★阿修羅♪
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予防接種の驚くべき歴史 投稿者 てんさい(い) 日時 2002 年 11 月 03 日 03:59:42:

(回答先: Re: 申し訳ありません。長い題名になって 投稿者 nigoron 日時 2002 年 2 月 16 日 08:02:12)

予防接種‥QアンドA
謝  辞
この本を読まれる方々へ著者の論旨日本語版監修者からひとこと(毛利子来)

第一章 予防接種に問題はないか?…………………………
第二章 予防接種の驚くべき歴史……………
25パスツールと彼の遺産栄養と健康維持の疎外
第三章 免疫と免疫機能の検討
   (BCG、ポリオ、ジフテリア、予防接種を例にして)

結核に対するBCG毒素と抗毒素 −
 ポリオとジフテリアの免疫病気にかかりやすい人の要因

第四章 予防接種の「成功」に対する批判と反論…
病気の減少は予防接種の効果なのか
副反応の危険性
第五章予防接種による急性の害作用(SIDSと脳障害)‥
幼児突然死症候群(SIDS)
予防接種の結果としての神経と脳の障害
免疫機能の障害と破傷風ワクチン
関節炎と風疹ワクチン
病気の発症原因
インフルエンザ予防接種の反応

第六章
予防接種の長期にわたる危険(白血病、ガン、多発性硬化症など)
ビーチャムの仮説……それを支持する最近の証拠
     現代の文献はビーチャムの命題を支持しているか? 
第七章エイズ‥予防接種が発生させたか?……………
〔監修者からのコメント〕
第八章 免疫機能の増強と免疫獲得の他の方法
ホメオパシーによる免疫機能の強化草木医学整骨療法による免疫機能の強化鍼術によ
る免疫機能の強化栄養と免疫組織

 第九章結論と疑問………………………………………
文中引用文献

推薦する参考文献

訳者注釈

日本での推薦参考図書訳者あとがき

日本で用いられているワクチン名の索引

  謝  辞

 私は、多くの方々に、深甚の謝意を表したいと思います。多くの方々のご助力によ
って、この本で発表したいと思った情報を収集することができました。アンドリュー・
ロッキー博士はホメオパシー免疫療法における予防接種手法の入門に関する博士の著
書の引用を、高名なギリシャのホメオパシー施術医師ゲオルグ・ヴィトルカス氏の概
念に関する博士の著述とともに、快く許可してくださいました。『ジャーナル・オブ・
オールタナティブ・メディシン』 の編集長シモン・マーチン氏は、同誌掲載論文の
引用の許可と追加の情報源を与えてくださいました。ヨーロッパで最もポピュラーな
保健雑誌『ヒヤズ・ヘルス』 の副編集長ジャネット・マーシャル女史は、同誌初掲
載の論文の引用を許可してくださいました。私はまた多くの研究者にも栄誉ある尊敬
を捧げたいと思います。私は諸氏の業績を引用させていただき、諸氏は予防接種の逸
話を教えてくださいました。妻オークミニには、今までと同様に、今回も最終原稿の
浄書をして、素晴らしい貢献をしてもらいました。有難う。
 とりわけ故ベドゥ・ベイリイ医学博士には感謝と賛美の意を表します。とくにポリ
オ予防接種とジフテリア予防接種に関して、広範囲にわたって、先生の著書を引用さ
せていただきました。この分野での先生のたゆまぬ努力のおかげで、人々は科学的な
事実として通用していた多くの話が失敗や虚偽であったことを理解する手助けをうる
ことができました。一九八六年   ギリシャ、コルフ島にてレオン・チャイトー

 この本を読まれる方々へ

[[この本は、私がかねがね意図していた決意を表明するものとして、書かれた。それ
は一般の人々、とくに幼い子どもをもつ親に、予防接種について、すでに知られた危
険またはありうる危険性を知らせることである。医学的見地からは、予防接種は比較
的安全な病気の防衛手段であるとされているが、私が問題にしたいことは、そうした
医学的見地を支持する事実がないということである。予防接種の防衛効果は、少なく
も部分的であると思われる。しかも非常に現実的な問題として、危険はただちに現れ
てくる。また、中には  潜在的な、長期にわたって潜伏する致死的な危険も存在す
る。   重い進行性の病気をも含む長期の災害は、現実の危険の要因そのものとし
て、まさに今、明白になりつつある。
 しかし、これに対しては、まったく別の手段があるのだ。とくに適度の栄養状態と
良好な衛生の重要性は注目されなければならない。そのことは、医学専門家から提供
される一方的な見解を受け入れさせられる前に、証拠に基づいて、親が健康助言者と
意見を開かわす必要があることを示している。]]

 予防接種が安全で有効であるということに反対する証拠の大部分は、医学的に根拠
のあることで、このキャンペーンを行っている主な人たちは、予防接種の効果に幻滅
を感じている医学関係者である。危険は、些細なものではすまない場合がしばしばで、
子どもの人生は、それによって、悪化させられるかもしれないのである。

 したがって、予防接種から得られる防衛上の利益は、これらの危険との比較でよく
考察されなければならない。そして災難に無知な人たちや専門家、行政などの圧力に
完全に影響されてしまった人たちよりも、この危険に気づいている人たちの決定を重
視しなければならない。イギリスでは予防接種は強制されていないはずなのだ。そし
て接種の可否は、これらすべての事実に基づくべきだといいた

 ヽ一 〇そのうえで、自分の責任で子どもが凛種されることを選んだ親は、同時に
子どもの食べ物と福祉に責任をもたなければならない。これによって子どもの健康状
態が向1し、子どもにほとんどの感染に抵抗しうる力と、たとえ感染しても大事に至
らないだけの力を与えることができるのである。
  著者の論旨

 この本の結論は、病気に対する現行の予防接種は、防御の点では程度の差はあれい
くらかの効力はあるが、しかし一方、その手法の多くは短期、長期両面にわたる多く
の災害をもたらしており、そのために予防接種の価値に深刻な疑問がもたらされてい
るということである。
 自分自身の利益のために、あるいは子どもの利益のために、予防接種を忌避するこ
とに決した人は誰でも、このような行動の重大性に十分に気づかなければならない。
 子どもの予防接種を拒絶する方向で責任を負った親は、子どもの食べ物と一般的な
福祉環境を維持するという責任をも背負うことを契約したのである。これによって子
どもの健康が向上し、ほとんどの感染に抵抗できる力と、感染しても、厄介な事態に
ならずに、病気に立派に耐えることができるのである。
 もし積極的な行動に対する責任を回避するならば、予防接種は安全でないとか、期
待するほどの防衛力も与えてくれないといっても、何の役にも立たない。こうした行
動の様態は、第八草に概観されている。この本は、あなたの子どもに予防接種を受け
させるな、というつもりはない。しかしこの本に記載されている現在の医学的意見に
従おうと決心したならば、潜在的な危険に注意しなければならないといっているのだ。
もし予防接種に反対する決心ならば、この本に記載されているすべてを、十

                                    し

分に理解してからにすべきである。もし予防寔を受けさせようという決↓ならば、充
実した誉どによって健康を増進させるといった積極的な行動が伴ったものでなければ
冨ない。このテキストで説明する危険の数々を最小限に止めるために。

                             レオン・チャイトー

  日本語版監修者からひとこと
              毛利 子来(小児科医)

 これは、日本で出版される予防接種についての書物の中で、まちがいなく最もショ
ッキングな本である。
 内容は、書名の示すとおり、主に、予防接種の危険に警鐘を鳴らし、親たちが予防
接種に寄せる期待の多くが幻想にすぎないことを説き、あわせて「それに代わるもの」
を提起することにある。
 原著者のチャイトーさんがきわめて率直かつ大胆に事実、しかも陰湿に隠されてい
る事実を暴き立てているので、読み始めた方は、のっけから度胆を抜かれる思いがす
るかもしれない。また、書きっぶりもかなりジャーナリスティックに走っているので、
厳密な科学書か解説書のようなものを期待される方は、失望とともに反発さえ感じら
れるかもしれない。さらに、論述の裏づけとして用いられている文献にやや古いもの
が目立つことも、幻滅の種になりそうだ。
 しかし、そうした感情にとらわれず、謙虚に読み進められれば、チャイトーさんの
情熱的な批判精神と鋭いラディカリズムには、きっと舌を巻かれることであろう。
 そして、誇張とか論理の飛躍と思われる部分があるには違いないけれど、かなり公
平に証拠を集めているし、過去のデータでも現在に十分生きるものを使っていること
に気づかれるであろう。しかも、怒りをこめて予防接種を追及しているにもかかわら
ず、必要で有効なものについては謙虚に評価を下していることに好感をもたれるであ
ろう。
 したがって、ここに書かれてあることは、正面から真剣に考えてみる価値がある。
たしかに、予防蓬の危険と窟は、わが国日本でも、無視できないほど大きい。むしろ、
チャイトーさんのイギリスより大きいのではないかと思うくらいだ。現に、MMRとい
う「ハシカ」と「おたふくかぜ」と「風疹」のワクチンのカクテル、別名「新三種混
合ワクチン」が、髄膜炎を多発させたことは記憶に生々しい。厚生省や多くの医者は、
これらの病気にかかると髄膜炎だけでなく難聴や睾丸炎など重い余病を起こす率が高
いから、MMRをやっておくほうが良いとおっしやるのだけれど、これは、そんな比較
が成り立つ問題ではないのだ。だいいち、厚生省のいうとおりMMRによる髄膜炎の発
生率が1000人に一人としても、それほどの欠陥があれば、予防接種としては落第
ではないか。これが自動車の欠陥だったら、即刻に回収、そして生産を中止しての厳
密な原因究明になることだろう。なのに、MMRでは、回収どころか生産中止もせず、
まだ医療の現場で蓬が勧められているというわけなのだ。同じ日本のMMRを採用した
カナダが、たった六万人に真贋炎の発生で、ただちに販売等を取り消したというのに。
しかも、もっと驚くべきことに、厚生省はその後、「自社株」といって最初に採用し
た「枕垂といわれるものとは別のメーカーが製造したMMRの市販まで認めてしまって
いる。はたして自社株なるものが
 統一株より安全かどうか、新たな検定もまったく行わずにである。そして、どれだ
け髄膜炎が発生するかモニタリングをします、などとすましているのだ。これでは、
子どもたちは、モルモットに使われるようなものではないか。
 それに、MMRによる髄膜炎は、けっして本物の病気によるものより少ないとは断定
できない。そういいきるためには、もっと厳密な調査が行われる必要がある。実際、
この間題が騒がれだすにつれて、発生率は急激に増えている。最近では、五〜六〇〇
人に一人、多いデータになると二〇〇人に一人近くに及ぶ始末。つまり、その気にな
って調べれば、発見されるチャンスが高くなるのだ。そして、これほどとなれば、も
う本物の病気による髄膜炎の発生率と同程度ということになってしまう。
 さらに見逃せないことに、MMRによる髄膜炎が、本物の病気によるものよりも重い
という事実がある。少なくとも、痘攣(けいれん)、昏睡といった激しい症状は多い
し、これは接種が幼い子に行われたためとは思われるにしても、脳炎を併発している
可能性を示唆する。現に、死亡したり、一年以上たっても意識が戻らないとか麻痔を
残しているといったケースすら、MMRとの関係を認められたり疑われたりしているの
だ。
 次に、インフル工ンザ予防接種が流行を防ぐ効果がほとんどなく、個人の病状を軽
くする効果もはっきりせず、副作用だけはあるという事実については、もう世間じゅ
うに知れ渡ったことであろう。その証拠に、厚生省が集団接種を止めないのに、最近
では接種率が二〇%を割り、もっと落ち込んでいく勢いになっている。これでは、も
はや予防接種としては意味を失っているし、被害だけを及ぼす犯罪的行為といわれて
も仕方ない状態である。

 そう、犯罪的といえば、インフルエンザ予防蓬の効果を見直すと称して厚生省内に
設けられた研究班の報薫、きわめてあいまいな文献検証しか行わず、「ワクチンの能
力は完全ではないが、個人に対しては利益がある」とわけのわからぬことをいって、
集団接種を続けるという結論を出したのこういうことを照らし合わせれば、チャイトー
の指弾する「恐るべきワクチン」と、それに結託する「為政者と学者妄者の癒着の毒」
さえも、十分にありうることだと思われてくるのではなかろその他の、日本で現在行
われている予防窪についても、やはり同様のことがいえそうだし、この本でも、けっ
こう、あちこちで触れられているけれど、それにしても、あらかじめ、いくらかのお
断まず、ちょつと乱暴にすぎると思われる断定には、日本での実情も考慮に入れて、
本文中に:の形で、ないしは*印をつけて段落末にコメントを加えさせてもらった。
とくに、破傷風と麻疹の予防接種については、その箇所を注意して見てほしい。BCG
については、およそ本文に同意だが、最近では、結核に対して無効とする説がより有
力になり、WHO(募保健機関)ですら「無効姦合がある」とのコメントを出している
ということをつけ加えておこう。そうとすれば、BCGはやらないで、多少面倒だが、
こまめにツベルクリン反誓調べておく、あるいは結核の感染の危険性が濃厚なときに
BCGをするというやり方が最良なのかもしれない。
 日本脳炎については、イギリスにはないためか、この本では言及されていないので、
ここに少し述べさせていただく。じつは、日本脳炎予防接種の効果というのが、よく
わかっていないのだ。なにせ、この病気の発生が今ではわずか年間三、四〇人以下、
しかも、そのほとんどが九州地方の老人になっていて、その減少は予防接種の普及よ
り前から急速に起こっていた九州に住むとか南方に出かける人でないかぎり接種は受
けないで、ならないワクチンといえる。
 なお、この本を読まれると、予防接種によって生態系が根底から撹乱され、思わぬ
深刻な災害が多発するという恐怖に見舞われる方がおられるかもしれない。たしかに、
その恐れは多分にあると考えられる。だからこそ、無闇に予防接種は開発したり普及
させたりしてはいけないのだ。しかし、すべての予防接種にそうした危険が確実にあ
るとは思えない。そのことでは、第七草のエイズについてのチャイトーさんの記述に
は、いささかジャーナリスティックな筆が走りすぎたきらいがあるので、本文中にコ
メントをつけさせてもらった。
 また、予防接種以外のことでも、同様の走りすぎと思われる断定的な箇所にはコメ
ントをつけさせてもらってある。アレルギー、乳幼児突然死症候群、学習障害症候群
など。
 それから、監修者が気になることとして、チャイトーさんの健康と病気に対する考
え方を挙げておJ吉  日本語版監修者からひとこと

きたい。どうも、この著者は、病気はすべて良くない、まして障害などあってはなら
ないものと考えているようだ。しかし、人類にとって病気は避けきれるものではない
し、むしろ彼のいうとおり病原体といわれる微生物たちと共存させてもらっているお
かげで、生き延びているようなものなのだ。障害にしても、人工的につくってはいけ
ないけれど、まったくなくなることは不可能だし、障害者というのはそういう身体の
状態の人なのだ。病人や障害者が提起してくれる人生や社会の問題には、大きく深い
ものがあることに心を向けて、この本を読んでほしいと願う。
 最後に、おそらくチャイトーさんが最も力を入れていることに、オールタナティプ、
日本語に訳しにくいが「代わるもの」とでも表現すればよいのか、そんなことがある
のに、監修者の知識の不足で十分に応じきれていないのが残念である。原著には、現
代において見直すべきホメオパシーなどについて、かなり詳しい処方も記載されてあ
るのだが、正直いって偏りを感じたし、日本で理解されるにはかなりの困難を伴うだ
ろうけれど、予防接種に代わるものとして、栄養、労働を始めとする生活条件と、地
域さらに広く地球全体にわたる環境条件とが最も大切であるという主張は十分にお伝
えできたと思う。
 こういった点まで含めて、読者が、ご自分でよく考え、調べ、良識を働かせ、体験
を大事にし、役所や学者にも遠慮せずに要求を出し、改めるべきは根本的に改めるよ
う努力を傾けてほしいと思う。実際、インフルエンザ予防接種が醜い実態をさらさざ
るをえなくなったのは、この本の訳者である藤井俊介さんたち予防接種の被害者に導
かれた母親を始めとする市民運動の成果だったのだ。今、そのJ古運動は「ワクチン・
トーク全国」に発展して、インフルエンザを含めすべての予防接種を、受ける立場か
ら、総点検しょうという広がりをもつに至っている。この本を読まれた後、どしどし
と、そうした運動を各地で起こしていただければ、これほど嬉しいことはない。

 一九九二年九月 予防接種シーズンを前にして
                     ノ

  第一章
  予防接種に問題はないか?
 予防接種は安全で、身体を病魔から防ぎ、健康を守るのに有効な科学的手段だとい
う見解が、広く大衆に流れている。
 しかし、事実は、このことに関して、行政機関と医学やマスコミが流す情報の間に
かなりの差があるのだ。実際、明白で合理的で疑いの余地がないとされているものの
多くが、厳密な調査には耐えることのできないものであることが示されている。多く
の予防接種が、はなく、我々が思っているよりもはるかに防衛力のない予防接種も少
硝種後の短い時間内でも安全でくないという証拠がある。また、ある型の予防接種の
長期にわたる作用が、健康上多大の災害をもたらしうるという証拠もあるのだ。
 歴史的にも、予防接種と免疫の話は、見せかけの成功と、重大で悲劇的な失敗と、
客観的な証拠の歪曲がミックスした壮大な罪の物語である。その原因は、人間の性格
の善悪もあるが、それと同時に、現在「真実」とされているものに疑いを差しはさも
うとしない専門家の近視眼と無気力というものも

ある。
 で、これらの批判が、真実を語っているという証拠をこれから述べよう。読者は心
して読んでいただきたい。予防接種によって防衛力を与えるという戦略の背後にある
多くの考えには病気の因果律に関する哲学的概念が根幹にあるが、それ自体に疑問を
もたざるをえない。どいうのは、こうした概念は、身体のもつ自己調節機能について
の我々の理解を曲解させるようだからである。
 まず、感染に対して自身を防御する能力は、そのときの身体の調子の良否に密接に
関連していることは当然である。したがって、発達した社会での合理的な健康状態の
子どもに関して十分な意味をもつ議論は、低開発国の栄養不良の子どもに対しては無
意味かもしれない。予防接種の危険の程度は、これら二つの相反する状態では、おの
ずから違っているからである。とすれば、これら両極端の間には、あらゆる種類の相
違が見られることを認識しておくべきなのである。
 では、どのような相違があるか、その証拠を、これからの章で述べよう。著者が今
日までに達した結論は、健康と防衛力を獲得するにはもっと良い方法が他にもあると
いうことだが、読者は、自分なりの結論を出すようにしてほしいと思う。
 さて、この本で明らかにしようとする見解は、現在実施されている予防接種につい
ての疑問を呼び起こそうとするものである。それほ、さまざまの局面の疑問を次々と
自問してきた多くの科学者や開業医(彼らは組織化された医学を非常に熱心に取り入
れてきた)、そして公衆衛生の任にあたる行政官の証言に、大いに見受けられること
になるであろう。
 そして、予防接種の短所と危険性を明らかにする場合、次のことが必要になるだろ
う。つまり、接種の根底にある方法論の歴史を見ること(第二章)、現行の手法の裏
に隠されている理論的根拠を検証すること(第三章)、多くの伝染病流行地域におけ
る有効性に対する疑問を綿密に把握すること(第四章)、現行の手法では先天性であ
るとみなされている長期の慢性疾患の恐ろしい潜在的な力を直視すること(第五章)、
短期間の副反応に関連する証拠を注意深く考察すること(第六牽)、そして予防接種
は望ましいものであり効果があり安全である(とくに幼児に対してしばしば強制され
る)という宣伝の根拠とされてきた仮説に疑問を差しはさむこと(第九華)である。
さらに、こういった問題の検証に引き続いて、予防接種に含まれる健康を脅かすもの
に対して、より安全な防御の代わりとなる方法を考え出すことも大切なことである(第
八草)。予防接種に代わるものは、たしかに存在しているのである。しかも、それは、
予防接種によって将来の人生を増られる本人が考えると同時に、子どもの親が考慮す
る価値が十分にあることなのだ。   盲l)
 偉大な因習打破の作家、イワン・イリッチは、彼の大作還学の復讐』の中で次のよ
うに書いてい「病気のパターンについての研究については、昔の僧侶と同じくらい、
前世紀の医師たちは軽率に振る舞ったという証拠がある。伝染病は、僧侶と医師によ
って呼び寄せられ、まったく手を施さなかったが、さまざまな伝染病が発生し消滅し
ていった。伝染病は、教会での寧よけの儀式と同様、医療施設で行われる儀式によっ
ても、その毒を和らげることはできなかった」

 こうして彼は、どのような人間集団においても、一般の健康状態を基本的に決定づ
けるのは環境であることを、いみじくも指摘したのだ。中でも大きく影響する要因は、
遺伝的傾向は別として、食物栄養、衛生(摂生)、労働条件、家屋条件などである。
 したがって、この本の使命は、これらの記述が真実であることを読者に納得してい
ただくこと、少なくとも一般大衆が予防接種を容認している風潮に対し、それは被接
種者に不適切な防御を与えているにすぎないという疑問の姿勢を起こしていただくこ
とになる。
 そしてそのことは、自分自身と子どもや孫の健康を守りたいと望んでいる人たちや、
健康に大いに気をつけている人たちに対して、より安全な代替となるものがあると考
えるように導くことにもなる。しかし、だからといって子どもやあなた自身に予防接
種をしないようにと息苦していると考えるべきではなく、予防接種に突きつけられた
クレームの多くに対して主張される正当化を疑問視するべきであり、隠されている利
益について見積もると同時に、内包する危険についても思いをいたすべきなのだと受
けとってほしいのである。
 こうして、予防接種についての多方面からの議論において、我々は(半分の真実)
と前世紀から続けられている、大変懇切であからさまな宣伝のベールを破ろうと試み
る。我々は断固として問いたださなければならない。「予防接種は絶対安全なのか?」
「それは、本当に、伝染病から守る力があるのか?」「副反応のリスクに催しないの
か?」「これらの副反応と後日の慢性の健康障害との間には、どのような関連がある
のか?」
 *「副反応」とは、以前、「副作用」といっていたもののこと。もっとはっきりい
えば予防接種による
 「喜作用」(高橋恍正氏)である。毛利).要するに、我々は接種に伴う長短期に
わたる副反応と利益とされている点に注号ることと並行して、予防接種の基本にある
概念の合理性に疑問を差しはさまなければならないのだ。もし琶された証拠を公正な
心で検証するならば、長い間認められていた見解を変えることについて議論が行われ
るはずであるし、医学の方法と警も良い方向に変化することが期待されるはずである。
まず、我々は予防接種の興味津々たる多彩な歴史に、目を向けることにしょう。

 [[  第二章    予防接種の驚くべき歴史]]

 予防接種は、天然痘にかかったときの危険を最小限に食い止めようという、何世紀
にもわたる試みから始まった。人々は天然痘を防ぐ種痘法の父として、エドワード・
ジュンナーを知っているが、事実は牛痘(牛の天然痘) の種を使ってこの病気を予
防しようという試みは、彼が実験をする前の世紀から行われていた。彼のアイデアは、
この方法を使うことから生まれたのである。

 古代のイギリスやドイツで魔術や予言などを業としていたドワルド派の僧侶たちは、
徐々に身体の抵抗力をつける試みとして、天然痘の患者の膿疱からしみ出した液を均
質に薄めたものを使ったりしていた。中世においては、同種毒療法として知られる天
然痘の生物(膿や溶出液など)を使って病気を治療しようとする方法が、当代一流の
天才的医学者パラセルサスによって、特別に用いられた。歴史家ル・デュクによれば、
一六七二年シラクサの老女がコンスタンチノープルで同じような方法を用いたとのこ
とである。彼女は希望者の肌に×型に切り傷をつけ、傷口に天然痘の膿汁をこすりつ
けた。そして、これが天然痘を予防する確実な方法なのだといっていた。また、こう
した天然痘の分泌物に触れることを勧める以外の方法として、敬虔な祈りを捧げるこ
と、肉食を絶つこと、四十日間断食をすることきも行われていた。なかでも断食は、
個人の健康上意味深い利益効果があるとして好まれた。

 なのに、この時代に天然痘がヨーロッパの広い地域に流行していたことは、記憶す
べきことである。しかも多くの地方でよく似た予防法が行われていたけれども、すべ
て自己満足にすぎなかったのだ。
 しかしながらこのとき、エドワード・ジェンナーの仕事によって、種痘の組織的な
実施が行われるようになったのである。彼の職業は散髪屋で、手足を治療する医師で
もあった。バーナード・ショウによると、天才というに値する彼のたった一つの資格
は、牛の病気である牛痘に触れると天然痘にかからないという考えを、ジュステイと
いう農夫から聞き出したという点だけなのである。
 この話の実際は、もっと複雑である。というのは、牛痘にいつも触れている乳しぼ
りの人たちから十分な情報を得ていながら、ジュステイの批判にもかかわらず、ジュ
ンナーは「この防衛力は馬から得られたものであって、牛たちは馬痘に感染していた
のだ」と主張したのである。そして彼は、病気の馬から直接人に接種することを主張
した。にもかかわらず、彼の実験は当時の人々に幻想をもたらし、英国議会は総額三
万ポンドの賞金を彼に与えたのである。
 一度種痘に成功すれば、二度と天然痘にかかることはないという彼の主張は、これ
に反対する山のような証拠があったにもかかわらず、広く受け入れられた。後になっ
てヨーロッパでは、すべての幼児たちが牛痘の接種を受けることになった。そのあげ
く(十九世紀後半に)天然痘の大流行に蹂躙され、それがきっかけとなって、ジエン
ナ一によって提唱された方法は禁止されたのである。
 リンドラールは次のようにいっている。「一八七〇〜一年にドイツでは天然痘が猛
威を振るっており、一〇〇万人以上の人が罹患し、一二万人が死亡した。ところが、
これらの人の九六%は、種痘をしていたのである。たった四%の人が防衛力のない状
態だったにすぎない。そこで、ドイツの首相・ビスマルクは各州の政府に通達を送り、
その中で、発疹性のおびただしい病人は種痘に起因していること、そして天然痘予防
のための牛痘接種の効き目は完全にいつわりであることが明らかになったことを述べ
ていた」
 バーナード・ショウは『ネイション』誌上に、次のように書いている。

 「種痘によって生命を守るのに失敗したことが否定しきれなくなると、とどのつま
り、七年間はまだ有効だといい立てる(七は特別な魔法の数である)。そして多くの
場合、再接種を義務づけたのだ。最も驚異的な大流行が起こって、種痘の義務接種が
再高調に達した一八七一年には、毎日誰かが死の災害を受けたのである。この状態は、
一八八一年の他の大流行まで続いた。ついでではあるが、この一八八一年には私も接
種されたが、病気にかかってしまった。だが私は祖父よりも幸いであった。祖父は旧
式の接種をし、種痘をし、その上自然の天然痘にかかったのであるから」

 それから後は、専門家たちは種痘にのみ頼ることは止め、発生を抑制する方法とし
て隔離を始めた。

 すると、この方法は驚くべき成果を上げ、衛生学の進歩とあいまって、天然痘の発
生をみごとに低下させた。こうして種痘の強制は大失敗に終わり、ついに廃止される
ことになったのである。

 しかし、このように失敗が明白であり、その副反応が多発したにもかかわらず、種
痘主義者は、強制接種をしている期間はヨーロッパ全体として発生が低下していると
して、種痘を正当化しようと試みた。もちろん、この低下と種痘とが相関しているな
らば、他のすべての方法は排除され、この方法の失敗よりも発生率が低いという長所
のために、種痘の継続を促進することが重要であることを示していたはずではある。
けれど、天然痘の影響力の低下に対する栄誉を種痘に与えることはできなかった。な
ぜなら種痘をするしないに関係なく、ヨーロッパすべての地域で低下が起こっている
という事実があったからである。もしいくらかでも効果があるならば、コレラ、チフ
ス、結核、赤痢といった同時代に流行した他の多くの「死に至るやまい」の減少に対
しても、同程度には効果があると認められるべきであった。

 イワン・イリッチは、明確に指摘している。「工業化時代の最初から優勢であった
伝染病に対しては、どのような医療が効果的であったかを、明らかにすることができ
る。たとえば、結核は二世代にまたがって最高潮に達した。ニューヨークでは一人…
年に結核の死亡率は確実に最高であった。そしてコッホが最初に結核菌を培養し菌体
染色をした六九二年までには、人口一万人当たり三七〇人に減少していた。最初のサ
ナトリウムが一九一〇年に開院したときには、その率は人口完人当たり一八〇人に減
少していた。当時結核は、死亡率表の第二位であったけれど、第二次大戦後は、抗生
物質が一般に普及する以前でも、一万人当たり四八人の率で、死亡率表の十一位にす
べり落ちていた。コレラ、赤痢、チフスなども、医療にたよることもなく、同様にピー
クに達した後、衰えてしまったのである。病因論が解明され、特効ある治療法が確立
されるときまでに、それらの学問は関連性の多くを失い、必要ではなくなっていた。
猩紅熱、ジフテリア、百日咳、麻疹の一八六〇〜一九六五年間の総死亡率は、十五歳
以下の子どもでは、抗生物質の導入とジフテリア予防接種の普及する以前であったが、
この期間に総計で、九〇%近くの減少を示している」

 この死亡率の低下についての説明は、衛生状態の改善、住環境の向上、そして何よ
りも栄養状態の向上のために、病気に対する抵抗力が強化されたこととともに、微生
物そのものの毒性の変化に、関連させることができる。
 このようにして、天然痘や過去の多くの感染症の自然史は、よく似たパターンをた
どった。そして、これは予防接種に関連があるというよりもむしろ、人間集団でのよ
り良い環境、より良い栄養状態に関連が大きいのである。このことは、これらの感染
症を制圧する方法を改善するために、全力を注ぐ立場に立って考える場合、我々に明
白で重要なガイドラインを与えてくれる。
                       (注1)

 そして、その場合、宿主(ホスト)とその免疫機能が、中心的で最も重要な視点と
なる。論争の常として、免疫機能を高める最高の方法は病原菌を弱めたり菌体の限ら
れた一部分を取り出した感染源(すなわちワクチン)にさらすことだと考える人もい
れば、免疫機能を高めるには住環境や栄養要因を改善しなければならないと考える人
もいる。もちろん、もしわずかの危険だけの予防接種で効果があるならば、我々は、
そうだと信じさせられているが − その論争は、公平に考えられるものとなるであ
ろう。しかしながら、予防接種は本来短期や長期の危険性をはらんでいることが判明
しており、またどれほど防衛効果があるかも疑わしいという指摘もあるので、すべて
の該当者への大量集団接種には、再評価を加える必要があるのだ。

 とにかく、ジュンナ一によって推奨された方法は、十九世紀には悲劇的な失敗に終
わった。そして
 強制接種計画は、終局的には崩壊してしまった。

[[ 種痘を経て予防接種までに発展させる考え方と方法論に、再び火をつけたのは、
ルイ・パスツールの天才的な巧妙さと、行政への働きかけであった]]。けれど、パス
ツールが公開デモンストレーションにおいて得た結果は、この方法の望ましい点を評
価しようと試みる際の一つの大きな困難を明らかにしている。予防接種は、個人単位
では、特殊な微生物に対するある程度の防衛力を刺激することを明らかにすることが
できた(我々はこの本の後の章で、この過程に含まれているメカニズムを、いっそう
厳密に検証するであろう)。しかし、もう一度声を大にして「しかし」というが、こ
の手法に内在する短期や長期の反動は、どうなのであろうか。

 問題の要点は、けっきょく、予防接種によって一つも望ましい効果を得られないこ
とがしばしばあるというのではなくて、受容しがたい負担を負わないかぎり、健康に
対して望ましい効果は得られないということなのである。しかも、[[悲劇は、損失が
明確でないという点にもある。というのは、損失の実態は長年の間現れないことがし
ばしばだし、たとえ現れても、因果関係を明らかにすることは必ずしも容易ではない
からである。]]辛か不幸か、最近の医学調査では、予防接種に起因する健康上の長期
にわたる危険の可能性はけっして思いすごしではなく、真剣に注意を払う価値のある
問題であることが示されている。たとえば、麻疹のようなまれだけれど亜急性硬化性
全脳炎を起こす恐れのある病気の予防が確立されたならば、どんなに多くの親が予防
接種を受けるようにという勧告に喜んで応じ、愛する者を危険にさらすことから免れ
ることであろうか?また百日咳のような、不快な、まれには重篤化する病気に対する
予防接種の短期間の副反応が、脳障害やてんかんといった重い症状(それはまれでは
あるが)を起こすことが知らされたならば、どの親がその危険を冒すだろうか?これ
ら二つの例では、その答えはわかりきっており、もしこの恐ろしい副反応と予防接種
との間に確実な関連があるならば、接種を受ける人はたちまちのうちにほとんどいな
くなってしまうであろう。また麻疹でも百日咳でも、いずれにしても、罹患したとき
の危険がごくわずかなものであることがわかっていたり、また子どもの健康状態が十
分な栄養や摂生のおかげで申し分ないならば、接種を受ける人は、さらに減少するこ
とであろう。しかも、実際には、面倒な副反応の可能性は、ありうるばかりではなく、
起こることがほぼ確実だということ、そして子どもが罹患したときの危険は、基本的
な医学的手段さえとられておれば、最小限に食い止められるのである。

 {*たしかに、麻疹の余病は、肺炎を始めとして、日本では非常にまれになってい
る。ここに述べられてい
 る亜急性硬化性全脳炎も一〇万人に一人と、きわめてまれである。(毛利)}

 現に、きわめて重い脳障害の危険は、百日咳ワクチンでは実際に存在する。麻疹の
ようなワクチンでも、長期にわたる慢性の変性疾患の危険が存在する。そして、この
事実は氷山の一角にすぎないのである。たとえば、百咳ワクチンが脳障害を引き起こ
す事実を示すことはできるが(第五章参照)、この深刻な副反応と取るに足りないよ
うな副反応との間に、どのような種類の副反応が存在するであろうか。ある一部の子
どもには、わずかな行動↓の変化が起こるかもしれない。他の子どもたちには、健康
状態を低下させる副反応が、注目されるかもしれない。このような反応の問題は、「起
こるか起こらないかどちらか」といったタイプではないからである。最も深刻な副反
応しか起こらない、ということはありえないのだ。重篤な反応は、非常に劇的なもの
として注目される反応ではあるが、長年にわたって、あるいはひょっとすると生涯、
子どもたちの健康と行動に降りかかってくるのは、無数のちょっとした副反応なので
ある。しかし、健康に影響を与えるすべての分野で何が危なくなっているかを、合理
的に理解しようとする我々としては、これらのちょっとした副反応も深刻で明白な副
反応と関連があるということを、心にとめなければならない。
 さて、我々が次に考えなければならない問題は、医科学界で異彩を放つ存在として、
誇張して見られているルイ・パスツールの業績についてである。

     [[パスツールと彼の遺産]]

医科学界の多くの変革者によくあるように、ルイ・パスツールは医学者ではなく実験
化学者であった。ここに医学史上の彼の立場の再評価を考慮しなければならない根拠
がある。というのは、彼の誠実について疑いが表明されているからである。実際、彼
の偉大な「発見」のいくつかは、同時代の科学者アントン・ビーチャム教授に負うと
ころが大きい。

 アーチー・カロケリノス医博とグレン・デットマン哲学博士は、次のような論争を
書いている。

[[「近代医学は、病気についてはパスツールの細菌学説を基礎としている。ある特定
の有機体が特定の病気を引き起こし、特定のワクチンが防衛力を与えるという学説で
ある。ある先天的体質の子どもは、予防接種でも防衛力が得られず、接種時に死亡す
ることもあるという事実を観察すると、このパスツールの独断の正当性に対して疑い
の影がよぎるのである(第五章参照)」]]

 [[人間はさまざまの理由で病気にかかりやすくなり、病原菌そのものも感染状態で
簡単に優位に立つということが、やがて明らかになった。したがって、感受性のある
者に予防接種をすることは、必ずしもその人たちに免疫を与えることにはならない。
それは逆効果になるかもしれないのだ。]]

 その上パスツールが、同時代の偉大な科学者ビーチャムの研結果を剽窃したことが
明らかになったとき、この間題が白日の下にさらされた。この鋭い観察者によれば、
生命の基本となるものは細胞ではなくて、彼が「マイクロザイマ」と呼んだ生きた「遺
伝子」なのである。マイクロザイマは栄養環境によって、ウイルスになったり細菌に
なったり、有毒になったり無害になったりと変化して、進化できるのである。そして
明らかにある特定のウイルスは、よく似た有機体を産出できるが、これはある特定の
環境状態が存在する場合にのみ可能なのである。他の状態下にあるときは、他のウイ
ルスや細菌に変化することが起こりうるのである。
 同じように、感染も、マイクロザイマの進化の過程による展開しだいで、内因的に
もなるし外因的にもなりうるわけである。こうして、ワクチンの誤りが説明され、細
胞のおかれている栄養環境の重要性が述べられているのである。

 しかし、パスツールを剽窃者だと単純にきめつけてしまうことは、複雑な免疫の問
題を理解するためには役に立たない。我々が冒頭で提起した注目点は、パスツールと
彼の後に続く者たちに対するものである。もちろん、それは二十世紀の人たちの心に
深く刻み込まれた、彼の業績に根ざす学説をめぐる、いくつかの論争に関するもので
ある。

 パスツールは化学者であって、彼の初期の業績は、結晶学に関するものであった。
結晶構造の変異に関する研究と、これらを分離しようという努力の過程で、彼は、特
殊な微生物は変異種を識別できるので、実験に使うことができることに気づいた。彼
はその後半生に、ブドウ酒、ビール、果実酒での異常な変化について、原因を突き止
めることを依頼された。それは、外見上同じ環境にあって何事も起こっていないよう
に見えているのに、酒が酸っぱくなったり不適当な発酵が起こり、経済的に大きな損
害をこうむるという問題であった。この分野での彼の最初の研究は、牛乳に関連した
ものであった。そしてその結果彼が得た結論は、分離することはできなかったが、特
定の微生物が牛乳を酸っぱくする酸敗反応を示すのだということであった。次いで何
年間もビール、ブドウ酒、酢、バターと、発酵と酸敗に関連する珍しい事象の研究を
行い、これらの生産物中のさまざまな変化はその中で活動している微生物に関係して
いると結論づけた。こうしてパスツールは、酸っぱいミルクの中には、酸っぱいブド
ウ酒の中とは違った微生物が存在することを示した。そして変則的な変化が起こった
ときには、違った微生物が存在していることに注目した。

 この成果を、イギリスの科学者ジョセフ・リスクーが発展させた。彼は殺菌した傷
口からは感染しないことを示し、外科的処置にこれを応用し、石炭酸を用いることを
始めた。
 [[さらにパスツールは、多くの人間や動物の病気にまで研究を広げた。彼はそれぞ
れの感染症には、それぞれ特定の微生物が関係していると結論づけた。そして、これ
らの微生物を同定することによって、ジエンナーの初期の研究に関連している考えを
用い、病気を防ぐことを始めた。パスツールが追い求める微生物は、同じ環境の中で
生活している宿主にまったく寄生していて、動物や人に外部から感染する、と彼は信
じていた。]]

 ところが、パスツールが華々しく活躍したときと同時代のビーチャムの業績は、反
対の意見を示していた。というのは、マイクロザイマと呼ばれる材料から、細胞中で
微細な有機体の自然な変化が起こることを、彼は信じていたからである。これら微細
な粒子は、適当な環境の下にあれば、ウイルスや細菌そのものに変化することができ
ると、ビーチャムは主張している。こうして感染の外部感染源説は、パスツールがワ
インの発酵過程についての発見を「借用した」その人によって、対論が出された。
 ビーチャム自身、彼の著書『血液とその要素』で、次のように述べている。「一八
七二年、パスツールは、彼の最も大胆な剰窃を試みた。ブドウ酒発酵の酵母は、ブド
ウの中に自然に存在するということを私が発見した八年後に、いきなりそれを「発見」
した。これに関連して、植物や動物の構成物の中には、小さな細胞の中で、遺伝子が
なくても、自発的に物質変化を起こさせるものが通常存在していることをパスツール
は発見した」

 ビーチャムの学説によれば、マイクロザイマは生命現象の最小単位とみなさなけれ
ばならない。細胞ははかない存在のように見えるが、生理学的には不滅のマイクロザ
イマから構成されている。十九世紀後半において、]線や電子顕微鏡の助けもなしに、
ビーチヤムが、遺伝コードとしてのDNA構造の二重ラセン形成のためにマイクロザイ
マが結合することを著述していることを知るのは、素晴らしいことである。
 彼は著書の中で、次のように書いている。「マイクロザイマの集合体は、二重ラセ
ンを形成する」。
 彼は、はっきりと具体化された率直な方法を用いた。そのおかげで、一九六〇年代
(ノーベル賞受賞者のウイルキンス、ワトソン、クリックが]線屈折を用いて証明す
る)までは、十分に表現できなかったものを見ることができるようになったのである。
ビーチヤムの方法は偏光を用いることであった。これは第一のプリズムを通った光の
彼の振動を、第二のプリズムを通して見るというものである。

 [[広く宿主の体内にマイクロザイマ(つまりはDNA)と呼ばれる基本物質がほぼ確
実に存在しているという事実を、ひとたび受け入れたならば、我々はウイルス粒子の
起源について、理解しやすくなる。]]雑誌『タイム』の記事によると、ウイルス粒子
はビーチャムのいうマイクロザイマに、非常によく似ているようで、「ウイルス粒子
は生命最小単位のモデルである。それはただ単に遺伝物質の核のみ ー DNA分子やR
NA分子 − から形成され、保護のサヤはタンパク質からできている」。
 だが、ウイルスは、我々が知っているように、すべての生命体に共通の構成物であ
る細胞構造が欠けている。
 『タイム』は続けて、「真の生命体とは違って、それは栄養代謝を必要としないし
できもしない。宿主の助けなしには成長しないし、増殖もできない。もしウイルスを
試験管の中に入れても、そのままで何も起こらない。それは自分自身のコピーを作る
ことすらできない」

 ビーチャムは次のように述べている。「細胞は永久的な組織発生の要素ではない。
その存在ははかないものであり、生命硯象の単位でもありえない。細胞はマイクロザ
イマであるというよりは、マイクロザイマが細胞を作り、細胞が破壊されたときには
作り直す働きをする。それは組織された生命原基の要束である」
 不利な条件下では、このマイクロザイマ (いいかえれば原初期のウイルスあるい
はバクテリア粒子)は病原となることができる(病気を引き起こすことができる)。
そして、このことは病的状態が体内で生ずるのか、あるいは外部の病原から移ってく
るのか、どちらにせよ真実なのである(ビーチヤム説を支持する最近の証拠について
は、第六章参照)。

 こうして、感染の起源について、外部説を信ずる者と内部説の信奉者の間で、論争
が続いている。たしかなことは、前者は近代医学で業績を上げている多数者である。
しかし真実への決め手として、ビーチャム説を支持する意見もまた大きな広がりをも
っている。実際には、感染性有機体の起源について二つのまったく異なった見解があ
り、けっきょくこれが予防接種の一番の関心事となっているのだ。微生物発生の起源
についての外部、内部両説には、真実についての大き要素が存在するのであろう。と
いうのは、両説とも尊敬すべき支持者によって、十分にそして大きな力と論理をもっ
て、議論されているからである。

 予防接種に反対する人たちの立場からは、ビーチヤムの業績は、身体の健康の重要
性、免疫組織の活力、そしてそれによる病気への自然抵抗力を強調しているように見
える。それは哲学的的概念を抜きにしても、雷を弱めたもの(あるいは感染過程の他
の副産物)を使って身体の防衛力を刺激し、さまざまな微生物からの攻撃から身体を
守ることを目ざしている人々とはかけ離れた、もっと大き分野のことに思えるのであ
る。

 そしてこうした見解の相違は、標準的な免疫獲得のためにどちらを選べばよいかを
理解するのに、基本的な問題ととなる。まず、予防接種の不利益がどんなものであれ、
他に実行可能な選択がないかぎり、それに対する反対論は崩壊してしまう。また、現
在受け入れられている方法に、「科学的」根拠があるといっても、その基礎となって
いる方法論と論理が不十分ならば反対意見の有無にかかわらで、実際を見ると、不適
当に作り上げられた方法論と論理を基礎として行われている予防接種には、基本的な
難点がある。いいかえると、予防接種の結果として浮かび上がり、我々が今見ている
失敗は、不可避なのだ。なぜなら、それらが合理性に反する体系に基礎を置いている
ことのほかに、実験室での無菌状態で適用される原理は日常生活とはあまり関係がな
いということがいえるからである。もちろん外部から細菌が入って起こる感染は、論
争するまでもない。しかし、環境と適応状態にある身体の中でも自然に発症しうるこ
とは、現存のウイルスによる「感染」の範囲の広さから、強く示唆される。また、こ
のようなウイルスや細菌の多くが、明らかに健康な人の体内でも発見される場合があ
るという事実も、同様に示唆されているのである。とすれば、毒性の程度がどうであ
れ、外部から引き込んだ感染源でさえ、当然のこととして感染を起こすのではなく、
ただ宿主(人間)がその活力を維持することができず感染源に対し適切な環境を与え
る場合にだけ、病気が発症するということになる。
 ところで、この間題と現代の天罰エイズとの関連性が、ますます注目されつつある。
サンフランシスコのロス・カリフォルニア大学でエイズを研究しているジュイ
・リビイ博士は、「エイズウイルスは、必ずしも人にその病気と接触させることを必
要とするものではない。他の感染症、麻薬使用、栄養不良、ストレス、睡眠不足が
免疫(防衛)組織を弱める方向に臥軒する可能性もあるようだ」という言葉を、冒
イム輔訟に引用している。「もし人の免疫組織が、このようなことで悪影響を受け
ないならば、それはエイズウイルスと闘って撃退し、痛気を悪化させないようにで
きると私は信じる」とも語っている。これは事態の正しい展望といえる。宿主すな
わち感染した人と彼の免疫組織こそが、エイズ (あるいは何か他の感染症)に罹
患するかどうかを決定するのだ。もし身体がそういう事態を許すような状態ならば、
そこはウイルスあるいは細菌のかっこうの活動の場となるのである。
 ロックフェラー大学のデュボス教授は
 「ウイルスや細菌は、他の何かがないと、それ単独では感染症を引き起こさない」
と述べている。
 カロケリノス、デットマン両博士は、それにつけ加えて
 「[[ウイルスと細菌だけが、感染症の唯一の原因ではない。他にも原因はある]]」
といっている。
 両博士がいうように、「[[重要なのは、ウイルスや細菌が引き起こすものではなく
て、それらを病原体に変身させ攻撃的にさせるもの、たとえば細胞の栄養状態などで
ある。だから我々の生活態度が重要になってくる]]」
 そんなわけで、エイズ感染の基本原因としては、エイズに接触した一〇人のうちの
一人だけに深刻な感染を引き起こす可能性があると考えられているウイルスよりも、
麻薬の乱用や無分別な性交や無軌道な生活のほうが、大きく関係すると考えられるの
である(エイズの原因については、ぜひ第七草を見ていただきたい〉。
 [[こうしたことは、すべての感染症に当てはまる同一の基本的な事実である。なの
に、これまでは病気を起こす主たる要素として微生物の重要性を強調しすぎたため、
健康管理に対する個人の責任を放棄させてしまったのである。]]我々は後の章でこの
ことについての状況を論ずるが、この段階では、読者は次の二つの考え方が生み出す
異なった強調の仕方に留意していただきたい。…は、我々は微小な生物の気まぐれと
危険に陥りやすく、もし我々に、先天性あるいは後天性の免疫力がなければ、それら
の力に負けて病気にかかるという考え方である。この考え方にかかわるかぎり、自然
に獲得された防衛力はうまく働くか働かないかの問題であるから、人為的な免疫によ
って、感染源から我々が「守られる」必要があるということになる。 そして、もう
一つは、我々一人一人の最も重要な関心事は最善の健康維持であるべきだ、という考
え方である。この考え方による恩恵は、感染に対抗できる十分な免疫力を含めた健康
障害に対する抵抗力と防衛力であり、また感染したとしても完全に対抗できる能力で
あろう。しかし、人体防衛のメカニズムが確実にこの目的に対して影響されうること
が証明できなければ、現行の予防接種に対する批判はただ単なるアラ探しになるよう
に思われる。

 そこで、この本が明らかにしようとしている論争の核心は、次のようなことになる。
予防接種が行われた当初には、明らかな変化が起こる。この変化は、特定の微生物に
対する抵抗力が高められるときには、ある程度の利益があるかもしれないが、その場
合でも、利益はその人の生まれつきの健康その他によって、大いに加減されるといっ
たこと。そして、もう一つ明らかにしようとしているのは、見せかけの防衛力に伴っ
た大きなマイナスの効果と危険とがあり、その見せかけの防衛力がそうしたマイナス
を覆う効果を果たしているということである。もちろん、個人への悪影響の程度は、
先天的体質や接種されたときの健康状態とともに、ワクチンのタイプによってもさま
ざまである。まず予防接種に必ず伴う局面として、接種直後の有害な副反応はよく知
られている。また、これらは詳しく述べられ、強調されるであろう。けれど、長期に
わたる危険はほとんどわかっていない。この点はもっと調べられ、広く公表されなけ
ればならない。なんといっても、こういった危険が意味するものは、人間の苦悩の点
で深く重いからである。

 さて、論争は、予防接種がまったく効かないということではなくて、それがどの程
度効果があるのかということである(多くの接種を受けた人たちは今もなお、免疫を
もった状能だある)。そしてそれに付随する危険は、許容範囲を超えているのである。
まして許容範囲内のリスクをもった人がたくさんいることは疑いもない。そんな状態
にあっては、予防接種を全世界に広めるために妄的に政府後援のキャンペーンを行い、
接種に反対する議論を意図的に却↑することは納得できない。

 予防法を強調ることばかりが推し進められているが、他方で一人一人のあらゆる意
味での健康状態を増進するという基本的な重要性についての認識ももたせるべきであ
る。そうしてこそ、感染源にさらされても十分な抵抗力が得られ、もし罹患しても感
染症から安全に回復できるはずだからである。これは予防医学の主眼目が、男、女、
とくに子ども一人一人を最高の健康状態にすることにあることを意味している。

 このように概観すると、身体を刺激して防衛態勢を作るために弱毒化した微生物や
感染副産物の接種によって行う免疫力の強化は、多くの人たちにとっては、粗末な次
善の選択でしかありえない。最適の栄養と身体の自然防衛能力を維持し増進させるな
どの、さまざまの要因を集約することを基礎とした摂生と健康維持を強調することこ
そ、予防医学の最も望ましい目標なのである。

 ところが、パスツールの遺産によって、人々はこの目標から大きく逸らされてしま
ったようなのだ。貧乏、無知、ときには誤った選択のために、多くの人たちは、予防
接種よりももっと大切でもっと望ましいものとして、良い栄養と摂生があるというこ
とを指摘できる指導者には従わなくなっているといういくつかの指摘がある。いずれ
にしても、予防接種には欠点と選択権があるということを、人々の利益のために周知
させるべきなのである。
 ところで、こうした前世紀以来の考え方と方法を見るために、パスツールやこれか
ら議論をする研究者たちの実験方法が日常生活とははるかにかけ離れた状態で行われ
ていたことを強調するのは、大いに価値あることである。組織培養あるいは実験動物
に関連して、実験室で特殊な微生物を用いたことは、日常生活の環境の中で感染にさ
らされている普通の人々にとっては、あまり関係のないことであった。特殊な状態で
の特別な事柄についての考察が医学の分野で支配的になったために、感染も含めた最
も一般的な病気に対する多角的な原因の背景について、人々は盲目にされてきたので
ある。実際、毒性微生物にさらされたり、それが体内に存在しても、明確な感染が起
こらないことがある。このようなケースは、以前に感染し、それによって免疫を獲得
した可能性がある場合とはまったく異なっている。この事実は、健康状態(この定義
には、何らかの論議が必要である)にある人間はだいたいにおいて、感染源にさらさ
れたときにも、十分に対応できるということを示している。
 不自然な状態にあると病気を引き起こすきわめて危険な微生物でも、じつは無力で
あるという証拠を、免疫学の先覚者たちは面白い方法で示している。衛生学の分野で
のリーダー、マックス・フォン・ペッテンコーフエル博士は、致命的な症状のコレラ
書から得られた百万個のコレラ菌を飲み尽くした。著名なロシアの苦学者エリ・メチ
喜フもまた二十世紀初頭に、多くの他の実験者が行ったと同様の実験を行って、自分
の見解を示した。彼らの大便の中には活性コレラ菌の存在が示されたが、症状の最も
重いのが↑痢であった。これは実生活の状警、人体に特定の微生物を入れることにょ
り特定の病気が現れるという信念との間に、大き嘉違があることを際立たせている。
著述家ルネ∴アユボスは、コッホヤパスツールのような研究者に言及して、彼らは自
然界での出来事というよりは実験的な工芸品を取り扱っているのだから、そこで再現
されたことを自然に当てはめるのは不可能だと書いている。なにしろ実験のもつ性格
として、当然のことながら、いろいろな限裏件を自然現象に押しっける。そこで、そ
のような環境では、自然は人間が考えだす問題に掌る答えを用意させられてしまうの
である。また、これらの答えほ、問いかけられている問題の性質によっても、大きこ
うしてパスツールの牛乳、ビールなどの初期の研究は、彼の考えを方向づけた。彼は
特殊な菌がミルクを酸っぱくし、特殊毒がグレープジュースをワインに、さらに酔に
変えることを知った。そこで彼は次のように仮定した。人間の身体はピー〜棒のよう
に、病気を引き起こす外部からの微生物によって支配されている。それは、棒の中の
液体がミルクであれワインであれビールであれ、外部の菌が発酵を起こすのと同じで
ある。このように微生物が特定の病気を引き起こすということを示して、パスツール
とその仲間の研究者は、空気中で病原体にさらされると病気にかかるということを信
頼しなかったし、むしろ患者の身体から取り出した物質を人体内に入れることによっ
て病気にかかると考えたのである。彼らは、生命の複製に失敗したのだ。そのために
彼らの見つけたものは、怪しげな借物となった。
 医学雑誌Fランセット』(一九〇九年三月号)は次のように論評している。病原細
菌が動物に感染したとき、元の病気と臨床的に類似関係にない病気を引き起こすこと
がしばしばある。そしてそれが、新しい細菌を生み出す。
  そのことをビーチャムは、「病気は我々自身の中から生まれる」と表現する。こ
のようにみてくると、病気に対する防衛は、身体の健康増進、摂生状態と健全な栄養
といった要因に依存していると考えられる。自然治癒療法のパイオニアの一人、ヘン
リー・リンドラール氏は次のようにいう。「健康は正しい生活によって得られる。我々
の考える・感ずる・息をする・食べる・飲む・手足を動かす・風呂に入る・着るとい
った習慣、さらにまた性的、社会的活動も大切である。これらのことはすべて、我々
の生存の法則にかなった、調和のある関係になければならない」と。
 要するに、感染の事態と程度を決定するのは、宿主と細菌の相互作用なのである。
したがって、病原菌のことばかり強調することは、感染する運命にある身体には最小
限の注意しか払わないことにもなって、被害を大きくしてしまうから好ましくない。
たとえ確実な根拠があっても、免疫作用の防衛的な面にのみ依存していては、より健
康になることはできないのである。栄養と人間の生理学的、心理学的なあり方を適当
な状態に保つことは、禍をもたらすウイルスや細菌などよりももっとはるかに重要な
考慮を払うべき、価値のあるものなのだ。
 ところで、パスツールは無情姦中と献身をもって、彼の認識のもとになるものを考
えた。そして、自分を売り出すための鋭い第六感をもって、大で激務を果たし、二つ
の能力をフルに使うことにした。彼の開発した炭症病予防と芙病治療のワクチンの効
力を示すデモンストレーションが公開され、新聞は好感をもって報道した。羊の致死
病である炭症病から、予防接種によって羊を守ったとされる劇的なデモンストレーシ
ョンは、警人の人たちによって確認され、パスツー〜の名声は妄に高まった。しかし、
これらの実験では猛毒の炭痕病菌を注射して、二翳不幸姦物を炭症病にかからせたの
だが、このよう書法では正常な羊はこの病気にはかからないということに注意すべき
なのである。その点で、彼のワクチンによってもたらされた防衛力は、じつに十分な
ものであったといえる。というのは、試験的にワクチン姦讐れた羊は回復し、ワクチ
ンで防衛され慕った羊は恐ろしい死を迎えたからである。つまり、ワクチンによる防
衛力は、血液中での細菌の増殖には打ち勝つのだが、自然に起こる感染には対抗しな
いのだ。そこで注目に催するのは、野生動物は感染性の雷と完全に調和して生きてい
るという事実である。動物の自然の生活圏では、重大な感染はあるとしても、とるに
足りないものなのである。なのに、動物が家畜化され不自然な環境の中で暮らすよう
に富と、我々がよく知っていように、感染に負けるようになってしまうのだ。もとも
とは自然状態の動物とその体組織中で見つけられる雷との関係は、動物にとっては危
険なものではないのである。とすれば、当然のこととして、人間もまたあまりにも不
自然な状況の中で生活し、伝染病の流行にさらされているということになる。そこで
問題は、すでに健康な身体がもっている防衛力を故意に働かせるために、人体を異質
の相入れない生物製剤の注入にゆだねることが、その人の利益になるかどうかという
ことになってくる。一八八五年パスツールは、狂犬病の子どもを治療した。それは子
どもの命を助け、成功であった。こうした分野での彼の仕事の正確さは、微生物によ
って起こる病気の原因の特異性に関する彼の信念へのひたむきな貢献を示している。
さらにパスツールが発見したものは、たぶんに偶然ではあるが、元来は猛毒の微生物
を弱めたり薄めたりした変種せ用いて身体を刺激しておけば、元来の病原にさらされ
たときに身体を守れるようにできるということであった。これが今なお多くの免疫に
関する研究の基本になっている。その当時パスツールと彼の後継者たちには、この分
野での科学研究者の援助者(パトロン)がいた。彼らの多くは、免疫学での正統的な
考えに大きな期待を寄せていたのである。
 彼らの中にはドイツの細菌学者ロベルト・コッホも含まれていた。彼は炭痕病菌の
研究を行い、一人七一年には創傷感染という炭症病菌の特性に関するデモンストレー
ションにも成功したのである。そのほか彼の多くの業績の中には、結核菌の発見もあ
った。この分野での彼の業績は、この菌から抽出されるツベルクリンと呼ばれる物質
を取り出したことである。これは結核を治療することはできなかったけれど、感染診
断用の薬剤として現在も用いられている。すでに結核菌に感染している人(あるいは
動物) の皮下に注入すると、局所発赤が生ずることが判明したためである。なお、
コッホにはまた、当然のことというか法則としてというか、微生物が特定の病的過程
の原因と考えられるかどう47  


 第二章 予防接種の驚くべき歴史

かに関連した業績があったことが知られている。これに関する陳述は次のとおりであ
る。「細菌はいっも問題の病気に関連しているに違いない。そして、もし細菌が分離
でき培養もでき、健康な動物に接種できたならば、再び病気を引き起こすであろう。
そのときには、病巣部から同じ細菌が同定され、培養できることになる」。しかし、
この二見きれいな体裁をもつ論の誤りは、患者のことを無視していることにある。
 ノースカロライナ大学のG・T・スチエワート教授は、次のことを提示した。「人間
は、標準量の微生物の接種に対して、さまざまな反応を呈する。したがって、特殊な
細菌の接種の後には感染と病気が起こるはずであるというコッホの仮定は、宿主にも
また注入された物質によっても違ってくる」。教授は「この仮定は、生物学的変異を
考慮しておらず、自然の状態(実験室の状態は、条件を設定できるかもしれないが、
生活を写すものではない)で感染に影響を与える複雑な状態を考慮していない。コッ
ホの仮定は、特定の細菌が、普段は正常な状態で関連している他の多くのものとは分
離され、感染しやすい実験動物に人工的に注入される場合に適用できるもので、これ
は、自然環境にある動物(及び人間)の場合とは非常に異なっているのだ」と述べて
いる。我々はすでに、スチュアート教授の見解を読んで、感染源そのものだけではな
くて、宿主の健康状態を強調するといった進歩に気づき始めている。そして、これこ
そが、防衛力−それはどの程度か疑わしいのだがーを得ようという期待をもって組織
内に毒性物質を注入することをできるだけ避けようという、予防医学の中心課題その
ものなのである。
 初期の免疫学に影響を今なお大きく影を落としているもう一人の大立者は、ドイツ
の細菌学者パウル・エールリッヒである。彼は、細菌の毒素と抗毒素を標準化するた
めのガイドラインを決定する業績とともに、伝染病菌を殺す物質を用いることにも業
績を上げた。この成果こそ病原体を梅毒と細菌性伝染病の治療に役立てることに導い
たのである。エールリソヒは、伝染病菌や毒素が血液中に入ったときに、人体内で何
が起こるかを説明する学説を提出した。このことが起こると、宿主の体内で抗体とか
抗毒素とかと呼ばれる物質が生産されるような刺激が起こることを、彼は提示した。
いったんこの物質ができてしまうと、生体は、以前ならば致死量に達していた毒物に
も、耐えることができるようになる。エールリッヒの説明によると、そのことは人体
細胞が受容体という部分をもっていて、そこに毒性物質が付着すると、毒力がなくな
るために起きてくるのだという。こうして毒素と受容体の結合した分子は、毒素の攻
撃に反応して、身体が作り出した新しい受容体とともに血液中に押し出される。そし
て、この「抗体」は、細菌や毒性物質による侵害で身体が傷つけられる前に、それら
による侵害を中和することができる。これが、ワクチンや少量の毒素が侵入したとき
に起こると考えられることである。こうしたエールリッヒによる初期の「サイドチェ
イン (側鎖)説」と呼ばれる学説は、その後の知見によって大きく修正されたけれ
ど、抗原と抗体の概念を科学的に解明しようとする最初の試みであった(次章参照)。
 さて、これらの研究者や弟子たちが初期に努力したことは、細菌であろうと他の物
であろうと、病原物質の同定と分離であった。それを弱めた形で用いたり、あるいは
感染過程での副産物を用いることによって、その後、本当の感染にさらされた際に対
抗できる身体の防衛力を刺激するようにと試みられた。これに対して、行政機関と報
道機関は、ただちに熱心な反応を示した。かくして、ついにそれまで人間を支配した
無数の病気について説明ができるようになり、医学が治療できるようになったという
わけである。当時はびこっていた伝染病への対策の明らかな成功によって、人々はこ
の熱狂を誤りようのないものと確信したようである。だが、本当にそうであろうか?
さまざまなワクチンと免疫学的姦置の導入によって、多くの成功が外見上は達成され
たようではあるが、その反面、さまざまな他の理由によって、これらの病気が減少し
たことを示唆する非常に多くの証拠が集められているのである。そもそも感染の自然
のなりゆきとはどん李ものであろうか?その研究においては、ワクチンなどによって
身体の防衛組織を人工的に刺激することを含めて、さらに厳密にいくつかのメカニズ
ムを検証することが必要であるが、それは十分に努力のしがいのあることなのである。
そうしているうちに、有効性と安全性についての批判に対して細かく吟味することに
失敗した処置の例として、BCG(結核)やポリオワクチンの場合を取り1げて見直す機
会があるであろう。これらの免疫についての知見は、以下の章で、他の特別な形の免
疫と関連してさらに詳しく説明する。

     第三章    免疫と免疫機能の検討
  (BCG、ポリオ、ジフテリア、予防接種を例にして)

 我々は免疫をつける仕方について考えるとき、もともと身体が防衛組織をもってい
るということを考えておかなければならない。
 人類は地球上に現れたとき以来今日に至るまで微生物といっしょに棲み、その防衛
機構はさまざまな方法で他を脅かすことから共存することへと関係性を変化させてき
たのである。人間の身体には、それがなければ健康が保てないような、そういった微
生物がいる。そのような細菌のあるものは腸内に生息しており、それらは棲みかと食
物をいただくお礼に、ある種のビタミンの生産や好ましくない細菌のコントロールな
どの、有用でしばしば重要なサービスを提供してくれている。この関係は、ホストも
ゲストもともに利益を得るという、象徴的な共生関係の一つと考えられる。しかし、
他のケースでは、人体に何のサービスもせず、正常な環境下ではちょっとした悪さを
しそうなので、棲みつくことがあまり歓迎されないものもある。また、身体が弱った
ときには細菌は優勢になり、その活動範囲と居住地域を拡大し、病気や不快を引き起
こすこともある。
 これが日和見感染症として知られているもので、通常はエイズ(極端な例だが)の
ような状態になっている。そして、防衛機構が極端に誓った場合に、これまで体内に
1手に抱いていた微生物の異常姦殖を許してしまうのである。このようなものの一つ
カンジグ・アルピカンスは、地球上のほとんどすべての老若男女の腸やその他の器官
に生息している。しかし、これはあまり害がない。というのは、体内の防衛機構によ
って環境が穏やかに保たれているので、腸は細菌にとって好ましい棲みかところが、
エイズの場合、免疫組織の効力が竿しているという深刻な兆候の三として、口内やし
ばしば消化菅にまでカンジダが広がっていることがある。この例は、人間とそのごく
小さい仲間たちとの間にある調和という性質を認識するのに役立つ。主として健康体
では、非常に多くの病原体に対して抵抗力があり、対処できる。そのことは、大量の
コレラ菌を飲み込むという勇ましいとも愚かしいともいえる研究者の信じられないよ
うな実験においても、全然病気らしい病気にもかからなかったということから証拠立
てられている。もちろん多くの人間は、貧困、無知、不摂生、栄養不良などによって、
活動範囲を広げる機会を常に狙っている微生物の力に匹敵できるだけの防衛能力を維
持する力を失っている。こういう状況において、はじめて棲みついても差し享えのな
い程度の病原微生物が、まがうことのない感染源へと変化する可能性も出てくるので
ある。もちろん身体の防衛には細菌や他の侵入者を追い払うための皮膚という物理的
な防壁というものもぁるが、ひとたびその防壁からの侵入があると、次に体内で他の
防衛力が働くのである。その基本的な方法の一つは、すべての粘膜から分泌される物
質によって、異物や微生物を処理することである。それは、呼吸器の粘膜のような顕
微鏡的に微細な毛(繊毛)が働く部分で行われる。これらの毛は、好ましくない物質
や細菌をくるみ込んでいる粘液が、たとえば咳をして体外に出してしまうことができ
る場所まで動くのを助ける。胃や消化器系では、粘膜は酸によって守られており、こ
の酸は好ましくない細菌を殺す手助けをする。また扁桃は呼吸器系、消化器系の前哨
地点として防衛に働き、後で詳述するが、ポリオのような病気の危険を減らす点でも
重要である。内臓の探部や膣、尿管のような他の部分では、身体に親和性のある細菌
群の助けもまた、加わるかもしれない。これらの有益な微生物の中には、身体防衛の
必要度を維持するだけの均衡のとれた酸度を保つとともに、好ましくない細菌の活動
を抑制する抗生的分泌物を作り出すものもある。しかし、これら腸内細菌叢を形成し
ている活性細菌群は、抗生物質が過剰に用いられると大量に殺されてしまう。そして、
そうなると有害な細菌や糸状菌(カンジグのような)が蔓延するのに絶好な機会を与
えてしまうのである。なお、こうした変化は、糖尿病の状態のように、酸度が変わっ
た場合にも起こりうる。
 また、防衛組織の第一線では、さらに重要な因子が、相互補体経路(ACP)として
知られている。これは、感染に対して免疫学上引き起こされた非特異的な抵抗におい
て、重大な役割を演じており、また体内の炎症過程の段階においても働いているもの
である。ACPに含まれている物質は、腸の内壁、肝臓、肺臓の中で、マクロファージ
細胞(大食細胞、食細胞性の多核白血球)によって作られ、(往3)プロパージンす
なわち相互補体として知られている。これらによるさまざまの機能の中には、ウイル
ス中和作用や細菌の破壊作用がある。この組織は他の機能も有しているが、身体の防
衛機構の大部分をも受け持っている。それが網状内皮系(RES)と呼ばれるもので、
病気への抵抗に関係するさまざまな組織から成り立っている。この中には、身体に害
作用のある因子を中和する能力をもつプロテアーゼや酵素のような、防衛に関与する
特別な物質を産生する細胞も含まれる。RESは、解毒作用で素晴らしい働きをするが、
防衛作用においてもよく働く。しかも、もし細菌が上記のような防衛網を突破したと
しても、次には強大な防衛軍と対決しなければならないようにもなっている。
 そこには二つの異なった生物学的な防衛組織がある。】つは免疫学的防衛組織と呼
ばれ、広い領域の免疫を受け持つものであるが、これについては後で考える。もう一
つは大いに無視されているもので、化学的防衛組織として知られている能力である。
これは身体の防衛力の複雑さを理解しようとするときには、念頭に置かなければなら
ないものである。たとえば、健康ならば、血液はそれ自身、非常に広い範囲で静菌作
用をもつ。その理由はまさしく化学的作用によって、侵入して来た細菌を固定し無害
にするからである。だが、この働きは適当な栄養状態に依存する。とくにビタミンC
(血液中の)は、細菌やウイルスを殺す能力がある(この働きが殺菌性とか殺ウイ〜
ス性と呼ばれる)。この程度の防衛を果たすに必要なビタミンCのレベルは、壊血病
予防効果に必要な最小レベルよりも、はるかに高いということは重要である。このよ
うに生化学的な特性によって、我々はみな、あらゆる栄養物に対するそれぞれ独自の
要求をもつことが決定づけられている。ビタミンCの要求量は、ストレス、感染、妊
娠、アルコールやタバコの量など、そのときの状況によって幅広く変動する。こうし
た事情から、正確な個人のレベルは、標準だけでは決められるものではなく、むしろ
食事のパターン ーたぶん他の要因の追加も必要だろうが ー の実験から量を決め
たほうがよいのである。
 ライナス・ポーリング科学・医学研究所のジェフリー・ブランド博士は、「西洋社
会における平均的な個々の人間は、大変不自然な(過剰に精製された)食物とともに、
空気や水の汚染に取り囲まれているので(重金属のような有毒因子によるもので、一
昔前のような病原菌によるものではない)、一日量四〇〇から六〇〇ミリグラム前後
の供給を必要とする」と主張している。ビタミンCは、重金属(鉛など) の毒性を
抑える働きがあり、アレルギー状態にある身体にも有用である。W・フィルポ(♯10)
ット博士によると、これほど効果的な抗生物質はないとのことである。彼は「肺炎の
ような激しい感染症や、虫刺されや蛇瞭のような中毒状態は、グラム量のビタミンC
の静脈注射によって効果的に治療できる」という。
 免疫学的な防衛に関しても、適当な栄養がまた必要である。これこそが皮膚、粘膜
分泌物、血液中の化学的因子が、侵入者のチェックに失敗した後の防衛の最後のライ
ンになるのである。我々が以下にみるように、免疫学的な防衛の最初の試みは、侵入
した微生物を破壊することである(それらを中和する抗体が、その後産生される)。
免疫応答を呼びさます警報は、適当量のビリドキシン (ビタミンB) に依存して
いるといわれている。このビタミンBとビタミンCは共に、高い効果的な水準で働くた
めに、多くの他の十分な栄養素を必要とする。臨床実験、観察、検査に携わる多くの
専門家によると、人種によっては、あれこれの重要な栄養物の限界またはそれに近い
レベルにまで、非常に大き
な影響を与えるとのことである。我々がこれから見るオーストラリアの先住民(第五
章参照)の経験のように、身体が侵入と感染に対抗するために必要とするビタミンC
には臨界レベルがあり、これを下回ると、ワクチンの毒素にさらされたとき、免疫学
的ショックを起こして幼児では死を招くこともある。したがって、この臨界レベル以
上が一人一人の免疫力を促進することを可能にするのであり、そこでは危険を伴わず
により高いレベルの防衛力が達成できるのである。このテーマについては我々は免疫
をつける他の方法についての章で、再度述べるであろう。
 ところで、異種タンパクが、皮膚、胃、あるいは他のルートを経て体内に入り、そ
こにある免疫組織に出会うと、多くの注目すべきできことが起こる。そういったもの
は「抗原」として知られている。その抗原には、毒や細菌だけでなく、たとえ移植さ
れた臓器であっても、身体には異物であるほとんどあらゆる物質が含まれる。これに
応じる体内での重要な反応は、それぞれの抗原に対して特異的に働く「抗体」の形成
である。抗体は体内で一たび形成されると、それが以前出会った特定の抗原のみを識
別し、中和しょうとする。けれど、他の何千という強力な侵入者に対しては、識別も
できないし処置することもできない。こうした働きのメカニズムは、抗体内での分子
の特異的かつユニークな配列の形成に関連があり、それが抗原の構成に合わせてその
動きを止め、中和すると考えられる。
 事態はどうも次のように進行するらしい。異種タンパク質(細菌のような)が血管
に入ると、「マクロファージ」と呼ばれる細胞に食べられる。そのマクロファージに
は二つのタイプがある。一つは、血液中に(ある程度まで)存在して自由に動き回っ
ている。もう一つは、血管の内面の組織のような筋ところに固誉れている。これらの
細胞は、死んだ細胞、老廃物、好ましくない細菌などの、掃除人である。マクロファー
ジは侵入した誓を食べて、小さな粒子につぶしてしまうのである。これは「食菌作用」
(細胞による捕食)と呼ばれる。マクロファージは「リンパ球」と呼ばれる一種の白
血球と接触して、敵の慧に関してもっている情報を分け合う。それからリンパ球は、
まぎれもない工場への変身を起こし、問題の抗誓識別し処置するために、特別にター
ゲットを定めた「抗体」を産掌る。この産出は、リンパ節と他のリンパ組織で行われ、
終局的には自由に循環する抗体として、血液中に放出される。この過程−我々は後に
さらに詳細に論ずるがーは数日あるいは数週間を要し、抗体は長年にわたって存在す
るようである。その後1数年後ともいわれている1同じ感憲に出会うと、抗体が以前の
経験から侵入者を識別するので、前にも増してはるかにドラマチックな反応の力を見
せる。体内の「白血球」は、全過程を主に仲介するものである。それは二つのグ〜−
プに分けられる。「顆粒球」(好中球、好酸球、好塩基球)と、「非顆粒リンパ球」
及び「単核細胞」である。「好中球」は、琵球の主たる警ある。通常、核を有し、そ
の中にいくつかの小葉や分節をつなげたもの喜むので、「多形核白血球」と呼ばれる。
これらは血雷で働き、異物粒子あるいは微生物が猛威を振るうのを予防する障壁形成
に、注目すべき能力をもっている。好中球は、微生物を消化するために用いる酵素を
含んでいる。これらは血澤で短時間(半晶後)生きた後、他の組織へ移る。そこで数
旦間活動した後、身体に吸収され再生される。57 第三革 免疫と免疫機能の検討

 他のタイプの顆粒球は、「好酸球」であり、循環している白血球の約二%を占める。
これは微生物や毒性物質よりも、寄生的感染ヤアレルギ一反応に大いに関係がある。
「好塩基球」は、白血球全体のわずかな量を占めるにすぎないが、アレルギー反応に
役割をもっている。これらはヒスタミンやヘパリンといった物質を含んでいる。さら
に細胞中の別の主なグループとしては、「リンパ球」が知られている。リンパ球は、
白血球の大部分を構成している。好中球とは違って、これらは食菌的ではない(すな
わちこれらは、侵入した微生物を摂取したり、破壊したりはしない)。
 リンパ球はその起源によって、骨か滑液嚢に関連があるか(B)、胸腺に関連があ
るか(T)によって、「Bリンパ球」と「Tリンパ球」に分類される。Tリンパ球は、ウ
イルス、糸状菌、細菌による感染に対して、細胞が特定の抵抗を展開できるようにす
る過程で働くのが役割であり、同時に腫瘍や異種タンパク(移植された組織のような)
に対する識別と防衛活動にも関与している。異種タンパクヘの拒絶は、これらの細胞
の機能である。Tリンパ球はそれ自身、ヘルパー細胞とキラー細胞と呼ばれる二種に
分けられる。Bリンパ球が侵入物に対して抗体を生産するように導かれるのは、これ
らの活動によるものである。ヘルパーとキラーの割合は重要である。たとえばエイズ
の場合は、その割合が完全に混乱しているのである。
 Bリンパ球は、特定の抗原(細菌など)に対して、特別に防衛的になるような変化
をする。8リンパ球は適当に刺激されると、特定のウイルスや細菌に対して防衛的に
働く「免疫グロブリン抗体」と呼ばれる物質を分泌する。これらの細胞の生存期間は、
数週間から長年にわたる広がりをもつと見積もられている(第七章参照)。白血球の
もう一つのタイプが単核細胞である。これも、異種粒子や維菌を摂取する能力をもっ
ている。これらは結核菌や糸状菌が感染したような状態のとき、最も活発に働く。前
に述べたとおり、Bリンパ球は異種の侵入物の出現によって刺激されると、「免疫グ
ロブリン」Tg)を作るが、それは異なったタイプに分類される。「マクログロブリン」
としても知られるIgMは、他の免疫グロブリンと比較すると大きくて、感染あるいは
予防接種後に注目される最初の物質である。これは腸から入って来る細菌毒素に対し
て殺菌作用がある。IgGはまた、「ガンマグロブリン」としても知られている。これ
は免疫グロブリン中の最大のグループで、感染に対する防衛過程では後に出てくる。
以上の二つのタイプは感染に由来するのか免疫に由来するのかは別として、いずれに
せよウイルスや細菌や毒素に対する抗体である。次に、IgAと呼ばれるものの多くは、
体内の粘液や他の分泌液(唾液、涙、母乳など)に見出される。これは、腸管などの
粘膜の表面を防護する。またIgEと呼ばれるものはアレルギー反応に関連するが、IgD
は未だ役割が明確ではない。このようにBリンパ球の各々は、その表面に約十万の免
疫グロブリン(抗体)をもっており、それぞれ特別な役割に関連があると思われてい
る。そして、このことが特別な抗原を識別したり微生物に挑んだりするこれらの細胞
の能力を説明することになる。つまり、以前の活動の結果としていったん「プログラ
ム」されてしまったBリンパ球は、特定の「Ig」の生産に関与し、それゆえにおそら
く、特定の微生物からの挑戦に村してのみ応答することができるが、他の物にはでき
ないということを意味するのである。
 こうして、正常な環境では、感染とか微生物との接触は、一連の相互に関連した出
来事を経ながら起こってゆき、先に述べたようなある種の細胞の活性化をもたらす。
その結果、準備のできたBリンパ球は、再び現れたどのような侵入者でも識別し、不
活性化し、しようともする。この過程が幼年期の子どもたちに起きる普通の病気に次々
と打ち勝つための実態なのである。そして、成人になるまでにはこのような病気に対
する終生免疫が獲得されてしまい、免疫組織の能力の小さな部分のみが防衛方式に関
与するだけになると推定される。そのためにBリンパ球は、以前に反応した侵入病原
菌を識別し挑戦することしかできず、免疫機能の残余は新しい挑戦に備えて保存され
ることになる。しかし、毒性物質を直接血流中に注入する(正常な感染では、絶対に
起こりえない)という免疫の方法によって免疫組織が人工的に挑戦されたときは、は
るかに大きな対抗力が強要されてしまう。このときは、おそらく全免疫能力の、七〇
%程度が動貞されるのだろうと見積もられている(前述の普通の感染で必要としたも
のは、すべての関与能力のうちのわずかに三〜七%であるのに対して)。この計算だ
とわずかに三〇%が健在ということになるが、これは正常な状態で起こった場合より
はるかに過小だという事実は残る。ただ、免疫機能におけるこの種の過剰刺激と過剰
対抗の影響は、不明である。
 ところで免疫組織の損傷は、人々に次のような結果をもたらす。他の種類の感染に
対する感受性をいっそう高める。アレルギー反応を起こしやすくする。免疫機能の錯
乱した病気(リウマチ性関節炎やエイズなど)に罹患する機会が、いっそう増大する
可能性もある。最近のワクチンは心身両面において、アレルギー傾向を強める点で、
大きな要因となることが示唆されている。この種の免疫組織の損傷に直接関連する他
の病気の中には、乳幼児突然死症候群(SIDS)と多発性硬化症(MS)がある。けれど、
これらについては後で十分に論を尽くすことにする。要するに、通常の感染(予防接
種ではない)では、免疫組織は秩序正しい効果的な方法で、さまざまな種類の抗原に
反応する。しかし、予防接種による人工的な刺激では、この反応が異常で不自然なの
である。

 以上みてきたことからだけでも、予防接種(模擬形式の作業)の導入によって微生
物に対する永久の免疫を待させようという考えは、だいぶん怪しくなる。さらにまた、
ワクチンの短期及び潜在的な長期の禍も存在するに違いないし、したがって全過程で
の問題を提起することが望まれている。なお周知のとおり、現行の免疫法には生ワク
チンの使用も含まれている(特定の病気に反応する微生物の、不括化した形を用いる
ことも含めて)。「生ワクチン」の使用によって「防衛されるはず」の病気は、麻疹、
風疹、結核、ポリオ、インフルエンザ、黄熱である。主として「死菌ワクチン」を用
いるのは、次の病気である。コレラ、腸チフスとパラチフス(↑ABワクチン)、百日
咳、インフルエンザ、炭症病、狂犬病。これらのうち効力がなく事故の多いものの例
としては、結核に対するBCGワクチンを挙げることができる。結核とBCGワクチンにつ
いての医学的見解の混乱には、本当に驚かされる。原理的にいって、通常の環境では、
子どもを対象とする試みは、まず安全であることと何らかの収穫が得られることが求
められるべきなのである。ところが、ツベルクリン反応はどう考えても、この期待に
はそぐわない。結核に対する予防接種を行う前にツベルクリン反応は行われるが、ア
メリカ小児掌会は、その政策声明書の中で、この方法を用いる人たちを批判した。こ
の声明書には、次のような言及がある。「結核に対するスクリーニングテストは不完
全である。医師は間遠った陽性反応とともに、間違った陰性反応が紛れ込むかもしれ
ないということに、気づかなければならない」これらの反応の意味するものについて
もまた、異議が唱えられている。子どもがジフテリア毒素を注射してテストされると
き、陰性反応はその子に免疫があることを示していると考えられる(すなわち以前に
感染したことがあり、したがって予防接種は必要ではない)。ところがぎGでは、妄
療種を受けたことのある子どもが陰性とみなされると無免疫状警芋とみられ、再寔を
求められる。この「不思議の国のアリス」的な考え方も、もしこれらの矛盾に関して
医師仲間の間に合意があるとすれば、受け入れられるであろう。だが、ロバート・メ
ンデルスゾーン博士は次のように語って哺幣「あなたの子どもはツベルクリン反応は
陰性の判定だが、結核を患っているかもしれない。あるいは、結核に罹患していない
だろうに、ツベルクリン反応は陽性を示して結核を患っているといわれるかもしれな
い。これでは多くの医師の判断を狂わせてしまうことが起こりうる」。こうしたこと
の結末は、不必要な]線照射を強いたり、結核と誤診して有害な薬物療法を受けさせ
たりといった不都合を招くのである。メンデルスゾーン氏は、「私はツベルクリン反
応陽性の真に潜む結果は、病気の脅威よりもさらに危険であると確信している。両親
は、自分の子どもが結核患者と接触したことがあるという特別な事情がないならば、
このテストを拒絶すべきであると信ずる」と結論づけている。
 もともとツベルクリン接種の特別に計画された使用法を導入したのは、結核菌によ
る感染があるか否かを確認するのが目的である。けれど、言ンセット『訟は「今日、
結核の専門家の間でさえ、ツベルクリン反応の陽性、陰性は何を意味するのかについ
て、不一致があることは無視できない」と書いている。これはオスロのノルウェー医
学会へ宛てたコペンハーゲン結核研究チーム主任カロル・パルマ医博の見解である。
 その後の声明で彼はいう。「ツベルクリン反応陽性は、人間の場合、結核菌の感染
によらないことが非常に多いという問題について、幅広く考えるときが来た」
 その処置の危険性について、ウォールグレン教授の見解について考えてみよう。彼
はスウェーデンにBCGを導入したことについて、大いに責任を負っている。彼はある
程度幻滅を感じるようになり、BCG接種後の五件の激しい反応 − うち四件は死亡
 − を調査した後で、次のように語った。「我々は今まで、明白な危険はなかった
けれども、できるだけBCGを接種するという宣伝に励まされてきた。我々はもはや、
安全だという宣伝を受け入れることはできない」彼は続けて。「スウエ⊥アンのよう
畠では、BCG接種の大半が、幼少年期を通じ、いかなる予防活動をも刺激する機会は
まったくなかった。要するに、接種は不必要だったのだ」。ウォールグレン教授のコ
メントに言及してC・パルマ一博士は、「BCGの使用を再検討すべきだという彼の示唆
は、非常に適切書きに出された。BCG集団接種は、アメリカにおける結核撲滅運動の
効果には貢献していないという見解や、スウェーデン国民に対するウォールグレン誓
の、新たに確誓れた見解が指摘するものは、私には合理的であると思われる」と述べ
ている。数年後、BCGについての会議がグラスゴーで開輔畔1記の事実が、市の保健医
療担当官の声明書によって強調された。そこでは、「BCGワクチンが導入されて以来、
四分の一世紀が経過した。そして扁人以上の人が接種を受けたという事実にもかかわ
らず、予防効果の目途としての評価については、基本的莱姦がある」
 *なお、その後のBCGの効果に関する研究については、本章冒頭の「監修者からひ
とこと」をみていただそして接種の副作用は?これについてはハロルド・サイモン医
博が、彼の著書蒜められた感染』二九六〇年)の中で述べたとおり、以↑のように考
えられる。「もし進行性の結核が体内に実在していないときには、ある株のBCGは病
気を引き起こす。オランダの報告はBCG接種の結果、非常に多くの幼児が、リンパ節
炎、フリクテン性結膜炎、さらに壌の悪化を招いたことを示している。この方法を用
いた医師間の意見の不姦と、有効性と危険性に関して公表された見解とは共に、BCG
接種は非常に好ましくない方法であることを表しているのである。


 トキソイド(類毒素)もまた、予防接種で用いられる。これらは、破傷風やジフテ
リアのような特定の菌の毒素から成り立っており、加熱や化学処理によって部分的に
弱毒化したり変性したりされている。
 そもそも毒素というものは水溶性で、熱、光、酸素、さまざまの化学物質などによ
って破壊される物質である。それらは、ある種の細菌の活動の副産物であり、純粋な
形では猛毒である。たとえば、破傷風菌を培養した液の一ミリリットルの一万分の一
を注入したならば、モルモットを十分に殺すことができることが知られている。毒素
は二疋の組織の細胞の内側にある物質と結びついて固い結合を形成し、その組織を破
壊するのだ。けれど身体から産生されるというか、産生を促されるというか、これを
処理する抗毒素が、もし十分に早く適切な場所に到着したならば、この結合は阻止さ
れる。また、毒素は相手を選ぶ。したがって、ある生物種にとっては毒である物質で
も、他の生物種にとっては必ずしも毒ではない。そして、異なる細菌の毒素は、人間
の異なる組織に作用する。たとえば、破傷風毒素は神経細胞に、ジフテリア毒素は副
腎腺に、という具合である。
 さて、人間に用いる抗毒素は通常、動物から採取する。たとえば特定の毒素(一般
的にはジフテリアや破傷風)を系統立てて量を増加しながら馬に与えてゆくと、抗毒
素を作るようになる。それは血液の形で動物から取り出され、自然に凝固させられる。
その血液細胞から分離された血祭が、防腐剤で処理され、ジフテリアや破傷風に雁息
した人に、毒素を処理する能力を助け、感染に村する免疫を引き上げるために用いら
れるのである。一方、自然な抗毒素の産生は、血祭を通じて行われる。血渠は、さま
ざまな血液細胞が存在する血液やリンパ液の流動部分である。それは複雑なタンパク
質の構成物から成り、防衛機構の活力に満ちた部分である。抗毒素の産生は別として、
血祭はまた凝集性に富んでいる。これは「クランビング(凝集)」が起こる過程であ
り、侵入した細菌の自由に活動する能力を減じさせる。また凝集の進み具合は、病気
(たとえば腸チフス)の初期の段階において、感染しているかどうかを調べる診断手
続きにも用いられる。
 ところで、免疫のつけ方には、異なった環境に適応させる点で、二つのきわめて対
立する方針がある。その一つ、積極的な免疫のつけ方は、生菌あるいは死菌、あるい
はその毒素が体内に入ることにょって、達成されると考える。そうすれば、免疫がゆ
っくりとつき、長期間保たれるであろう。いうまでもなく、これは自然の感染によっ
て自然の免疫がつく方法でもある。もう一つの受動的な免疫のっけ方は、免疫化され
た動物の血祭や血清を体内に入れることで、手っ取り早く達成されるとするものであ
る。これはすでに感染してしまったときに用いられるものであり、予防というよりは
むしろ治療と考えられ、積極的な免疫獲得の一つの方法でもある。こうした受動免疫
法は、ジフテリアが発症したようなときに、とくに適していると考えられる。ジフテ
リアでは菌それ自身の活動よりも、むしろ病気の過程で分泌される毒素によって損害
を受けるからである。また、受動的に得られる免疫は、母親が血祭を通じて胎児に(あ
るいは母乳を通じて赤ん坊に)免疫を伝える方法でもある。
 トキソイドとかワクチンの使用についての警告としては、専門家は、そうした予防
接種に伴って起こりうる反応が、副反応あるいは「喜作用」として分類されることを
強調する。副反応は通常は穏やかであるが、「害作用」はとても激しい。そして副反
応には、接種部位付近に局所異常を伴う発熱や発疹がある。もちろん、接種とほとん
ど同時に起こる有害な反応は、常に接種と関連があるとは考えられない。というのは
医学専門家によって、次のような指摘があるからである。「幼児期の予防接種では、
同時に痙撃のような状態が比較的一般に起こりやすく、それが個々の子どもや親の状
況把握を、大いに混乱させる」。しかし、このようなすべての反応は、(イギリスで
は)薬剤安全委員会へ報告することが求められている。

  ポリオとジフテリアの免疫

 ここでは、予防接種に関連する複雑な反応の重要性を理解するために、ポリオの免
疫を吟味し、併わせてジフテリアに関する驚くべき摘発をしようと思う。
 予防接種に対して身体が起こす反応の程度の目安と見られている抗体形成に加えて、
もっと仮説的な身体反応が存在する。それは「免疫学的記憶」として知られ、抗体の
存在とは独立したものと考えられている。その意味する現象は、ポリオ生ワクチンを
推進しようとする医師と、死菌ワクチンを礼賛する医師との間で、討議の最中である。
経口生ワクチン礼賛の人たちは、自然にポリオにかかって得られた免疫は、(予防接
種によってではなくて、自然の方法で病気にかかるときなどに起こるのと同様)一生
続くことを指摘した。生ワクチン礼賛者によって、この方法は死菌ワクチンより安全
であること、また死菌ワクチン接種後数年以上経過すると血中抗体価が減少すること
がしばしば指摘されているのは、それによる防衛力の持続期間が限られている証左で
あることが示唆されている。しかし、死菌ワクチン礼賛者は、数年後にはポリオに対
する抗体の欠如が、相対的にしろ全体的にしろ起こるかもしれないが、「免疫記憶」
が存在していて、これはさまざまなタイプのポリオウイルスのどれに接触しても、身
体の該当部分がいち早く反応することを可能にしているのだと指摘する。こうした学
説は、動物実験によって、ある程度は支持されている。それは、たとえ血中抗体が欠
如していても、以前に予防接種された動物では、ウイルス粒子の一部分にす早く反応
する力を呼び起こすことができるというものである。何が「免疫学的記憶」の本質で
あるかの決定的な説明を提示することはできなかったが、この複雑な論争はなお継続
中である。
 このほかにも、ポリオ免疫の議論に持ち込まれた現象の中には、関心をもつ価値の
あるものがある。普通経口ワクチンの効力は、接種後の血中抗体のレベルを決定する
ことにより判定されると、多くの研究者が指摘している。しかし、これは状況のほん
の一部分にすぎないということが示唆されている。なぜなら「腸内免疫」のレベルを
示していないからである。「学説上は、組織的な抗体反応が欠如していても、またそ
の道であっても、腸内免疫は存在するかもしれない」といわれるのは次の意味を表し
ているようだ。予防接種後、防衛力を生み出すのに十分な抗体が形成された証拠は存
在しないかもしれないが、しかしこれは防衛力がないということを意味するのではな
い。というのは「腸内免疫」があるかもしれないからである。また、腸内免疫がなく
ても、抗体活動は存在するかもしれないのだ。しかし、理論的に「腸内免疫」と「免
疫記憶」の考えを結びつけることは、研究者たちが解明しようとしているシステムに
例外があることが明らかになったとき、逃げ込めるボルト穴を提供しているようであ
る。もちろん、こうすれば、仮説が正当なものであることを、明確にするかもしれな
い。それでも、両者は推測の域を出ず、使うに便利な用語のままにとどまるであろう
(もっとも両者は、同一のものであることが、証明されることもあるかもしれないが)、
いずれにしても、ここ数年におけるポリオの大流行は、すでに予防接種を受けた人を
も巻き込んできたという事実がある。一九八二年と八三年に、アメリカで発生した小
児麻痺のすべてのケースは、ワクチンと関連があり、そして一九八〇年以後報告され
たもののうち、ただ一件のみが野生のウイ〜スによって起こったものだったのである
(注∵」れはジョージア州アトランタのCDCからの報告で、『ランセット誕に発表さ
れた)。「野生ウイルス」という言葉は、自然発生のウイ〜スを示すために用いられ、
ワクチンに使用された型に由来するものではないことを表している。もちろんのこと
として、これらすべての研究者は何らかの形のワクチンを礼賛しており、過去及び現
在にわたって、この病気の減少のために予防接種のキャンペーンに全幅の信頼を寄せ
ている。このレポートを掲載した『ランセット』誌の論説は「(アメリカにおけるほ
とんどすべてのポリオのケースは、ワクチン由来のものであるという)これらの観察
報告は、ワクチンメーカーと公衆衛生の専門家に対する訴訟を増加させるかもしれな
い。そして、集団防衛用のワクチンの供給を危うくする危険がある」と述べている。
過去の成功の喜びは未来を思考する示唆と選択に富むものであるが、そんなときでも、
ロバート・メンデルスゾーン博士の言葉について、よく考えておくべきである。「免
疫学者の間では、(ポリオの)死菌ワクチンと生ワクチンの相対的な危険について、
論争が続行中である」
 死菌ワクチンの支持者は次のように主張する。「ときおり現れてポリオ発症の原因
となるのは、他の物質中に生きているウイルス組織が存在するからである」。生ワク
チンの支持者はいう。「死菌ウイルスは不十分な防衛力しか提供しない。また実際に
接種された人たちの感受性を増加させる」。この間にあって、私はこう信ずる。両方
のいい分は共に正しい。そのいずれのワクチンを用いても、あなたの子どもが病人に
接触する可能性は、増加することはあっても減ることはない。端的にいって、あなた
の子どもをポリオから守る最も効果的な方法は、子どもにワクチンを接種しないこと
であると思われる」
 この点では著者の意見は、次の追加意見とも一致する。「正しい衛生と最善の栄養
は、ずっとはるかにリスクを減ずる。現在の議論は、さまざまな病気に村して免疫を
獲得させるさまざまな試みの歴史を見通して検討されるべきである」。スペースの都
合上割愛されているが、次の評価はベドゥ・ベイリイ博士によって善かれ、一九五六
年に国立動物生体解剖反対協会から出版されたものである。この協会は、この本の中
に善かれた予防接種の方法に反村して、長年にわたってキャンペーンを行っている。
その報告書はポリオワクチン接種の初期の失敗と、完五〇年代初めのジフテリア予防
接種に対する調査に関する研究から浮かび1がった、当惑させられる矛盾のいくつか
など、これまで用いられてきたでたらめな方法を例証している。ワクチン接種に対す
る故ベイリイ博士の包括的な研究と非難の重要性は、銘記するに催する。「数年前ガ
ンマ・グロブリンと呼ばれるものが、ポリオに対する予防薬として導入された。そし
て、重症患者と接触したときに、予防目的で今なお用いられている」「ガンマ・グロ
ブリンは患者の血液中に含まれている。これは患者と接触した人に、感染から守るこ
とを考えて注射される。この方法の価値については、一九五二年アメリカで調査され
ることとなり、五万四七七二人の子どもに接種された……子どもの半分にはグロブリ
ン、半分にはゼラチン。八週間後、グロブリンにはそのおかげだとされるような防衛
価値はなく、対照としてゼラチンを注射された子どもたちには、注射との関連が想起
される接種した手足の麻痔の増加があった」「それに続く数年、二三万五〇〇〇人の
子どもに腰種された。照会を受けた国立諮問委貞会は、冒防接種はその後増加してい
る重度の小児麻痺の罹病率には見かけ1影響がない』という意見であった」。ゲッフ
エン博士によると「それは高価な、不明確な、信頼性のない、そしてせいぜい短期間
しか有効でない」ものである。「たぶん五〜八週間程度」と彼はいっている。「少な
くとも一人の実験技術者を救うことには失敗であった。その人はポリオ2型ウイルス
の筋肉内接種を繰り返し受けた後死亡した猿の脊椎の骨片で、指に擦り傷を負うとい
うアクシデントに巻き込まれた(一九五四年十一月)。同じ日に彼は、ガンマ・グロ
ブリンの筋肉内注射を受けたが、八日後にはポリオの兆候を呈したのである。一九五
三年マニトバの流行時では、六〇〇〇人に接種をし、そのうち、四十ケースでポリオ
の発症を予防できなかった。その三十六ケースは、接種後七日以内に発症したのであ
る。この件を報じたデイム¶盛は、「マニトバの保健専門家は、ガンマ・グロブリン
が有用であることは否定しないが、それはポリオの流行を抑止する点では確定的な村
応策にはならないと結論した。誰もこれを誇張とはいえないだろう」と書いている。
 説明によれば、上記の件の参考として実施された二つの試みのうちの最初に報告さ
れたものにさらに好適な結果がある。それは、初回テスト(一九五二年)では対照と
してゼラチンが注射されたが、二回目のテストでは何も注射されなかった、という事
実によるものであった。初回を指揮したハモンとその同僚は、「ゼラチン接種は他の
多くの物質の接種と同様に、ある場合には小児麻痔を誘発するかもしれない、そのた
めにガンマ・グロブリンの予防効果に対して誤った評価を与えたのかもしれない」と
いう可能性を認めた。「ガンマ・グロブリンの有効性が非常に劣っている点について
は、科学的根拠があるにもかかわらず、国立小児麻痺基金総裁が、〓九五三年は百万
接種であったが、五四年は三百万接種の利用可能な血清を調製中である』と述べたこ
とは、信じ難いことである」「この基金の会報買リオ現況報告』の一九五四年八月号
は、さらに驚くべき内容で如響基金は実際に次の情報を公表した。グラバー博士はウ
ィスコンシン州の大量接種計画で、ガンマ・グロブリンの有効性について、その可能
性を研究した。彼のコメントは、ポリオ流行状況を抑えるあるいは発症を予防する点
で、何らかの効果があったという証拠はない、というものであった。そしてまた家庭
内接触による感染防止には、ガンマ・グロブリンは失敗であったため、一九五四年の
イリノイ州のケースでは、ガンマ・グロブリンは準備されていなかった」「しかしな
がら一九五三年に、グラスゴー公衆衛生局が、合衆国〜−ズベルト記念基金の管理委
員からの血清供給の申し出を断わったのは、予防薬としての失敗のためではない。そ
の理由は興味あるものであり、週刊『スコッツ〈詣』によると、その市でのポリオ発
症をわずかばかり減らすのに、一二五万人もの接種を必要とし、そこまでして防がな
ければならない人は多くて二五〇人であろう、とい「このいわゆる予防薬は、動物実
験は倍頼できないということを示す、嘆かわしい扁である。というのは、一九四九年
にボーデンが、ポリオの三つの型すべてに対して猿が感染するのをガンマ・グロブリ
ンが高い率で予防することを見つけたからである」「動物と人間の血清は予防にはま
ったく効果がなく、この方面に関してはわずかの進歩しか期待できないということが
ますます明らかになってきたので、成功が立証される可能性のあるワクチン開発のほ
うへ関心が移っていったのである」乃 第三章 免疫と免疫穐能の検討

「一九四九年ユングースを長とするハーバードの研究者チームは、次のことを報告し
た。『我々はレッサーモンキーの腎臓組織で、ポリオウイルスを増殖させることに成
功した』そこでピッツバーグのジョナス・E・ソーク博士が、腎臓細胞を培養する特
別な肉汁(宅〇.−篭)を作った」「ウイルスには三つの主な型、1.ブルンドヒル
ド、2.ランシング、3.レオンがあることはすでに知られていた。しかしソーク博士
とその協力者たちは分離して七四株の型とした。一九五二年までに彼は試験用のワク
チンを作り、猿でテストを行った後、人間に接種しても十分に安全なものを作り出し
て満足だった」「一九五五年四月十二日は、フランクリン・ルーズベルト大統領の十
回忌であった。小児麻痺基金はあらゆる公表手段を用いて、次のように世界に発表し
た。ジョナス・E・ソーク博士が分際したワクチンは、(安全、強力、効果的)であ
る」「ミシガン州アン・アーバーに五〇〇人の医師と科学者が会合したとき、ソーク
博士とフランシス博士が、ワクチンのおかげでポリオが一掃されると述べたので、ほ
とんどすべてのアメリカの新聞はソーク博士がポリオを撲滅したと宣言した」「アメ
リカじゅうの新聞、ラジオが、今世紀最大の医学的発見として、ソークワクチンを歓
呼をもって迎えたほんの十三日後、そしてイギリスの保健大臣が、ワクチン製造の先
頭に立って推進すると放送した二日後に、大不幸の最初のニュースが入った。あるブ
ランドのワクチンを接種された子どもたちが、ポリオに罹患した。その日から続けざ
まに次から次へと、同じケースが報告された。そのうち招のあるものは、他のブラン
ドのワクチン接種後のものだった。こうして別のまったく予期しない混乱が始まった。
デンバーの医官フロリオ博士は公表した。恵〈サテライト(衛星)〉ポリオと呼ぶこ
の発症は、接種を受け発症して数晶入院した後に退院した子どもの翠その子どもと密
に接触した人たちに発症したケースである。子どもたちは、自富身は何も被害はない
が、他の人に病気を移「一九五五年六月二十三早メリカ公衆衛葦−ビスは、次のこと
を公表した。接種された人のうち、ポリオ発症は一六八人、うち六人は死亡。ソーク
ワクチン接種の子どもに接触した人の間では、一四「しかしサテライ去リオ≠ニみ
なされた人については、憲ははるかに悪かった。フロリオ博士によると、欠陥の多い
ワクチンを接種されると、子ビもはウイ〜スのキャリアになるかもしれない。彼はデ
ンバーの子ども妄00人全員が、キャリアになったと新野ている。また『我々はキャリ
ア集団を新たに作り出したのだ。そして次に、他の集団ができるだろう。こうしてサ
イクルが回り始める。これは大変難儀なことである』とも述べた。キャリアと接触し
た何人かは、最姦命的な型の病「接種と小児霊の最初の兆候との間隔は、苦から1看
である。その中の重症化するものは、注射見た事足から麻痔が始まる。惨事のもう一
つの特徴は、ポリオを発症した人の数は、予想されていた非接種者よりも、接誓のほ
うがはるかに多かったことである。事実、アイダホの状況については、宕のウイルス
専門主任カール・エクランド博士の声明によると、昨年の秋以降、ポリオの発生して
いない地域では、ポリオは接種され享どものみを襲っている。一〇人中九人に、注射
された腕 符に麻痔が起こつて哺ダラ伯ぎは論説で、次のコメントを掲載した。冒顧
するに、ワクチンの大釜に対する非常に多くの非難が国立財団へも持ち込まれた。実
際に起こった出来事のすべての状況から見て、財団は明らかに準備が不十分なのに、
数年間にわたる吉の後、今年になってワクチン接種に走り、ポリオの危険を現実のも
のとしたのであると「二十年前(云一豆年)、当時の合衆国公衆保健サービスの医療
局長−・P・リーク博士が化学処理を施した抗ポリオワクチンを蓬された子どもたち
の中から、十二例のポリオの連続発生があったと報告したことを覚えている人はほと
んどいないであろう。表の病気は、第云あるいは第二回目の注射の六÷四日後に発症
した。死亡五人、重度麻痔を残した孝二人であった。『アメリカ医師会堅に投稿した
リーク博士はコメントをつけ加えた。…らのケースは、現時点において、人間の免疫
付与のためにこれ以1ポリオウイルスを用いることは好ましくないと、多くの医師に
感じさせたことであろう』と」「貢国医学ジャーナル』でさえも、論説で害した。『今
回の大失敗のために、相当な期間、この種の試みは延期されるものと思われる。この
よう姦みをなぜしたのかといえば、特殊な免疫方法を求める海の向こう側の人たちの
熱意によるものである言。解説者は『彼らは勇敢だ。だから臨雰野でのこの問題に、
新しい挑戦を捷案する』と結んだ。ところが彼は、この発表された短い覚書、新聞に
発表された、よく練られた示唆に富む提案、そしてひたむきな研究者たちの不屈の努
力を、低く評価したのである」「ソークワクテンについての多くの報告の中で、「効
能」という言葉がしばしば用いられ、ワクチンを接種された子どもの血液中で抗体が
産生されることについて述べられていることに、読者は注目したことであろう。抗体
産生は、免疫の尺度であるとする仮説の誤謬は、『英国の二つの地域におけるジフテ
リアの研究』との表題のもと一九五〇年五月に医学調査審議会によって公表された報
告で、十分に示されている。九人の医師によるこの報告では、予防接種を受けた者の
中からジフテリアが発病したため、F免疫状態と免疫機構の働きが研究されることに
なった』と指摘されている」「この間題の重要性に鑑み、またわが国と他国の両方に
おいてさまざまなワクチンに対して非常に多くのテストが行われており、抗体の産生
は免疫と相互に関連しうるのは当然とされているようなので、医療調査審議会の見解
の概要を把握しておくのは望ましいことと思われる」「これら九人の医師によって指
導された研究の過程では、ニューカスルとゲイツヘッドで十分に接種された九五人に、
臨床的ジフテリアに対する調査が行われた。このときには、これら九五人の人たち、
病院の看護婦、接触した家族、キャリアに対して、血清の抗毒素濃縮との特別な関連
が調査されていた」「一九三九年と四〇〜四二年にFイングランドとウェールズにお
ける異なった地域で、接種を受けていたにもかかわらずジフテリアに雷心した六二人
の血清中の抗毒素濃縮について』という調査がすでに行われていたが、まだ初期の段
階であった」「その得られた結果の中には、大変異常で予期しなかったもの、大変矛
盾したもの、そしてじつに逆説めいたものもあったので、調査は元来考察し効果を検
討するものとして終了させられた」「〈逆説〉とは次のことである。明らかな接種経
歴があり、鼻や咽喉からジフテリア菌が証明され、臨床経歴でも真性ジフテリアの症
状のいくつかを示したことがある書から採取した血清の試料中に、じっに大量のジフ
テリア抗毒素が含まれていることが何度もあったのである。今日、シックによれば、
少なくと息清三当たり少なくとも1J箪位の抗毒素を含有する人、あるいはイギリスや
他の国の研究者によれば、少なくとも1J箪位の抗毒素を有する人は、ジフテリアに雷
心しないはずである。完四二年四月に先立ち翌された六二人の薯のうちの二五人(四
〇%)以上が、1/箪位…f州”川H、箪位あるいはそれ以上が五人、1去単位が七人、。・
1〜。・8単位が…「この説明には、何らかの誤解があったことが示唆されている。し
かしー」「試料の血液や血清中の含有抗毒素量の決定に用いられたやり方を吟味する
実験が、力借を高く算定してしまうという間違いの根源を暴露し損なったのである」
「そこで彼らは、タインサイド州の調査のやり直しを決定し、書の選定と病理学上の
物質の収集、実験に最大限の注意を払うことに決定した。しかしそれでも彼らは、三
〇人ものジフテリア症状を見っけた。彼らの血清中の抗毒素の量は、一∝当たり1/2
0単位あるいはそれ以上であった」
 彼らはもう一つの逆説に遭遇した。「循環している抗毒素をもたず、毒性の微生物
が潜在しているのにもかかわらず、完全な健康を保っている非接種の人たち。ほんの
わずかのあるかなしかの循環抗毒素をもち、通常はジフテリア痛棟で働いていて、し
かもジフテリアに罹患していない看護婦たち。以前の接種があったりなかったり、体
内抗毒素はわずかしかないが、家ではジフテリアの患者と密接な接触をする生活をし
ているのに完全な健康を保っている人たち。こういった例がいくつかあるという事実
がある。看護婦間でも、患者と実際に接している人たちの間でも、ジフテリアの発生
は、確信をもって期待されたものであった。そして調査のこの面に対して、資料を提
供することが求められたが、しかしこの期待は実現しなかった」「レポートの第三部
では、一九四一〜四二年のダンディにおけるジフテリアの流行を取り上げ、ここでも
血清中に十分な量の抗毒素をもつ人がジフテリアに罹患するという調査を挙げている。
この(報告)で明らかにされた事実は、血中抗体の存在は特定の病気に対する防衛力
を示すものである、という学説の誤謬を証明したのである。しかし、最近に発表され
たポリオの感染に対するワクチン接種のテストに関するすべての報告では、この間題
は都合よく無視されたようである。そしてその仮説は、万人が認めた学説になってし
まったのである」
 他方、ホルマリンでウイルスを殺して筋肉内に注射するのか、弱めた生ウイルスの
模擬物を経口的に与えるのか、いずれが最も効力のあるワクチンであると思えるかと
いう、長い間の論争がある。『ランセット声よると、「ソーク博士とセービン博士は、
ポリオワクチンについて、長い間軍た意見をもっていた。……しかし今年、セービン
が正しいのではないかと考えられるようになった。彼は自然なルートを経由する蓬(経
口)によって、弱めたウイルスワクチンを用いることを支持し亨ビンは次のように主
張した。雷ワクチンの筋肉内注射は、永続する免疫にはならない。そして、短期の人
工免疫が切れるたびごとに再接種することは非実用的である。もしこのよう羞命なワ
クチンを子どもたちが受けた吾ば、やがて若者はポリオに対して免疫のない者ばかり
の世になってしまうことであろう。そしてこの病気は子どもよりも若者においてさら
に重くなるので、けっきょく、短期しか免疫力のないワクチンは、子どもたちが成長
したあかつきには、多くの激しい病気に見舞われる結果を招くであろう』と彼は論じ
ている」「妄セービン博士の、彼のワクチンの有効性に対する主張のすべては、実験
の一部を担ったチンパンジーと人間の〈ボランティア〉の血清中に(ワクチン接種の
結果として)存在する抗体の評価に、「予防接種によって形成される免疫程度の評価
法の根底に存在する誤謬については、すでに十分に述べたのであるから、璧花した生
ワクチンの効果はまったく不確実であることは、明白に論じられる「いかなる種類で
も、弱毒化した、または変化させたワクチンであっても、ワクチンを用いることには
反対するという論争の主たるものは、故マッキントッシュ教授によって推し進められ
た。教授はロンドン大学の病理学教授で、一九二六年十月十九日王立医学協会で演説
をした」「科学的には、人体内に増殖能力のあるウイルスを注入することは、あらゆ
る観点からして悪であることは論を待たない。ウイルスの増殖が起こった際に、患者
が耐えられる投与量を見積もることは不可能である。かくてその力はコントロールで
きないし、感受性の強い人では、予期しない結果に陥るかもしれない」。この結末に
ついてコメントするならばと、冒ンセット『訟の編集者は書いている。「結核患者に
弱めたウイルスを再接種すると、病状を後戻りさせることになる、とマッキントッシ
ュ教授は記載している。そして細菌をどれほど長く弱め続ければ休眠状態になり、以
前の毒物が見せかけだけになるのかを誰が知っているのだろうか、と彼は述べている」
「これらの科学的な批判は、いかなる生ウイルスの接種あるいは経口投与にも同様に
有効であり、またそれが考えられたときと同様に今日でも通用することである」「弱
毒化ポリオウイルスが元の毒性野生株へ戻ることはまったく不可能であるという断定
が繰り返されるが、セービン博士自身、二十一〜三十歳のボランティア二六人にポリ
オ単一株のほんの小滴を与えたとき、被検者の体内でウイルスがいくらか毒性のある
形に変化するのを発見している」

 さまざまの国におけるポリオの発生率について得られた事態を綿密に検討した後、
ベイリイ博士は、イギリスでの事態に関心を戻した。そこでは、ポリオの相村的なリ
スクは実際は非常に小さいものであるといわれており、病気そのものも、医学専門家
によって、通常それほどの重要性はないと述べられていた。「統計局長官によって示
される実際の状態は、次のようである。
 完四三〜五三年の十年間を通じて、イングランドとウェールズで届け出られたポリ
オのケースの年間平均は、三三二八人、月平均では人口四二二九万人の中でたった二
二七人、50万人当たり六「英国医療省公衆衛生局のデニス・H∴ンエファーン博士に
よると、ウイルスに感染させられた人一〇〇人当たり無発症が九〇%、九%は咽喉の
痺痛か腫脹、首の硬直といった軽い兆候、一%のみが明らかなポリオを発症した。彼
は芸衆衛生蒜上での保健医療担当者協会国際部会への報告で『ポリオは、合併症ある
いは疾病が悪化して、脳や脊髄の運動性細胞を破壊し麻痔を起こさせるといった例外
を除いては、すべての感染症の中で最も軽いものであるということを我々は忘れがち
である。とにかく、ほとんどのポリオは数日間持続する温和な感染症であり、その場
合の症状は風邪の頭痛よりも軽く、回復すれば完壁に治癒し免疫力が永続すると思わ
れる。もしポリオにかかった人が麻痔にならないことを我々が確信するならば、地域
社会が自然免疫をつけるように、この病気を広める必要があるとさえいえるかもしれ
ない』と述べたと報告されている」


  病気にかかりやすい人の要因

 ジェファーン博士はセント・パンクラスの保健局医療官である。彼は前述のことが
引用された発言の中で、宿主(人間)側の罹患しやすい要因の重要性をウイルス側の
それと比較して、何か面白いことを述べなければならなくなった。彼は、人間が罹患
しやすくなる四つの主たる要因のリストを提出した。
 1)扁桃とアデノイドの切除手術。
 2)妊娠の状態。
 3)過度の気苦労、疲労、冷え。              /
 4)予防接種のような小さな傷。ペニシリンのような薬物の注射。このようなケー
スの場合、通常
  麻痔は外傷を受けた腕に観察される。
 彼はいう。「アメリカ、ミネソタ州の公衆衛生学、ゲイロード・アンダーソン教授
の大がかりな調査によって、次の事実が判明した。a)延髄型ポリオの人は、他の型
のポリオの人よりも、扁桃とアデノイド切除歴をもっている頻度が
 高い。b)扁桃を摘出された人にもしポリオが発症すると、延髄を包含する確率が
摘出していない人の四倍
 も高くなる。C)扁桃切除者の延髄型の割合は、すべての年齢で起こり、また術後
の経過時間にも無関係である。
                 (#36)
 R・X・サウスコット博士は、五〜七歳という通常行われる年齢で扁桃を切除され
た子どもは、咽
 喉神経に傷を受け、その結果少なくとも十年間は延髄型ポリオに対する感受性を高
めると信じてい
 る。彼は一九四七〜四人年の南オーストラリアでの流行で、延髄型ポリオ患者のう
ち三五〜三九人
 が扁桃切除を受けていたことを発見した。d)年長者における延髄型が高率である
のは、本質的に年齢よりも扁桃の萎縮が主として関係する」
 その根拠となる理論は次のようなものである。
 身体へのなんらかの傷害が加わると、その部分で働いている神経細胞に変化を引き
起こす。そのために神経細胞はウイルスの感染に対する抵抗力を低下させる結果とな
る。ジェフ7−ン博士自身、虫垂切除手術後にポリオに罹患した者は、腹筋の麻痔あ
るいは腸内筋肉の麻痔までも起こることを観察している。ジフテリア・百日咳混合ワ
クチンの注射は、ポリオウイルスに感染した者の麻痔を局限するだけではなく、侵襲
の確率をも増加させる、と彼は確信している。
 そうなると、ここで少し疑問が生ずる。子どもへのポリオのワクチン犠種は、それ
自身侵襲を促進する大変良い条件を準備して、病気に罹患しやすくするのである。そ
してこの危険は、けっして初回の接種とはかぎらないのである。ヲンセット叫盛の記
者が、次のことを指摘した。「三回接種される子どもは、三倍のリスクを負う。病原
にさらされるそのたびごとに影響がある…・⊥「彼はまた、猿の去勢はウイルスの鼻
腔内への接種に対して感受性を増大させたことを示した。またビタミン臥欠乏に陥っ
ている人間は感染への抵抗力が低下するということが、臨床上の観察事項として認め
られた。ボーディアンによると、相当数の猿がビタミンB(ビリドキシン)を奪われ、
感染にさらされるという実験に用いられた。その結果は、臨床上の経験を裏づけたよ
うである」
 ワクチンの価値についてのフランシスの報告書と、アメリカにおける一般大衆への
予防接種の開始に伴う悲劇的な出来事の報告が発表された後で、この国の指導的立場
にある権威者の一人、オックスフォードのラドクリフ病院神経科科長、医学博士W・
リッチ・ラッセルは、言ンセット¶配に投稿した。「もしウイルスが死んでいても、
どんな種類の接種であろうと、接種をすることは、たぶんすでにウイルスをかくまっ
ている比較的少数の子どもにポリオに罹患するのを促進するようなものである、と指
摘できるかもしれない。これらの危険は防衛の利益よりも少ない、と我々は信じさせ
られている。しかし、防衛がけっして一〇〇%ではない場合、その方法のメリットと
その統計は疑わしいものとなる」
 リッチ:フッセル博士は、生ウイルスの使用を支持しているが、その理由としては
次のようにいっている。「それはたしかにソーク法よりも効果が大きく、リスクは少
ないかもしれないからである。というのは、もし経口ワクチンを間違って熱性疾患に
与えたとしても、ポリオを発症させないようなさまざまな変化が起こるからである。
……しかし予防接種によってポリオが促進されていたならば、神経組織の自然防衛は
無効であろう。そしてすべての病気は麻痔症状を発症し、とくに注射された腕を侵す
であろう」
 ベイリイ博士は、科学のこの分野で動物の私的利用を続けたことに対する弁解をこ
めて、この課題についての彼の覚書を締めくくっている。彼は心を千々に砕きながら
書く。「私はもし研究が成功しそうで、また成功できるという十分な証拠があり、そ
のようにして幾百万もの実験動物の苦しみを救える(彼らは毎年実験研究やワクチン
製造に使われた)ならば、人間の組織培養の利用のほうを求めるものである」。また
予防接種問題における商業的要素も論議されよう。インドから輸出されたおびただし
い数の猿(ポリオワクチンのケースで)についての経済的様相と同様である。これは
種々の血清やワクチンの生産者に、天文学的な利潤をもたらしている。セービンワク
チンよりもソークを支持する人たちとその逆の人たちの間で続けられている論争の現
在の様相は、惨憺たるソークワクチンの船出以来三十年の経験期間にもかかわらず、
衰えも見せていない。メンデルスゾーン博士が主張するように、相手のワクチンの無
効性や潜在的な危険について互いに明言している点については、おそらく両方とも正
しいのであろう。このことは最も悪質なワクチンマニアの例を提供しているのだ。も
ちろん医師はワクチン固有の危険性は知っており、場合によっては禁忌事項も把撞し
ている。さまざまなワクチンを使用するに当たってとくに注意すべき禁忌事項は、医
師たちに提示されており、次のようなものが含まれている
 生ワクチンについては、次の場合接種すべきではない。
1)急性の感染症や発熱のなんらかの兆候の存在。
2)妊娠(ワクチンを使用しないほうが、使用するよりも安全な場合)。
3)免疫不全。*
4)悪性の病気やコーチゾンのようなホ〜モン療法が行われているとき。

麻疹ワクチンは、当の子どもか、その兄弟姉妹、両親などに痙攣の病歴があるとか、
なんらかの卵アレルギーがあるとか、あるいは活動性の結核であるといった場合には、
接種すべきではない。

ポリオワクチンは下痢や嘔吐がある場合、ペニシリン、、やオマイシンのような薬物ア
レ〜ギーのある場合には避けるべきである。

BCGワクチンは、体内あるいは皮膚に局所的な敗血症の兆候があれば、避けるべきである。

風疹ワクチンは、ネオマイシンのような薬物アレルギーの子どもと、接種後十二週間以内
に妊娠する可能性のある女性では、避けるべきである。百日咳ワクチンは、発作あるいは
痙攣、脳の興奮性とか障害の病歴があれば、避けるべきである。もし親や兄弟姉妹に発作
歴があるとか、子どもに神経疾患、あるいは神経学上の欠陥に関係がある発達遅滞があれ
ば、百日咳ワクチンの接種は賢明ではない。ジフテリアトキソイドは十歳以1の子どもに
は、予備テストなしに接種してはならない。

破傷風トキソイドは、患者が最近十二カ月以内に追加接種を受けている場合以外
は、与えるべきではない。

インフ〜エンザワクチンはぃ九歳以下の子どもや卵アレルギーの人には、用いるべきではな
い。
*麻疹ワクチンについては、熱でひきつけやすい子の場合には、かえって接種することを
勧めたい。なぜなら、麻疹ではひきつけが起きやすいからである。ただし、ワクチンをし
た後は熱に気をつけていて、発熱したりしそうになったら、早めに解熱剤を用いて、ひきつ
けを防いだほうがよいと思う。(毛利)

**破傷風トキソイド(予防接種)は、幼児になったら、少なくとも二回は受けておいたほ
うがよいと思 う。破傷風は致命的だからである。(毛利)その他、ワクチンによる特定の
反応、あるいは危険については、公的には次のようにいわれて(咄響ポリオ……まれである
が被接種者との接触によって、感染する危険がある。したがって子どもが接種するときには、
両親も同時に接種すべきである。

*しかし、日本では、この危険はほとんど無視してよいほどであり、とくに親の
世代はすでに免疫をもっていると考えられるので、こうまでする必要はないと思う。(毛利)

麻疹ワクチン……接種約一週間後に、まれに痙攣と脳障害を伴った麻疹様症候群が
発症するかもしれない。重い合併症を伴うリスクは、八万七〇〇〇人に一人と見積も
られている(注‥生命体では、オール・オア・ナシングという形をとる状況はまれで
ある。可能性の問題として、重い反応が起こり後遺症が残るかどうか、そうした反応
の発生率は最も重いレベルのものとゼロとの間である)。多くの軽いもの、少し重い
合併症もまた、このような結果であるに違いない。しかしながら、子どもたちは発育
途上で成長段階にあるので、このような出来事は、親にはそのように見えても常に予
防接種に関連しているとはかぎらないのである。後で見るように、麻疹ワクチンの結
果として、慢性病が長い期間潜伏して、重症化することもある(第六章)。

 なお、コレラワクチンが英国で徐々に支持を失っていった経過は、興味あることで
ある。国際証明書を必要とする制度は、病気の流行を抑止するにはワクチンの力では
限度があるという理由で、一九七三年に廃止された(注‥もし医学専門家がワクチン
にも限度はあるといったならば、それは疑わしいワクチンについても彼らの絶えざる
ワクチン信仰の目で見ているからであって、実際は無益であるに違いない)。

 次に、旅行者に対するワクチン接種の義務づけについてレオナード・ルーディン博
士は「コレラワクチンの防衛力は、おそらく五〇%よりは高くはなく、免疫はわずか
に六カ月間残るだけである」「何度も接種する航空職員のような人は、しばしば重い
副反応を発症する」と、注意をしている。では、ツーリストや旅行者に対して通常求
められているいくつかの他のワクチンについては、現在どのような批判があるだろう
か? 再びバーナード・ショウのコメントを想起しょう。有効期間については終生と
いうことはありえないと考えられている。

 腸チフス…一カ月間隔で二回接種を受けると、三年間効果があるといわれている。
 コレラ…一回接種では効果を得られた人で五〇%、六カ月間効果があるといわれて
いる。
 ポリオ…一カ月間隔で三回接種では、五〜十年間免疫で守られるといわれている。
 破傷風…初回と二回目の間は、六週間。二回目と三回目の間は、六カ月の間隔をお
いて三回注射という基本的なやり方では、五〜十年間免疫を与えるといわれている。
肺炎AとBは、さまざまな注射の型と効力があり、防衛期間も限られている。
 黄熱…十年間有効といわれているが、この主張の多くは、論争されている。

 それにしても、ワクチンの原材料はよく熟視すると、まったく吐き気を催すような
ものが多い。たとえばジフテリアの毒素と抗毒素は、腐敗しかかった馬の血液から作
り出される。百日咳ワクチンは、百日咳に罹患している子どもの咽喉の粘液から得ら
れる。腸チフスワクチンは、腸チフスで死んだ人からの腐った排泄物から作り出され
る。ソークポリオ血清は、ポリオにかかった猿の腎臓から得られる。豚のインフルエ
ンザに用いて効果なく、被接種者に恐ろしい副反応をもたらす、信頼できないインフ
ルエンザワクチンは、感染した腐った卵から作られる。これらは、人体の複雑な防衛
のメカニズムでの反応を刺激するために用いられる物質や方法である。この反応には、
しばしば予期しないものがあり、中には悲劇的なものもある。その効果は論議されて
いるが、その方法の歴史を見ると、控えめに見ても、この疑いを濃くせざるをえない。
こうしたことを考え合わせれば、予防接種という方法は、自然に獲得される免疫の過
程と比較されるべきなのである。

 自然免疫についての議論では、ペンシルバニアの人道主義者協会出版の小冊子『予
防接種の危険』の著者が次のように指摘している。「普通の生活では、実際に起こり
気づいてもいる感染症の数より、無症状の感染症の数のほうが、およそ百対一の割合
で上回っているというデータがある。たいしたことのない潜在するこれらの感染は、
免疫機能を準備投階において維持する効果をもっている」。こうして、ちょっとした
繰り返される感染は、感染物質が扁桃、リンパ節、腸内の免疫機能といった防衛の第
一線の警戒を逃れるようにして起きている、ということが確認される。これらは免疫
組織による反応を刺激するが、その闘いに我々が気づくほどの激しさまでには達しな
い。このことこそ、予防接種が演出し大規模の組織に挑戦しその保守機能を空にして
しまう(というのは、組織も器官も、無限に物質や機能的能力を保守することはない)
大がかりな愚行との直接的なよい対比になる。つまり、人体は、毒素や感染物質に、
三のやり方で十分に桔抗できる。けれども、他のやり方では負ける、ということを想
起すべきなのである。自然に起こる多数の細菌性の感染は内臓への攻撃で始まるが、
予防接種では通常血液を経由して異物を侵入させるのである。この間の差は、蛇の毒
液を摂取してもまったく何の効果もないが、これを血液中に入れると大変な毒性を発
揮することと比べると明白であ
 我々はまた、幼児の免疫組織は十分に発達していず、自然環境の中で無数の微生物
にさらされることによって、徐々に十分な能力を得るように発達するのだということ
にも気づくべきである。免疫組織が発達し自然に完成する前に、(予防接種で)強襲
することは自ら痛気を招き入れるようなものである。子どものもつ未熟な防衛能力の
手段と物質では、毒物の大量の注入を十分に処理することは不可能なのだ。しかも、
せっかく起きた反応も、長期間のうちに効力を弱めてしまう。これが、無数のアレル
ギー症状と行動異常を伴う免疫不全を明らかに増加させた大きな要因でありうるので
ある。
 次に、我々は予防接種の急激な反応と危険、被接種者を不意に撃っ激しい健康破壊、
とくに幼児に高い死の可能性といった問題に対する注意に戻る前に、これらの方法の
効能に対する批判と反論を行つてみよう。この分野での証拠が物語るものは、まさに
罪に催するものである。

 予防接種の無効性と長期間に及ぶ惨禍の話(第玉章)はさておき、ある形での接種
が招いた心を傷めるような結末は、ずっと以前からの、こうした信用できない方法の
結果なのである。
 読者は、この章で述べられたワクチン、とくにBCG、ポリオの効力のなさについて
の情報を、心に留めていただきたい。そしてジフテリアにも注意していただきたい。
ベイリイがポリオワクチンの大失敗記の中に含めたように、我々も、他の形の予防接
種の「成功」に対して、検証を加えてみることにしよう。

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