由来について書かれたものである。そしてこれを書いたのは、古代エジプトの知恵の神“聖なる心”だと伝えられているのだ。
 ビルディング・テキストに話を戻そう。その記述によると、すべての聖なる記録とパワーストーンが大記録庫に収められたとなっている。古代の叡智を一ヶ所に集め、封印したのは“聖なる心”だった。秘密を守るため、記録庫の外には大きな柱が立てられ、アリ一匹さえも入れないよう細心の注意が払われた。
 この場所は後に“王位と魂の場”と呼ばれるようになり、エジプト王家に伝わる秘儀中の秘儀の儀式が執り行われる場となった。その存在を知る者は、王族以外では厳選された番人だけだったのである。
 現存する記録にも目を通してみよう。ここで内容を吟味するのは、エジプト第四王朝時代の記録“ウェストカー・パピルス”である(パピルスとは植物繊維をより合わせて作った紙のことで、古代エジプトの記録はこうした紙に残されていることが多い)
 語り口調で綴られたこの物語の主人公は、古代の叡智を記した書物のありかを知っていたジェダという預言者である。
 ある日ジェダは、記録庫の鍵が保管されている場所をクフ王に教えた。鍵はエジプト第一王朝第五代の王サプティを奉った神殿内に隠されているという。鍵はサプティの神殿内の図書室の中、書物の中に紛れている。この部屋の壁は砂岩のブロックで造られており、どれかを押すと鍵を入れた小箱が出てくる。この鍵こそが秘密の大記録庫の扉を開けるものだというのだ。
 クフ王はジェダに鍵を持ってくるよう命じた。しかしジェダは、自分にはそんな力はないという。自分で鍵を持ってくることができないかわりに、ジェダは予言した。鍵を発見するのはヘリオポリス(ナイル三角州に存在した古代都市)の高僧夫妻に生まれる三人の息子のうちの一人である。そして、この子が生まれるのはタイビ月(現代の一〇〜一一月にあたる)の一五日目だという。
 エジプト学の一般的な解釈によると、この三人の息子というのは、第五王朝の初代から三代目の王だったとされている。しかし、エジプトの古文書というのは一つの文章に階層的な意味を含ませるのが一般的で、必ずしも一つの事実だけを示すものではないのだ。したがって、行間に隠された真意が他に絶対にないとは言い切れない。つまり、秘密の記録庫を見つける王子の出現の時期を特定することはできないのである。
 ヘリオポリスの遺跡に対しては、今日も大規模な調査が加えられている。地中から姿を現しつつあるのは、カイロの郊外にあたる町並みだ。残念なことに、サプティ王の神殿はまだ見つかっていない。

 ◆大ピラミッドの下に広がる一大地下施設

 古代エジプトの言語に造詣の深い作家ゼカリア・シッチンは、第一八王朝の時代に創られた叙事詩に並々ならぬ興味を感じている。
 この詩はアムンという名の神をたたえるもので、天空の仕組みを正確に管理するスフィンクスの役割についても触れられている。そして驚いたことに、この詩にもスフィンクスの足元に造られた扉が出てくるのだ。天体の運行を司るアムンは、ある日すべての星の動きを文字の形でスフィンクスの中に保管しておこうと思いつく。そこで、知恵の神“聖なる心”の助けを借りて巻物を作り、それが記録庫に保管されることになったのだ。
 ギリシャの歴史家ヘロドトスがエジプトを訪れていることは前述した。これは紀元前四四三年のことだったが、彼は大ピラミッドの下に広がる地下施設についても記述を残しているのだ。それはちょうど大ピラミッドを中心として放射状に広がった迷宮のような構造で、スフィンクスの地下までカバーしていたという。こうした施設の中に記録庫が含まれていたとしても何の不思議もないではないか。
 聖なる知識を秘密の地下施設に隠す、という行為は時間を超越した人間の本能のようだ。アメリカのネバダ州に“エリア51”と呼ばれている軍事施設がある。この施設は公には存在しないことになっており、アメリカ政府もこの施設の存在を認めたことはない。ところが、一九六〇年代に旧ソ連の衛星によって撮影された写真には、巨大な滑走路や多くの格納庫が写し出されていた。アメリカ政府はそれでも施設の存在を認めようとはせず、現在に至っている。
 問題なのは、この施設で超先進技術の研究が行われている可能性があることだ。その超先進技術とは、地球製UFOの研究製造なのだ。古代エジプトにおいて大ピラミッドの下に広がる巨大地下施設に隠された“聖なる知識”も、一般人に知られてはまずい内容ではなかったのだろうか。王家の秘儀中の秘儀という言葉を使い、一般人に漠然とした恐怖を与えつつ、秘密の知識が守り続けられたということは十分に考えられる。
 話が少し逸れてしまった。さて、ヘロドトスも記録に残したところの巨大地下施設には、主として天体に関する知識をしたためた文書が保管されていた。地下施設について記録を残したのはヘロドトスばかりではない。四世紀のことだ。ローマ教皇聖マルケリヌスが、次のような文章を残している。
「各ピラミッドは地下に造られた通路でつながっており、曲がりくねった通路のいたるところに部屋が設えられている。古代エジプト人は洪水の発生を恐れ、重要な文書を地下施設で保管するようになったのだ。文書が保管されている部屋の壁には、それぞれの文書の由来が象形文字で記されている」
 そして古代エジプト宗教には、スフィンクスに関係したイニシエーション(通過儀礼)が存在した。スフィンクスの前足には銅製の扉があり、特殊な方法でのみ開閉が可能となっていた。扉を開けて中に入ることができた者は、まず円形競技場のような構造をした部屋で第一の儀礼を受ける。儀礼はスフィンクスの深部に至るに従って秘儀性を増し、最終的に到達するのが秘密の記録庫だったのだ。
 一〇世紀に残された記録も見てみよう。この記録はコプト教会の歴史家アル・マスディによって書かれたものだ。マスディは過去の記録をたよりにして、各ピラミッドとスフィンクスをつなぐ地下通路の存在を自分の目で確認した。彼によると、それぞれのピラミッドに地下施設に通じる扉が設けられていたという。
 中世アラブの歴史家フィロウザバディは、スフィンクスの地下に広がる施設は大ピラミッドとまったく同じ年代に建設されたものだと主張していた。彼の仮説によると、地下施設は聖なる知識を洪水から守るために作られたものだったのだ。
 さらにユダヤの歴史家ヨセフスは、エノク(アダムから数えて三代目の人類)が寺院の地下に部屋をたくさん作って黄金の碑文を収めたという逸話を文書に残している。エノクの息子メトシェラも父を手伝って地下施設の建設に携わっていた。
 地下施設について実に興味深い見解を示しているのは、マンリー・P・ホールである。彼は、いつの日かフリーメーソンがこうした地下施設の場所を特定し、太古の秘儀を手に入れることになるだろうと予言している。エノクが黄金の碑文に残したものを踏襲するのは、フリーメーソンであるというのだ。

 ◆“さそり座の時代”の到来とノストラダムスの予言

 今から二世紀前、アイザック・ニュートンもピラミッドの幾何学的構造に興味を抱いていた。ニュートンもまた地下構造の知識を持ち合わせており、迷宮構造そのものがピラミッド群に刻み込まれた予言の書ではなかったかと考えていたという。
 地下施設も含めたピラミッドの構造が、果たして予言の書であったかどうかはいまだ答えが出ていない。しかし、ピラミッドに天空の様子をモニターする機能が持たされていたことは前章でも触れた通りである。
 古代エジプトおよびそれから派生したコプト文明の伝説によると、スフィンクスの前身となるような神の存在が伝えられている。古代の人々は、人間の頭にライオンの足、牛の胴体を持った生物の彫像を作り、これを燭台としていた。この像に火を入れると、燃え上がる炎がまるで鷲の翼のように見えたという。
 ライオン、牛、人間、そして鷲。これらの生き物はすべて神聖視され、エゼキエル書や黙示録にも出てくる。しかしスフィンクスが持つ意味はそれだけではないのだ。スフィンクスには、獅子・牡牛・水瓶・さそりという西洋占星術で用いられる星座の概念もちりばめられている。
 一万二〇〇〇年前、エジプト人たちは自分たちが生きている時代を“獅子の時代”と呼んでいた。スフィンクスの足元にある隠し通路を通り、大記録庫に古代の叡智が収められたのはこの時代である。
 ここでこの章の冒頭に挙げたウェストとショークの研究成果を思い出していただきたい。一万二〇〇〇年前という年代は、放射性炭素測定法で導き出されたスフィンクスの建造年代と合致するではないか。
 現代を古代エジプト暦に置き換えると、われわれが生きているのは“水瓶座の時代”である。この時代は、一九六〇年にはじまり、以降二〇〇〇年続くとされている。
 一説によると、スフィンクスの顔は全世界規模での人類の協調の象徴であるという。すべての地球人類が人種の壁を越えて協調し、まったく新しい文明を構築するのが水瓶座の時代の意義なのだ。
 さらに六〇〇〇年経過すると、地球は“さそり座の時代”を迎える。スフィンクスの予言が成就するのはこの時代だ。何が起こるのかはまったく見当がつかないが、人類の精神的進化が完成するのがさそり座の時代であるといわれている。そして、ピラミッドの時代記録が途切れる第八三世紀もまた、さそり座の時代と重なるのである。
 スフィンクスをめぐる四つの星座に関する解釈には、星座の配置が大記録庫の発見につながるという説を展開している研究者もいる。
 フィリップ・セグウィックは、獅子座・牡牛座・水瓶座・さそり座のそれぞれから一四度離れたところにある星に特別の意義を見出している。研究者の中には、これら四つの星座と等間隔に離れた星の配置によってスフィンクスの隠し部屋が発見されると信じている者もいるのだ。
 ちなみに、セグウィックが語る特殊な星座の配置は一九九九年の八月六日に起きる。その次は二〇〇三年の五月四〜一四日、その次は二〇〇五年一一月六〜一一日、さらに二〇〇六年一月二〜一〇日と続く。
 スフィンクスとピラミッド、そして秘密の大記録庫に関する予言を行ったのは、エドガー・ケイシーだけではなかった。あのノストラダムスもエジプトのどこかに隠された大記録庫の発見を予言していたのである。

「人々は土地に隠された秘密を知る
 知恵を閉じ込めた壺が奉られた遺跡の扉が開き
 聖なる哲学の知識が解き放たれることになるだろう」

 秘密の大記録庫の存在については、歴史的文書から見ても、ケイシーやノストラダムスの予言から見ても共通点があるのだ。
 一、スフィンクスの下にあること
 二、一万二〇〇〇年前に作られたものであること
 三、記録庫を作った存在についての記述
 四、記録庫が作られた目的
 五、保管されているものについての記述
 主流派エジプト学者の大部分は、大記録庫は単なる伝説にしかすぎないと考えているようだ。このようなものが存在すると仮定すれば、歴史観の大幅な修正が必要となってしまうからである。
 しかし、ここまで見てきたように、“失われた叡智”の存在を示唆する古文書は枚挙にいとまがないのだ。記録庫が発見されれば、過去の一切が明らかになるだけでなく、新世紀を迎える人類の行く末も見えてくるに違いない。失われた叡智は、人間の時代観念をまったく変えてしまうほどのインパクトを持っていると考えて間違いないだろう。

 ◆新発見を取り巻く陰謀?

 前章の終わりに、大ピラミッドとスフィンクスは同じ時代に建設されたと書いた。本章ではスフィンクスに関する数々の不思議と事実について述べてきたわけだが、すべてを総合して考えると、スフィンクスと大ピラミッドは一つの施設として造られたのではないかという疑念がわいてくる。
 古代エジプトを象徴する二大モニュメントは、巨大地下施設のごく表層的な部分ではないだろうか。スフィンクスの本体が長い期間にわたって砂の中に埋もれていたという事実も、どこかしら謎めいている。今から三〇〇〇年前に描かれた粘土板にはっきりと残されている秘密の記録庫への入り口は、この期間中に砂で閉ざされてしまったのかもしれない。
 隠し通路が見つかったことで、大ピラミッドおよびスフィンクスの地下構造に対する興味がぐっと高まってきている。現地ギザでの発掘調査も、これまでになかったほどの活況を呈している。しかし現場では、さまざまな憶測が飛び交い、各研究グループがありとあらゆる権謀術数を駆使しているというのが事実のようだ。
 つい最近スフィンクスに関する本を書いたグラハム・ハンコックは、発掘現場で伝わってきた陰謀めいた話について公の場で語っている。
 ショール財団という団体の代表を務めるジョゼフ・ショール博士という学者がいる。彼は、エドガー・ケイシー研究啓発協会と協力して現地での発掘調査を行っているが、この費用を捻出しているのはアメリカのとある大学だ。発掘調査の内容が、アメリカのネットワーク局が製作するテレビ番組になるという話もあった。
 現地でささやかれている噂の核心部分はこうだ。この発掘調査プロジェクトに関わっている団体が、他の研究者の妨害を企てているというのだ。一説によると、エジプト考古庁までもが陰謀に巻き込まれる形となっているらしい。
“アート・ベル・ショー”というラジオ番組に出演したハンコックは、新たな発掘現場において金属片が発見されたと語った。スフィンクスから金属片が見つかったとなれば、それだけで考古学的大ニュースとなるだろう。
 しかし現在のところ、この件について確証はないらしい。発掘現場の状況はなかなかつかみにくく、情報もきわめて限られているのが現状だ。先に紹介したショール博士とアメリカの大学の調査チームが、スフィンクスの内部に入ってカメラを回した、という噂も流れている。パイロット版を実際に見た、という人もいるくらいなのだ。
 問題のフィルムは、ショール博士が費用を捻出する形で製作されたと伝えられている。そして、出演しているのはエジプト考古庁長官、ザヒ・ハワスだというのだ。画面はハワスが隠し通路の中を進み、地下に着いたところでカメラに向き直って次のような言葉を語りかける。
「ここに人が入ることなど、インディ・ジョーンズも夢にも思わなかったでしょう。見てください。信じられますか? 私は今、スフィンクスの内部に造られたトンネルの中にいます。隠し通路、といわれているこのトンネルに今まで人が入ったことはありません。中に何があるかを知る人はいないのです。さあ、先に進みましょう」
 ハワスが先へと進む映像が続き、これにナレーターの声がかぶさる。
「アメリカが生んだ今世紀最大の霊能力者エドガー・ケイシーは、スフィンクスの下に記録庫が存在すると語っていた。中には、地球文明の歴史そのものが収められているのだ。そして今、カメラの前ですべてが明らかになる……」
 このフィルムは当初一九九六年の九月か一〇月に放送される予定だった。
 しかし、本書執筆の時点でスフィンクスのドキュメンタリーが放送された形跡はない。そして、現場から伝わってくる情報はさらに制限されてしまっているのである。

 ◆謎が謎を呼ぶ現状

 このような膠着状態を打破しようとしたジャーナリストがいた。
 彼女の名はリンダ・モールトン・ハウ。かつてエミー賞に輝いたビデオプロデューサーである。
 彼女は、グラハム・ハンコックも出演したラジオ番組“アート・ベル・ショー”でザヒ・ハワス本人にインタビューを試みた。このインタビューは一九九六年一〇月六日にオンエアされたものだ。
 ハウ女史は、ハワス氏に一一月の一日にスフィンクスの内部に入った調査が行われるのか、といった踏み込んだ質問も行っている。以下に示すのはそのインタビューの一部だ。少し長くなるが、エジプト考古庁長官ザヒ・ハワスの返答が歯切れ悪いものであることがおわかりいただけると思う。

ハワス (スフィンクス内部の扉を開けるのかを訊ねられて)いや、扉を開けようとは思っていません。まだ他にも準備しなければならないことがありますので。
ハウ 一体どのような方法で扉を開けるのですか? 非常に興味深い話と感じましたので、単刀直入な質問をさせていただきました。内部に何があるのか知りたいとは思いませんか?
ハワス そうですね。しかし隠し通路に通じる扉は一九九二年に一度開けられています。実際には、そのとき開かれた扉をもう一度開けるということなのですよ。
ハウ 一九九二年に扉が開かれた時は、何かわかったのですか?
ハワス 現場にいた人々はスフィンクス内部に入りましたが、何も発見はなかったと聞いています。
ハウ あなたは八月に記者会見を開いていますね。あの時は扉が近いうちに開かれる予定だとおっしゃっていました。そして今日お話をうかがうと扉を開ける予定はない、とおっしゃる。八月の記者会見の後に何か起こったのですか?
ハワス 扉を開けないとは言っていません。ただ、スフィンクスの補修工事の完成を優先させようとしているだけなのです。
 現段階では、補修工事が一番大切なことだと考えています。準備が整えば、扉は必ず開かれるでしょう。いいですか、中には何もないのですよ。まずそのことを念頭に置いていただきたいですね。扉は以前にも開かれているわけだし、扉を開けるという行為そのものをことさら大袈裟に取ることはないのです。
ハウ スフィンクスの改修工事が完全に終了するまで扉には手を触れないということですか? それとも……
ハワス そのとおりです!
ハウ それでは、補修工事が完了するのはいつなのですか?
ハワス さあ、それについてはっきりしたことはわかりませんね。考古学的価値のある遺物の修復というのは、予想以上に時間がかかるものなのですよ。われわれはインディ・ジョーンズではありませんからね。スフィンクスの保護を第一に考えねばなりません。
ハウ それはその通りですね。
ハワス 私がお話ししていることをおわかりいただけているでしょうか?
ハウ はい、よくわかっていますよ。八月の記者会見で、あなたはスフィンクスの改修工事が一九九七年中に終了する見通しであることを発表されましたが、このペースで工事が完了すると思われますか?
ハワス そうですね。おそらく大丈夫でしょう。
ハウ それでは、九七年のいつか、スフィンクスの北面にある扉が開かれると理解してよろしいわけですね?
ハワス それはそうですが、中には何もないことがわかっているのですよ。
ハウ あなたの記者会見を見ていて非常に興味深かったのは、エジプト考古庁が遺跡の修復にどれだけ尽力してきたかという事実が明らかになったことでした。私の記憶が正しければ、現在一〇ヶ所のピラミッドが一般公開されていますね?
ハワス それはこういうことです。あの時の記者会見では、私は非難の矢面に立たされました。エジプト考古庁としては、学術関係者以外に対してピラミッドを開放するわけにはいかないのです。その態度が問題だと指摘されたのも一度や二度ではありません。しかし、ピラミッドを開放するかどうかといった重要な問題は、私の一存では決められないのです。私は委員の一人にしかすぎません。八月の記者会見をセットアップした人々は、そこのところをまったく理解していませんでした。エジプト考古庁の許可なしにピラミッドの調査を行うことは不可能なのです。
ハウ 私は、リチャード・ホーグランド(元NASA科学技術顧問。火星表面の巨大人面像やピラミッド状建造物の研究で著名な人物)が一〇月の終わりにエジプト考古庁から正式な招待を受け、ある種の発掘に立ち会ったという情報をえていますが、そこのところはどうでしょうか?
ハワス それは嘘です。ピラミッド関連の発掘計画は、私が必ず目を通します。私が知らない発掘が行われるということはありえません。
ハウ 科学者と協力して発掘調査を行っているエジプト政府は、スフィンクス周辺で地下室を発見したのですか?
ハワス スフィンクスに対する発掘調査は現在一切行われていません。今年の四月にアメリカの大学の発掘チームがギザで調査を行いましたが、他の発掘調査はありませんでした。
ハウ そのチームは何か発見したのですか?
ハワス それは私にはわかりません。調査に地中レーダーを使う人たちは、いわば賭けを行うようなものです。ただ、われわれの立場としては、スフィンクスに傷をつけられるようなことは何としても避けなければなりません。とにかくわかっていただきたいのは、私一人がすべてを決定するわけではないという事実です。発掘調査の依頼があるたびに、不定期の委員会が開かれ、発掘の是非が決定されます。この委員会こそが発掘の権限をすべて握っているといっていいでしょう。

 かなり長くなってしまったが、ハワスの返答はいかにも歯切れが悪い。特にリチャード・ホーグランドの名前が出てきた時には、声の調子に明らかな動揺が現れていたという。
 ホーグランド氏がスフィンクスで行われた発掘調査に立ち会っていたとしたら、それだけで大事件である。彼は、火星と月、そして地球の古代における密接な関連性を主張している人物なのだ。
 番組の終わりに、司会者アート・ベルによって驚くべき情報がもたらされた。これは非公式チャンネルで入ってきた情報だそうだが、それでもインパクトはかなり大きかった。
 現在スフィンクスの周囲には二四時間態勢で警備がつけられているが、本体の内部から祈りを捧げるような声が聞こえてくるというのだ。そして、前足の中間にある扉のわずかな隙間から青白い光が漏れ出てくるのを目撃した人物もいるという。警備に当たっている警察官や兵士たちも、この光に恐怖感を抱いているらしい。また、内部でドリルを使った作業をしていた人物がダイヤモンドよりも固い鉱物を見つけたという話もある。
 スフィンクスには、やはり人智を超えた何かが隠されている。
 その謎を地球規模で考えていては、答えは決して出ないのだ。ホーグランドが主張しているように、火星や月の表面に巨大建造物を建設した存在が、古代エジプト文明にも関与していたのだろうか。

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