「日本の第二の敗戦」2

 
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投稿者 大阪北摂住民 日時 2000 年 5 月 02 日 14:27:52:

回答先: 「日本の第二の敗戦」1 投稿者 大阪北摂住民 日時 2000 年 5 月 02 日 14:21:11:


平成11(1999)年10月19日(火曜日)毎日新聞

21世紀への伝言
記者たちのメモワール


「日本の第二の敗戦」


「どう生きるべきか、戦略がなかった。今もそれは変わらない。」


■ワシントン特派員として取材した森田 明彦さん(58)


ー急速なドル下落


「多国間合意で、為替相場の水準是正を打ち出したのは変動相場制になって初めて」(大場財務官)。そのインパクトは、会見場に並んだ10人の予想をはるかに越えた。
ホッと息つく間もなく、つるべ落としのように下落し始めたドル相場に、森田さんは振り回された。


会議前は1ドル=242円台だった円相場は、24日の東京外国為替市場で前週末の終値よりも11円90銭の円高・ドル安という過去最大の上げ幅を記録した。その後も歯止めがかからず、11月には1ドル=200円を突破した。


竹下蔵相も、「一年くらいかけて200円を切ると思っていたが、早すぎるので心配した」と後日、振り返っている。森田さんは会議後、全米製造業協会の会長がベーカー財務長官あてに出した書簡を入手したが、その書簡はドルの対円相場の適正水準として、米政府と業界が1ドル=210円程度を想定していたことを示唆していた。


スピードに耐え切れず輸出産業は大打撃を受け、日本では円高不況が広がった。G5にカナダを加えた6カ国蔵相は〃市場の暴走〃に業を煮やし、87年2月22日にパリのルーブル宮殿に集まり、プラザ合意のドル高是正にひとまずピリオドを打ち、ドルの安定を目指す「ルーブル合意」を結び、各国が協調利下げに踏み切った。対円相場は1ドル=140円前後を適正な水準とし、各国の当局が為替相場の変動幅について大まかに合意する「参考相場圏」的な発想が初めて導入された。


翌23日、日本銀行は公定歩合を年2・5%という当時としては史上最低水準に引き下げた。5月には経済審議会(首相の諮問機関)が内需拡大に向けた具体策を盛り込んだ「新前川レポート」を発表、中曽根康弘首相は総額6兆円を越える緊急経済対策を打ち出した。


「このままでは日本は大変なことになる」。〃政策協調〃という大義名分を掲げ、日本が財政を拡大しないともっと円高になると米国から脅され続け、財政拡大や金融緩和を繰り返した日本の危うさを、ワシントンから見ていた森田さんは感じとった。


それが象徴的に表れたのが、日銀の利下げだ。プラザ合意から87年2月までの間、日銀は5回にわたって公定歩合を引き下げた。87年夏には、通貨供給量(マネーサプライ)の伸びが前年に比べ10%を越え、資金がだぶついてインフレを招くのを恐れた日銀は公定歩合の引き上げを検討した。しかし、10月19日、ニューヨーク株式市場を史上最大の暴落「ブラックマンデー」が襲う。日銀は利上げを断念せざるを得なくなった。プラザ合意時に蔵相を務め、対米協調路線を突っ走っていた竹下自民党幹事長が20日、総裁に指名されたのも、日銀にとっては不運だった。

森田さんは、21日朝刊1面に掲載した連載企画「株激震」の中で、ブラックマンデーを原子力発電の最悪事故を示す「メルトダウン(炉心溶融)」と表現した。



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