Re: プーチンに気をつけろ!:プーチンの東ドイツ諜報生活

 
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投稿者 佐藤雅彦 日時 2000 年 6 月 24 日 04:49:49:

回答先: プーチンに気をつけろ! 投稿者 陰謀王子☆彡 日時 2000 年 6 月 24 日 03:53:17:

     プーチンの東ドイツ諜報生活
      (アジア・太平洋軍事・諜報ニュースからの転載)

●「陰謀王子☆彡」様、ロシアのプーチン大統領についてのご指摘を興味深く読ませて頂きました。 なるほど、彼が“突発的に出現”してきたのは、かなり不可解なところがありますし、プーチン政権になってからのマスコミに対するテロルは、途方もないもののようです。彼の背景については、調べれば多くの有益な情報が出てくるでしょうが、とりあえず軍事諜報分野の卓越したメルマガである『アジア太平洋軍事・諜報ニュース』から、「プーチンの東ドイツ諜報生活」と題する連載記事を、全文引用してご紹介しておきます。

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アジア・太平洋軍事・諜報ニュース00-72号
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●プーチンの東ドイツ諜報生活

「第一人者から。ウラジーミル・プーチンとの対話」(2000年3月13日、
「ヴァグリウス」)から、東ドイツ諜報生活部分を抜粋。
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○「東欧の属州」

−あなたは、1975年にKGBに入り、最終的に1991年に退職した。16年間である。
その内、何年間、国外にいたのか?

「5年足らず。私は、東ドイツのドレスデンだけで働いた。私達は、1985年に
そこに赴任し、1990年のベルリンの壁崩壊後に去った。」

−国外に行きたかったのか?

「行きたかった。」

−しかし、東ドイツは、別の社会主義国であり、KGBは、事実上公式に活動して
いた。あなたの元同僚の1人が言うには、東ドイツとは、諜報業務の観点から
属州であると。

「多分。それにも関わらず、レニングラードも、この観点からは属州である。
しかし、これらの属州では、私は常に上手くやっていた。」

−しかし、これは、恐らく、「楯と剣」ではなかったのか?諜報部における
ロマンについては、どうだったのか?

「私がその時までに既に10年間、機関で働いていたことを忘れないで欲しい。
どんなロマンについて、話しているのか?」

諜報部は、常にKGBで最も反抗的な機構だった。職員が何年も国外で生活して
いたことも影響した。資本主義国で3年、又はいわゆる社会主義ラーゲリで4、
5年、その後、9ヶ月のモスクワでの再訓練、再び国外へ。例えば、私の友人の
1人は、20年間ドイツへ、別の友人は25年間。出張間の9ヶ月に帰国したとき、
この我が国の生活に溶け込むことはできない。既に国外から帰国し、現実に苦労
して慣れ始めたとき、我が国で行われていることを目にした。若き我々は、
年輩の同僚と交際した。今話しているのは、スターリン時代をまだ覚えている
老人ではなく、いわゆる業務経験を有する人々についてである。これは既に、
別の見解、評価、感情を持った全く別の世代だった。

私の友人の1人は、保安ラインのグループ先任として、アフガニスタンで働いた。
彼が帰国したとき、我々は、当然、彼と多くのことについて話した。というのも、
我が国では当時どうだったか?アフガニスタンと関連する全ては、大歓迎だった!
大変、愛国的だった。そして、我々は、座って、話し合った。そして私は、彼が
アフガニスタンでの業務成果をどう評価しているのか尋ねた。問題は、ミサイル
打撃実施の際に、彼の署名が必要なことだった。言い換えれば、彼の署名なし
では、爆撃に関する決定は、採択されなかった。彼の回答は、私にとってショッ
キングなものだった。彼は、注意深く私を見て、こう語った。「君、私は、自分
の成果を署名しなかった文書の数で評価しているんだよ」。勿論これは、私に
対する打撃として作用した。そのような会話後、考え込み、別の解釈を下した。

というのも、これを語ったのが我々が尊敬した人々であり、良い意味での権威の
言葉だったからである。そして突然、彼らの意見が、一般に認められ、濾過され
た紋切り型に反していることに気付いた。

諜報部においては、当時、自分を違った風に考えさせ、誰も考えつけないような
ことを語らせた。
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△リュドミーラ・プーチナ(プーチンの妻)

私達は、1986年にドレスデンに赴任しました。そのときまでに、私は、大学を
既に卒業していました。マーシャは、1歳でした。2人目の子供を待っていま
した。カーチャは、ドレスデンで生まれました。ドイツ語は、学校レベルで
知っていました。それ以上ではありません。

私は、赴任前に、特別にいかなる教育も受けませんでした。医務委員会に赴き、
それでお終いでした。というのも、私達は、東ドイツでは完全に合法的に
働いていたからです。私達は、ドイツの国家保安省である「シュタージ」の
建物で暮らしていました。隣人は、私達がどこで働いていたか知っていたし、
私達は、彼らがどこで働いていたか知っていました。私達は、ソ連でペレスト
ロイカが既に開始されていたときに赴任しました。彼らは、共産主義の明るい
未来をさらに真剣に信じていました。
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−具体的には、何に従事していたのか?

「それは、政治諜報のラインによる業務だった。政治運動家、潜在敵の計画に
関する情報の入手である。」

−あなたが領土からの「諜報」に従事していたと、専門家が我々に説明した
のは正しいのか?

「かなり正確だが、そのような考えは、ソ連領土からの諜報を前提としていた。
我々は、東ドイツ領土から働いていた。我々が関心を有したのは、以前に話した
ように、主敵のラインに関するあらゆる情報であった。主敵としては、NATOが
考えられた。」

−あなたは、西ドイツに行ったことがあるのか?

「東ドイツで働いていた頃は、一度もない。」

−つまり、業務は何と結論付けられるのか?

「普通の諜報活動である。つまり、情報源の徴募、情報の入手、その処理及び
中央への送付である。政党、この政党内部の傾向、現在の、将来予想される
指導者、党及び国家機構における一定のポストへの人々の昇任に関する情報に
ついてである。誰が、いかに、何を行っているか、我々が関心を有する国の
外務省で何が起こっているのか、世界の各地域における各種問題に関する自国
の政策をいかに構築しているかを知ることが重要だった。あるいは、例えば、
軍縮交渉における我が国のパートナーの立場はどうなのか。勿論、そのような
情報を入手するために、情報源が必要である。それ故、並 行して、情報源の
徴募及び情報の獲得、並びにその処理及び分析に関する業務が行われた。
完全に、ルーチン業務である。」

(つづく)
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by 元諜報員
nda6373@geocities.co.jp

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アジア・太平洋軍事・諜報ニュース00-73号
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○「いかなるスポーツにも」

△リュドミーラ・プーチナ

仕事について、家では話しませんでした。夫の業務の性格が影を残したのだと
思います。KGBでは、妻と分かち合うな、という方針が常に存在しました。度を
過ぎた打ち明け話が悲惨な結果をもたらした事例がしばしば存在しました。
常に、妻が知ることが少なければ、ぐっすり眠れるということに基づきました。
私は、ドイツ人とかなりたくさん交際しました。ある交際が好ましくないもの
だったとしても。ヴォロージャは、私にこのことについて話しました。
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−東ドイツ生活は、恐らく、ペテルブルグよりも良かったのでは?

「はい。我々は、行列と物不足のロシアから来たが、そこには多くのものが
あった。そこで、私は、12kgも太った。85kgになった。」

−今は、何kgですか?

「75kg。」

−一体何故、そこで、そんなに弛んでしまったのか?

「まあ、正直に言って・・・。」

−ビールは?

「勿論!我々は、小さな田舎町のラデベルグに定期的に通った。そこには、
東ドイツ最良のビール工場の1つがあった。私は、3リットル余りの樽を買って
いた。それにビールを注いだ後、栓を開け、樽から飲んだ。通常、週に3.8
リットルのビールを飲むことができた。そして、家から職場までは2歩ばかりで
行けたため、余計なカロリーは、消費されなかった。」

−いかなるスポーツにも?

「そこには、この条件がなかった。そして、大変たくさん働いた。」
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△リュドミーラ・プーチナ

私達は、ドイツ風の建物の官舎に住んでいました。官舎は、大きく、12の玄関
口がありました。5つのアパートは、私達のグループが占めていました。ボス
のヴォロジンだけは、妻と一緒に別の建物で暮らしていました。玄関口に
並んで、軍の諜報員が住んでいたさらに4つのアパートがありました。残り
全ては、国家保安省職員のドイツ人でした。

私達のグループは、塀で囲われたドイツ風の邸宅の独立した建物で働いて
いました。3階建てだったか、4階建てだったかは、覚えていません。しかし、
家からこの邸宅までは、歩いて5分でした。自分の書斎の窓から、ヴォロージャ
は、保育園の小さなカーチャを見ていました。朝、彼は、幼稚園にマーシャを
連れていき、これは、私達のアパートの真下でした。その後、カーチャを
保育園に。

昼食は、彼は常に家に帰って取りました。そして、子供全員は、家で昼食を
取りました。時々、夕方、仕事上の友人が私達の家に集まり、しばしば、
ドイツ人でした。私達は、数家族と親しくなりました。しばしば、主として、
何でもない会話、冗談、アネクドートが陽気に行われました。ヴォロージャは、
アネクドートをよく話しました。

休日、私達は、郊外に出かけました。私達には、業務用車の「ジグリ」が
ありました。これは、東ドイツでは、完全に上流レベルとみなされていました。
そう、現地の「トラバント」と比べれば、いかなる場合でも。ちなみに、当時、
彼らには、私達のように、自動車を手に入れることが容易ではありません
でした。そこで、休日、私達は、全家族で必ずどこかに出かけました。
ドレスデンの周辺には、大変たくさんの美しい場所がありました。例えば、
ザクセンのスイス。市から20〜30分です。散歩して、ソーセージをビールと
一緒に食べました。そして家に。

(つづく)
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by 元諜報員
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アジア・太平洋軍事・諜報ニュース00-75号
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○「そんなにデマを書かせたのか!」

−ドレスデンでの業務時、何らかの明白な成功があったのか?

「私の仕事は、上手くいっていた。国外出張業務時に、1度の昇任が普通だと
考えられていた。私は、2度昇任した。」

−いかなる職務で、あなたは、東ドイツに赴任したのか?

「私は、上級作戦係だった。次の職務は、課長補だった。そしてこれは、既に
大変素晴らしい昇任と考えられた。私は、課長補になり、後にさらに、先任
課長補となった。既にこれ以上昇任すべきところがなかった。そこは、既に
指揮レベルであり、我々には、1人の長のみがいただけであった。そして、
報奨として、私は、KGB議長により党委員会の委員となった。」

−あなたが「ルチ(光)」作戦に参加したと書かれている。これは、
何なのか?

「正確には知らない。私は、それに従事していなかった。実施されたか否かも
知らない。私が理解している限りでは、東ドイツの政治指導部に関する業務を
意味している。私は、これに関係していなかった。」

−しかし、話しによれば、特にあなたは、元SEPGドレスデン州委員会書記
ハンス・モドロフを管理していた。

「私は、公式レセプションにおいて、2度モドロフと会った。我々の交際は、
この程度に限られていた。彼は、他のレベル、つまり、軍司令官、我々の
上級通信将校と交際していた。一般に、我々は、党の専従職員に関して働いて
いなかった。ちなみに、我が党に関しても。禁止されていた。」

−「ユーロファイター」に関する文書も、あなたは獲得しなかったのか?

「私は、技術諜報には従事しておらず、このラインで働いていなかった。
一体何が、私に関してそんなにデマを書かせたのか?完全な戯言である。」

−つまり、スーパー・スパイを問いつめるために。あなたは、全てを否定して
いる。一体何故、あなたが昇任したのか知りたいのだが?

「業務における具体的な成果に対してと、言われている。それは、実現された
情報単位の数で評価されていた。管轄下にある情報源から何らかの情報を獲得し、
文書化して、上層部に送り、しか るべき評価を受けた。」

−あなたは、諜報員として答えている。言い換えれば、何も答えていない。
さらに、ここに、東ドイツ諜報部の元ボス、マルクス・ヴォルフがあなたを侮辱
している。あなたにそこで授与された「ドイツ民主共和国国家人民軍に対する
貢献に対する」銅メダルは、重大な違反が記録されていなければ、書記の妻ほぼ
全員に与えられたはずであると語った。

「全く正確に、マルクス・ヴォルフは語った。そして、彼の言葉にいかなる遺憾
もない。むしろ、逆である。それは単に、私に重大な違反がなかったことを証明
している。私の考えによれば、メダルは、「貢献に対する」ではなく、「ドイツ
民主共和国国家人民軍に対する傑出した貢献に対する」とのみ呼ばれている。」

−あなたは、あなたに関する何らかのセンセーショナルな出版を予期している
のか?つまり、このドイツでの。例えば、選挙も近いし。

「いいえ。率直に言って、全くない。」

紙上のこの全ての戯言を読むのは、大変面白い。そして今、私は、西側が私が
徴募したエージェントを探していることに好奇心を持たずにはいられない。戯言
の全ては、これである。というのも、我が友人は、つまり東ドイツ国家保安省の
職員は、我々が行ったことの全てを行っていた。この全ては、彼らの文書庫に
保管されていた。それ故、私が東ドイツの地域機関、この場合、国家保安機関の
視野の外にあった何らかの秘密作戦に従事していたことを話すことはできない。
我々は、業務の大部分を東ドイツ市民を通して行った。彼ら全員は、そこで記録
されている。全ては、明るみにされ、理解されている。

そして、この全てについて、ドイツの防諜部に知られている。

私は、ドイツの利益に反して働かなかった。これは、全く明白なことである。
さもなければ、私は、東ドイツ後、西欧のどの国にも行けなかったはずである。
私は、当時、今日のような高官ではなかった。私は、ドイツを含めて、何回も
旅行した。私がペテルブルグで副市長として働いていたとき、東ドイツ国家
保安省の数人の職員が手紙をよこしすらした。そして、あるレセプションに
おいて、私は、ドイツ領事にこう語った。「私は手紙を受け取ったが、これは
私の私的通信であることを意味する。貴国では、あるキャンペーンが元国家保安
省職員に反対して、彼らを捕まえ、政治的動機により追求していることを理解
しているが、彼らは私の友人であり、私は彼らを拒否しないだろう」。彼は、
私にこう答えた。「我々は、全てを理解している。ミスター・プーチン。どんな
問題が?全ては明らかだ」。彼らは、私が誰で、どこから来たのかを良く知って
いた。私は、これを隠しもしなかった。
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△リュドミーラ・プーチナ

勿論、東ドイツ生活は、我が国よりも大変良かったです。清潔な街路、
拭かれた窓。彼らは、毎週、洗濯し、商品の豊富さは、西ドイツほどでは
ありませんが、恐らく、ロシアよりははるかに良かったです。もう1つ驚いた
ことがあります。あなたに話すべきかどうかしら?まあ、これは、ドイツ人が
下着をいかに干すかです。朝7時、仕事前に、彼らは屋外に出ます。そこに、
金属製の物干し竿を立て、主婦がロープを張って、洗濯ばさみで等間隔に下着を
干します。全員、同じようにです。

ドイツ人には、大変規則正しい習慣があり、そして私達よりも生活水準が
高かったです。国家保安省の職員は、私達の子供よりもたくさん受け取って
いたようです。私は、ドイツ人の隣人の生活振りからこれを判断することが
できました。勿論、私達は、節約を試み、車のために蓄えました。その後、
帰国したとき、「ヴォルガ」を買いました。そこでは、給料の一部はドイツ・
マルクで、一部はドルで支払われました。しかし、私達は、食べるものにすら、
特に浪費しませんでした。私達は、一切支払わず、官製の食器の付いた官舎で
暮らしました。一般に、スーツケースで暮らし、帰国を夢見ていました。大変
帰国したかった!実際、私達は、東ドイツで大変良く感じていました。4年が
過ぎ去り、この4年間で、暮らしていた国と市は、ほとんど自分のもののように
なっていきます。そして、ベルリンの壁が崩壊し、これが最後だと理解し
始めたとき、ほとんど祖国のようになった国がなくなるだろうと痛ましく
感じました。

(つづく)
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by 元諜報員
nda6373@geocities.co.jp

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アジア・太平洋軍事・諜報ニュース00-78号
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○「予言通りに!」

−あなたが話したように、ドイツの防諜部が東ドイツにおけるあなたの活動の
全てを知っているとすれば、あなたと諜報グループが誰と働いていたのかに
ついて全てを知っていることを意味する。あなたの全エージェント網は、
崩壊したのでは?

「我々は、全てを廃棄した。全ての我が通信、接触、全ての我がエージェント
網を。私は、膨大な量の資料を個人的に焼却した。我々は、ペチカがパンクする
くらい燃やした。」

昼も、夜も燃やされた。最も価値のある全ては、モスクワに搬出された。
しかし、作戦上の意義と利益は、既になく、全ての接触は中断され、情報源との
業務は、保安上の理由から停止され、資料は廃棄されるか、文書課に引き渡され
た。アーメン!

−それはいつだったのか?

「1989年だった。国家保安省の統制が崩壊し始めたときに。我々は、我が方にも
やって来ることを恐れた。」

−しかし、それでも、国家保安省を破壊した人々を理解できるとは思えませんか?

「できるが、彼らの抵抗がぶちまけた形態だけが腹立たしくさせた。」

私は、群衆の中から、それがいかに起こったのかを観察した。人々は、国家保安省
の局に押し入った。ある婦人がこう叫んだ。「エルバへの入口を探しなさい!
そこで、囚人が膝まで水に浸かっているわ!」どんな囚人?何故、エルバの下
なのか?そこには、取調拘置所型の部屋があったが、勿論、エルバの下ではない。

勿論、これは、逆反応だった。私は、この人々を理解したし、彼らは、国家保安省
側からの統制に疲れていた。全体主義的性格を帯びていた以上なおさらである。
社会は、事実上、完全に脅えていた。国家保安省に、モンスターを見ていた。

しかし、国家保安省も、社会の一部であったし、全てが同じ 病気を病んでいた。
そこでは、非常に様々な人々が働いていたが、私が知る者は、優れた人々だった。
私は、彼らの多くと交際し、今、彼ら全員が蹴飛ばされていることは、東ドイツの
国家保安省システムが東ドイツの市民社会、その人民に行ったことと同様に、
正しくないと思う。

そう、恐らく、国家保安省の職員の中には、弾圧に従事していた者もいただろう。
私は、これを目にしなかった。これがなかったとは、言いたくない。単に、私は、
これを個人的に見ていないだけである。

東ドイツは、私にとって、ある意味で発見となった。私は、東欧へ行くことは、
欧州の中心部に行くことだと思っていた。既に、80年代末が迫っていた。そして
突然、国家保安省職員と交際した後、私は、彼ら自身も、東ドイツも、長年に
渡ってソ連時代を過ごしてきた状態にあったことを理解した。

これは、我が国同様に、厳格な全体主義国家であったが、30年の歴史を有して
いた。その上、多くの人々が共産主義イデオロギーの全てを心から信じていた
ことに悲劇があった。私は、当時、こう考えた。我が国で何らかの変革が
始まれば、それがこの人々の運命にどう反映するだろうか?

そして、予言通りに。事実上、東ドイツでそのような変化が始まることを想像
するのは難しかった。そう、誰の頭にも浮かばなかった!それが始まったとき、
我々は、終わるだろうと考えて、報告しなかった以上なおさらである。勿論、
時々、この体制が長く続かないだろうという考えが生まれていた。勿論、我が
国で既にペレストロイカが始まり、かつて秘密とされていた多くのテーマが
公然と論議され始めたことも影響した。ここでは、社会の完全な保存は、
完全なタブーだった。家庭は分断された。親戚の一部は、壁の反対側で、
半分は、こちら側で暮らしていた。全てに付きまとっていた。勿論、これは、
異常で、不自然だった。

−国家保安省が崩壊したとき、あなたは、痛めつけられなかったのか?

「人々は、我々の建物の周囲にも集まっていた。まあ、ドイツ人は、国家
保安省の自国の統制を破棄した。これは、彼らの国内問題である。しかし、
我々は既に、彼らの国内問題ではなかった。脅威は、深刻だった。我々は、
そこに文書を有していた。我々を守るために、誰も動かなかった。

我々は、我が官庁と国家間の合意の枠内において、これを自身で行う準備が
あった。そして、我々は、自分の準備を誇示せざるを得なかった。これは、
これは、必要な印象を引き起こした。しばらくの間は。

−あなた方に、警備員はいたのか?

「はい。数名。」

−あなたは、外に出て、人々と話そうとはしなかったのか?

「しばらく後に、群衆が再び大胆になったとき、私は、人々の中に出て、
彼らが何を欲しているのかを尋ねた。私は、ここがソビエトの軍事組織である
ことを彼らに説明した。群衆の中から、こう尋ねられた。「一体何故、あなた方
のところに、ドイツ・ナンバーの付いた車が止まっているのか?あなた方は、
ここで何に従事しているのか?」沈黙、我々は知っていた。私は、我々には条約
によりドイツ・ナンバーの使用が許可されていると語った。「あなた達は、
何者だ?ドイツ語が余りに上手すぎる。」と彼らは叫んだ。私は、通訳だと
答えた。」

人々は、攻撃的態度だった。私は、我が軍集団に電話をかけ、状況を説明した。
私は、こう言われた。「モスクワからの指令なしには、何もできない。モスクワ
は、沈黙している」。後に、数時間後、我が軍人全員がやって来た。そして、
群衆は、解散した。しかし、この「モスクワは、沈黙している」とは・・・。
その時、私には、国がもはや存在していないという感じが生まれた。連邦が
病んでいることが明らかになった。そして、これは、麻痺という名称の致命的で、
不治の病だった。権力の麻痺である。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
△リュドミーラ・プーチナ

私は、東ドイツでこの革命的事件全てが始まったとき、隣人と何が起こって
いるのかを見ました。交際していた私の隣人は、一週間、泣いていました。
彼女は、特に、理想の喪失、彼らが一生信じていたものの破滅で泣いて
いました。彼らにとって、これは、生活、栄達の全ての破滅となりました。
彼ら全員は、無職になり、就職が禁じられました。カーチャには、幼稚園に保母
がいました。壁の崩壊後、彼女は既に、幼稚園で働き、子供達を養育する権利を
有していませんでした。彼ら全員は、国家保安省の職員でした。彼女は、精神的
危機を経た後、それでもどうにかして、照会し、老人ホームに働きに出かけ
ました。

東ドイツのもう1人の友人は、西側の会社に落ち着きました。彼女は、そこで既に
長く働き、完全に成功していますが、突然、彼女のボスがあるディスカッションの
最中に、旧東ドイツ人全員が愚かで、無教養で、無能であり、一般に、二流の人々
だと語りました。彼女は、この全てを聞いて、こう話しました。「まあ、私は東
ドイツ人です。あなたは、私も無能だと考えているのですか?」ボスは、黙り
こくり、回答する術を失い、彼女の業務へのクレームは、全くありませんでした。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
−あなたは、ベルリンの壁が崩壊したとき、引っ越ししましたか?

「実際、私は、それが避けられないことを理解した。正直に言って、私には、
欧州において失われたソ連の地位が残念だったが、壁と分水線に基づいた地位
が永遠に存在し得ないことを頭で理解していた。しかし、もう少し別の形で
来て欲しかったが。他のことは何も提案されなかった。そして、これが腹立た
しい。単に全てを捨てて、去っただけである。」

後に、私には、ペテルブルグで、キッシンジャーとの興味深い出会いがあった。
彼は、私が当時考えていたことを思いがけず論証した。ペテルブルグの発展、
外国投資の誘致に関する「キッシンジャーとソプチャク」という委員会が
あった。キッシンジャーは、私の考えによれば、2度やって来た。どうにかして、
私は、彼と空港で会った。私達は、車に乗り、事務所に向かった。途中、彼は、
どこから来て、何に従事しているのかを私に尋ねた。非常に好印象の老人だった。
途中寝ているように思われたが、実際は、全てを見聞きしていた。私達は、通訳
を通して話した。「あなたは、以前からここで働いているのか?」私は、約1年と
答えた。その後、私達は、次のような対話を行った。

−今まで、どこで働いていたのか?

「今まで、レニングラードです。」

−レニングラード以前は?

「大学です。」

−大学以前は?

「それまでは、軍人でした。」

−どの部隊で?

今、あなたを悩ませるかも知れない。「知っていますか、私は、諜報ラインで
働いていました。」彼は、落ち着いていた。「国外で働いていたのか?」私:
「ドイツで働いていました。」彼:「東か西か?」「東です。」彼:「全ての
優れた人々は、諜報部で始まる。私もだ。」私は、キッシンジャーが諜報部で
働いていたことを知らなかった。彼が後に語ったことは、私にとって予期せぬ、
大変興味深いものだった。彼は、「知っていますか、私は、今、ソ連に対する
かつての立場に対して大変批判されている。ソ連がこんなに早く東欧から撤退
するはずがないと考えていた。我々は、世界のバランスを非常に早く変え、
これは、望ましくない結果をもたらし得る。そして、今、これは私に罪がある。
ソ連が撤退すれば、全ては通常だと言われ、あなた達は、それが不可能だと
考えた。私は、実際にこれが不可能だと考えていた。」と語った。後に、彼は
考えて、こう付け加えた。「正直に言って、私は今まで、ゴルバチョフが何故
これを行ったのか理解できない。」

私は、彼からそのようなことを聞くとは完全に予期していなかった。彼に語った
ことを、今話すと、キッシンジャーは、正しかった。我々は、そのような性急な
逃走がなければ、非常に多くの問題を避けられたはずである。

(終わり)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
●お知らせ

ロシアの情報関連法律3本をアップしています。

国家秘密法:
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/6105/law/secret.htm

国家秘密に指定された情報のリスト:
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/6105/law/secretlist.htm

情報、情報化及び情報保護法:
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/6105/law/information.htm
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
by 元諜報員
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