ケイシーのリーディングの研究例


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投稿者 SP' 日時 1999 年 8 月 06 日 13:12:22:

 ある一四歳の少年の過去世について語っているとき、ケイシーは、この少年が紀元前一万年頃にアトランティスに生きていたと言いきった。それ以降、一生の間、ケイシーはアトランティスについて断片的に語り続けた。そのなかには、懐疑的な人間の怒りを爆発させ、過去についてきわめて開かれた心を持った人間にも疑いを持たせるようにわざわざつくられたのでは、とさえ思わせるものもあった。ケイシーによれば、アトランティスは、大西洋のサルガッソ海からアゾレス諸島までを占める場所にあり、紀元前二万年にさかのぼる文明が栄えていたという。アトランティス文明は高度に発達していて、太陽光をとらえることができる、ある種の「水晶石」を有していたばかりか、蒸気、ガス、電気もあった。残念なことに、繁栄は強欲と腐敗をもたらしたため、最終的にやってきた崩壊は、その機が熟していた。この崩壊は何度かにわたって訪れ、最初が紀元前一万五千六〇〇年頃、そして最後が紀元前一万年頃に起きたという。その時期までには、アトランティス人はヨーロッパと南アメリカに散り散りになっていた。ケイシーによれば、アトランティス文化の文献は、世界の三カ所で見つかるが、その中にギザも含まれている。(『アトランティスの遺産』p117)


問14:「ギザの大ピラミッドはどのようにして建造されたのですか」
答14:「鉄をも泳がすようなそれら自然の力の使用による。同じ方法で石も空中を浮揚した。これは1958年に発見されるであろう」 (5748-6)
これらのリーディング(440-5、519-1、820-1、877-26、2072-10、5748-6)から、次のようなツーオイ石の姿を描くことができる。
(1) それは熱くなった。
(2) それは巨大だった。
(3) それは太陽と、地球の大気中に存在するか又は存在しない元素からそのエネルギーを受けた。
(4) それは「プリズム」ないしは「ガラス」でできていた。
(5) それは誘導方式であった。
(6) それは電磁波以外の一種の波動エネルギーを用いた。
(7) エネルギーは、水やその他の物質を透過するビームとなって発せられた。
(8) ビームは不可視だった。
(9) ビームは、都市の需要を満たすのに十分なエネルギーを伝達した。
(10) それは老化プロセスを遅らせるのに用いることもできた。
(11) それは二つに分かれた部分から成っている。一一シリンダーと冠石
(12) 生み出されたエネルギーは二つの中間に集中された。
(13) それを表した物がユカタンで発見されるであろう。
(14) 結晶体はシリンダー状で六角柱、つまり切断面が六角形であった。
(15) 光波は地球外知性との連絡に使われた。
(16) 偶然ないしはその逆の石の誤用が、地質的変動を起こした。(『エドガー・ケイシーの大アトランティス大陸』p233-234、サットン博士の「ツーオイ石の謎」)

考古学的立場からのアプローチとは別に純理論物理学的立場からケイシーのアトランティス情報を調べた学者にNASAのJ・H・サットン博士がいた。エドガー・エバンス同様、サットンはアトランティス情報の中に出てくる「大結晶石」、別名ツーオイ石を今のレーザーに関係するものと推定、高圧ルビー・レーザーと核融合炉とを結合したものに近いことを論証している。(同p250、訳者あとがき)

「破壊勢力を起こそうとしていた働きの予知によって国からの脱出が計られていた時代のアトランティスにおいて、ユカタン、ピレネー山脈、エジプトにまで逃れた人々の中に、その実体はいた。当時の空艇の輸送と通信手段は、ずっと後になって予言者エゼキエルが描いたものに似ていたのである。」 (1859-1、1939年4月)(同p127)

フランク・ウォーターズの『ホピの書』に再び目を向けてみると、第三世界の崩壊はアトランティス最後のそれに酷似している。ホピ族の伝承と神話によれば、この第三世界は急速に人口が増え、大都市が発展して航空機も現れた。ある種族は「パツボタ」(隠れみの)と称される人を乗せて空を飛ぶ機械を開発し、これを戦争にも使った。人民は余りにも腐敗し、邪悪で好戦的になり、そのため彼らの世界は、今度は大洪水によって滅ぼされたのである。「山より高い津波が陸に崩れ込み、陸は離ればなれになって海の藻くずと化した。」ある者たちは船に乗って難を免れ島を渡って遂に大陸に辿り着いた。ホピの伝承は様々な氏族の移住を続けて語っている。ホピの祖先がマウンドビルダーや、また南方のある国から合衆国南西部に移住してきたその様々な氏族に関係していたことを示すシンボルや物語も伝えられている。この一九六三年に初版が出された『ホピの書』の伝説史はそれより二、三〇年も前のライフ・リーディングで述べられた資料に奇しくも一致している。(同p160)


 彼の人生では非常にしばしば起こったように、重要な夢は、重大な情緒的危機の時にみられた。この時ケイシーは『無免許で医事行為をした』かどでデトロイトで逮捕され、にせ医者として公判にかけられるという恥辱を受けていた。彼は、バージニアビーチに戻る列車の中で、極めて不思議な夢の一つを見た。二千百年に再びネブラスカで生まれたのである。彼は次のように回想している。
「海は明らかにこの国の西部一帯を覆っていたし、私が住んでいる都市は海岸地帯にあった。私の姓は奇妙なものだった。私は子供の頃、自分は二百年前に生きていたエドガー・ケイシーであると宣言した。長いひげを蓄え、頭髪が薄く、分厚い眼鏡をかけた科学者たちが、私を調べるために招かれた。彼らは、私が生まれ、生活し、仕事をしたというケンタッキーやアラバマ、ニューヨーク、ミシガン、バージニアなどを訪ねることにした。科学者の研究グループが、長い葉巻のような形をした高速の飛行船に私を連れて乗り込み、これらの場所を訪れた。
 アラバマの一部は海に覆われている。ノーフォークは広大な海港となっている。ニューヨークは、戦争か地震か、とにかく破壊され、また再建されようとしている。工場は地方に分散している。大部分の家はガラス製である。
 エドガー・ケイシーとしての私の多数の記録が発見され集められた。研究グループは、これらの記録をネブラスカで研究するために持ち返った」
 この夢には別の場面もあった。ケイシーは、事実上完全に破壊された都市にきた時、そこの労働者に、ここはどこなのかと尋ねた。彼らは、驚いたようにケイシーを眺めたが、その答えに今度はケイシーが驚いた。そこはニューヨークだったのである。
 この夢から、多くの人が、最後の審判についての凄まじい予知を組み上げ、しかもこれは、一九五八年から一九九八年に集中するという破壊についてのケイシーの予言が、いつまで続くか分からぬ大破壊的「序曲」にすぎないことを意味していると指摘した。
 しかし、ケイシーは極めて悲観的というわけではなかった。彼は、自分の夢を解釈し、自分個人の裁判のなされた時期を、創造主 の究極の目的に対する疑念で動揺した人たちが直面する試練に譬えた。
「そして、この夢は、たとえ暗く思える時期があるとしても、あるいは創造主の目的を誤って解釈する時があるとしても、強さも、また深い理解もあることを示している」(『超人ケイシーの秘密(下巻)』p217-218)


…硫黄は、例えば火山の噴火などの中に含まれる。しかしソドムとゴモラの位置したヨルダン渓谷の周囲には、火山は死火山すらないのである。そして、この破壊的な火の雨を説明する「自然現象」は他には考えられない。私達はここで二者択一を迫られる。それが完全に超自然の顕現であったと考えるか、それとも、何らかの上空からの襲撃であったと考えるか、である。襲撃であれば、レーザー光線とか原子爆弾に相当する高度の兵器が使用されたのだろう。(中略)そもそもSFとかUFO学とかいったものに少しでも立ち入ると、エドガー・ケイシー協会やその支部、啓蒙研究協会(バージニア)の公式のスポークスマン達は顔をしかめるのである(超心理学にも批判は向けられている)。
 そうはいっても、ケイシー現象の真剣な研究者であろうとするなら、リーディングのこの一側面を見過すわけにはいかないのである。ところが、あまりに多くの人がそれを忌わしげに振り払おうとする。地球外の存在者達が我々の惑星を訪れている事を、リーディングは認めているように思われるのだ。(『エドガー・ケイシーの前世』p194-195)


 ケイシーは、世界中から人々が集まって開いた会合と、動物による脅威について繰り返し語った。あるリーディングで、彼はこの集会について問われた。彼の答えは、次のようなものだった。

 その必要が生じた時に、地球の様々な場所で、今日で言えば全世界ネットの放送にも似た方法で、人々の心の中に特定の地点、または複数の地点に存在する脅威への認識が生み出された。そして、それに心をとめた人々が、その種の脅威を排除するために、今日で言うところの科学的な思考に基づいた方法と手段を案出するための会合を開いた。
 この会合は、各地へ代表、つまり集まるべき人々、言い換えればその活動に協力することになっていた人々を招集するためにグラフ〔グラフ・ツェッペリン(ドイツのモーター付風船−訳注)?〕が赴くといった形で開かれたのであった。そして、これは、現在この地球に戻っている、或いは戻って来ようとしている者たちの心の中や夢の中を除いては、長いこと忘れられていたかの地でのことであり、案出された方法と手段は、獣たちが必要としていた環境、つまり彼らが当時居住していたこの地球という惑星の、特定の地域での生息のために必要としていた環境を変化させるようなものであった。そして、これは今後25年のうちに発見されるであろう死の光線、あるいは高エネルギー宇宙線と今日呼ばれるものが、多くの主要な施設から放出されるといったやり方と、殆ど同じ方法で行われた……。この会合が開かれた年代は、紀元前の5万722年(だった)(No.262-39、1933年2月21日)。

 ケイシーが死の光線について触れ、それが25年以内、つまり1958年までに発見されると述べたのは、大変興味深いことである。1958年に、ベル電話研究所の3人の技師が、レーザーの前身であるメーザーの組立と操作に成功した。もちろん、以後、メーザーとレーザーは通信、医学、そして他の様々な分野で広く活用されるようになって来た。レーザーの死の光線としての使用は機密扱いとされてはいるが、軍が、所謂「スター・ウォーズ」に出て来るような武器に関する路線での研究を進めていることは公然の秘密である。これより3年前の1955年に、科学者たちは反陽子を発見した。1957年には、彼らは、反物質は存在し得るものだという結論に達している。もしも反物質が普通の物質と接触したならば、結果として起こる爆発は、核分裂や核融合反応(つまり原子や水素爆弾)が引き起こすものよりも、何倍も大規模なものになるだろう。(『エジプトからアトランティスへ』p103-104)



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