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楽観派さんへのレス 投稿者 あっしら 日時 2002 年 6 月 01 日 17:12:54:

楽観派さん、こんにちわ。

※ 応答の連続でだいぶ深みにはまっているので、新規投稿にしました。

『Re:政府債務残高は限界点を超えています』
http://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/660.html

から、

『根源を考えてみる』
http://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/660.html

に続くものです。
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>経済学論理とはなじまないかもしれませんがいかがでしょうか?

私も、経済学論理を展開するつもりはありません。経済学論理は、現実認識の道具であり、説明の手法として利用しているにすぎません。
学問的範囲や学問的概念を無視した論理や考え方は大歓迎です。


● 明治維新以降の近代化

東京に首都が置かれたのは、大局的に敵になると考えた東国に対する支配を強化するためだったと考えています。(西国と東国の対立は、明治維新までの日本史の一つの変動要因だと考えています。その根源は、朝鮮半島の三国時代に遡れると思っています)

日本は、明治維新前後の銀と金の価格差設定でドジって(意識的か、あほだったかはわかりませんが)金の大量流出を招き、金本位制を施行できたのは、日清戦争後に清国からの賠償金を受け取ったからです。(銀建ての賠償金でしたが..)

※ ローマ帝国は、支配地拡大とともに銀貨から金貨主体に移っていきました。西ローマ帝国滅亡後の地中海・中東・インド地域の交易は、ビザンツ(ローマ)帝国が鋳造した金貨が価値尺度・支払い手段・蓄積手段のベースになりました。ビザンツ帝国滅亡後も、イスラム帝国・インドは金貨がベースです。中国では、銅銭が好まれました。
スペイン・ポルトガルの南米侵略で、ヨーロッパに大量の銀が流入し、インフレと商品生産の拡大をもたらしましたが、交易の主要対象地域が、インドであったこと(しかも入超)ことから、英国で金本位制が生まれたと考えています。
江戸期やローマ帝国などは、本位制と考えるより、金貨制や銀貨制と考えたほうがいいと思います。


● クレジットカードは「信用創造」

クレジットカードは、カード会社が、カードホルダーに短期の貸し付けを行い、カードで商品やサービスを販売したところから手数料という名目で利子を得る一方で、カードホルダーからはネットの金額を回収するシステムだと考えています。
カードホルダーからの回収がある割合で焦げ付くことは織り込み済みで、その割合が上昇すると手数料が上昇します。(香港や米国では、焦げ付きの上昇で手数料が10%近くまで上昇しています)


● 通貨を手段として考えるのか目的として考えるのか

これまでも書きましたが、多くの人は通貨を生活のための手段として考えていますが、現実の経済を支配している人たちは、通貨をより多く保有することを目的として経済活動しています。
通貨を価格尺度・交換手段・支払い手段として考えれば、労働以外の裏付けはいりません。

ところが通貨保有額を増やすことを目的としている人たちは、その通貨が目減りすることがいやなのです。
紙切れ紙幣であれば、通貨発行当局が大量に増発することで、それまで貯め込んだ通貨の価値が大きく目減りします。

もう一つは、古来より、貨幣蓄積を目的とする人たちは、その現実的形態としての金(貴金属)が好きなのです。ミノス王ではありませんが、手に触れるものを全て金に変えたいと思っているのです。錬金術などの歴史を思い浮かべれば、その執着振りがわかります。

そういう人たちに世界経済が支配されていることから、国際通貨の裏付けに金が選択されるとも考えています。

国際通貨はおそらく兌換を行わないでしょう。(せっかく集めた金を流出させたくないからです)
金を裏付けにするというのは、各国の公的保有金を自分たちの手に収めるための名目といっても過言ではありません。


通貨というものを、社会的分業を基礎に人々が生存していくための手段と考えることで、通貨の在り方も変わると思っています。

新世界通貨にしろ、グローバリズムにしろ、世界政府にしろ、結局は長続きしない(多くの人々を苦況に陥れる)と考えています。

ごく一握りの強欲な人たちの目的のために、多くの人が災厄に苦しむ期間は短ければ短いほどいいと思っています。
(敗北宣言ではありませんが、強欲者のシナリオはあるところまでは実現されると思っています)


>自由、平等、公平という価値に裏付けられた通貨を作ればよいのです。もっともどう
>やって自由や平等を定量化して通貨の裏付けにするかは非常に難しいと思いますが。


「自由、平等、公平」といった抽象的でかつ約めた言葉は避けた方がいいと思っています。
国際金融家やグローバリストも、「自由、平等、公平」というスローガンを掲げます。

“自由”な経済活動が法の下での“平等”によって保証され、経済活動の成果によって所得差や富の差が付くのが“公平”という論理です。

私は、自然的存在である人は根源的に自由ではないし、人は差異性があるからこそ共存の意義があると考えています。
このような前提で、個人・家族・共同体(国家)・類(世界)という各階層で、どううまく利害や損得を調整していくかという基準が公平という概念ではないかと思っています。

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