「日本の第二の敗戦」 1

 
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投稿者 大阪北摂住民 日時 2000 年 5 月 02 日 14:21:11:

平成11(1999)年10月19日(火曜日)毎日新聞

21世紀への伝言

記者たちのメモワール

「日本の第二の敗戦」


「どう生きるべきか、戦略がなかった。今もそれは変わらない。」


■ワシントン特派員として取材した森田 明彦さん(58)


ー「協調介入」確信


1985年9月22日の日曜日早朝。ホワイトハウスに近いプレスセンタービルの毎日新聞ワシントン支局を飛び出した森田さんは、ナショナル空港へ向かった。6時発のニューヨーク行きシャトル始発便に乗り込み、午前8時前、セントラルパークに面した名門・プラザホテルに到着した。


「この時間であれば、まだ朝食をとっているはずだ」。レストランへ直行すると、見覚えのある顔が並んでいた。中には澄田智日銀総裁(元大蔵事務次官)の姿も。「間に合った」。ホッと胸をなで下ろす。


食事を終えた澄田総裁に歩み寄り、「総裁、本当に効果があるのでしょうか」と禅問答で切り出した。澄田総裁は顔をゆるめ、答えた。「それは君、やってみないと分らないよ」


それだけで答えは十分だった。総裁に随行していた数人から補強取材し、階上にある「ホワイト・アンド・ゴールド・スイートルーム」へ足を運んだ。横長の古風な、こぢんまりとした部屋だった。だ円のテーブルに竹下登蔵相、大場智満大蔵省財務官らの席も確認できた。


すでに予定稿は支局からファクスで送り込んである。ホテル内の公衆電話から、差し替えの原稿を東京のデスク席へ吹き込んだ。


会議が始まる頃、東京では輪転機が回っていた。「日米中心に大規模介入」「緊急5カ国蔵相会議 ドル高是正策、合意へ」。派手な見出しが23日付け朝刊の1面トップに躍っていた。他紙は「ドル高修正協議か」といった議論の地味な扱いが大勢だった。


「G5」は、先進各国が政策協議を目的に定期的に開いている「G 7」の前身だった。当時はそのような会議が存在することさえ秘密にされ、今のような記者発表もなかった。


竹下蔵相は、前日の21日、山村新治郎衆院議員(故人)とゴルフをし、ゴルフウエアのまま空港の税関を通って、機内へ消えた。澄田総裁は自らの総裁就任記念コンペを風邪を理由に欠席、マスク姿で飛行機に乗った。


会議出席者がニューヨークに到着したころ、米財務省が各国大使館を通じて会議開催を報道機関にアナウンスしたが、議題などは一切伏せられていた。


しかし、森田さんには「今回は、ドル高是正の通貨会議になる」との確信があった。


81年に就任したレーガン米大統領は、前任のカーター政権末期に陥ったインフレ、低成長、ドル安の三重苦を克服するため、高金利政策、減税、財政健全化を柱とする経済政策「レーガノミックス」を強力に進めた。強いアメリカ、強いドル」を掲げたものの、ソ連に対抗するための軍事費の拡大などで財政赤字は拡大、ドル高で貿易赤字も膨らむ「双子の赤字」に苦しんでいた。この年の第1四半期には第一次大戦後初めて、債権より債務が多い純債務国に転落した。


それでも市場では、レーガン政権が「強いドル」政策を180度転換させることはないだろう、との見方が
支配的だった。財務長官から横滑りで就任したリーガン大統領主席補佐官は、基軸通貨国としての誇りもあって、一貫して市場任せの姿勢で介入には及び腰だったし、ドル高是正がドル暴落につながる、との不安が米国では根強かったためだ。


森田さんの〃読み〃は違った。財政赤字など米国経済の当時の基礎的諸条件(ファンダメンタルズ)を勘案すれば、ドルは明らかに高すぎた。各方面への取材を通じて、この年の
1月に就任したベーカー財務長官が、ドル高是正の必要性を認識していると感じていた。翌86年には中間選挙も控えていた。ドル安になれば、貿易赤字は縮小するし、外国への利払い軽減などで財政削減も削減できる。「この時期、5カ国の蔵相が顔をそろえるならば、協調介入しかない」。この自信が、記事を一面トップに仕立て上げた。


約5時間の会議を終え、5カ国の蔵相と中央銀行総裁の計10人が、会見場のひな壇に勢ぞろいした。ドル高修正のため、5カ国が為替市場への協調介入を含む緊密な協調行動を取る、という歴史的な合意内容が発表された。「強いドル」政策の行き詰まりを打開するため、米国が主導権をとって展開した国際協調だった。竹下蔵相は会議で「円は10%以上の上昇を許容できる」と発言。円高を嫌っていた日本が自発的に円の切り上げを申し出たことが欧州に意外感を与え、合意の推進力になった。森田さんは胸をなで下ろした。




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