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「おぞましい鈍さ」としか言いようがない。もうこうなったらあっしらさんを援護射撃します。
http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/576.html
投稿者 序庵 日時 2003 年 4 月 01 日 12:39:48:bVITgLz1hWSuk

今や戦局とかに興味はありません。
この10年、「おかしさ」について言いたいことはいろいろあったけど、黙ってきました。
恥ずかしかったから。
知らない人に読まれるのは本当に気味が悪くてイヤだけど。
「そんなこと言ってる場合じゃない」と、どうしても思えてしまうので。

イメージを文字にするのに非常に時間がかかっておりますので見切り発進させていただきます。
1時間でも惜しいので。
余計なお世話だったらすみません。

私、アホウのままでいたかったんですが−−。
ロマン追う代わりに貧乏や無力を受け入れるから、政治とかにはノータッチっていう立場を許してもらいたいって立場だったんですが。
そういうのは、まとまな経済活動とかをしてるまともな大人に任せたつもりだったんですが。

これまで、自分を疑い続けて生きてきました。
「疑いなく自分を信じることができる」感性なんてもちたくもないと思って生きてきました。
「自分を疑う、その疑いの強さとキャリア」と「自信をもって何かを言うということを恥じる気もち、その強さとキャリア」、矛盾するようですが、「その2つだけには自信がある」と言うことを、もう許されてもいいように思います。

私は最終的に想像力と直観と体で、つまり生身でものごとを把握するタイプですので、あっしらさんほど論理的に出力することはできませんが−−。
しかしそういう人間が自分で想像し、量的な情報収集も自分の頭としては極限に近いところで行い、他者との検証も行い、あっしらさんと同じようなところに辿り着いていますので−−。

また、私は現在外国、ドイツにいます。
故に私は二重の意味でのアウトサイダー、よそ者です。
そういうやつの方が「見えている」場合もあります。

この戦争のもつ意味に気づいた時点で、私は自身による自身に対しての破れかぶれの挑戦に踏み出しました。
もう、自分がどうのこうのというレベルの話じゃない、と思いましたので。
その辺、あっしらさんも同じと思います。
今回のことについての「現実らしさの構築」に没入してからも、追いつめられて、自身の破綻の危機を何回も感じました。
あらゆることが、普通の神経では耐えられないくらいおぞましかったからです。
中でも日本の鈍さが一番おぞましかった。

戦争が始まって以降も日本のメディアに「松井がどーのこーの」という記事が出ているところを考えると、「戦争なんて、自分の頭の中でしか起こっていないんじゃないか」と思う方が自然に思えました。
またそうも思いこむように努力もしてみました。
「みなさんの世界が正しくて、間違えてるのは私です。すみません」というスタンスでずっと生きてきましたので。
「まさかそこまで鈍くはないよな」と、信じたかったのもあります。
自分が狂っている、という風にして済むのだったらそれでいい、とつらいことですがそう思っていました。

現時点で私が防ぎたいのは日本人が「正真正銘のプロの家畜」になってしまうことだけです−−「少しでも得がしたい」が思想になった時点であからさまに奴隷にはなっていましたが。
私の観察では、矜りを大事にする人というのは「食えなくなる」というリスクを負う勇気があるので、その多くが社会の片隅にいるか、とっくの昔に日本から出ているように思えます(どーでもいいですが別に私自身は自分が日本を捨てたとは思っていません。数年したら日本でバーをやりたいと思っていました)。
それぐらい、矜りをもった人には「得をする」ということが思想になってしまった日本との関わりが難しく、またそういった人に日本は厳しかったと思います。
実際、何人かと話をしたところ、小泉首相の「支持」を受けて、「難しいことはわからんけど、これで何がどうなっても文句は言えない立場になった」と感じて腹をくくっていたのは、いい年して時給何百円とかで働いている「これまで日本で特別何も得をしてこなかった」人たちでした。

もし奇跡のようなことが起きて−−つまり赤いヘルメットを被ったオッちゃんが天から舞い降りて「全部ドッキリでした〜っ!」というようなオチでも着かない限り、私たちはもう前の世界には戻れません。
仮に前の世界と同じような世界が訪れたとしても、その内容はまったく以前とは違うものになります。

何故それに気がつかないのか、不思議でなりません。
「イスラムVS米英とその仲間たち」の構図が見えてきてもなお、まだ北朝鮮が怖いとか言っており、言ったそばから変なの打ち上げて北朝鮮を煽るというのは、支離滅裂なだけか、誰にも理解できないブラック・ジョークなのか−−。
恐怖ゆえにかどうかはわかりませんが「恐怖の損得勘定もできない」状態に陥っていると思います。
あるいはまだ「自分の命レベル」で考えているのか。

大体、北朝鮮の脅威なんて最初から低かったはずなのに。
自分たちで勝手に想像の鬼をつくって恐れているうちに、本物の鬼を起こしてしまい、想像の鬼までもを本物の鬼にしてしまった−−というように思えます。

もし1週間ほどで決着が付いたなら、「嘘の平和」ぐらいは手に入ったのかもしれません。
しかしそうならなかった以上、どうして次にやってくるのが、安く見積もっても「テロ天国」という風に思えないのでしょうか。

今現時点で一人一人がしなくてはならないことは、少なくとも関心をもったりする程度のことではないはずです。
祈ってしまったら終わりだと思います。
「祈る」代わりに「努力」をしなくてはと思います。
今からでもありったけの想像力を使い、また情報収集も行って一人一人が「現実らしさ」を把握する努力。
そしてそれを他者と話し合い、一歩でもその「現実らしさ」の精度を上げる努力。

その努力を、「あなたのまわりを、あなたが支持したことによって自分の子どもが殺されたと、血の涙を流して怒っているイスラムの人100人が囲んでいる」と想像しながらやってみる、それぐらいでやっと真実味が出てくるのではないでしょうか。

いろいろ自分で書きまくって整理しようとはしているのですが−−以下は先日散々迷った挙げ句、ごく親しい友人だけに「起きてくださーい」的な文章を送って、やっぱり青くなってその後「ごめんっ、クルってましたわ。笑っといて」というのを出して−−その後になって「もうええわ、おかしいと思われても」と開き直って出したメールです。
まとまったのを書き上げる時間が惜しいので。重複っぽい部分が多いですが転用します。


しばらく情報をシャットアウトしてたので、今は「頭がパンパン」というわけではないです。
ほんまに、2重3重にややこしいこといってごめんやったね。

ぼく「大勢を前にして自分は正しい」と言ったり、思ったりするメンタリティもってないからね。
「自分が間違ってる」と思うようにいつもトレーニングしてきたから。
「みんながいいならいいや」って。
自分を信じないってことです。

まあ、でもちょっと読んでくれるかな。甘えなんかもしれんけど。

ぼくは叫んだり訴えたりするような、そんな恥ずかしい人間にだけはなりたくないと思ってきました。
でも大事なことなんかでは「自分はこう思う。間違ってるかもしれんけど」ってのはあるんで、そういう時はぼそっとつぶやくようにしてきました。
だからあなたと何かを話すとき、ぼくが何かを「言い切る」時は、どーでもいいことだけだったはずです。
前はどーでもいいことさえ言い切れませんでした。

いちいち「多分」とか「間違ってるけど」付け加えないと気が済まなくて。
本当に大事なことなんて、言い切れるわけがない。

前に送ったのは葛藤の上での「こころの叫び」みたいなもんでした。
どうしても親しい人には伝えたかった。
それがたとえ、「ぼくが狂ってるのか、それともぼくには見えていたのか」の、二者択一になるとしても。
迷って迷って、「でも聞いてもらいたい。狂ってるって思われてもいいから」と思いました。
ギリギリの選択でした。

だって、この戦争をどう受け止めたかで、それぞれ違う世界に住むことになるから、どうせ。
「自分が大事に思ってる人が、違う世界に生きる」ことになるんだったら、自分から「みんながいる世界」から退場したとしても、状態は一緒じゃん。ね?

で、あれでも「難しいこと言わずに心に訴える」ようにだけを思って書いたんです。
時間がないと思ったから。
本当はあそこに書いたようなことが「叫びたいこと」だったわけじゃないです。
ある意味たきつけることだけが目的だったかもしれません。

本当に思ってることだからつぶやきます。

ぼくね、正義がキラいなんよ。昔から。
だって正義って、もしもみんながもってたら、争いにしかならないから。
だから正しい正義なんて、ありえない。

似たようなので、ぼく、子どもの頃によく「絶対」ということばを使っててさ。
そうでもしなきゃやってられなかったんだけど。
当然大人は叱りますな。
「『絶対』なんて、ないんだからそんなことばを使うな」と。
でもさ、ぼく思ったんよね「『絶対なんてない』も絶対じゃないか」って。
ちぇっ、て感じだった。

でもそういうの正義みたいのを求める気もちが(「つまり私は〜だ」と言い切ることさえ、ある意味正義だからね)、あるのはしょうがないんよ。
そこら辺で手を打たないと、人は自分が誰だかもわからなくなるし。
でもぼくは、そういうのイヤやった。

だって「自分が今実際に生きているのかどうかさえ怪しい、世界っていうもの、宇宙っていうものが実際にある、なんてのも怪しい」って小さい頃に気づいてさ。
でもそんなこと考えてたら小学校なんか行ってられないし。
その頃から捨て鉢に生きはじめたんです。テキトーに。
そんなやつが、ウソの世界の上でそれを「まあ、あるよ。世界は」ってことでごまかして生きてるのに、その上自分も「今実際に固定の自分として」生きているなんての信じちゃったら、二重のウソを本当のこととして飲み込むことになるやん。

ぼく、今でも現実世界とかあんまり信じてない。
彼女と抱き合ったりしてる時とかは信じれるような気になったけど。

まーいいや。
つまりぼくは最初から「現実なんてない」って思ってたわけです。
だからかもしれんけど、よく「おまえは現実味のない存在だ」というようなことも言われました。

みんなの生きてる世界を、いつも外から見てるようなところあったから、かえってよく「見えた」のかもしれん。

−−さあ、今回のことについてだ。

バーチャル・リアリティ(以下VR)って言葉が出てきたでしょ。数年前に。
そういえばジャミロクアイの「バーチャル・インサニティ(バーチャル狂気)」って曲のタイトル、すごいなと思った記憶がある。
ジャミロの頃はさ、VRってゲームの中とか、パソコンの中のことと思ってよかったと思うんだよね。
画面の中がVRで、こっち側は「ホントの現実」ってことで。まあ。

でもさ、今回の戦争ではっきりしたけど、もうこの世界の上は全部VRになってしまった。
それがはっきりしました。
むしろパソコンの中にだけ現実があると考えた方がいいかもしれない。
でもそれって、生理的にイヤでしょ?

でもさ、考えてごらん。
バグダッドで実際にある一つの出来事が起きているとするやん。
それを伝えるアメリカのTV、イラクのTV(実際クウェートのやつが多いけど)、日本のTV、ドイツのTV−−全部違う角度で伝えてるんだよ。
その一つの出来事を、アメリカとイラクのTVが正反対に伝えるのは想像できるよね?
日本はアメリカ寄り、ドイツはニュートラルに近いとしても、それぞれの視聴者が「さあみなさん!今起きている戦争をイメージして絵を描いてください」って言われた時−−わかるやろ?

誰が「今バグダッドで起きている戦争」の「現実」を描けるっていうの?

そーいうことです。
どこにもリアルはない。

むしろパソコンの中ってのは、見る目さえあれば、いろんな方向からの情報が集められるからね。
根も葉もないウソや妄言もきっと多いけど、今となっては日本のTVの方がウソくさい、というか「みんなが真実だと思って見てる」分だけ悪質やんね。
流す方は影響力知ってるんだから。

だから、ぼくインターネットなんか信じてなかったけど、敢えてそれも使って、玉石混交の中から「玉らしきもの」集めて、それを切り張りして自分なりの「現実らしきもの(または狂気)」をつくってみたんよ。

それとかアメリカ側イラク側報道、それと中立っぽいドイツのを見比べて、本当らしきものを想像したりね。
日本のだけを浴びてたら、ウソが何重塗りになってるかわからないから、何も見えないと思うんだよね。

昔バンドの曲の歌詞で「TV見て死ね」って、思わず書いてしまって、リーダーからダメ出し受けたこともあったけど、こんなことになるなら思いっきり叫んだったらよかった。

(略します)

だから「追っかけてみる」ことにしたんよ。真実らしきもの。
たまたま院でメディアのことやってたからまあ鼻が利く方やと思ったし。

その前にちょっと、経済の仕組みのこととか考えてて、腑に落ちないところもあったもんでね。
最初から関心の方向が違ってたから−−そういう方が見えやすい時あるからね。
で、まあ本当の「ぼくが『この戦争だけはアカン』」って思ったテーマは、それが人間の「想像力とかの放棄」になると思ったからなんです。
ぼく、想像力と狂気の味方なんです。
文学も音楽も絵だって、源泉はそこにあるから。
だから何か、「有史以来、人間がぼんやり考えてきたこと」自体が好きなんよ。
で、「欲望」がキラい。
ギリギリ「理性」が「欲望」に勝ってるって世界なら、まだ許せてたんだけどね。

えー、簡単にいうと「国」って考え方と結びつけた「資本主義経済」ってのは行き詰まってると思ったんですよ。
終わりが近い、と。
感覚的にね。
だって、アメリカも日本もドイツも失業だらけ、赤字だらけで、勝ってる国がないんよ。
これね、ゲームだとしたらおかしいよ。
で、中国ってのもあるんだけど、それってつまり「中国を食い尽くしたら終わり」ってことでさ。
悪循環は−−簡単にいえば、中国の労働力が安いからって、日本の企業が中国に工場作って雇うでしょ?中国人を。
で、モノの値段は安く上がることになるんだけど、その結果解雇されちゃう日本のお父さんが大勢出ることになるんだよね。
これはドイツと東欧の関係も一緒。

自分の尻尾を食べるヘビみたいになってるよね。

で、あと「買いたいモノ」もうないでしょ?
ここがポイント。
変ないらんようなモノばっかつくって、それ売って経済回すなんて、不健康なんよ。
いらんモノ買うために働くとか、ね。
だから、「欲しいモノを買うために頑張ってみんなで働いて、そういうのがあちこちの国を巻き込んで、ぐるぐる上の方に向かって経済成長」ってのは終わったんよ。

「買いたいモノ」がないって状態は既に哲学的なテーマにもなると思うんよね。

今、自分たちが乗っかっているシステムが終わろうとしていて、次の「何か」を考えなくちゃならない時に、めっちゃ原始的な「欲の虜の強奪」は最悪の行動なんよ。

これが「ダメ」っていう一番の理由。
その愚かさだけは許してはならないってこと。
ガマンして、食えなくてもいいからみんなで次のシステムを考えなくてはならない、って時にさ。
それは「考えることの放棄」と「欲望に負けた人間の姿」だよ。
それで「畜生」です。
なお悪いことにこの「畜生道」はさ、ズル賢さの点でも穴がポコポコ空いてるからさ。
それは、単純にムカつくんよね。
「頭悪い癖に自分のこと頭いいとか思ってて、偉そうにしてる小悪党」
エバッて演説してんのに、ズボンのお尻に穴が空いているみたいな感じ。
チェックがあまいというか。

日本人一人一人レベルで考えたらね、結局さ、考えたりすることを怠けて、「ちょっとでも得したい」と「保身」ばっかで、弱い者のこと平気でイジめて、自分は普通だとか思ってて、それなのに「今トラックが走ってきてるのに目の前の100円玉に飛びつくような計算の出来なさ」も同居してて−−、
どきどきしながらだけど、断言しちゃおう。
「それが日本人の思想になっているところが間違っている」

まだ勇気とか、男気みたいのがあれば救われるんだけどね。
じぇーんじぇーん、ない。
何でないのかは自分なりの説明あるけど、また今度。

結局、始まってしまえば自分の命や尊厳も風前の灯火だってのに、それがわからないで「自分のおかずが一品減るかもしれんのが怖い」っていう行動原理だけで動いてる、ってこと。
戦争に関してね。
死んじゃったらおかずなんかいらないやんな?普通。
死ななかったとしても、畜生としておかずにありついてもなあ。

で、戦争に賛成したっておかずは減るんだよ。きっと。
おかずどころじゃないと思うけど。

それが見えてない小悪党根性の日本人ってのが−−。

自分が頭いいとか思ってて、しかも頭いいことが「いいこと」だって勘違いしてる連中に限ってこういうのが多いんよね。
「国益」とか覚えたらすぐ使うし。

結局、ぼくが日本人に対してわかってほしいと願ってたのは、ここまできたら「一人一人が真剣に向き合う」、「想像力を尽くして隣の人と語り合ったり耳を傾けたり」そして、「飢えるのなんか怖くない」と、カッコつけて開き直ることなんですよ。

でさあ、ほら「どーせ自分が間違ってる」と思うから、あと、「いやいや、みんなわかってるんだって」とも思うようにしたいから、引っ込んでたんですよ。
自分の責任だけは果たしとこう、と思ってさ。

でも様子違ったしね。
想像できる「ひどい未来」の姿がどんどんおぞましいものになっているのに、まだ「戦争に関心もってる」「反対です」のレベルやし。
ここで立ち上がらなかったら、ホンマの人でなしになるって時に、まだおかずのこととか考えてる。

あっちこっちでデモとかあんなに盛り上がって、こんなに一人の人間の「人殺しはアカン」っていう気もちだけで、世界をちょっとマシなものにできる可能性があるのに−−、想像力が乏しいから、それと動物的な危機感の感じ方も鈍いから、
まだおかずのことと、つくられた「本当はなかった恐怖」に怯えてるだけ。

日本人一人一人にとっての、抑え続けられてきた「人間の可能性」を爆発させることができるチャンス、というより、せなアカンのよ。とにかく。

どっちにしたって死ぬなら、人間として死にたくないか?って判断を迫られてる時だと思うのよ。

畜生としてだって、生き残れる可能性が少なくなってきてるのに何やってんだ!ってことなんだけどね。

でもデモに参加せえ、って言ってるんじゃなくて、命がけでこの問題に向かえってことだけなんです。
どう考えても悪いのは何番目かにどーせ「日本」になるんだから。

書きたいこと多すぎて全然まとまらへん。
あせっているんだと思う。やっぱ。

でさ、あなたにこんなん読んでもらえて、ぼくの「今、命がけで想像しろ」の意味があなたに伝わったら、もし平和風な世界がまた訪れた時、話ができるかな、と。
もう平和な世界ではないんだけど、そこで「人として」話すことが許されるんじゃないかな、と。

ものすごく「何もなかったように」この戦争が過ぎたとしても、もし「何事もなかったかのように」過ごすことが許されたとしてもさ、ここでやっとかな、ぼくはその人を人でなしと思わざるを得ない。

自分にできることサボッて何もしなかったやつは、人間じゃないと思うんだ。

だからズルいけど、前のやつで「恐怖で煽って」みようかな、と思ったんよ。
人間としていつかまた会いたいと思ったから。

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