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株式日記と経済展望 日本の学界はなぜ「秀真伝」を否定するのか
http://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/278.html
投稿者 TORA 日時 2003 年 6 月 15 日 18:42:58:

(回答先: Re: ホツマツタエはどう?古事記や日本書記は蘇我氏等の豪族の都合で歴史を婉曲か? 投稿者 研究しる 日時 2003 年 6 月 14 日 01:39:14)

             ホツマ文字

先日はハングルの由来について書きましたが、それは対馬に伝わる阿比留文字が元ではないかと書きました。神代文字を調べるとその中にホツマ文字で書かれた「ホツマツタへ」という世界最古の古典が日本に存在することがわかった。それは「古事記」「日本書紀」の原点になったと推測される。

日本の学界では「秀真伝」は「古事記」「日本書紀」を元に作られた偽書だとされている。「秀真伝」は完全な七五調で書かれているのに対して、「古事記」日本書紀」はかなり崩れてしまっている。これは「秀真伝」が口承で謡いやすく書かれたもので、途中で漢語訳で書かれたものを原典に記紀が書かれたのだろう。

内容についても馬野氏が指摘するように「秀真伝」も権力者の焚書坑儒に遭い、ほとんどの原典が消失した。蘇我氏や秦氏などの都合が良いように歴史が改竄されたのだ。外来の宗教や種族が、天皇の由来を曖昧にしてそれまでの歴史を作り変えてしまった。その伝統は今でも続いているようだ。

日本に学会は神代文字を認めず、「秀真伝」や「竹内文書」などの古代の文献を認めないのはなぜなのだろう。阿比留文字にしても石碑や神鏡等の物的な証拠も残されているにもかかわらず、学術的に触れることはタブーとなってしまっている。「秀真伝」も偽作の一言で片付けられている。

しかし内容から検討してみれば江戸時代の偽作とするには無理がある。それらは在野の研究者からいろいろ指摘されているが、学会は取り上げようとしない。この事は戦後のGHQによって東京裁判史観を国民に植え付けていることと同じ事であり、東京裁判も歴史の改竄の一種である。

最近において縄文時代の遺跡が発掘されているが、巨大建築物の跡や遺物などは今までの縄文文化の学説を覆すものだ。弥生時代を500年も前にずらしたり、最近の古代史学会は混乱している。それにもかかわらず記紀や魏志倭人伝にこだわり続けるのは馬鹿げている。「秘められた日本古代史ホツマツタへ」にはこのように指摘している。

古事記、日本書紀の記述では、この戦闘で神武天皇に敵対しているのは、ナガスネヒコと彼の奉ずる主将ニギハヤヒ〜中略〜なのは言うまでもありませんが、その点はホツマツタヘでも同じで、「ニギハヤヒ」がそれに当たります。「サスラ男」とは流離ふ男の意味であり、もちろん天照大神の弟のソサノヲノ命〜中略〜のことを指します。そしてホツマツタヘの記載では、同命が悪業の限りを尽くして放逐されるのは古事記、日本書紀と同様です。この放逐されることが即ち「下民」に落されることと同じ意味になるのですが、このことが古事記、日本書紀の記事にはないのです。古事記や日本書紀に出ないソサノヲノ命についてこの他にも多くの記述がホツマツタヘには記されており、今は略しますが、一言付け加えておきたいのは、ソサノヲノ命は後に悔い改めて天朝に復帰することになるということです。


「秘められた日本古代史 ホツマツタへ」http://simasiba.hp.infoseek.co.jp/hotuma-sinsyo01.htm

ホツマツタへについてのホームページhttp://simasiba.hp.infoseek.co.jp/hotuma-ni-tuite.htm

このように記紀ではソサノヲノ命の話があちこち省かれたらしい。そのために解釈に無理が出てくるが、ホツマツタへでは「かけことば」として意味が通ずる例をあげている。さらに神代文字は五母音で、平安時代に八母音から五母音に変わったと学会では定説とされている。だから神代文字は五母音だから、神代文字で書かれたホツマツタへは平安以降のものという学説ですが、渡来人によって漢字を国語化する際に一時的に八母音なったらしい。

古代において日本人はどのような言葉を話していたのか。民族が変わってなければ今と同じ五母音だったと考えられる。中国からの渡来人が日本語を八母音として聞いていたからと見るべきだろう。だから邪馬台国を「ヤマタイコク」と「ヤマトコク」と混乱するのだ。だから魏志倭人伝の昔から大和国として天皇の支配する国家だったと考えるのが自然だ。

http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu48.htm

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コメント
1. 2019年4月11日 06:37:07 : ySPZjfAjKs : VzN1RWhSTnBKVVE=[13] 報告
何言ってるかわからん。
2. 中川隆[-10391] koaQ7Jey 2019年5月07日 21:43:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1706] 報告
>古代において日本人はどのような言葉を話していたのか。民族が変わってなければ今と同じ五母音だったと考えられる。中国からの渡来人が日本語を八母音として聞いていたからと見るべきだろう。

弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

3. 中川隆[-10405] koaQ7Jey 2019年5月08日 17:04:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1693] 報告

東北・北海道の縄文人と関東以西の縄文人は全く別の民族
弥生人と朝鮮からの渡来人も全く別の民族ですね。

日本語は関東以西の縄文人の話していた言葉
アイヌ語は東北・北海道の縄文人の話していた言葉

弥生人は長江から移民して来た稲作漁労民が関東以西の縄文人と混血してできた民族ですが、長江から移民して来た稲作漁労民はごく少数だったので、縄文人の話していた日本語をそのまま使ったのです。

人数が極端に多かったのは2世紀から昭和まで途絶えずに朝鮮から移民してきた漢民族系渡来人ですね。

従来 弥生人と言われていた民族も弥生前期は長江人、後期は漢民族系朝鮮人で、完全に別民族です。

天皇一族は弥生時代後期に北九州に植民市を作り朝鮮との交易に従事し、漢文を書き、高価な中国製の鏡を大量に持って居たので、勿論漢民族系朝鮮人です。

天皇一族は朝鮮を追われて日本に移民して以降

中国華北 → 韓国ソウル
→ 福岡県伊都国 → 日向、大和 、丹後 → 北九州、瀬戸内、畿内
→ 沖縄、北海道・東北北半分を除く日本全土

の順に支配地域を広げて行った様です。

弥生時代後期から昭和までずっと連続して朝鮮から長江系及び漢民族系渡来人が流入し続けて、遂に日本人(縄文人・弥生人)は少数民族となってしまいました。

現時点でわかっている事を纏めると

日本は多民族国家で

陸稲は焼き畑農耕と一緒に縄文中期に長江から九州に伝わった

水田は弥生初期に長江から北九州に伝わった

弥生人は九州に移住した少数の長江の男が縄文女性を現地妻として作った混血児の子孫
言葉は西日本の縄文人の話していた日本語をそのまま継続使用

漢民族系渡来人は弥生時代後期に北九州に植民市を作り、朝鮮と交易を行った。

弥生時代後期から昭和までずっと連続して朝鮮から長江系及び漢民族系渡来人が流入し続けた

信仰対象によってどの民族か簡単に判別できます:

縄文人
蛇信仰、巨木・磐座に神が降りる、死んだら円錐形の山からあの世に上がる

長江人
鳥信仰・太陽信仰、集落の入り口に鳥居を設ける

朝鮮からの漢民族系渡来人
中国鏡を神体とする太陽信仰

因みに、福岡県糸島郡前原町の平原遺跡から八咫鏡が出土していて、アマテラスの墓だという説が有力です。

日本一大きな国産の内行花文八葉鏡四枚について、考古学者故原田大六(だいろく)はその図抜けた大きさと特異文様とが、伊勢神宮に関する種々の史料から内宮の御神体である八咫鏡( や たのかがみ)と同じものではないかと推察し、次のように述べている(『実在した神話』、学生社)。

「伊勢神宮の八咫(やた)の鏡と平原弥生古墳出土の大鏡は上述のように、寸法、文様ともに食い違ったところを見受けないのである。これがもし事実だとしたら、平原弥生古墳には大鏡の同型同笵鏡(どうはんきょう)が四面あることから、はじめは五面を作製したものの一面が伊勢神宮の御神体になっているといわれないことはない」

原田大六は平原遺跡一号墳の被葬者は玉依姫であり、伊勢神宮にアマテラス(大日孁貴)として祭られていると推察している。

 森浩一氏も、この原田説を支持され、

「原田氏の生涯をかけての、この重要な研究が基本において修正を要しないとすれば、八咫鏡は弥生時代後期に北部九州で製作され、他の同類は破砕されたけれども、一面だけがはるばる近畿地方にもたらされたということになる」

と述べておられる(『日本神話の考古学』)。

 豊玉姫−玉依姫−イワレヒコ(神武)の系譜から、この鏡の製作の中心にいたのは母豊玉姫を弔(とむら)ったであろう玉依姫ということになる。

その玉依姫が、わが子神武の東征にあたって、鏡の一面を携帯させたとすれば、当然、大和朝廷においてその鏡は玉依姫の鏡として長らく宮中にあったに違いない。それが、

「崇神五年、国内に疫病多発、人民の大半が死亡、六年には国内大混乱。その原因としてこれより先、宮中にアマテラスと倭(やまとの)大国魂(おおくにたま)の二神の並祭が、お互い神威が強すぎることにあると思えたので、別々に祭ることにし、アマテラスは豊鋤入姫(とよすきいりびめ)に託して云々」

____

という事で

天皇一族は朝鮮を追われて日本に移民して以降

中国華北 → 韓国ソウル → 福岡県伊都国 → 日向、大和 、丹後

の順に天孫降臨していった可能性が高いですね。


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理


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