テンプル騎士団とフランス革命

 
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投稿者 SP' 日時 1999 年 11 月 03 日 09:32:50:

回答先: メーソンの魔術的起源(Eliphas Levi) 投稿者 SP' 日時 1999 年 11 月 03 日 09:22:54:

 古代世界の社会はカースト制の物質主義的エゴイズムによって滅びた。この制度は不変不動で、大衆を希望なき排斥状態に押し込めることによって、少数の選ばれし者の手に握られた権力から、進歩と運動と生命の原理である循環運動を奪ったのである。対立も競争もなく、したがって統制もない権力は、聖職者の王国にとって致命的であった。他方、共和国は自由同士のぶつかりあいによって滅びた。これらの自由は、位階制に則って強固に認められた義務を一切欠いていたため、やがて互いに敵視しあう乱立する暴政でしかなくなった。これら二つの奈落のあいだに安定した中庸を見つけるためキリスト教の秘儀祭司が考えたことは、厳粛な誓いによって自己犠牲に邁進する、厳格な規則のもとに保護された結社の創造であった。この結社は秘儀参入を通して人員を集め、宗教的ならびに社会的大秘奥の唯一の保持者として、自らは権力の腐敗に曝されることなく王と教皇を作り出すのである。これが、この世に属することなくそのあらゆる権勢を統治するあのイエス・キリストの王国の秘奥であった。
 この理想は大修道会を設立する際の指導原理となった。故に、それらの会は教会や民間の在俗の権威筋としばしば啀みあった。この同じ理想を実現することは、グノーシス派あるいは啓明派といった分派の夢でもあった。彼らは自分たちの信仰を聖ヨハネのキリスト教の原初の伝統に基づくものと主張していた。そしてついに、この理想は、財力があり放埒なある会派がカバラの秘められた教義に参入し、正当な権威に位階制の保守的原理を敵対させる気配を示し、全世界を大革命の危機に曝したとき、カトリック教会と社会にとっての脅威となったのである。
 テンプル騎士団の歴史はほとんど知られておらぬが、彼らこそがこの恐るべき陰謀者であった。クレメンス五世とフィリップ美男王の記録に残る汚点を払拭するため、ついに騎士団の転落の秘密を明かす時が来た。
 一一一八年、ジョフロワ・ド・サントメールとユーグ・ド・パイヤンをはじめとする東方十字軍参加者の《九人の騎士》が、宗教に身を捧げ、コンスタンティノープル総大主教のもとで誓いを立てた。コンスタンティノープルはフォティオス以来、相変わらずローマ教皇庁に陰に陽に敵対していた。テンプル騎士用の公の目的は、聖地を訪れるキリスト教徒を守ることであったが、彼らの秘密の目的は、ソロモンの神殿をエゼキエルが預言した原型に従って再建することであった。
 この再建のことは、初期のユダヤ教的キリスト教を信奉する神秘家たちによってはっきりと予告されていたが、後に東方の総大主教たちの密かな夢となった。再建されカトリックの信仰に捧げられたソロモンの神殿は、実際、世界の首都となった。東方は西方に勝利したのであり、コンスタンティノープルの総大主教たちは教皇の座を独占したのである。
 この戦闘的な騎士団に与えられた《テンプル騎士団》という名称を説明するにあたって、歴史家は、イェルサレム王ボードゥアン二世が彼らにソロモンの神殿近くの家を与えたことを理由に挙げている。しかし、歴史家たちはここで大きな時代錯誤を犯している。当時はもはやソロモンの神殿が存在しなかったばかりか、ゾロバベルによって最初の神殿跡に建てられた第二の神殿さえ跡形もなかったのである。その正確な場所を指摘することは困難を極めたろう。
 以上のことから、ボードゥアンによってテンプル騎士団に与えられた家はソロモンの神殿近くにあったのではなく、東方の総大主教のこの武装せる密使たちがその神殿を建てようと意図していた場所の近くにあったと結論せざるをえぬ。
 テンプル騎士団は自分たちの手本に、聖書の中のゾロバベルの戦う石工たちを考えた。彼らは片手に剣、もう片方の手に鏝を持って働いた。このため、剣と鏝はテンプル騎士団の徽章となった。彼らは時代が下がると、後に見るように、《石工友愛団》の名のもとに身を隠した。テンプル騎士団の鏝は四つの刃を持ち、その三角形の刃が十字形に配され、《東方十字》という名で知られるカバラの万能章を形作っている。
 ユーグ・ド・パイヤンが騎士団を設立したときに密かに考えていたことは、正確には、コンスタンティノープルの総大主教の野望に仕えることではなかった。当時、東方にはヨハネ派のキリスト教徒の一派がいた。彼らは、自分たちだけが救世主の宗教の真の秘儀参入者であると主張していた。彼らはまた、イエス・キリストの本当の物語を知っていると言い、ユダヤの伝統やタルムードの話を一部借用しながら、福音書に語られている出来事は寓話でしかないとも主張した。その鍵はヨハネの次の言葉の中にある。「イエス・キリストの言動について書かれる本で世界は埋め尽されてしまうであろう。」この言葉は実際、限りなく変化させ引き延ばすことができる寓話と伝説のことを言っているのでなければ、滑稽な誇張表現でしかなくなるであろう、と彼らは主張するのである。
 歴史的事実に関してヨハネ派の人々が語ることは、次のようなものである。
 ナザレの娘《ミリアム》は、同族の青年《ヨカナーン》の許嫁であったが、パンディラあるいはパンテル〔パンテラ〕という者に不意を襲われる。彼は彼女の部屋に婚約者の服装をし名を騙らって入り込み、力尽くで彼女を犯したのである。彼女の不幸を知ったヨカナーンは、彼女の評判を傷つけることなく彼女のもとを去った。というのも、彼女には罪はなかったからだ。娘はやがて男の子を産み、その子はヨシュアあるいはイエスと名づけられた。
 この子はヨセフという名の導師に引き取られた。彼はこの子をエジプトに連れていき、その地で秘密の学問に通じさせた。オシリスの祭司たちはこの子に、昔から秘儀精通者にはその到来が約束されていたホルスの真の化身を認め、世界宗教の最高聖職者として崇めた。
 ヨシュアとヨセフはユダヤに帰ったが、若者の学識と美徳は時をおかずして祭司たちの羨望と憎悪を掻き立てた。彼らはある日、若者の出生が正当な結婚によらぬことを言い立てて、彼を非難した。母を愛し尊敬していたヨシュアは師に問いただし、パンディラの罪とミリアムの不幸の物語のすべてを知った。彼のとった最初の行動は、結婚記念日の宴の最中に公衆の面前で、次のように言って母を否認することであった。「女よ、汝と私のあいだにいかなる共通点があるというのか。」しかし、後に彼は、哀れな女が詮無きことを受け入れたからといって罰せられるべきではないと考え、こう叫んだのだ。「私の母は罪を犯さなかったし、純潔を失いもしなかった。彼女は処女でありながら母なのだ。彼女は二重に誉むべきかな。私はと言えば、この世に父を持たぬ。私は神と人類の息子なのだ。」
 キリスト教を奉じる心にとっては聞くに耐えぬこの作り話を、これ以上語ることはすまい。ただ次のことを言っておくだけで充分としよう。ヨハネ派の信者は福音史家の聖ヨハネがこのいわゆる伝承の発生源であるとするまでに至り、この使徒を彼らの秘密の教会の開祖としたのである。
 この党派の大神祇官は《キリスト》という称号を得、聖ヨハネ以来絶えることなく後継者権力を委譲して存続し てきたとされていた。テンプル騎士団創設時にこれらの想像上の特権を握っていたのは、テオクレという名の男であった。彼はユーグ・ド・パイヤンを知り、彼を自分のいわゆる教会と称するものの秘儀と将来性に引き込んだ。彼はユーグを最高位の聖職と至上の王権の思想で誘惑し、ついに自分の後継者に任命したのである。
 かくして、テンプル騎士団はその起源より、王に対する独立と陰謀の考えに染まっていたわけである。
 この姿勢は深遠な秘儀によって覆い隠されていた。騎士団は表向きはこれ以上ないほど完璧な正統派を表明していた。総長たちだけがめざす目的地を知っていた。残りの者は疑いもせず彼らについて行ったのである。
 ヨハネ派の教理を確立するため影響力と財力を得、それから策略をめぐらし、必要とあらば戦うこと、以上が、秘儀参入した同志たちに与えられた目的と手段であった。彼らはこう言いつけられた。「見よ、敵対する教皇と君主が今日は互いに値踏みし、買収し、賄賂を贈りあっているかと思うと、おそらく明日には潰しあうさまを。これらはすべてテンプルが後を引き受けよう。やがて世界はわれわれのもとに君主と司教を求めるようになろう。われわれは世界の均衡を作り、世界の盟主たる裁き手となるのだ。」
 テンプル騎士団は二つの教義を持っていた。一つは隠され導師だけに許されたもので、《ヨハネ主義》の教義である。もう一つは公のもので、《ローマ・カトリック》の教義である。彼らはかくして、地位簒奪の標的であった敵方を欺いていたのである。秘儀精通者のヨハネ主義はグノーシス派のカバラであった。じきにそれは、自然を対象とした偶像崇拝とあらゆる天啓教理に対する嫌悪にまで押し進められた神秘主義的汎神論へと堕落していった。彼らはより多くの成功を収めて同調者を得るために、信教の自由と、迫害された信仰すべてを総合したものである新たな正統教義を万人に約束することによって、没落した信仰への哀惜の念と新たな信仰への期待の情をくすぐった。かくして彼らは、黒魔術の巨匠たちの汎神論的象徴主義をも容認するまでに至った。そして、初めから彼らを断罪していた宗教の軛から自由になるために、かつて離反部族がダンとベテルの黄金の小牛を崇めたように、バフォメットのおぞましい偶像を神として讃えたのである。
 最近発見された建造物や、十三世紀に遡る貴重な資料が、いま述べたことを充分すぎるほど証明している。この他にも証拠となるものがまだ、秘密結社メーソンの年代記や象徴の中に隠されているのである。
 根本から死に侵され、異分子故に無秩序なテンプル騎士団は、恭順も自己犠牲も知らぬ彼らには実行不可能な大事業を構想したのだ。それに騎士団員たちはたいてい教養もなく、できることと言えば剣を巧みに操ることだけであったため、世論というあの世の中の女王を治め必要とあらば束縛するのに必要なことを一切持ち併せてはいなかった。ユーグ・ド・パイヤンは、後に王たちにとって恐るべき義勇軍を創設したあの軍人〔イグナティウス・デ・ロヨラのこと〕の際立った特徴である先見の明に恵まれていなかった。テンプル騎士団は挫折したイエズス会なのである。
 彼らの合言葉は、世界を買うため金持になることであった。実際、彼らは金持になり、一三一二年には、ヨーロッパだけで九千以上の領地を所有していた。だが、富裕さが彼らの挫折の元だった。彼らは傲慢になり、顛覆の標的である宗教的社会的制度に対しあからさまに侮蔑の念を表した。これについては、リチャード獅子心王の言葉がよく知られている。彼が親密にし心を許していたある聖職者が次のように言った。「閣下、あなたには高くつく三人の娘がおいでです。厄介払いしたほうが御自身のためですぞ。それは野心、吝嗇、贅沢です。」これに答えて王は言った。「本当か。それでは彼女らを嫁がせよう。野心はテンプル騎士団、吝嗇は僧侶、贅沢は司教のもとに。当事者たちも納得してくれることを私はいまから確信しているぞ。」
 テンプル騎士団の野心は彼らにとり致命的であった。あまりに彼らの計画は見え透いていたため、予防措置がとられた。教皇クレメンス五世とフィリップ美男王〔四世〕がヨーロッパで口火を切り、テンプル騎士団員はいわば大きな投網に絡み取られ、捕らえられ、武器を奪われ、投獄された。かつて、これほど恐るべき集団によるクー・デターが行われたためしはなかった。全世界は驚愕に打ちのめされ、裁判が明るみに出す奇怪な事実を心待ちにした。その裁判は何世代にもわたって多大な反響を呼んだのである。
 だが、民衆の前でテンプル騎士団の陰謀計画を披瀝することはできなかった。それは、大衆を総長たちの秘奥に通じさせることになったであろうからである。そこで、魔術の告発という手段がとられた。密告者や証人が捜し出された。彼らの証言によれば、テンプル騎士団員は入団する際、キリスト像に唾を吐きかけ、神を否定し、大総長に淫猥な接吻をし、紅ザクロ石を目に象嵌した銅製の頭部像を崇め、大きな黒猫と会話し、女悪魔と褥を共にするというのである。これらが、なんの躊躇もなく彼らの起訴状に書き込まれたことどもである。この劇の顛末と、ジャック・ド・モレーとその仲間たちが火刑に処されたいきさつはよく知られている。だが、大総長は死ぬ前に、《隠れメーソン》を組織し設立していたのである。牢屋の中から団長は、四つの主要都市にロッジを作っていた。すなわち、ナポリに東方ロッジを、エディンバラに西方ロッジを、ストックホルムに北方ロッジを、パリに南方ロッジを作っていたのである。教皇と王はやがて奇妙な仕方で頓死した。教団の告発者の中心人物であるフロリアンのセカン〔古い綴りではフロワイランのエスキウー〕は暗殺された。騎士団の剣は潰され、それで短刀が作られたのだ。そして、彼らの禁じられた鏝はもはや墓石だけを作るものとなったのである。
 ここでいったん、彼らを闇に消えるに任せよう。彼らはそこに潜み復讐の策を練っている。そして、大革命が訪れたとき、再び姿を見せるであろう。その徴と仕業によってそれと知れるのである。(p278-285)

 かつて世の中には、自分が卑怯者で悪人だという思いに深く憤って、その耐えがたい恥辱を社会全体のせいにした男がいた。この男は自然を愛する恵まれぬ者で、自然は怒って、彼に世に災いをもたらす雄弁の才を武器として与えた。彼は学問に対して無知を、文明に対して野蛮を、要するに社会のあらゆる高等性に対してあらゆる低俗性を大胆にも擁護したのである。民衆は本能的に、この常軌を逸した者に石を投げつけた。だが、実力者たちは彼を迎え入れ、女たちは彼を時代の寵児にした。彼は成功し、その結果、彼の人間嫌いはますます昂じ、ついには怒りと嫌悪で命を削ってしまったのである。彼の死後、世界はこの男ジャン=ジャック・ルソーの夢の実現に向けて揺れ動いた。ジャック・ド・モレーの死以来、社会組織の転覆を心に誓っていた陰謀家たちは、プラトリエール街のジャン=ジャック・ルソーが住んでいたまさにその家で、このジュネーヴの狂信家を後楯としたロッジを旗揚げした。このロッジは革命運動の中心となり、一 人の王家の血筋をひく者が、美男王フィリップ〔四世〕の後継者たちの失墜をジャック・ド・モレーの墓に誓いにきたのである。
 民衆を腐敗させたのは十八世紀の貴族である。この時期、実力者たちは摂政時代の乱痴気騒ぎとともに始まった平等熱に取り憑かれており、悦んで下賤の者と交わり、宮廷は中央市場で使われる隠語を話して面白がっていた。テンプル騎士団の記録簿には、摂政オルレアン公フィリップがこの恐るべき秘密結社の大首長で、彼の後継者にはメーヌ公、ブルボン=コンデ家とブルボン=コンティ家の王族、コセ=ブリサック公がいたことがはっきりと記されている。カリオストロはそのエジプト流儀式のなかで、第二階級から補佐役たちを結集していた。万事が、デカダンス期にある文明を崩壊へと押し進めるあの抗しがたい密かな衝動にわれ先にと従っていたのである。事件は時を経ずして起こった。それはカゾットが預言した通りであった。なにか見えざる手に突き動かされるように、事は急速に展開した。哀れなルイ十六世は自分の不倶戴天の敵どもの言い成りになっていた。彼らは不幸な逃亡計画を按排し頓挫させた。その結果、ヴァレンヌの大惨事が起こったのである。彼らはヴェルサイユで乱痴気騒ぎを催し、八月十日の大虐殺を指揮してもいた。いたるところで、彼らは王を厄介な状況に追い込み、そして民衆の怒りから救い出したが、それはこの怒りを爆発させ、長年準備してきた一大事を引き起こすためであった。テンプル騎士団の復讐に必要なのは、処刑台であったのだ。
 内戦の圧力下で、国民議会は王権の一時停止を宣言し、王の住居にリュクサンブール宮を充てたが、より隠密の別の議会は違った決定を下していた。失墜した王の住まいは牢獄であるべきだった。そして、この牢獄はテンプル騎士団のかつての宮殿以外には考えられなかった。それは主塔と小塔をとどめた姿でなお存続しており、過酷な歴史の事実に運命づけられたこの元王の囚人を待っていたのである。
 王は〈テンプル〉にいた。フランス聖職界の選良たちは亡命しているか大修道院牢獄に閉じ込められていた。大砲がポン=ヌフ橋の上で轟き、威嚇的な調子のプラカードが祖国の危機を訴えていた。そのとき、見知らぬ男たちが虐殺を企てたのである。長い髭を生やした醜怪な大男が、殺すべき司祭がいるところならどこにでも出没した。その者は司祭たちに残忍な嘲笑を浮かべてこう言った。「それ、これがアルビ派とワルド派の分だ。それ、これがテンプル騎士団の分だ。それ、これが聖バルテルミーの分だ。それ、これがセヴェンヌの追放者の分だ。」そう言うと、激しい怒りを込めて、いつもサーベルや肉切り包丁、棍棒で打ち据えたのである。武器は毀れると彼の手の中で新しいものに取り替えられた。彼は頭の上から足の先まで血で真赤になり、髭は血でべったりと貼りついた。そして、ぞっとする涜神の言葉とともに、その髭を血でしか洗わぬことを誓うのであった。
 この男が、天使のようなソンブルィユ嬢に国家に乾杯することを勧めたのである。
 また別の天使がテンプルの塔の中で祈り泣いていた。彼女は自身と二人の子供の苦痛を神に捧げ、王権とフランスを赦してもらおうとしていた。ポンパドゥールとデュ・バリーの狂った快楽の罪を贖うためには、この処女殉教者、敬虔なる《皇女エリザベート》の苦しみと涙がそっくり必要だったのである。
 ジャコバン主義という名は、陰謀の指導者たちの集合場所をジャコバン〔ドミニコ会修道僧のこと〕の旧教会に決める前にすでにつけられていた。この名はジャックという名から派生したもので、ジャックは革命に定められた宿命的な名であった。フランスの大量殺戮者はつねにジャックと呼ばれてきた。その死を招く名声が新たなジャックリーの乱を準備し、ヨハネ派の陰謀家たちの血みどろの計画に奉仕したあの哲学者は、《ジャン=ジャック》という名であった。また、フランス革命の陰の推進者たちは、玉座と祭壇の顛覆をジャック・ド・モレーの墓に誓ったのであった。
 ルイ十六世の死後、ちょうど彼が革命の刃の下で息絶えたばかりのとき、あの長い髭の男、殺人と復讐の彷徨えるユダヤ人が、おののく群衆を前にして処刑台に上り、両手いっぱいに王の血を掬い取り、民衆の頭上にその手を振りかざして、恐ろしい声でこう叫んだ。「フランス国民よ、汝をジャックと自由の名のもとに祝別するぞ。」
 事の半分は成就した。後は、教皇に対してテンプルの軍団の全勢力を注ぎ込まねばならなかった。
 教会の略奪、聖遺物の冒涜、嘲弄的な聖体行列、パリの大司教座で行われた理性信仰の旗揚げ、これらは次の新たな戦いの合図であった。パレ=ロワイヤルで教皇の人形が燃やされた。やがて、共和国軍はローマに向けて進軍する準備に取りかかった。
 ジャック・ド・モレーとその仲間はおそらく殉教者であったろうが、彼らの復讐者はこの名誉ある記録を穢してしまった。王国はルイ十六世の処刑台の上で再生した。教会は、ピウス六世が捕らえられヴァランスに囚人として連行されてその地で疲労と苦痛から没したことで逆に勝利した。だが、かつてのテンプル騎士団の不肖の後継者たちはみな、その死に至る勝利のうちに埋もれて滅びていったのである。(p433-436)



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